中岡望の目からウロコのアメリカ

2005/6/30 木曜日

『ニューズウィーク』誌の記事撤回事件の波紋:6月29日付け『東京新聞』夕刊への寄稿

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このところ時間が取れず、週1本の記事しか書けません。できれば2~3本ペースで書いて行きたいと思っています。7月中旬に本の執筆に目処が付けば、従来のペースに戻れると思います。以前、本ブログで『ニューズウィーク』誌の記事撤回問題を書きました。そのブログは途中で執筆が止まっていました。6月29日付け『東京新聞』の夕刊に「『ニューズウィーク』誌、記事撤回の波紋」という記事を寄稿しました。これは同紙の依頼によるもので、前のブログに書いたものを踏まえて新たに書いたものです。最初の原稿はやや長すぎで、同紙に掲載したのは少し削って1600字にまとめましたが、本ブログでは最初に書いた原稿をアップすることにします。したがって、新聞掲載の原稿とは少し違います。「メディアと政治」という観点からまとめてみました。

その前に、今日、感じたことを1つ。マイクロソフト社のビル・ゲーツ氏が小泉首相を表敬訪問した際、首相が彼に聞いたことは「お金がたくさんあって使うのに困るでしょう」ということでした。以前に本ブログに書いたように、「ビル・ゲーツ財団」はアメリカ最大の基金で、様々な慈善事業に献金しています。以前、シアトルのワシントン大学を訪れたとき、ビルが建設中でした。そのビルの名前は「メアリー・ゲーツ・ビルディング」で、それはビル・ゲーツの母親の名前でした。そうした献金は、当然の行為なのです。アメリカの富豪は、社会へ貢献するというのは当然と考えています。その内容に関しては本ブログの「アメリカの慈善家たち」(2004年11月26日)の欄をご覧ください。そして、「無邪気にも」あるいは「無神経にも」、その人物に対して「お金を使うのが大変でしょうね」と質問する一国の首相の知的貧困を改めて感じました。

「『ニューズウィーク』誌6月9日号のコラム「ペリスコープ」に掲載された「スキャンダルは広がる」と題するキューバのグアンタナモ米軍基地の収容者の扱いに関する短い記事が、アメリカのジャーナリズムを揺るがす大問題に発展するとは誰も予想できなかった。記事の中のわずか24語の文章が、『ニューズウィーク』誌を窮地に追い込んだのである。それは、軍内部の情報筋が「(グアンタナモ基地の)尋問官は容疑者に証言させようと『コーラン』をトイレの上に置き、少なくとも一回は聖なる本をトイレに流した」に同誌に語ったという文章である。さらに同記事は、この事実を軍当局も認めたと報道したのである」

「『コーラン』をトイレに流す行為は、イスラム教徒にとって『コーラン』を冒涜する行為以外何物でもなかった。同誌の発行から11日経って米軍による『コーラン』冒涜に抗議するデモがアフガニスタンで起こり、国防省の報道官が同誌の報道は間違いであると批判した。さらにライス国務長官は「同誌の記事はイスラム世界でアメリカのイメージを著しく損なった」と激しい口調で語った。こうした政府の批判を受けて、同誌は情報提供者である“信頼できる政府高官”に事実の確認を求めたが、『コーラン』をトイレに流した事実は確認できなかったとして謝罪した。しかし、ホワイトハウスのマクレラン報道官は、「同誌は事実が間違いであったことを認めているのに記事の撤回を拒否しているのは理解できない」と同誌に記事の撤回を要求したのである。さらにデモで少なくとも14名が死亡したとして、同誌に責任を問う声も強まった。こうした圧力に屈して同誌は5月30日号に「読者への手紙」を掲載し、記事の撤回を発表したのである」

「以上が『ニューズウィーク』誌の誤報問題の経緯である。時を同じくしてニクソン大統領を辞任に追い込んだスキャンダル「ウォーターゲート事件」で内部情報を提供した「ディープスロート」が当時のFBI副長官であることが明らかになったことも加わり、メディアで匿名情報の取り扱いに関する議論が盛んに行なわれている。しかし、『ニューズウィーク』誌の記事撤回問題は、匿名情報の扱いといった次元を超える問題を含んでいるように思われる」

「それは政治とメディアの関係である。今回の事件で際立ったことは、政府が執拗に『ニューズウィーク』誌を攻撃したことである。『コーラン』冒涜問題は、既に様々なメディアで報道されており、同誌の記事が従来の報道と違う点は、軍当局が冒涜を認めたということくらいである。最初に『コーラン』冒涜の事実を報道したのは英『インデペンデント』紙であった(2004年3月17日)。5月26日に発表された軍の調査報告でも、『コーラン』をトイレに流したという事実は確認できなかったが、13件の『コーラン』冒涜行為があったことを認めている」

「さらに、同記事がデモを誘発したという政府の指摘に対して、マイヤーズ米統合参謀本部議長は記者会見で、現地の責任者からの報告として、同誌の記事がデモを誘発したという事実はないと語っている。デモで同誌の記事が抗議の対象となったとしても、それがデモの主な原因だと判断する根拠はないのである。米政府の主張は、同記事の影響を針細棒大に取り上げたものであることは明らかである」

「では、なぜ米政府は意図的に同誌に攻撃を加えたのであろうか。それは、政府のメディア戦略を反映したものである。メディアはイラク戦争勃発時の過剰なまでに“愛国的”な報道を行ったことに自責の念を抱いており、最近、ブッシュ政権のイラク政策に対して批判の姿勢を強めている。こうしたメディアに対して政府は苛立ちを覚えていた。第二期ブッシュ政権の人事でブッシュ大統領の側近中の側近といわれるカレン・ヒューズを国務次官(パブリック・ディプロマシー・広報担当)に指名したのは、中東に関するメディア戦略と広報活動を強化する狙いがあったからである。メディア戦略の再構築を目指す政府にとって、同誌の記事は格好の攻撃材料を提供することになった。同誌は、ホワイトハウスの戦略に見事に屈したのである。今後、メディアの報道姿勢は従来以上に慎重になることは間違いない。既に、その兆候は見られる。国防省がグアンタナモ基地の収容者の虐待や『コーラン』冒涜があったと報告したにもかかわらず、メディアの反応が鈍かったのも同誌の記事撤回が影響しているからであろう」

「今回の事件の中でもう一つ目立ったことがあった。それは保守派のメディアやブログが「『ニューズウィーク』誌は嘘をつき、それによって14人もの人が死んだ」と、キャンペーンを展開し、同誌に大きな圧力をかけた。最近、アメリカでは保守派メディアの影響力が強まっており、『ニューズウィーク』誌は政府と保守派メディアの“スケープゴート”にされ、見事にその術中にはまり、メディアの守るべき最後の一線を越えてしまったのかもしれない」

この記事では触れませんでしたが、アメリカでは匿名情報の扱いが、大いに議論されています。最近、裁判所の判決で『ニューヨークタイムズ』の記者が情報源を明らかにしなかったことから有罪判決がでています。前のブログにも書きましたが、ジャーナリストは直接情報を入手することはできません。ウォーターゲート事件に代表されるように、内部の情報提供者がいないと、極秘情報を入手することは不可能です。また、情報源を明らかにしないという前提があって、初めて情報提供者が現れるものです。政府機関が積極的に情報開示を行なわない限り、重要な情報を入手するのは難しいでしょう。ましてや、最近では個人情報を守るということで、政治家や官僚などに関する基礎的な情報すら開示しないで済ませようという雰囲気が出てきています。確かに個人のプライバシーを守ることは基本ですが、公的なポストにある人物に関しては十分な情報を開示することは必要だと思います。

『東京新聞』掲載分の原稿
参考のために、『東京新聞』に掲載した原稿を転載します。基本的には同じ内容ですが、2000字から1600字に編集し直したものです。興味のある方は、読み比べてみてください。
『東京新聞』の見出し次の通りです。

「政府の執拗な狙い撃ち、メディア戦略の術中に」

『ニューズウィーク』誌5月9日号のコラム「ペリスコープ」に掲載された「スキャンダルは広がる」と題するキューバのグアンタナモ米軍基地の収容者の扱いに関するわずか24単語の短い記事が、アメリカのジャーナリズムを揺るがす大問題に発展するとは誰も予想しなかった。それは、軍内部の情報筋が「(同基地の)尋問官が容疑者に証言させようと『コーラン』をトイレの上に置き、少なくとも一回は聖なる本をトイレに流した」と同誌に語ったという文章である。さらに同記事は、この事実を軍当局も認めたと報道した。

同誌の発行から11日後、『コーラン』冒涜に抗議するデモが中東で起こり、国防省の報道官が同誌の報道は間違いであると批判した。さらにライス国務長官も「同記事はイスラム世界でアメリカのイメージを著しく損なった」と激しい口調で語った。こうした政府の批判を受けて、同誌は情報提供者に事実の確認を求めたが、『コーラン』をトイレに流した事実は確認できなかったとして謝罪した。しかし、事態はここでは終らなかった。ホワイトハウスのマクレラン報道官は、さらに同誌に記事の撤回を要求したのである。こうした政府の圧力に屈して同誌は5月30日号に「読者への手紙」を掲載し、記事の撤回を発表した。

以上が『ニューズウィーク』誌の記事撤回問題の経緯である。同じ時期に「ウォーターゲート事件」で内部情報を提供した「ディープスロート」が当時のFBI副長官であることが明らかになったことも加わり、メディアで匿名情報の取り扱いに関する議論が盛んに行なわれた。しかし、同誌の記事撤回問題は、匿名情報の扱いという次元を超える問題を含んでいる。

それは政治とメディアの関係である。今回の事件で際立ったことは、政府が執拗に『ニューズウィーク』誌を攻撃したことだ。『コーラン』冒涜問題は、英『インデペンデント』紙(2004年3月17日)が最初に報道し、他のメディアでも報道されている。同誌の記事が従来の報道と違う点は、軍当局が冒涜を認めたということくらいである。
さらに、同記事がデモを誘発したという政府の指摘に対して、マイヤーズ米統合参謀本部議長は記者会見で、現地の責任者からの報告として、同誌の記事がデモを誘発したという事実はないと語っている。こうしたことから、米政府が同記事の影響を針細棒大に取り上げたことは明らかである。

では、なぜ米政府は意図的ともいえる方法で同誌に攻撃を加えたのか。イラク戦争勃発時の過剰なまでに“愛国的”な報道を行ったことに自責の念を抱き、最近、米政府のイラク政策に批判の姿勢を強めている米メディアに、政府は苛立ちを覚えていた。政府は、ブッシュ大統領の側近中の側近であるカレン・ヒューズを広報責任者である国務次官に指名するなど、メディア戦略の再構築を目指していた。その政府にとって同誌の記事は格好の攻撃材料を提供することになった。同誌は、その戦略に見事にはまってしまったのである。

この事件によって、今後、米メディアの報道姿勢は慎重になることは間違いない。その兆候は既に出ている。記事撤回事件の後に国防省がグアンタナモ基地の収容者の虐待や『コーラン』冒涜があったと報告したにもかかわらず米メディアの反応は鈍かった。同基地の人権問題は依然として未解決のまま残っているが、米メディアがどこまで真剣にこの問題を報道し続けるか疑問である。

今回、もう一つ目立ったのは、保守派のメディアやブログが「『ニューズウィーク』誌は嘘をつき、それによって十四人もの人が死んだ」と、キャンペーンを展開し、同誌に圧力をかけたことだ。最近、アメリカでは保守派メディアの影響力が強まっており、同誌は政府と保守派メディアの“スケープゴート”にされ、見事にその術中にはまったのかもしれない。その結果、同誌は、記事撤回というメディアとして守るべき最後の一線を越えてしまったのかもしれない。

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