中岡望の目からウロコのアメリカ

2005/3/10 木曜日

アメリカの保守派はボルトンの国連大使指名人事を歓迎:ブッシュ政権の意図は”国連重視”よりも”国連支配”?

Filed under: - nakaoka @ 9:07

あまりボルトンの話が続くと、食傷気味になるのではないかと思いますが、ブッシュ政権の政策を理解する非常に良いケース・スタディのような気がします。このブログで行なっている分析が正しいのか、それとも単なる思い付きなのかは、時間が経てば分かるでしょうし、一人の人間の人事が全体の政策の変更にどれだけ影響するのか良く分かりません。ただ、アメリカの組織は日本では想像もできないほど、個人の能力や思想、政策で変わってくるものです。前のブログでブッシュ政権の中のタカ派やネオコンと称される人々に焦点を当てて書きましたが、アメリカでの論調はむしろ「国連改革」との関連での議論が多いようです。本ブログでは、アメリカの保守派の論者Nile Gardinerが3月9日付けの『ボストン・グローブ』紙に寄稿した文章です。読んだ印象を最初にいえば、ブッシュ政権が”国連重視”を打ち出しているのは、「一国主義」を離れて「多国主義」に変わりつつあるというよりも、外交政策を実現するために「国連を利用する」という色合いのほうが強そうです。以下、その原稿の抄訳です。

「ジョン・ボルトンの国連大使指名は、この世界的な組織がかつてない重大な危機に直面していなかったらなかっただろう。石油と食料品の交換スキャンダル、平和維持要員の虐待行為の蔓延でアメリカ国民の国連に対する信頼はかつてないほど低下している。国連は深刻な危機に陥っており、アメリカの新しい強力な指導力を本当に必要としている」

「ボルトンは、国連本部で人気を得ることはできないだろう。しかし、彼は国連が無視できないほど強力な実力のある人物になるだろう。彼は国連の信頼性を透明性を強化するといったアメリカの国益を積極的に実現していくだろう」

「ボルトンの指名は国連を侮辱するものであると見るべきではない。むしろブッシュ政権が世界最大の組織を改革することを重視している象徴と見るべきである。また、ボルトンの指名は、国連でのアメリカの強力な指導力を確立するためにも必要であると認識すべきである」

「ボルトンは武器管理・安全保障担当国務次官(同時に国連でのアメリカの活動を監督)、アメリカ国際開発局担当国務次官補を務めるなど3つの政権で職務を果たしてきており、外交官としての輝かしい記録を国連に持ち込むことになるだろう」

「ボルトンはワシントンでヘビーウエイト級の人物で、議会の議員の多くに尊敬されている。彼の持っている見方は、る国連はアメリカの納税者に対して責任を持つべきだという議会の声と同じものである。議会では、国連のイラクの石油と食料交換プログラムの運営や下院外交関係委員会が行なっている平和維持活動を含む国連の国際的なオペレーションに対する広範な調査など少なくとも5つの主要な問題の調査が行なわれている」

「ボルトンの指名は、国連の役割は今後4年間のアメリカの戦略にとって周辺的ではなく、中心的なものであるというホワイトハウスの考え方を示すシグナルと見るべきであろう。国連が効果的で、責任があり、信頼できる組織になることは、アメリカの国益に叶うことである」

「イラン、北朝鮮、シリアといった無法者国家の国際的な安全保障に対する脅威が高まっており、国連の安全保障理事会の役割は次第に重要になってくるだろう。ボルトンは、これから行なわれる交渉で重要な人物になるだろう」

「またアメリカは、スーダンの大量殺戮に対してもっと積極的に取り組み、世界の人権に関してもっと明確な態度を取るように求めることになるだろう。ボルトンが持つ強みの1つは、ピョンヤンからテヘランまでの専制的な独裁者と進んで対決する意思を持っていることだ。ボルトンが国連に持ち込む道徳的な見識(moral insight)は、新鮮な空気を吹き込むことになるだろう。たとえば、新国連大使の政策の最初の課題は、国連人権委員会の改組である。同委員会の現在のメンバーには世界で最も人権を侵害している国が幾つか含まれているからだ」

「ボルトンの国連大使指名は、稚拙な運営しかできない官僚主義から21世紀にふさわしい合理化された組織に国連を改革することに真剣に取り組んでいるすべての関係者に歓迎されるべきである。ボルトンは、国連で行なわなければならないことを行なうだろう。それは、アメリカの国益を強力に推進し、国連改革のための礎を置くことである」

以下は私のコメントです。これは実に威勢の良い記事です。要するに「アメリカの国益がもっと国連で反映できるようにする」というのがボルトンの使命であるということです。ブッシュ大統領は訪欧の際に、欧米の指導者からイランとの外交交渉に加わることを求められたとき、断りました。要するに、まずはヨーロッパ主導でイラン交渉を進めるのを容認するが、もし失敗したら、次の舞台は国連に移るでしょう。その時、アメリカとしては強力な人物を国連に置いておく必要があるということです。第1期ブッシュ政権の失敗は、国連をアメリカの思い通りに動かせなかったことです。それはダンフォース大使の力が弱かったり、パウエル長官の指導力に問題があったのかもしれません。ライス長官は、どちらかといえば現実派で、国際協調路線を必ずしも否定する人物ではありません。しかし、ボルトンは国連大使になっても、アメリカの国益最重視の人物であり、アメリカの政策を実現するために国連で活動するでしょう。上の掲載した文章の中で、「moral insight」という言葉ばありました。これこそ、ネオコンやタカ派の論理の基礎にある発想なのです。前回のブログの記事との関連でいえば、ボルトンが国連大使になることで、逆にライス長官をチェックすることができるかもしれないと見るのは、少しジャーナリスティクすぎるかもしれませんが、否定できないかなという思いもあります。

それと日本との関連でいえば、アメリカ政府は「アメリカの納税者に対する説明責任」を国連が果たすべきだと主張しています。日本で、国連について、こうした観点から議論が行なわれたことは一度もないように思います。過剰に国連の場で国益を主張するのも問題でしょうが、何も国益を主張せず、ましてや国民に対する説明責任などどこ吹く風の日本政府とはかくも違うものかという思いもあります。

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