中岡望の目からウロコのアメリカ

2005/8/1 月曜日

なぜ最高裁判所判事の指名が重要問題なのか:判事に指名されたジョン・ロバーツとは何者か?

Filed under: - nakaoka @ 9:45

前回、本ブログを書いたのが7月11日でした。20日以上、1本も原稿をアップしなかったのは初めてです。実は本を執筆中で、ほとんどの時間をそちらに取られていたためです。が、それにもかかわらずヒット件数は増え続けています。7月の利用状況は後日報告します。今、書きたいテーマはいろいろあり、その1つは「カール・ローブの情報リーク事件」ですが、それは来週締め切りで時事通信社の『世界週報』に執筆します。そこで今日は「ジョン・ロバーツの最高裁判事指名」の持つ意味を書いて見ます。昨年、大統領選挙後の12月に「最高裁判事の任命が第二期ブッシュ政権の最大の問題になる」と書きました(2004年11月20日の「上院司法委員会委員長人事を巡る抗争」と「なぜオハイオ州はブッシュを選んだのか」をぜひ参照してください)。それは、レンキスト判事の辞任が予想されていたからです。最高裁判事任命に関連し、上院司法委員会委員長の人事について書いたものです。しかし、オコーナー判事が突然辞任したことで、思わぬところから最高裁判事指名が急に注目されるようになりました。日本では最高裁判事が誰なのか全く知らないのが実情ですが、アメリカでは状況がまったく違うのです。以下、今回の人事に加え、最高裁の役割の基本的な違いについて説明します。

随分、以前ですが、デトロイトの裁判所を見学したことがあります。まるで病院の待合所のような裁判所に人々が集まっています。裁判官は一人で、まるで単純な事務処理をするように、そこにいる人を呼び、何か話をして、その場で「判決」を下していました。集まっている人は、それぞれ様々な理由で起訴されたりし、裁判官の判決を待っているのです。詳細は思い出せませんが、軽犯罪法などの軽微な罪を裁いているようでした。本当に病院の待合室と同じ雰囲気で、判決を受けた人々はすぐに部屋から出て行きました。

アメリカでは裁判官は非常に大きな力を持っています。映画で裁判の様子を描く場面を多くみますが、多くの場合、一人の裁判官と陪審員がいて、裁判が行なわれます。これも映画の話ですが、裁判官が「これは自分の裁判だ(This is my court)」と発言する場面があります。裁判官は絶対的な権限があるのです。その中で、最高裁の判事は特別な存在です。日本でも、アメリカでも同じなのでしょうが、最高裁の最大の役割は憲法判断を下すことです。日本の最高裁のように常に現状追認で、現政権の政策を補完するような存在とは基本的に違うのです。余談ですが、私は戦後の日本の最大の問題は司法制度、特に最高裁が憲法判断をしなくなり、常に政府や行政に妥協することにあると思っています。日本では、司法の独立性が極めて希薄なのです。1つの例は投票格差の問題がありますが、最高裁は明確な言い方をしません。違憲といいつつも、どうするかは立法府の問題であるなどと訳の分からないことを言います。アメリカの最高裁が違憲と判断したとき、いかなる法律も向こうになるのです。

1つの例を挙げますと、1980年代、アメリカは巨額の財政赤字に悩まされていました。議会は、赤字削減を政府に義務付ける「グラム・ラドマン法」を可決します。大統領も書名しますが、それが憲法違反だという訴訟が最高裁に起こされます。それから数ヵ月後(!!)、最高裁は、同法が違憲であると判断します。その瞬間に同法は効力を喪失し、議会では最高裁判決に従って法案を提出しなおし、再度成立させています。これが最高裁の判決なのです。違憲だけど、どうするかは行政の問題という言い方をしたり、あるいは行政を正当化したり、憲法判断を避けることはしないのです。

アメリカでは、社会の流れを決めるのは政府や議会ではなく、最高裁であるといっても過言ではありません。上院司法委員会の人事に関して書いたブログの中で、委員長人事に関連して、委員長候補スペクター上院議員が中絶問題を最高裁判事の承認の基準としようとしたことに共和党保守派と宗教右派が反発し、スペクター議員に中絶に対する判断を最高裁判事承認のリトマス紙にしないという念書を要求し、やっと議長就任を認めたことを説明しています。そのブログと同時に「なぜオハイオ州はブッシュを選んだのか」というブログの中にも、そうした議論の背景について触れていますので、そちらも参照してください。

社会的な重要な問題で、最高裁が下す判決が世の中の流れを決めるのです。中絶問題は、実は1973年の「ロウ対ウエイド訴訟」があります。この訴訟で、最高裁は初めて女性に中絶権があることを認めたのです。その訴訟は、当時、テキサス州では母体の生命が危機にさらされている場合を除き中絶はできないという法律がありました。この法律は憲法に違反しているという訴訟が起こされたのです。最高裁は、女性のプライバシー権の中に中絶権が含まれることを認めたのです。そして妊娠12週間までは、女性は州政府の干渉を受けず、資格のある医師のもとで中絶をすることを認めたのです。これが実質的に女性の中絶権を認める判決となりました。

ただ、保守派や宗教団体は、胎児にも人権があると、この判決をずっと批判してきました。また、過激は保守派や宗教団体は中絶を行なう病院に抗議のデモを行なったり、中絶を行なう医師が殺害されるという事件も起こっています。保守派はなんとかして、この判決を覆そうと努力しているのです。判決は1970年代に出たものですが、それ以降、ずっと大きな政治問題であり、保守派とリベラル派の最も対立する問題となっています。

最高裁判事は終身のポストで、自ら辞めるといわない限り、交替することはないのです。大統領は任期4年で、最長8年しか大統領の座に留まることはできません。それだけに、最高裁判事の指名は、アメリカ社会にずっと影響を及ぼすことになるのです。現在、最高裁判事は9名います。その名前と指名された年は以下の通りです。

ギンズバーグ: 1993年就任:クリントン大統領
ソーター:   1990年  :ブッシュ大統領
トーマス:   1991年  :ブッシュ大統領
ブレヤー:   1994年  :クリントン大統領
スカリア:   1986年  :レーガン大統領
スティーブンス:1975年  :フォード大統領
リンクエスト: 1972年  :ニクソン大統領
オコーナー:  1981年  :レーガン大統領
ケネディ:   1988年  :レーガン大統領

このうち女性はギンズバーグ判事と辞任を発表したオコーナー判事です。また、黒人判事はトーマス判事です。ニクソン大統領が指名した人物(リンクエスト判事)は、33年もその地位にある、同判事は最高裁長官でもあります。これほど長期間にわたってアメリカ社会に大きな影響を及ぼすのですから、最高裁判事の任命は重大な政治問題でもあるのです。レーガン大統領が指名したオコーナー判事は保守派と見られていましたが、実際の判決ではバランスがいい判決を支持するなど、最高裁で保守派とリベラル派の間の調整的な役割を果たしてきました。

そしてブッシュ大統領は、オコーナー判事の後任にジョン・ロバーツを指名したのです。これがしばらくの間、アメリカの最大のテーマの1つになるでしょう。まず上院司法委員会で審議が行なわれます。先に書いたように委員長はスペクター議員で、彼は共和党ですが、女性の中絶権を認める立場を取っています。こうした事態を想定して、共和党保守派と宗教団体は、彼が委員長に就任するにあたって歯止めを掛けたのです。が、委員長が大きな影響力を持て散ることに間違いありません。ただ、現在、下級裁判所の判事承認で民主党は反対の立場を取り、「フィリバスター」を使って、承認を遅らせる戦法を取っています。これについても、本ブログに書いてありますので、参照してください。1789年に最高裁が設置されてから、現在まで150名が判事に指名されています。そのうち27名が議会の承認を得ることができませんでした。一番最近では、レーガン政権のときに強硬な保守派のロバート・ブロクが指名されましたが、リベラル派の反発と、大学教授時代のセクハラ事件が暴露され、議会は承認しませんでした。

先に触れたように、次の判事はリンクエスト判事の後任人事になると思われていたのが、いきなりオコーナー判事が辞任したことで、急展開し始めたわけです。ブッシュ大統領はジョン・ロバーツを最高裁判事候補に指名しました。実は、彼は以前、「女性の中絶権を認めたのは間違った判決である」と語ってことがあります。当時、彼はブッシュ政権(父親)の司法省のメンバーであり、後になって「政府の法律顧問として発言したことで、必ずしも自分の意見ではない」と、発言を覆しています。2003年にも、ロウ対ウエイド判決を含め、法律に従うのが自分の義務であると発言しています。その一方で、保守派が主張する公立学校での礼拝は合法であると主張したり、国旗を燃やすのは犯罪であるといった保守派よりの判断を下しています。いわば、ロバーツの立場は揺れているといえるのかもしれません。民主党が、彼の立場をどう判断するかで、今後の展開は大きく変わってくるでしょう。

彼は辣腕の弁護士でもあります。ハーバード法律大学院を卒業し、1989年から1993年まで司法省の副顧問弁護士を務めています。これはブッシュ政権(父)のときです。その後、ワシントンの有名な弁護士事務所のホーガン&ハートソンに勤務しています。2003年に連邦上訴裁判所の判事に就任しています。弁護士時代、最高裁で争った事件39件のうち、25件で勝訴するなど、弁護士としては有能です。思想的な保守主義者というよりは、かなり実務的な保守主義者といえるかもしれません。ソーシャル・コンサーバティブ(社会的保守主義者)といわれる人々は、積極的な活動家ですが、彼はやや穏健派の保守主義者のようです。保守派と目されながら、バランスのいい判断を下してきたオコーナー判事のように、実務的な法律家として判断する人物かもしれません。

アメリカでは、中絶問題だけでなく、同性婚など大きな社会的価値観に関連する問題があります。それに対して最高裁が下す判断は、決定的な影響を持つことになります。したがって、保守派、リベラル派を問わず、自派の主張に近い人物を最高裁判事に送り込もうと必死になるのです。日本のように最高裁判事の名前すら知らないという状況とは基本的に最高裁の持つ意味が違うのです。

もう1つ付け加えるとすれば、憲法を起草された趣旨にそって厳密に解釈するべきであるというのが保守主義者の考えであり、状況に応じて解釈を変えていくべきだというのがリベラル派の考えです。いわば憲法においても保守主義者は原理主義者ということになるのでしょう。

ちなみに今日(8月1日)の朝日新聞にも同じテーマを扱った記事が掲載されています。ぜひ読み比べてください。いかに大新聞の記者が勉強していないか一目瞭然です。また蛇足ですが、戦後の日本の精神的な退廃の大きな原因は最高裁を頂点とする司法制度の空洞化にあると思っています。もはや日本では誰一人、最高裁に正義を求めるなどということを考えている人はいないでしょう。その点、アメリカでは、裁判が社会的規範を作り上げる役割を担っているのです。

1件のコメント

  1. 中岡さま.以前このテーマでエントリーを期待してますとコメントしました.今回、アメリカ社会での最高裁人事の持つ重さについて、判り易い説明ありがとうございます.前回にサンドラ・デイ・オコナー判事の引退が意外と申し上げたのですが、今回のブッシュ大統領のロバーツ判事指名も私にはやや意外でした(私が意外と思ってもなんにもならないんですが-笑-).女性候補(辞めるオコナーさんは女性)、もっと保守的ないわゆるアクティブジャッジ、あるいは法曹界以外からの指名など様々な事前予想がアメリカのマスコミをにぎわせていたのですが、ブッシュさんの指名は、正統派の選択という感じがします.だいたいブッシュ政権というのは人事が手堅いですね.クリントン政権と違ってあんまり変な人事は無い.もちろん人事とパフォーマンスは別ですが、クリントン政権がそれでもパフォーマンスがよかったのは、今から思えば時代が良かった、ラッキー政権でしょうね(ついていることも大切ですけど).
    さてロバーツさんですけど、ハーヴァード出身のエリート弁護士で、司法省経験があって今は首都ワシントンの連邦高裁判事、しかも保守だがいわゆる過激派でもなければ右派でもなさそう.これでは民主党も攻めにくいでしょう.事実、民主党上院の重鎮はみなコメントを控えていますね.共和党は、べた誉めというところでしょう.
    ただ私が思うに、最高裁はアメリカの最も基本的な国家機構であって、200年以上の歴史の重みがあるわけですから、判事の個人的信条や政治的傾向で動かされないところがあると感じます.過去多くの候補者が最高裁判事になった後、それ以前の政治的立場とは異なった判断を下すことが結構多いですね.戦後の例でいえば、ウォーレン長官は就任前は保守派と見られていたらしいんですが、最高裁入りの後は、ウォーレン最高裁は公民権運動の原動力になりました.
    つまり、結局は最高裁はアメリカ社会の動きに基本的に乗っていくと思うんです.それが又、アメリカ社会のダイナミズムを生み出していって、結果的に最高裁が歴史を作っていく部分があるわけですね.だからアメリカ社会のダイナミズムが今、どこに向かっているかという判断が重要でしょう.私は、当分は保守の流れと思います.そう考えれば、正統的保守派のロバーツさんの指名は、(承認されるかどうかわかりませんが)少なくとも時代の流れには合っているといえますね.

    コメント by M.N.生 — 2005年8月2日 @ 20:55

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