国防省の軍事政策に変更はあるのか(2):新スタッフでネオコン色は薄まるか?
ブッシュ大統領はテキサス州の牧場で夏休みを過ごしています。夏休みのブッシュ大統領はどんな本を読んでいるのでしょうか。彼の愛読書は、本ブログの「ホワイトハウスの必読書」(7月11日付け)に書きました。その夏休み版ですが、今、彼が読んでいるのは3冊です。”The Great Influenza:The Epic Story of the Deadliest Plague in History”(1918年に蔓延し、世界中で5000万人以上の犠牲者を出したインフルエンザに関する本)と”Salt: A World History”(塩が使われるようになった歴史に関する本)、”Alexander II: The Last Great Tsar”です。さて、今回は国防省の人事の続きです。国防省は2人のネオコンにリードされてきました。ラムズフェルド長官をネオコンに含めれば、3人になります。ウォルフォウィッツ副長官、フェイス次官ですが、二人とも辞任しました。その後任に、まずエリック・エデルマンがリセス・アポイントメントで次官(防衛政策担当)に就任、副長官の後任にはゴードン・イングランドが指名され、彼の承認は現在、上院で審議中です。「イングランド人事の承認は未定です(リセス・アポインメントされるとの観測もあります)が、いずれにせよラムズフェルド・イングランド・エデルマン」の新体制になります。イングランドとエデルマンとはいかなる人物なのでしょうか。(英語のブログもご覧ください。www.redcruise.com/nakaoka/en)
本ブログで何度も書きましたが、国防省ではポール・ウォルフォウィッツは世界銀行総裁に転出しました。かなり物議をかもした人事でしたが、その経緯は過去のブログを読んでください。彼は、シカゴ大学教授のレオ・ストラウスの薫陶をうけた生粋のネオコンで、イラク戦争を始まるに際して重要な役割を果たしました。また、フェイス次官も名うてのネオコンです。彼は辞任後のポストは決まっていません。当面は本を執筆するとのことですが、保守層の間では影響力の強い人物です。なおフェイスは過去2年間にわたって国防省の機密情報をイスラエルに漏洩していたとしてFBIが調査を行なっています。今回の辞任も、そうしたことが影響しています。国務省では、ネオコンのジョン・ボルトンが国連大使に就任しました。これも、上院での承認を得ることができず、リセス・アポイントメントで新国連大使になりました。閣内に残っている有力なネオコンとしては、国家安全保障会議のエーブラムスやチェイニー副大統領の首席補佐官であるリビー(I. Lewis Libby)などがいます。以下、まず次官に就任したエデルマンから紹介します。
結論から言えば、彼はチェイニー副大統領の子飼いのスタッフと言えるかもしれません。また、副大統領首席補佐官のリビーとは極めて緊密な関係にあります。彼は、5月16日に上院軍事委員会で承認の審議が始まりましたが、なかなか承認を得ることができず、ブッシュ大統領は8月1日に彼をリセス・アポイントメントしました。エデルマンが上院での承認を得ることができなかったのは、委員会が要求するイラク関連の資料の提供を拒んだのが理由です。これはボルトンが盗聴情報を個人のために使ったという疑惑に関して民主党が資料提供を求めたのを拒否して、承認を得ることができなかったのと似ています。
エデルマンは一時、ライス国務長官のもとで副国務長官に就任するのではないかという憶測が流されましたが、ブッシュ政権の中ではそれだけ評価の高い人物といえます。最終的にはUSTR(通商代表部)代表であったゼーリックが副長官に就任しました。元々、彼は官僚で、国務省と国防省の間を行ったり来たりしていました。フェイスが先に触れたスキャンダルでやや動きが取れなくなっていたのですが、エデルマンの就任によって、国防省は身軽になったといえます。
フェイスはエーブラムス(Abrams)と同様、ブッシュ政権の中のイスラエル・コネクションでした。フェイスはユダヤ関連の組織「Jewish Insititute for National Security Affairs」や「Center for Security Policy」と緊密な関係にありましたが、エデルマンはイスラエル・コネクションではありませんが、思想性においてフェイスに近いところがあります。エデルマンは1972年にコーネル大学を卒業、1981年にエール大学で歴史学の博士号を取得した後、国務省に入省しています。最初の大きな仕事は中東のウエスト・バンク・ガザ地区の自治に関する交渉のアメリカの代表団に加わっています。その後、シュルツ国務長官の特別アシスタントに就任し、1990年に国務省から国防省に移り、ソビエト・東欧問題担当副次官アシスタントに就任しています。
レーガン政権に続いて誕生したブッシュ政権(父)で、エデルマンはチェイニー国防長官(当時)の元で働きます。このとき、後のアメリカのネオコンの防衛政策の基本となる「Defense Policy Guidance」の策定チームに加わります。このガイダンス作成の指揮を取ったのがウォルフォウィッツです。このガイダンスで、冷戦後のアメリカの軍事戦略の基本的な枠組みが決まりました。エデルマンは、そのチームの一員だったのです。他のスタッフとしては、チェイニー副大統領の首席補佐官のリビーもいました。このチームは、チェイニーによって選ばれた人物で構成されていました。あるジャーナリストは、このグループを「より大きな発想をし、よりタフな心を持ち、知的により大胆な人々」と評しています。後のアメリカの外交、軍事政策を担う人々が結集されていたのです。
このときに議論されたことが、ブッシュ政権(息子)で実行に移されていきます。基本的発想は、冷戦後の新世界秩序の中でアメリカの軍事的な優位性を維持するというのが基本的な政策でした。ブッシュ・ドクトリンと呼ばれるアメリカを守るため井「予防的攻撃」を行なうという戦略も、このときに出来上がったものです。要するに、エデルマンは、その極めて重要な戦略策定チームの一員だったのです。1990年1993年までは国防省次官補として東欧問題を担当しています。彼は、ソビエトのアメリカ大使館での勤務歴もあります。この頃は冷戦の時代で、彼は東ヨーロッパ関係を主に担当していたようです。
クリントン政権になり、エデルマンは国防省から国務省に戻ります。1993年4月から7月まで国務長官の特別顧問になり、防衛、安全保障、宇宙関連の問題に携わっています。1994年6月から96年チェコ大使館に勤務しています。1996年6月から98年7月まで国務副長官の特別顧問でした。1998年から2001年まで、フィンランド大使を務めています。クリントン政権では、政策の中枢にいるというよりも、国務省の一外交官として働いていたといえます。
しかし、ブッシュ政権が誕生すると、副大統領に就任したチェイニーは、エデルマンを副大統領副補佐官(英語ではprincipal deputy assistantという肩書きです)として自分の下に呼び戻し、国家安全保障問題を担当させます。2001年2月から2003年6月まで、彼はそのポストに就いていました。イラク戦争は、ブッシュ政権のネオコンたちが仕組んだものですが、エデルマンもその戦略策定に関与しています。その時、エデルマンはネオコン論者のリチャード・パールなどと緊密な関係を構築しています。もちろん、副大統領首席補佐官のリビーとは旧知の関係にありました。第一期ブッシュ政権は、国防省と副大統領オフィスのネオコンとパウエル国務長官が率いる国務省の間で外交政策を巡るヘゲモニーがあったのです。結果的には、ネオコン派が勝利し、パウエルは放逐されます。
エデルマンは2003年にブッシュ大統領にトルコ大使に指名されます。これはアメリカがイラク戦争を始める数ヶ月前のことです。当時、イラク戦争を始めるに際して、トルコの協力が不可欠と考えられていました。エデルマンの最大の使命は、トルコ政府を説得し、イラク政争に協力させることでした。当時、トルコでは反米運動が展開されており、トルコ政府はアメリカに強力するのに消極的でした。エデルマンが大使に就任したのは2003年7月で、チェイニー副大統領のもとで宣誓を行なっています。エデルマンの経歴を語る上で、チェイニーの存在は不可欠なのです。
もう1つ、エデルマンがトルコ大使に任命された理由があります。それは、彼はトルコ系アメリカ人なのです。祖母は1920年代にソビエトからトルコに移住してきています。エデルマンの母親はトルコ生まれです。しかし、トルコでのエデルマンの評価は芳しいものではありませんでした。彼は極めて傲慢かつ強硬な姿勢を取り、反発を買ったのです。その結果、トルコの反米感情を煽る結果となってしまいました。トルコのジャーナリストは「エデルマンはトルコの歴史上、最も好まれなく、最も信頼されなかったアメリカ大使であった」と書いています。
イラク戦争が始まった後、アメリカはトルコ政府の協力を得ることができず、その意味では、エデルマンは使命をまっとうできなかったといえます。また、イラク戦争を巡る対立だけでなく、シリア問題でもトルコ政府とアメリカ政府は対立しています。アメリカとフランスはシリアに対してレバノンから完全撤退を要求しますが、トルコはこれに反対したのです。
今回の国防次官人事は、エデルマンの経歴を見る限り、フェイス前次官の路線を継承することになると理解していいのでしょう。ある評論では「エデルマンは自分自身の政治的なカバン(政策案)と過激なイデオロギーを国防省に持むだろう(bring with him to the DOD post his own political baggage and radical ideological views)」と書いています。
長くなりました。この続きは、一息ついてから書きます。
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