『ニューズウィーク』誌の誤報問題とジャーナリズムのあり方
また記事のアップが遅れてしまいました。昨日締め切りで『中央公論』に原稿を書いていました。無事編集が終れば、6月10日発売の同誌に記事は掲載されます。400字で20枚ですから、少し長い記事になります。発売になったら、改めてご紹介します。その間、ずっと書かなければと思っていたのが、『ニューズウィーク』誌のキューバの米軍グアンタナモ基地での事件です。同誌は尋問官がコーランをトイレに流したと同誌のコラム「ペリスコープ」に書いたのです。こうした報道は今まで何度かあり、特に目新しいものではありませんが、今回は「政府高官筋が認めた」と書いたのが、ニュースになったのです。だが、その情報ソースは匿名とされ、結局、この事実は確認できなかったとして、同誌は撤回します。私は経済雑誌ですが、30年の記者経験があり、様々な取材を行なってきました。そうした経験を踏まえて、少しまとめてみたいと思っています。今、海外の資料を読んでいるところで、まだ考えが十分にまとまっていません。ですから、まず昨日、同誌の編集長兼同社会長のリチャード・スミスが発表した「A Letter to Our Readers」を全訳します。その後で、私のコメントと分析を付け加えます。
スミスの「読者への書簡」は同誌の5月30日号に掲載されます。最初の原稿は『ニューズウィーク』誌5月9日号に掲載されました。この記事は、同誌の調査記者マイケル・イシコフ(Michael Ishikoff)記者が「情報通の政府情報筋(knowledgeful government source)」の話に基づいて書かれたものです。ニュースは2つありました。1つは、政府が公式にコーラン冒涜事件の存在を認めたこと、2つ目は軍の報告書にその事実が記載されるということでした。イシコフ記者は、クリントン大統領のモニカ・ルインスキー・スキャンダルをスクープした記者です。彼が書いた原稿を、安全保障担当のジョン・バーリー(John Barry)記者が「政府筋」に事前に原稿を見せて事実確認を取ったところ、コーラン事件が報告書に記載されるということは確認が取れませんでした。しかし、コーラン事件そのものに関してはなんらコメントがなかったことから、彼らは政府筋の人物が確認したと判断したのです。
だが、この記事をきっかけにイスラム諸国で反米デモが発生し、17名の死者を出す字体が発生し、アメリカ政府は同誌に対して強硬な姿勢を取り始めます。まずライス国務長官が「『ニューズウィーク』誌の記事がイスラム世界でのアメリカのイメージに重大な害を及ぼした」と糾弾したのです。ホワイトハウスのマクラレン報道官も、同誌の記事を事実無根として攻撃し、保守派のブロガーも一斉に同誌を非愛国的であると批判し始めます。
これに対して、マーク・ウィテカー(Mark Whitaker)編集長は次のような対応をします。まず「私たちは記事を撤回する気はない。私たちは、最終的な事実が何であるか知らない」と批判をかわそうとします。しかし、批判の火が衰えないことから、同編集長は「現在、私たちが知っている事実に基づき、軍の内部調査によってグアンタナモ基地でコーラン冒涜があったという事実が発見されたという最初の記事を撤回する」と後退し、最終的に全部の記事を撤回する事態に追い込まれました。ただ、反アメリカ・デモが同誌の記事がきっかけで発生したということに関して、統合参謀本部議長のリチャード・メイヤーズ(Richard Myers)将軍は記者会見で「アフガニスタンの陸軍司令官カール・アイケンベリー(Carl Eichenberry)将軍が暴動は”雑誌の記事とはまったく関係ない”と報告してきた」と語っています。
この事件は、2つの問題を提起しています。1つは「匿名報道」の問題であり、もう1つはジャーナリズムと政治の関係です。それについては、後で触れることにして、まず「読者への書簡」を以下で全訳します。
「グアンタナモ湾の米軍基地でコーランの冒涜があったとするペリスコープの記事が大きな全国的な話題になってから1週間にわたって私たちが心から自己分析と反省をしてきたことは、皆様にとっては、まったく驚くほどのことではないでしょう。私たちが記事がどのように報道されたのかに関する説明を発表して以来、私は編集長のマーク・ウフィテカー、編集次長のジョン・メーチャム(John Meacham)や他の主要な編集スタッフと話し合いを重ねてきました。私は、私の考えを皆様と共有したいと願っていました。また、将来における当社の情報収集の重要な原則を確認
し、また再確認したいと願っていました」
「皆様がご存知のように、私たちは記事を明確な形で撤回しました。国防省の否定と私たちの情報ソースが提供した情報に関して立場を変えたことから、唯一の責任ある道はもはやその記事に拘らないと言うことでした」
「また私たちは読者と、特に私たちの記事との関連で生じたかもしれない暴力によって被害を受けた人々に対して心から謝罪しました。私たちの記事がそうした暴力を引き起こすことになったことに、心から申し訳なく思っています(訳注:本文はmayといった言葉が使われており、必ずしも記事がすべての原因であると断定しているわけではないというニュアンスが含まれていますが、ここでの訳は少し雑になっています。急いで訳しているので、ご容赦を)」
「私は読者と当社のスタッフに『ニューズウィーク』は正直で独立した正確な報道を今までとまったく同じように行なうということをお約束します。しかし、今回のケースでは、私たちは重大な記事の間違いを犯しました。名誉にかけて、私たちは私たちの過ちを認め、こうした事態が二度と起こらないようにするために更なる努力を重ねる必要があります」
「当初の調査が十分でなかった理由の1つは、グアンタナモの記事の報道に際して多くの適切な手段を講じたように思えたことです。私たちが知っている事実に基づいて、私は当社のスタッフが非倫理的あるいは非専門家的な行動を取ったことを示す事柄を見出すことはできませんでした。ベテラン記者のマイケル・イシコフは適切な地位にある、過去において信頼できた政府筋から情報を入手しました。私たちは、一人の軍のスポークスマンにコメントを求め(彼はこの要求を拒否しました)、国防省の高官に記事の前文を提供しました。同高官は1つの内容について異議を申し立て(私たちは、その内容を変更しました=訳注:軍の報告書に記載されるという内容)、コーランをトイレに流したという事実に関して何も言いませんでした。もし彼がこの主張に反対していたなら、私たちは少なくとも記事を修正していたでしょう。しかし、私たちは高官の沈黙を確認と間違えて判断してしまったのです」
「今となっては、私たちは出版前に十分に事実を知らなかったか、十分な行動を取らなかったことは明らかです。もし当社の伝統的な編集手続きがこうした間違いを阻止できないのであれば、当社の編集方針を明確化し、強化する時なのでしょう」
「今後数週間のうちに、私たちは全体の情報収集プロセスを改善するたの方法を再検討します。しかし、マーク・ウィテカーとジョン・ミーチャンとの協議後、私たちは現在、以下の対策を講じています」
「私たちは雑誌全体を通して匿名情報ソースの利用に関する基準を引上げます。過去において、匿名の情報ソースは国にとって極めて重要な記事をスクープし、いち早く報道するのに役にたってきました。しかし、匿名情報ソースの過剰な利用は読者の不信とジャーナリストの不注意を招く可能性があります。なぜ匿名性を約束することが読者のためになるのかを示すために、証拠を集める責務は記者と編集者にあります。今後、編集長だけ、あるいは編集次長だけ、あるいは特別に指名された他の幹部編集者だけが、匿名情報ソースの利用に関する承認権限を持つことになります」
「私たちは、情報にアクセスする秘密の情報ソースの特性と、そうした人が匿名を要求する理由を読者に理解してもらえるようにさらに努力をするつもりです。そうした情報ソースの名前と地位は、要請に基づいて幹部編集者と共有されるようになります(訳注:記者が独占し、秘匿することはできないということです)。当社の目標は、出版前に極秘ベースで情報ソースの信頼性と情報提供の動機を適切に評価し、情報ソースを妥当な形で特徴付けることです。”情報筋が語った”という曖昧な言葉は、今後、『ニューズウィーク』誌の記事の唯一の裏づけになることはないでしょう」
「匿名を希望する情報ソースによって提供された情報が重要な記事にとって欠くことができない時は(たとえば、不法行為を主張したり、極めて論争的な観点を反映している記事)、私たちは第2の独立した情報ソースか、他の確固たる証拠を探す新たな努力を重ねることを誓います。そうした記事の中で公共の利益を追求するために単一の秘密の情報ソースが必要な時は、私たちは出版前に記事記事の内容に対して確認あるいは否定、修正のコメントをつけるよう努力します。誰によるものであれ、どんなに高い地位にあり、あるいは情報を熟ししているにせよ、暗黙の了解は2次的な情報ソースとしての資格はないものとします」
「こうした情報ソースに関するガイドラインが決められたのはグアンタナモの記事と関連していることは明確ですが、私たちの指針となる幾つかのより重要な原則を再確認する良い機会でもあります。私たちは、重要な問題について十分な議論や反省を行なうように細心の注意を払っています。常に独占記事を雑誌に掲載したいという衝動はありますが、私たちはそれ以上に記事の正確性を引き続き高く評価します。私たちは、事実に確信を持てるようにするため必要であれば長期間にわたて記事の発表を抑える覚悟をしています。もしそのことで特定の記事が競争上で不利な立場に置かれるとしても、それを受け入れるつもりです。正確性と人々の信頼という報酬は、金銭よりも価値があるのです。最後に、私たちが間違いを犯した時(組織であれ、個人であれ間違いを避けることはできないものです)、私たちは、その事実を真正面から受け止め、迅速に修正するつもりです。私たちは、経験から学んでいるのです」
「私は、35年の間、『ニューズウィーク』誌の誇り高い伝統の一部である特権を享受してきました。私は、皆様に現在、『ニューズウィーク』誌を出版している有能で誇り高い人々が、誌面の各ページに掲載される記事を可能な限り公平かつ正確にするために献身的な努力をしていることを確信を持ってお伝えすることができます。現在、私たちが知っている事実では、私たちはグアンタナモ基地の記事は欠陥がありました。信頼を得るのは困難ですが、失うのは容易です。私たちは読者の皆様に、毎週、最善の雑誌を作ることによって新たな信頼を勝ち得ることを誓います」
リチャード・M・スミス
会長
以上が「読者への書簡」の全文ですが、この書簡で問題が終ったわけではありません。『ニューズウィーク』誌の信頼回復は彼らにとって重要なのでしょうが、匿名情報の扱いかた、さらには今回見ら得た政府との関係、保守派ブロッガーの『ニューズウィーク』誌叩きなど、もう少し深い分析も必要だと思います。
『ニューズウィーク』誌の問題に入る前に、私自身のことを書いてみます。最初に触れたように、経済記者として30年間、取材をしてきました。記者が情報を得る手段は幾つかります。しかし、基本的なことは、勝手にオフィスなどに入り込み、情報を盗み出すことはできないということです。情報は、当事者や関係者を経て、入手します。公式な記者会見やインタビューによって情報を得ることもあれば、非公式なルートで情報や”感触”を得ることもあります。さらに、非公式なルートで情報を得る場合は、当然、匿名性の問題が出てきます。ニクソン大統領を辞任に追い込んだ「ウォーター・ゲート事件」も、”ディープ・フロート”という情報提供者が存在して、初めてスクープが可能になったのです。誰が”ディープ・スロート”であるか詮索が行なわれましたが、ヘイグ国務長官であるという説が有力です。
(追記:上に、”ディープ・スロート”はアレキサンダー・ヘイグかもしれないということを書きましたが、その正体が明らかになりました。その人物はマーク・フェルト(Mark Felt)というFBI副長官でした。これはフェルト本人と家族が弁護士に語り、その弁護士が雑誌『ヴァニテフィ・フェア』に寄稿し、これをウォーターゲート事件をスクープしたボブ・ウッドワードとカール・バーンスタインが確認したものです。5月31日付けの『ワシントン・ポスト』紙は「フェルト氏は長い間、疑惑を否定していたが”この歴史的な匿名の役割”を認めた」と『ヴァニテフィ・フェア』誌は書いている」と伝えています。さらにウッドワードとバーンスタインは声明の中で「マーク・フェルト氏は”ディープ・スロート”であり、私たちのウォーター・ゲート報道を計り知れないほど助けてくれた。しかし、記録が示すように、他の多くの情報源と政府役人が私たちを支援してくれた」と語っています。ウォーター・ゲート事件がニクソン大統領を辞任に追い込みます。
CNNの報道番組を見ていたら、フェルトを知るある学者は、フェルトは自分がFBO長官になれると考えていたオポチュニストであると、単に正義感だけではなく、個人的な野心もあったと語っていました。また、その学者は「間違った意図であったが、歴史的に正しい結果を招いた」と皮肉なコメントをしていました。案の定、保守派からは批判的なコメントが多く、情報源の隠匿に関する規制を口にする者もいます。『ニューズウィーク』誌の政府高官の情報提供は腰砕けに終わり、同誌の完全敗北となりましたが、ウォーターゲート事件はアメリカの歴史を変えるほどの影響を及ぼしたのです。1つトレビア。”ディープ・スロート”というコードネームはどこから出てきたのか?実は、当時、大ヒットしたポルノ映画がありました。そのタイトルが「ディープ・スロート」です。ポルノ映画の意味はご想像の通りの意味です。以上が追記です(6月3日記)
私の経験を2つ。80年代ですが、あるとき、取材で知り合った日銀の課長から電話がかかってきました。彼は「今日、大蔵省が為替銀行の集まりである”二水会”で、途上国に対する日本の貸出残高の数字を発表する」と電話口でいいました。さらに続けて「私から、そのデータをお渡しできませんが、二水会の加盟銀行に接触すれば入手できると思います。ぜひデータを入手して発表してください」と続けました。当時、途上国に対する累積債務が深刻な問題になっていました。どの国にどれだけ融資しているのかは、銀行にとって大きな関心事でした。彼が、私になぜそうした電話をしたかというと、「そうしたデータを二水会だけに公表するのは不公平だ」というのです。途上国に融資しているのは二水会の加盟銀行だけではありません。彼の正義感が、私に情報を通告させたのです。
私は、銀行ルートからデータを入手しました。そして、そのデータを持って大場智満財務官に取材を申し込みました。大場氏には何度も取材をしており、すぐに取材のアポが取れました。そこで私は、途上国融資残高のデータを得たこと、それを記事にするので確認したいと伝えました。今でも覚えているのは「10億ドル単位だろ、立ったらいいよ」と彼が言うので、「いや、100万ドル単位の数字です」というと、彼が渋い顔をしたのを覚えています。いずれにせよ、それで記事を書きました。
もう1つはある大手銀行の企画部からの電話でした。アメリカの財務省が大蔵省の次官に送った書簡のコピーを渡されたのです。彼の真意は分かりませんが、財務省の書簡はダラーラ次官の署名だったと記憶しています。その書簡は1984年から始まった「日米円ドル委員会」の議題を提案したものでした。
こんな風にメディアに情報が流されるのです。そうしたお互いが知っている者の間での情報提供もありますが、企業情報の場合、「怪文書」のような形で企業内部の情報が流れてくる場合もあります。この場合は、情報提供者は誰か分からないわけです。と同時に、情報の信憑性も分かりません。ちょっと横道にそれますが、雑誌メディアは、こうした怪文書を裏づけが取れなくても記事にすることがあります。これは結果論ですが、日本では噂が本当の話である場合が多いのです。これに対して新聞メディアは、こうした情報の取り扱いに慎重なところがあります。それが良いか悪いか別にして、こうして雑誌メディアと新聞メディアの分業とチェック・アンド・バランスが出来上がっているともいえます。
さて、『ニューズウィーク』誌の問題に戻ります。まず問題は、同誌が誤報として撤回した記事に関連することです。それは同誌が記事を撤回したからといって、アメリカ軍のイラク人捕虜の拷問問題(あるいはコーラン冒涜問題)がなかったということにはならないということです。先に触れたように、今回のニュースは「軍当局がコーランの冒涜を認めた」というところにあったわけです。実は、今まで何度となく、メディアでは、拷問などの事実が報道され、その都度、政府や軍は否定していました。今回の『ニューズウィーク』誌の記事撤回が、アメリカ軍の言い分が正しいということを証明したわけではないことです。今までの報道として以下のようなものがあります。
2004年3月14日付けのイギリスの『Independent』紙が、グアンタナモ基地から釈放されたイギリス国籍の捕虜にインタビューを行い、どのような拷問が行なわれたかを報道しています。彼は、そこで捕虜たちがハンガー・ストライキを行なった証言しています。2004年12月30日付けのイギリスの『Finacial Times』紙、2005年1月9日付けの『The Sunday Times』紙も同様は記事を掲載しています。また、2005年5月1日の『New York Times』紙も釈放された捕虜をインタビューして、コーランの冒涜をきっかけに大規模なハンガーストライキが発生したことを報道しています。アメリカ軍の責任者がマイクロホンを使って謝罪したことで、ストが収まったと指摘しています。また『Times』誌もグアンタナモ基地の元尋問官にインタビューして、コーラン冒涜が原因でハンガーストライキが起こった事実を確認しています。要するに、『ニューズウィーク』誌の記事撤回は、そうした事実の存在を否定しているというわけではないのです。もしそうだとすると、同誌の決定は一般の人々に誤解を与える可能性もあり、「読者への書簡」は決して褒められた内容とはいえないことになります。同誌の報道の問題は、先に触れたように、他のメディアが既に報道していた内容を「軍当局が認めた」という部分にあるわけです。それを同誌の記者が匿名の情報提供者を信じて書いたものの、最終的なチェック段階で確認を取れないまま、報道したということです。しかし、複数の信頼のおけるイギリスとアメリカのメディアは「コーラン冒涜事件」が実際にあったことを確認しているのです。『ニューズウィーク』誌の記事撤回は、こうした事実までを否定するもんではないのです。なお、アメリカ軍の捕虜虐待や拷問の問題に関して、Noah Feldman がアメリカの週刊誌『The New Republic』に「Ugly Americans」という記事を寄稿し、詳細な分析を行なっています。ちなみに『The New Republic』誌は私の愛読雑誌です。『ニューズウィーク』誌は、記事を撤回することで、肝心のイラクの捕虜の問題の追求まで曖昧なものにしてしまう懸念もあるわけです。
これに対して、アメリカでは『ニューズウフィーク』誌をスケープゴートにしたと指摘するジャーナリストもいますたとえば、Robert Jensenは『Scapegoating Newsweek』という記事を書いています。
いま時間がなくなったので、ここで休憩、また続きを書きます。
この投稿には、まだコメントが付いていません
このコメントのRSS
この投稿へのトラックバック URI
http://www.redcruise.com/nakaoka/wp-trackback.php?p=113
現在、コメントフォームは閉鎖中です。