中岡望の目からウロコのアメリカ

2006/6/2 金曜日

アメリカ経済の悲観的シナリオ

Filed under: - nakaoka @ 7:31

今回、アップした原稿は「月刊テーミス」6月号に寄稿したものです。アメリカ経済の今後の見通しに関して、楽観論と悲観論が相半ばしているような気がします。その鍵を握るのが住宅バブルの行方でしょう。バーナンキFRB議長は、住宅バブルは軟着陸し、緩やかな調整が行なわれると主張しています。5月10日に行なわれたFOMC(連邦公開市場委員会)の議事録が発表になりましたが、そこでは”コア・インフレ”(価格変動の激しいエネルギーや食品価格を除いたインフレ率)がFRBが妥当だと考える2%を超える懸念が出されています。特にドル安と一次産品価格の上昇がさらにインフレに火をつける懸念も表明されています。成長率も年末に向かって減速するという指摘もありました。さて、先行きをどうみればいいのでしょう。ここでは「悲観論」を書いてみました。なお執筆時点は4月中旬です。なお、「テーミス」掲載とは若干違う部分もあると思います。

始まった景気の地殻変動

アメリカ経済を取り巻く状況に、確実に変化が現れ始めている。FRB(連邦準備制度理事会)は今年2月に議会に提出した「金融政策報告」の中で、今年の経済成長率は3・5%と、前年並みの成長を維持すると予測している。しかし、アメリカ経済の“下ぶれリスク”は確実に高まってきている。

2001年の短期間のリセッション後のアメリカ経済回復の原動力となってきたのは、FRBの超低金利政策”であった。しかし、FRBは04年6月から“超緩和”から“中立的”に戻すために利上げに転じ、今年の3月のFOMC(連邦公開市場委員会)で連続15回にわたって利上げを決定し、政策金利であるフェデラフファンド金利を1%から4・75%にまで引上げた。こうした短期金利の引き上げにもかかわらず、この間、長期金利はほとんど上昇しなかった。その結果、イールド(利回り)曲線はフラットになるなど、異常な状況を呈している。

長期金利が上昇しなかったことで、住宅金利も5%台と50年代以来の低水準で推移した。これが住宅投資を刺激し、住宅価格の上昇をもたらした。02年から始まったアメリカ経済の回復の最大の特徴は個人消費主導であったことだ。すなわち、ブッシュ政権の大幅所得減税と住宅価格と株価上昇による“資産効果”によって消費が刺激されたことである。

FRBが金融引上政策に転じた後も、この構造は崩れなかった。短期金利が上昇したにもかかわらず、長期金利は上昇しなかったのである。バーナンキFRB議長は3月20日にニューヨークの経済クラブで行なった演説で、「世界的な貯蓄過剰が長期金利低下の要因である」と説明している。すなわち、発展途上国は本来なら設備投資のために大量の資金を必要とするのに、97年のアジア金融危機以降、設備投資を抑制し、資金を必要としなくなっているうえ、中国を代表とするアジアの貿易黒字国の外貨準備と原油高でオイルマネーが累積し、大量の資金供給国になっている。そうした過剰な資金が、高イールドを求めてアメリカに流入したことが、長期金利の上昇を抑制することになったのである。さらに、バーナンキ議長は、先進国の年金基金が人口の高齢化に備えて資産運用を長期債にシフトしていることも、もう一つの長期金利が上昇しない要因であると指摘している。

しかし、最近、そうした状況が急速に変わりつつある。世界的に長期金利の上昇が始まっているのである。FRBに続き、欧州中央銀行も利上げに踏み切った。また、日銀も量的緩和政策を止め、利上げに向かって環境整備を始めている。こうした先進国の利上げを受けて、長期金利が確実に上昇傾向を示し始めたのである。4月8日と9日にウィーンで開催されたアジア欧州財相会合でも長期金利上昇についての懸念が表明された。また、4月28日のワシントンで開催されたG7財相・中央銀行総裁会議でも、最近の長期金利の上昇がテーマの一つとなった。

こうした金融面の展開に加えて、原油や金を含む一次産品価格の上昇が顕著になってきているも注目される。4月中旬、原油価格は1バーレル70ドルに接近するなど再び上昇基調を示し始めている。サウジアラビアの供給抑制に加えイラン問題が大きな懸念材料となっている。原油価格の上昇は、アメリカ経済の成長にとって大きな足かせとなることは間違いない。

上昇に転じ始めた長期金利

既に指摘したように、アメリカ経済の成長の原動力は個人消費にあるが、賃金がほとんど伸びていないのに、なぜ個人消費が景気の牽引力になりえるのであろうか。それは、住宅ローン金利の低下と住宅価格上昇による“資産効果”が鈍い所得の伸びを補い、個人消費を刺激してきたのである。アメリカでは住宅金利が低下すると比較的簡単に借り換えができる。借り替えることで返済負担は大幅に減り、可処分所得が増えるのである。また、“エクティ・ローン”を利用することで、可処分所得を増やすこともできるのである。すなわち、価格上昇で資産価値が高まった住宅を担保に銀行から借入をして、高額商品の購入に向けるのである。

また、長期金利の低下は企業の金利負担を軽減し、収益改善に大きく寄与した。低金利政策で市場の流動性が高まっているところに企業収益も改善したことば、アメリカの株高の大きな要因となった。株高は同時に個人投資家の金融資産を増やす効果を発揮し、ここでももう一つの“資産効果”が大きく働いたのである。いかに“資産効果”が大きいかは、個人貯蓄が昨年の半ばからマイナスになったことで裏付けられる。資産価値の大幅な増加によって、個人は貯蓄を取り崩して消費に向けているのである。

こうした低水準に留まる長期金利を背景とする好循環に変化が出始めている。4月13日に10年物財務省証券のイールドが5%台に乗ったのである。これは02年6月以来の高水準である。こうした長期金利の上昇を受けて、住宅ローン金利も上昇し始めている。昨年末まで5%台で推移していた期間30年の固定金利の住宅ローン金利は4月初旬に6・35%にまで上昇している。これは03年9月以降、最高の水準である。アメリカ経済が本格的な回復過程に入る前の水準まで戻っているのである。市場では、年内に7%台まで上昇するとの見方もある。

こうした金融情勢の変化は、徐々にではあるが住宅市場にも暗い影を落とし始めている。2月の新築住宅の販売戸数は前年同月比で9年来最高の12・5%の減少となっている。在庫水準も過去最高となっている。住宅価格も前年同月比で3%の下落を記録している。4月10日の記者会見でスーザン・ビーズFRB理事は、住宅市場はバブルの様相を呈していると指摘。さらに、マンションが投機的な売買の対象になっていると警鐘を鳴らしている。急激な住宅価格下落という事態は起こっていないものの、住宅市場が新しい段階に入ったことは間違いない。

もう一つ気になる動向は、企業業績である。低金利による利子負担軽減、生産性向上、海外子会社収益の寄与が企業収益の改善を支えてきた。昨年の企業収益は、国民所得・生産勘定ベースでは14・6%と大幅な増益を記録している。ウォール街のコンセンサス予想では、今年も13%程度の増益が期待できるとしているが、モルガンスタンレー証券は7・5%程度に留まると慎重な見方をしている。おそらく、10%を上回る増益は期待できないと見るほうが妥当であろう。とすれば、株式市場にも影響が出てこよう。ダウ平均株価が一万ドルを大きく上回る展開は期待できないだろう。とすると、住宅市場と株式市場に従来のような“資産効果”を発揮するのは無理かもしれない。とすれば、大きな消費動向の調整が起こる可能性は十分にある。

歯車の逆転は始まるか?

こうした状況のもとでバーナンキFRB議長は難しい政策運営を迫られるだろう。石油価格上昇が続けば、間違いなくインフレ圧力は高まってこよう。さらに個人の可処分所得にも影響を与えることになる。3月のFOMCの利上げでフェデラルファンド金利は4・75%にまで引上げられている。年内にもう一度利上げが行われるというのが、市場の一般的見方である。しかし、原油価格上昇を背景にインフレ圧力高まってくれば、さらに引締めを強いられる可能性もある。そうなれば、政策金利の引上げは長期金利に間違いなく反映するだろう。

さらにもう一つ大きな懸念材料がある。それは中国や産油国が外貨のドル資産での運用を減らす意向を明らかにしていることだ。それは、対米投資の減少を通して、ドルの長期金利に影響を与えることになる。さらに既に過大評価されているドルからの資産離れを意味し、ドル相場で大きな修正が起こる可能性も否定できない。ドル安が進めば、アメリカの輸入物価は上昇することになる。今まで、アメリカはインフレを抑制することでインフレ期待を押さえ込んできた。しかし、原油高、輸入物価上昇、生産性向上の頭打ちが顕著になれば、消費財価格の上昇は避けられなくなるだろう。

長期金利の低下による好循環に支えられてきたアメリカ経済が大きな曲がり角に直面していることは間違いない。インフレの兆候が顕在化し、FRBがさらに引締めを強いられる状況になれば、景気の歯車は一気に逆転を始めるだろう。長期金利が上昇すれば、住宅バブルは弾け、個人消費が落ち込み、企業収益が悪化し、失業率が高まるのは明らかである。こうした悲観的シナリオを描く専門家はまだ少数であるが、その可能性は確実に高まりつつある。

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