中岡望の目からウロコのアメリカ

2005/8/29 月曜日

グリーンスパンFRB議長の”最後の警告”:カンサス・シティ連銀主催の会議での演説

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カンサス・シティ連邦準備銀行は毎年8月末にワイオミング州ジャクソン・ホールで会議を開いています。避暑を兼ねての会議で、連邦準備制度理事会の主要なメンバーや海外の中央銀行のスタッフ、著名な学者、ジャーナリストが招待されています。毎年、興味深い議論が行なわれています。2002年に開かれた会議で、グリーンスパン議長は「ITバブルは金融政策の失敗の結果であった」と認めた発言をしています。同議長は、来年の1月末に辞任することが決まっており、今回の会議でどのような発言をするか注目されていました。彼の発言で有名なのは、1996年に「根拠なき熱狂」という言葉です。その時、株式バブルを警告したのですが、結局、引締めのタイミングを失い、株式バブルを引き起こしてしまいました。今回は、「Reflecting on Central Banking」と題して中央銀行の金融政策の変化にいて語り、その中で資産バブル(株式バブルと住宅バブル)について言及し、その危険性を指摘しています。表題の「最後の警告」は『ウォール・ストリート』紙が使った言葉です。以下、演説のほぼ全文の翻訳を掲載します。彼の発言は理解しにくいところがあるので、解釈もつけました。急いで訳したので、分かりにくいところはご容赦を。

「私は、本コンファレンスの趣旨に沿って、過去18年に経済と経済学の分野で起こったどのような展開が、連邦準備制度の金融政策の策定と実施のあり方を変える上で最も重要であったか自問してみた」

「連邦準備制度(Federal Reserve System)は、1913年に幾度となく繰り返されてきたクレジット・クランチ(信用不安)に対処するために設立された。設立当初は、“最後の貸し手(lender of the last resort)としての連邦準備制度の役割は、少なくとも現在の観点から見れば、極めて制限されたものであった。1920年代まで州を越えて公開市場操作を行うことができなかった。1950年代まで公開市場操作を組織的に実施する枠組みもできあがっていなかった。経済が悪化したときに金融を緩和し、インフレ脅威が高まったときに引締めが行なわれた。しかし、そうした政策は主にその場その場の状況に応じてアドホックに行なわれていたにすぎない。その結果、連邦準備制度は物価や経済活動の循環を緩和するよりも、むしろ悪化させることのほうが多かったと見る人もいる。しかし、重要なことは、第二次世界大戦後の賃金・物価統制を解除した後の物価高騰と、朝鮮戦争後の物価高騰によって、金融政策当局はインフレの脅威に対して慎重な姿勢を維持してきたことである」
 【解説】
アメリカの中央銀行制度は特異で、ワシントンに「連邦準備制度」(これが「中央銀行」に相当する)があり、そこに7名の理事で構成される「理事会」がおかれている。また地方に12の連邦準備銀行がある。連邦準備制度が設立された当初は、公開市場操作は各連銀の権限であった。ここでグリーンスパン議長が「州を越えた公開市場操作が行なわれていなかった」というのは、このことを指す。

「しかし、1950年代の金融引締めが不必要なまでに失業率を高めることになったとの反省から、連邦公開市場委員会(Federal Open Market Committee)は、1960年代半ばに景気刺激的な政策スタンスを取るようになった。こうした景気刺激的な政策を取ったのは、当時、一般にインフレと失業率の間に長期的なトレードオフが存在するという見解が広く受け入れられていたからで、それは十分に予測できたことである」
 【解説】
公開市場委員会は、FRB理事と連銀総裁で構成され、政策金利であるフェデラル・ファンド金利(銀行間の貸借金利)を決定する。実施的な金融政策の最終決定機関である。かつて金融政策の基本は「フィリップス曲線」にあると考えられていた。それは、インフレ率と失業率の間に「負の相関性(トレードオフ)」という理論で、失業率を低下させようとするなら、インフレ率が高まると考えられていた。短期的には金融を緩和することでインフレを起こして、失業率を低下させることができるが、長期的には「自然失業率」を越えて失業率を低下させることができないと考えられていた。

「しかし、その結果、1970年代にアメリカはスタグフレーションを経験することになった。「期待」に関する理論(この理論はミルトン・フリードマンとエドモンズ・フェルプスの初期の理論に基づいて構築された)に対する理解が深まったことで、インフレと失業率の間にトレードオフがあるという見解が覆されることになった。それから、再びインフレが金融の安定とマクロ経済のパフォーマンスを決定する要因と見なされるようになった。それから10年にわたってインフレを引き起こす金融的な要因についての理解が、経済学界と中央銀行の双方で深まっていった。数十年前のフリードマンとシュワルツの研究が、実際の政策分野で重要視されるようになったのである」
 【解説】
ミルトン・フリードマンやエドモンズ・フェルプスは、市場での「期待」を重視する理論を展開する。「期待」は英語の「expectation」で「予想」という意味もあるが、慣例として「期待」と訳されている。もし労働者の「期待」が合理的なら、金融政策でインフレを引き起こして失業率を減らすという理論(フィリップス曲線)は成立しなくなる。要するにインフレが起こると実質賃金は減り、企業は雇用を増やす。もし労働者に貨幣錯覚がなければ、インフレに伴って賃金引上げを要求するので、「フィリップス曲線」的な理解に基づく金融政策は無効になる。フリードマンとシュワルツは「アメリカの金融史」を研究し、通貨供給量とインフレの関係を実証的に分析し、それが後のマネタリストの理論の基本になる。インフレ率は通貨供給量で決まることを証明した

「こうした経済理論の発展が、中央銀行の内外で研究しているマクロ経済学者が採用している政策手段に非常に大きな影響を与えたのである。その結果、1960年代に研究の花形であった大型計量マクロ経済モデルは2つの面で攻撃を受けることになった」
 【解説】
1960年代から70年代に計量経済学が流行した。それは計量経済モデルを構築することで経済の行動を分析したり、有効な政策を立案できるという楽観論が議論が経済学界で支配的になった。したがって競い合って大規模な計量経済モデルを構築し、経済学は社会工学であるといった意見も出てきた。方程式の数が多ければ多いほど、実際の経済構造に近づくと考えられていた。しかし、経済構造が変わるダイナミックな状況のなかで、大型計量モデルによる予想は有効性を失っていった。また、グリーンスパン議長が触れているように、当時の計量モデルは「期待」を十分な形で織り込んでいなかった。

「最も重要なことは、「期待」の重要性に関する理解が深まったことで「自己回帰の期待」をモデルに織り込み、本質的に過剰なまでに回帰的かつ回顧的である大型マクロ経済モデルが経済構造や政策過程の変化に対して十分に対応できないことが明らかになった。さらに、一部の学者は、単純な時系列モデルのほうが大型マクロ経済モデルよりも優れた予測をすることを発見したのである」
 【解説】
上の解説で説明したように、経済構造のパラメーターが変わると計量経済モデルはとたに有効性を失ってしまう。それは、こうしたモデルは過去の統計をベースにした「過剰なまでに回帰的かつ回顧的」だからである。そこで経済構造とは無関係な「時系列分析」がもてはやされるようになる。結果的には、そうした単純な時系列分析のほうが優れた予想値をはじきだしたのである

「そうした批判に対応して、もっと基本的なレベルで経済の構造パラメーターを明らかにすることに焦点を当てた研究が行なわれた。言うまでもなく、この研究はいまだに達成されていない極めて困難な課題であることが明らかになっている。こうした困難さを回避するために、経済予測や政策分析のために「ベクター自己回帰モデル」のような実証的なモデルの構築に照準をあてた研究が行なわれるようになった」

「こうした手法は有益であることが分かっており、それを引き継いだモデルは現在では世界中の中央銀行で様々な形で採用されている。しかし、そうした手法によっても、中央銀行が必要とするすべての問題に対処することはできないのである」

「過去に一部の学者が、コモデティ価格やイールド曲線、名目所得、それと当然のことながら通貨供給量といった単一の指標変数(indicator variable)が金融政策の実施に際して信頼できる指標として利用することができるのではないかと希望を語ってきた。もし特定の指標変数あるいは比較的単純な方程式が使うことができるようになれば、極めて複雑でダイナミックな現実の世界から重要な経済関係のエッセンスを抽出することで、広範な経済的因果関係がどうなっているかという問題にこだわることなく、政策手段を最終的な政策目的の達成と一致するように、この変数の動きを決めればいいことになる」
 【解説】
もし何か一つ、あるいはわずかな数の指標に基づいて金融政策を運営できれば一番良いのであるが、現実には難しい。たとえば、金価格を金融政策の基準にする議論が何度も蒸し返されたり、穀物などの一次産品価格を指標にするといった議論があるが、現実は難しい。

「1970年代末から80年代初までの短い期間、通貨供給量M1が政策の焦点となった。この政策が、1970年代に生じた「インフレ・スパイラル」を打ち破るうえで重要な役割を演じたことは明らかである。しかし、中央銀行はすぐに長期的に通貨供給量を目標とする政策の有効性に疑問を抱くようになった。通貨供給量と所得、物価の間にある関係は、金融規制緩和と金融イノベーション、さらに国際化によって1980年代から90年代の間に大きく崩れてしまったからだ。たとえば、それまで安定的であったM2と名目GDPの関係と、M2に含まれる預金を保有する機会費用は、銀行の金融商品と競合する商品が普及したために、1990年代初に大きく構造的に変化してしまったのである」
 【解説】
アメリカは1960年代から70年代にインフレに悩まされた。インフレの要因として、コスト・プッシュ理論やデマンド・プル理論、石油などの一次産品価格の上昇、為替相場の変動、労働者の賃金交渉力、マーク・アップ理論など様々な説明の仕方がある。1970年代末にFRB議長に就任したポール・ボルカーは、マネーサプライ重視の政策を採用、金融政策の中間目標を名目金利からマネーサプライに移した。その結果、高金利を招き、アメリカ経済は不況に陥ったが、最終的にインフレ退治に成功した。また、金融自由化でマネーサプライと物価の間の相関性が崩れたことも、通貨供給量重視の政策にシフトしたもう一つの理由である。金融市場や金融商品のイノベーションが、金融政策のあり方にも影響を及ぼしたのである。ちなみに「M1」は現金や決済性預金を良い、「M2」はM1に定期預金性の通貨を加えたものである。

「信頼できる指標となる単一の変数、あるいは良くて数個の変数がないために、中央銀行は全般的な経済や金融データを解釈する手法に再び依拠せざるを得なくなった。政策は、名目短期金利と暗黙裡に短期実質金利の操作を通して実施された。しかし、経済に関する理解が深まるにつれて、政策を決定するために名目金利に依存することに伴う落とし穴と、金融政策のスタンスを評価する際に「インフレ期待」が果たしている重要な役割について以前よりも良く理解できるようになった」
 【解説】
ここでグリーンスパン議長は、金融政策にとって「インフレ期待」の役割が重要になってきていることを主張している。「名目金利」は通常の金利で、「実質金利」は「予想インフレ率」を引いた金利である。高インフレの時、名目金利が高くても、実質金利が安いということが起こりうる。単に名目金利だけで、金融政策が緩和的であるか、引締め的であるか判断できない。

「「期待」の重要性を理解したことによって、私たちは政策行動とその合理な根拠に関する透明性も高めることができた。私たちは、“慎重なペース(measured pace)”で(金融政策の)透明性を高めてきた。なぜなら、私たちは政策過程について後から検討が加えられる可能性があり、その際に誤解されるかもしれないことを懸念していたからだ。事実、私たちは何度も誤解されてきた。私は、私たちがどこまで到達したのか、あるいはこれから先どこまで進まなければならないのかを具体的に示すために、過去の出来事を解釈するつもりはない。むしろ、私は、これによって中央銀行が直面している目の前にある避けがたい不確実性を明確に示すことができると信じている」
 【解説】
金融政策は市場の「期待」に影響を及ぼさなければならない。そのためには、金融政策の透明性が必要であるとグリーンパンは主張している。以前は、金融政策は市場の予想の「意表」をつかなければ効果はないと主張された時期もあるが、グリーンスパンの考え方は、FRBの意図を市場に流し、それによって予想に影響を及ぼそうとする。すなわち、政策決定の透明性を高めることで、市場に正確な予想をさせたのである。そのため、市場はグリーンスパンの発言から、その政策的な含意を読み取ろうとする。ここで「measured pace」という言葉が使われているが、これは最近のFRBの声明の中で金融引締め政策として「measured pace」で行われるという表現が繰り返し使われているのを受けて、グリーンスパンは敢えて、この言葉を使ったものである。

「マクロ経済の重要な要素であると思われる事柄を理解し、数量化するという努力が行なわれてきたにもかかわらず、極めて多くの重要な(経済の要素の)結びつきに関した私たちが持っている知識は完全なものとは言いがたく、おそらく今後もそうした状況に変わりはないだろう。経済モデルは、それがどんなに詳細であっても、またどんなにちゃんと理解され、デザインされ、操作されたとしても、私たちが日々経験している複雑な世界を極めて単純化して示しているにすぎないのである」
 【解説】
経済モデルの限界を指摘している。

「定式化されたモデルは必要であるが、それだけでは分析システムとしては十分ではない。確かにモデルは、恒等式は実際に左右の項目は等しくなければならないとか、在庫は決してマイナスになってはならない、あるいは限界消費性向はプラスでなければならないという条件を課すことで経済予想に規律を与えている。しかし、私たちは、モデルで得た結果がデータやモデルの構造からは理解できないような評価と異なるとき、モデルで得た結果を調整したり、その結果をテストしたりする。私たちは、定式化されたモデルに含まれる因果関係と矛盾するような観察に対して特に敏感である。(観察に基づく)構造の見直しは、要素を追加する形で行なわれる」
 【解説】
実際に計量モデルを使った予想が、データから得られる現実的な感覚と異なる場合がある。その場合、モデルに様々な修正を加えて、現実の感覚に近づける作業を行なうのが普通である。モデルだけの分析や予想では不十分なのである。

「常に変化している経済の重要な構造について不完全な知識しか持たず、特定の結果がもたらすコストとベネフィットが非対照的なため、私たちのパラダイムは、その核心において、重要な「リスク・マネジメント」の要素を含んでいるのである。こうしたことから、中央銀行は経済の最も可能性の高い将来の経路だけでなく、その経路がもたらす結果の分布についても考慮しなければならない。その際、政策決定者は、別の政策を選んだ場合に起こる様々な結果の確率と、コストとベネフィットについても判断を下さなければならない」
 【解説】
ここで、グリーンスパンは初めて本演説の核心の一つである金融政策の中の「リスク・マネジメント」に言及している。中央銀行は経済構造に関して完全な情報を持っているわけではない。したがって発動した政策が必ずしも想定した結果をもたらすわけではない。そこで様々な政策のもとで起こりうる結果を確率的に理解する必要があると主張している。

「1990年代に歴史の中に前例となるような事例が存在しない国際化と技術的な変化が起こった結果、「リスク・マネジメント」的な考え方が大きな勢いを得ることになった。国際的な経済構造の変化の予測は、通常、「蓋然的な用語(probabilistic terms)」でのみ表現することができる。言い換えると、ポイント予測は、私たちを取り巻くリスクの性質と大きさについて明確に理解することによって補完されなければならない」
 【解説】
「蓋然的な用語」というのが、具体的にどのような意味を持つのか曖昧。

「私たちは、少なくとも概念的には、「ロス・ファンクション(損失関数)」によって示されるトレードオフを通して具体的な政策行動が決定されることから、予測のスペクトラムを決定する努力を行なっている。たとえば、2003年の夏に連邦公開市場委員会は、当時の緩やかに進んでいたインフレの沈静化のスピードが速まり、デフレに発展する確率は非常に小さいと見ていた。しかし、もしデフレのシナリオが現実のものとなれば、経済に及ぼす影響は甚大であるため、私たちは通常よりも金利を引き下げることで「デフレのシナリオ」に対処することを選んだのである」
 【解説】
アメリカ経済は2000年にITバブルが弾け、2001年初にリセッションに陥る。当時、日本のデフレが招いた状況を知っていたFRBは、デフレ回避のために超低金利政策を採用した。その時のFRB内部の状況を説明したものである。デフレの可能性は低かったが、もし起こった場合の悪影響を考え、あえてインフレのリスクを無視して、デフレ対策を取ったと説明している。2003年に再びインフレ懸念が強くなったが、そのときのFRBの考え方を説明したもの

「私たちは、起こる確率が低いが、もし起これば深刻な結果をもたらすデフレのほうが、起こる可能性が高いインフレよりも、経済のパフォーマンスに深刻な脅威をもたらすと判断したのである。さらに、インフレが大幅に高進するリスクは、当時、小さかった。それは、主に生産性向上によって単位労働コストの上昇が小幅に留まっていたことと、国際化による競争で企業はコスト上昇を製品価格に転嫁することができなかったからである。デフレが厳しい結果をもたらす可能性があることを前提に、異例な政策を取ることによって得られる「予想される恩恵(デフレ抑制)」が、「予想されるコスト(インフレ高進)」を上回ると判断したのである」
 【解説】
これも上の解説を参照。

「アメリカ経済の構造は、今後数年、間違いなく変わっていくだろう。特に私たちの経済の分析では、第二次大戦後に見られたケースよりも注意深くバランス・シート問題に対処しなければならない。最近の国際的な経済活動は、様々なタイプの資産のキャピタル・ゲインと、債務のための資金調達によって大きな影響を受けている。私たちの予想と政策は、ますます資産価格の変化によって左右されるようになってきている」
 【解説】
経済の国際化が進展することで、資産のキャピタル・ゲインを求めて資本が流れ、それが経済に大きな影響を与えるようになっている。FRBは、海外からの資本流入が資産市場に与える影響を無視して金融政策を発動できなくなっている

「家計の可処分所得に対する純資産の比率はほぼ50年にわたって安定的であったが、1990年代半ばに急上昇したのが、その格好の例である。この比率は2000年の株価急落で低下したが、この数年、株式と住宅価格の上昇を受けて再び際立った上昇を示している」

「現在見られる資産対所得比率の上昇が長期間にわたって維持されるかどうか、不透明である。過去10年間、世界経済が安定化したことで投資家は低い報酬にもかかわらずリスクを進んで受け入れるようになっているようだ。投資家は、将来の安定を予想し、いままでよりも長期的にわたって(低いリターンで)投資を進んで行なう気になっている」
 【解説】
収入との比率で見た資産残高が増えているが、それは株価や不動産価格の上昇による市場での資産価格の上昇を反映したものである。その高比率がいつまで維持できるかで最近の株高や住宅価格の上昇(あるいはバブル)がいつまで続くかが決まる。

「低いリスク・プレミアム(それは明らかに長期にわたって経済的な安定がもたらされた結果である)と、生産性の大幅な向上が相まって、資産価格を引上げている。株式、債券、最近では住宅の価格上昇で、それらの市場価値は大幅に増加しており、購買力の源泉となっている。金融市場で株式、債券、住宅のキャピタル・ゲインは現金に換えられ、その資金が企業と家計の購入を促している。取引コストを大幅に低下させた金融イノベーションによって、市場での換金が促進されている」
 【解説】
ここでは資産価格上昇の要因は、投資家が低プレミアムにもかかわらず、資産への投資を増やしている理由を説明し、その資産価格上昇によって個人や企業の購買力が増えていると指摘している。また、資産を現金に換金するコストが低下していることも、資産投資を促進し、資産価格を引上げる要因となっている。

「したがって、資産の市場価値が大幅に増加しているのは、投資家がリスクに対して低い報酬を受けいれていることの直接的な結果である。市場の参加者は、そうした市場価値の増加は“構造的”かつ“永続的”なものと見ている。こうした価値の増加は、アメリカ経済の弾力性と復元力の向上を反映しているのかもしれない。しかし、私たちは豊富に流動性が存在していると見ているが、それは簡単に消えてしまうかもしれない。投資家が用心深くなれば、リスク・プレミアムは高まり、資産価値は減少し、高価格を支えていた債務の返済を促すことになるだろう」
 【解説】
ここでのポイントは、資産価格上昇は“構造的”で“永続的”と投資家は見ているが、そうした考え方に疑問を呈している。アメリカでの資産価格上昇は、アメリカ経済の持つ弾力性と復元力にあると指摘している点である。しかし、豊富な流動性も、投資家のリスクに対する姿勢が慎重になれば、すぐにでも取り崩され、借入の返済に向けられる可能性があり、資産価格上昇の脆弱性を指摘している。これは、資産バブル(株式バブルと不動産バブル)に対する警鐘である。

「広範な経済的な力が継続的に働き、FRBが金融政策を行なう環境が形成されてきた。近年、アメリカ経済は1990年代半ばに始まった生産性向上と国際化によって生まれた競争の高まりによって繁栄を遂げることができた。競争に刺激されて進展してきた技術革新は、新しい技術への道を開くために古い技術の破棄を促した。古くて陳腐化した技術を採用している企業は、その設備の減価償却を進め、増加したキャッシュ・フローを最新の技術を組み込んだ生産資産へ再投資している。それが生活水準を向上させたのである」
 【解説】
技術革新も、企業の設備の減価償却を促進し、それに伴って増えたキャッシュ・フローを新規の設備投資に向けている。それが経済の生産性を高め、ひいては国民の生活水準の改善に結びついている。

「しかし、新しいハイテク経済(国際貿易の拡大はその一部である)への移行は、資本ストックの急速な変化に伴って労働者に困難な問題を突きつけている。そうした困難な問題は雇用とスキルが陳腐化するのではないかという懸念の中に最も顕著に現れており、多くのアメリカ人は国際化に必然的に伴って新興国の労働者と競争しなければならないという圧力に抵抗している。労働者がこうした懸念を抱くことは理解できるが、それには教育と訓練によって対応することが重要であって、大多数の国民の全体的な生活水準にとって欠くことのできない競争を抑制することによって対応すべきでない。経済的進歩に必要な変化を恐れる人々の気持は、国際的な通商交渉が困難な状況にあることに端的に現れている。変化に対する恐れは、アメリカの差し迫った財政問題を解決するために必要な困難な選択を躊躇する姿勢の中にも見られる」
 【解説】
国際化は様々な恩恵をもたらしたが、同時に国際競争を促し、先進国の雇用問題を引き起こしている。そのため、アメリカではアウトソーシングなどの雇用流出に対して反対する声が高まっている。通商交渉も、こうした労働問題が背後にあるため、順調には進まない。ただ、そうした事態に対して競争制限などで対応すべきではなく、労働者の教育や訓練を通して対応すべきである。もし競争を阻害するなら、それはアメリカの抱える財政赤字削減といった問題にも十分に対応できなくなるだろう。

「保護主義の台頭と財政政策の解消のための政策に対する躊躇は、アメリカの最も価値のある資産であるショックに対する力強い復元力を育んできた経済の弾力性に対する脅威となっている。もしアメリカ経済が十分な弾力性を維持できれば、巨額の経常赤字と住宅ブームといった経済的不均衡は、生産や所得、雇用を減らす(不況に陥ること)のではなく、物価や金利、為替相場の調整によって修復することができる」
 【解説】
アメリカ経済が弾力的であれば、経済的な問題は市場メカニズムを通して調整されるはずである。そうすれば失業増大や成長鈍化といったコストを払う必要はない。

「経済が弾力的になればなるほど、予測不可能な混乱に対する経済の自己調整能力はそれだけ高まる。そうした調整によって、循環的な経済の不均衡の規模と影響は小さくなるだろう。弾力性が高まって経済が自動的に調整できるようになれば、対応が遅れ、判断を間違えることの多い中央銀行への依存は低下するだろう」
 【解説】
経済問題を処理する際に、中央銀行などに依存できない。政策を発動するには様々な問題がある。教科書的にいえば、3つの大きなラグがある。「認知ラグ」「政策執行ラグ」「効果ラグ」で、中央銀行が常に正しい認識をしているわけではない。むしろ市場メカニズムに任せたほうが間違いは少ない。

「事実、以前だったら間違いなく大幅な景気後退を招いたようなショックが起こったにも拘わらず、アメリカ経済の最近のパフォーマンスが良好だったのは、抵抗力の向上と弾力性の向上があったからである」
 【解説】
事実、市場メカニズムによって、以前であったら、大きな調整コストが必要となるような出来事にうまく対応することができた。

「1987年10月19日に20%に及ぶ株価下落があったが、マクロ経済に影響を及ばすことなく切り抜けた。これは、ダイナミズムな調整の仕方が変化していることを示唆する例である。1990年代初の金融逼迫と2000年の株式バブルの破裂は、第二次世界大戦後、最も軽微なリセッションを引き起こしただけで吸収された。2001年9月11日の悲劇的な出来事による経済的な影響は市場の力によって抑えられ、深刻な経済的な影響を受けたのはわずか数週間にすぎなかった。もっと最近では、市場主導型経済の持つ弾力性によって、アメリカは過去2年にわたって起こっている原油と天然ガスのスポット価格と先物価格の急激な上昇を切り抜けた」
 【解説】
上の解説で説明した具体的な例である。87年の株価下落は「ブラック・マンデー」のことである。

「今朝、私は過去18年間の金融政策に影響を及ぼした重要な事態の推移に関する私の理解の概要を述べた。私は、金融政策が過去25年間にわたってインフレとインフレ期待の低下に寄与してきたこことを認めている。事実、ポール・ボルカーの指導力の元で1979年に連邦準備制度はインフレに対して強力な引締め策で対処した。過去10年に連邦準備制度が果たした大きな貢献は、アメリカ経済と世界経済が基本的に進化していることを認め、こうした変化から最も効果的なインフレ抑制政策を構築したことである」
 【解説】
「18年」というのは、グリーンスパンが議長に就任した1987年から2005年の期間をいう。FRBの理事は、任期を全うすると、3月末が満期日になる。FRB理事の任期は14年で、途中で前任者の任期を引き継いだ場合、前任理の残りの任期を勤めることになる。

今まで何度もグリーンスパン議長の演説を訳していますが、正直、いつも苦労します。あまりロジカルな展開はなく、直感的な表現が多いからです。今回も、聞き手や読み手が相当な事前の知識があり、それなりに読み込んで行かないと、彼のメッセージを読み取りにくいところがあります。これが「最後の警告」になるかどうか分かりませんが、じっくり読むと味わい深いところがあります。ただ、訳文を練る時間がありませんでしたので分かりにい部分があるかもしれません。興味のある方は、原文を読んでみてください。

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