中岡望の目からウロコのアメリカ

2006/2/22 水曜日

バーナンキFRB新議長とアメリカの金融政策の行方

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2月15日と16日、バーナンキ新FRB(連邦準備制度理事会)議長の議会証言が行なわれました。2月1日に議長に就任してから最初の公的な場で発言を行ないました。最大の焦点は、インフレ問題をどう考えているかでした。市場では2つの見方がありました。1月31日のFOMC(連邦公開市場委員会)でグリーンスパン前議長が最後の利上げをし、それが2004年6月から続いてきた一連の利上げの打ち止めになるという見方と、バーナンキが新議長として「通貨の番人」としての市場の信任を得るために、インフレに対して厳しい姿勢を取るという見方でした。証言の内容から、3月28日のFOMCで利上げを継続するというのが一般的な受け止め方でした。今回のブログは2月2日に経済倶楽部で行なった講演の速記録をまとめたものです。やや長いですが、FRBの歴史や金融政策お決定プロセスからバーナンキの評価まで広範に言及しています。

ーそれでは開会いたします。(拍手)
 
ちょうどタイミングよくアメリカのFRB(連邦準備制度理事会)議長が交代しました。しかも、フェデラル・ファンド金利も0・25%ポイント引上げられた直後ということで、いちばんいいタイミングかと思います。

講師の中岡さんは、もうご紹介するまでもないと思いますけれども、東洋経済でずっと仕事をしておられまして、今はジャーナリスト兼大学の先生です。すばらしい英語力と経済学の基本的知識を駆使して、アメリカを中心にした経済の分析をされておられます。ずっとバーナンキ新議長についても追跡しておられます。ちょうどタイミングが良く話ができるというお話だったので、ぜひにとお願いしました。

前回の講演のときにはアメリカの保守革命について大変すばらしい講演をしていただきました。著書『アメリカ保守革命』(中央公論新社刊)は、もう1回宣伝しておきますけど、今でも売れています。もう名著になっていくのではないかと思うぐらい良い本です。ぜひお読みいただければと思います。

それでは、アメリカの金融政策がこれからどうなるか。グリーンスパン、バーナンキの新旧FRB議長の辺を中心にFRBの内幕も含めてお話をいただけるのではないかと思います。
それでは、よろしくお願いいたします。(拍手)

ベン・バーナンキはどんな本を書いているのか

よろしくお願いいたします。実は4年前に初めて経済倶楽部で講演をしました。2002年4月に東洋経済を辞め、確かその年の7月にアメリカ経済に関するお話をしたと思います。それから1年間、アメリカの大学に行き、研究活動と授業をしてきました。帰国した年にも帰朝報告といった形で講演をし、さらに2004年に、今、浅野さんからご紹介がありました『アメリカ保守革命』という本を中央公論から出版したこともあり、同じテーマで講演させていただきました。3年連続で講演を依頼されたのですが、どういうわけか知りませんけれども、昨年は声がかかりませんでした(笑)。もう声がかからないのかと心配しておりましたら、今回、依頼され、一安心したところです。

前回と同じジョークを言ってはいけないのでしょうが、前々回の講演の後、高柳さんから「おまえは1時間の講演で2時間分しゃべるから、少しはゆっくり話をするように」と忠告を受けました。それで、前回はできるだけゆっくりしゃべったのですが、それでも高柳さんから再びダメ出しを出されてしまいました。それから2年余の訓練を経まして、今回はゆっくりしゃべろうと堅く心に決めてまいりました。

今、ご紹介がありましたように、今回、非常にタイミングでお話ができるのをうれしく思っています。皆さんのお手元に雑誌記事のコピーをお渡ししております。これは時事通信社から出ている『世界週報』という週刊誌に書いたものです。この記事の日付をご覧いただくとわかると思いますが、12月6日号になっています。大体、雑誌の日付は発行日の1週間前の日付になりますから、雑誌が発行されたのは11月末になります。実はこの原稿を書いてから出版されるまで約2週間かかっています。ということは、私がこの原稿を書いたのは11月の半ばということになります。11月半ばということは、バーナンキがブッシュ大統領に次期FRB議長に指名されてから数日後です。ですから、この記事が日本で最初の本格的な「バーナンキ論」ではないかと思っております。

実は、お手元にコピーをお渡しできませんでしたが、昨日発売の同じく時事通信の『金融財政』にも5ページにわたってバーナンキ論を書いております。もしご希望があれば、後で内藤さんに頼んでいただければ、コピーをお渡しできると思います。

この1年、グリーンスパンが辞意を表明してから次期議長に関する情報を集めてきました。有力な候補者が何人もいて、バーナンキは必ずしもフロントランナーではありませんでした。しかし、今から思えば、バーナンキを議長に選んだのは、結果的には良い選択だったのではないかと思っています。バーナンキが選ばれた状況は、お手元のコピーを読んでいただければご理解いただけると思います。

今日、本を3冊ほど持ってまいりました。これはバーナンキの本です。まず1冊目は『エッセイズ・オン・ザ・グレート・ディプレッション』というタイトルの本で、1930年代の大恐慌を分析したものです。バーナンキは、大恐慌の研究家としても有名です。彼は、自分はマクロ経済学者(もっと正確にいえば金融理論を専攻)で、必ずしも大恐慌の専門家ではないと言っていますが、折に触れて大恐慌の問題に言及しています。彼がデフレ問題に積極的に発言してきた背景には、この大恐慌の研究があるからです。彼は、大恐慌の研究を通してデフレが経済に及ぼす影響についても熟知しています。また、日本のデフレについても頻繁に言及しています。

2冊目は『インフレーション・ターゲティング』という本です。この本は99年に出版されたものです。同書は、ニューヨーク連銀の依頼で行なった「インフレターゲット政策」についての共同調査の報告を1冊にまとめたものです。おそらく、同書は「インフレターゲット政策」に関する最も基礎的な文献だと思います。彼はその研究グループの主査的な存在で、この本の中で一章を書いています。

3冊目は教科書です。『プリンシプル・オブ・マクロエコノミックス』というタイトルです。日本語では『マクロ経済原論』となります。この教科書以外に、彼は2冊の教科書を書いています。『プリンシプルズ・オブ・マイクロエコノミックス』(ミクロ経済学原論)と、『マクロエコノミックス』(マクロ経済学)です。アメリカでは一流の経済学者が教科書を書くのが普通です。たとえば、皆さんが大学の頃に経済のクラスで使った最も一般的な経済学の教科書は、ポール・サミュエルソンの『エコノミックス』だったと思います。サミュエルソンは超一流の経済学者で、新古典派総合という新しい経済学の枠組みを作った学者です。

東洋経済の宣伝をしますと、最近でも非常にいい教科書が出ています。たとえば前の大統領経済諮問委員会(CEA)委員長で、現ハーバード大学教授のマンキューは『マンキュー経済学』という教科書を書いています。マクロ経済とミクロ経済の2冊があり、非常に良い教科書です。この本は東洋経済から出版されています。もう1冊例に上げれば、コロンビア大学のジョセフ・スティグリッツ教授も『入門経済学』という教科書を共著ですが出版し、これも日本語版は東洋経済から出版されています。これらは教科書ですが、お勧めの本です。

さて、バーナンキの話しに戻りますが、彼は現在52歳ですが、150本を越える学術論文を書いていますが、著作は先に指摘したものだけです。教科書を除くと2冊しかない。しかも、『インフレション・ターゲッティング』も共著です。大恐慌に関する本はオリジナルな本ですが、そこに採録されている章の大半は共同研究によるものです。彼が単独で書いているのは最初の章だけです。ちなみに、教科書もいずれも共著です。要するに、書き下ろしの本は一冊もないのです。しかし、彼はアメリカの経済学界では非常に高い評価を得ている学者です。

今日は、バーナンキがどういう人物なのか、どういう政策思想を持っているのか、これからアメリカの金融政策をどこに持って行こうとしているのかについてお話ししたいと思います。その前に、個人的な話を少しさせていただきたいと思っています。

先ほど言いましたように、東洋経済を辞めて今年で丸4年たちます。この4年間で何を感じたかといいますと、学ぶということは自分自身を、あるいは自分の世界観を変えていくことだということです。ジャーナリストとして問題を発掘して、調査研究していくということは、それが職業ですから当然のことですが、それに留まるものではありません。私は現在、大学で教えていますが、学生に「知識を学ぶことは自分が変わることだ。知識を自分の外にあるものとして理解している限り、それは単なる情報でしかない。知識を自分の内側で捉えるということは、自分の世界観や考え方が変わっていくことだ」と語りかけています。これは同時に自分自身に対する言葉でもあります。

この4年間、年間で数十万円ぐらい本代を使っています。書斎だけでなく、居間も本で溢れています。かなりの本は積読のままです。しかし、最近、本を読みながら自分が変わっていくことを実感しています。新しい世界とか、新しい思想が体中に染み渡るように入ってくる。もっと早くこういう状況に気づいていれば良かったとか、もっと早く東洋経済を辞めていれば良かったと思っています(笑)。私はまだ50代の後半ですが、あと10年頑張れば少し何かできるのではないかと考えております。それが会社を辞めての感想です。
 
どのようにして連邦準備制度は成立したのか

私は通常、講演をするときにレジュメを作りません。講演で授業のようなお話をしても面白くないでしょうし、講演の途中にどんどん横道にそれて、いろんなエピソードをお話しした方が楽しい講演ができるのではないかと思っています。しかし、事務局長の内藤さんが、レジュメをつくらないのなら講演をさせないとおっしゃったものですから、渋々、講演レジュメをつくりました。ですから、今日の講演は必ずしもこの線に沿ってできるかどうかわかりませんが、横道にそれたらご容赦ください。

単にバーナンキの人物論だけをお話しても面白くないのではないかと思います。彼に関する情報は既にいろいろなメディアに出ていると思います。ですから、ちょっと変わった視点からお話をしてみたいと思います。「連邦準備制度」とはそもそも何かところから入っていきたいと思います。あまりにも基本的な事柄なので、多くの方はもう十分に知っていると思われるかもしれませんが、しかし意外に連邦準備制度の歴史的な背景や組織の仕組み、政策決定過程については知らない方も多いのではないかと思います。実は、連邦準備制度の仕組みを十分に理解しないと、グリーンスパン前議長はどう評価すべきか、バーナンキ新議長に何ができるのかといったことを本当に理解できないのではないかと思います。ですから、最初に3つのポイントからお話ししたいと思います。

1つは連邦準備制度の歴史と仕組み、2つ目は金融政策の決定過程、もう1つは歴代の議長の人物論です。1時間では、この3つのテーマを話し切れないかもしれませんが、その場合はまた浅野さんにお願いして、次回の機会をつくっていただくことにしたいと思います。

普通は、日本銀行、イングランド銀行とか、フランス銀行、ドイツのブンデス銀行のように各国には銀行という名のついた中央銀行組織があります。しかし、どうしてアメリカには「アメリカ合衆国銀行」といった名称の中央銀行は存在しません。「連邦準備制度」が中央銀行なのです。「制度」が中央銀行組織というのは、なんとも落ち着きません。同制度は、「連邦準備法」に基づいて作られたものです。具体的な中央銀行の機能を果たしているのが、「連邦準備制度理事会」です。英語では「Federal Reserve Board」 です。もっと正確な表現を使えば、「ボード・オブ・ガバナーズ・オブ・ザ・フェデラル・リザーブ・システム」です。「FRB」は「フェデラル・リザーブ・ボード」の頭文字を取って作られた略称です。また、英語のメディアでは、最初の「Federal」という文字から同制度を「Fed」と表記しているところも多いようです。

連邦準備制度理事会は、具体的な金融関連の取引をしているわけではありません。たとえば中央銀行の重要な機能である手形割引とか、加盟銀行への融資などの業務をしているわけではありません。理事会は、金融政策の決定機関と調査機関なのです。公開市場操作などの現実のオペレーションなどは、ニューヨーク連銀が行なっています。アメリカには連邦準備銀行というのが12行あり、これらの地方連銀が加盟銀行への融資や監督を行なっています。ですから、アメリカの金融制度は非常にわかりにくいのです。しかも、アメリカに中央銀行制度ができたのは1920年代と、他の先進国と比べると非常に遅かったのです。

最初の中央銀行的な組織は1782年に設立された「バンク・オブ・ノース・アメリカ(北アメリカ銀行)」です。この銀行は半官半民で、実質的には民間の銀行でしたから、中央銀行とはいえないかもしれません。その後、1791年に「ファースト・バンク・オブ・ザ・ユナイテッド・ステーツ(第一合衆国銀行)」が設立されますが、同行も半官半民で、経営者のスキャンダルですぐに潰れてしまいます。1816年に「セカンド・バンク・オブ・ザ・ユナイテッド・ステーツ(第二合衆国銀行)」が設立されますが、これも長続きしませんでした。要するに、アメリカには、長い間、中央銀行というような正式な組織はなったのです。

さらに言えば、長い間、アメリカには共通の通貨がなかった。「ドル」という全国共通の通貨ができたのは、「ナショナル・バンキング法」が成立した1863年です。では、どうしていたかというと、昔は「金本位制」で各銀行が保有する金をベースに銀行券を発行していたのです。映画で西部劇で強盗が金塊を運んだ幌馬車を襲う場面が出てきます。アメリカの当初の銀行制度は「ユニット・バンキング」で、1銀行、1店舗が普通でした。金庫に金塊を置き、それを対価に銀行券を金との交換を保証した兌換券を発行していたのです。州の金融規制当局は、銀行が銀行券の裏づけとなる金塊を保管しているかどうかをチェックしていました。金塊を持っていないのに銀行券を発行する銀行がありました。監督官が金塊の保管をチェックするわけですが、監督官がやってくる前に急いで他の銀行から金塊を運んで検査に備えるということをやっていたわけです。検査に備えるために、馬車で金塊を別の銀行に運搬するわけです。これが、初期のアメリカの金融制度です。

建国後、中央銀行を設立する試みは何度もありました。アメリカ建国後、中央集権論者と分権を主張する連邦主義者が絶えず対立していました。これは、現在でも続いているアメリカ社会の特徴の1つです。建国当時、連邦主義者と民主共和主義者が国家のあり方を巡って対立していました。連邦主義者は中央集権的な国家の建設を目指していたのに対して、民主共和主義者は地方分権を主張していたのです。その対立は、中央銀行設立を巡る議論にも持ち込まれます。当時、アメリカは農業国家で、地方分権派は農民を基盤とする人たちでした。これに対して中央集権的な中央銀行を要求していたのは、都市の企業家などでした。

また、金本位制は十分に機能したわけですが、全国的な市場を形成するためにも、また全国的な市場が成長してくるにつれて、中央銀行的な機能が必要になってくるわけです。当初、中央銀行の役割を担っていたのは、「クリアリングハウス」という組織です。これは手形交換所のような金融取引の清算を行なう組織です。各市場にクリアリングハウスがあり、金融機関が資金繰りなどの問題に直面すると、クリアリングハウスが融資などの支援を行なったのです。ですから、「ラスト・リゾート(最後の貸し手)」の役割は、クリアリングハウスが担っていたのです。クリアリングハウスが手に負えない事態に対しては、ニューヨークの大手のインベストメントバンクや商業銀行が協力して支援策を講じたりしていました。その代表的なのが、JPモルガンです。

ところが、1907年にクリアリングハウスも、大手金融機関も手に負えない金融パニックが起こります。これ以降、中央銀行を作らなければだめだという意見が優勢になってきます。しかし、それでもなおかつ中央集権的な中央銀行の設立に猛烈に反対する勢力がいました。そのときは、集権的な中央銀行を主張する「プログレス(進歩派)」と呼ばれるグループと、地方分権を主張する「ポピュリスト」のグループが対立していました。議会の指導者など限られた人々が秘密裏に議論を重ね、最終的に1913年に「連邦準備法」が成立し、やっと中央銀行的な組織である連邦準備制度が設置されたのです。しかし、それは妥協の産物でもありました。連邦準備制度という大枠をつくると同時にアメリカを12の区域に分けて、それぞれの区域に連邦準備銀行を置いたのです。要するに、中央集権的な連邦準備制度理事会と、地方分権的な連邦準備銀行が並立する形で存在したのです。

連邦準備制度が成立した当初、連邦準備銀行の最高責任者は「ガバナー」と呼ばれていました。連邦準備制度理事会の理事も「ガバナー」と呼ばれており、FRB理事と連銀の最高責任者は同格と見なされていたのです。これが30年代に入って、連銀の最高責任者の名称は「ガバナー」から「プレジデント」に変わりました。連銀の「プレジデント」は、日本語では「連銀総裁」と訳されています。これによって、FRBの理事と連銀総裁の権限が明確になったのです。現在、FRB議長が連銀の総裁と副総裁を指名する権限を持っています。かつてはニューヨーク連銀総裁が圧倒的な力を持ち、FRBの理事と政策を巡って対立した時期もありました。が、今では組織上のヒエラルキーは明確になっています。ただ、後で触れますが、政策決定機関としてFOMC(連邦公開市場委員会)が設置されており、同委員会の委員はFRB理事と連銀総裁で、投票権はそれぞれ一票です。

連邦準備制度の組織と政策決定過程

連邦準備制度の組織の話に戻りますが、FRB理事は7名で、その中から議長が選ばれます。理事と議長は大統領によって指名され、議会の承認を受けなければなりません。FRB理事の任期は14年と、非常に長い。また、再任も可能です。理事の中から議長が4年任期で選ばれます。連邦準備制度ができた当初は、財務長官がFRB議長を兼ねていました。それが、大恐慌の中で機能しなくなってくる。大恐慌の直接の原因は金融パニックですが、その後の金融政策の失敗が金融パニックを大恐慌へと発展させることになったのです。FRBの組織に本質的な欠陥があったのです。

バーナンキと大恐慌論

そこで横道にそれますが、バーナンキが出てくるわけです。もちろん、歴史的人物として登場するわけではなく、大恐慌の研究家として登場してきます。彼は、金融パニックのあと、マネーサプライが減少したことが大恐慌を引き起こす原因になったと分析しています。マネーサプライ減少が大恐慌の引き金となったという分析は、ミルトン・フリードマン教授の分析と同じです。フリードマンはマネタリストで、ノーベル経済学賞を受賞している著名な学者です。彼は、FRBは金融を緩和しなければならないときに逆に金融を引き締めてしまってマネーサプライの減少をもたらしたと分析しています。しかし、バーナンキはマネーサプライの減少の原因を当時の金本位制の欠陥に求めたのです。金融パニックが起こったときに、人々は紙幣や金を退蔵してしまった。銀行も金融不安に備えて通貨発行を抑制し、金保有高に対する通貨の比率を低下させたのです。その結果、信用創造の乗数が大幅に低下したのです。それがマネーサプライを減らすことになった。金本位制をチャンネルにして、大恐慌が世界に広がって行ったというのがバーナンキの分析です。要するに、金融政策が失敗したのは、中央銀行が金本位制を守ろうとしたためであったと分析しています。したがって、金本位制を早く離脱した国は、通貨供給を増やすことによって、それだけ早く大恐慌から抜け出すことができたというのが、バーナンキの代強硬論のエッセンスです。

第一次世界大戦の時に各国は金本位制を離脱しました。戦後、各国は相次いで金本位制に復帰します。日本でも金本位制復帰の仕方を巡って高橋亀吉とか小汀利得といった論者が、旧平価で復帰するのか、新平価で復帰するのかという「金解禁論争」を展開しています。日本も金本位制だったわけで、バーナンキの理論に従って言えば、金本位制を通して世界の大恐慌に巻き込まれていくことになります。ただ、バーナンキの大恐慌の研究はアメリカとヨーロッパが中心で、日本には言及していません。

横道にそれたついでに、もう少し横道にそれて、バーナンキとデフレ問題の話をします。彼は、プリンストン大学教授から2002年にFRB理事に就任します。就任後、彼はグリーンスパンの超低金利政策を積極的に支持します。それは、彼は、大恐慌の研究から、いったん経済がデフレに陥ったら、なかなかデフレを脱却できないことを知っていたからです。日本のデフレについても分析しており、それが彼がFRBの超低金利政策を支持する根拠になっています。彼は、デフレのコストは非常に大きく、どんな手段を講じてもデフレを阻止しなけなければならないと考えていました。ですから、デフレを阻止するために非常にユニークな議論を展開します。まず、経済がデフレに陥るのを防ぐためには、需要を創出しなければならない。需要を創出するには何をしたらいいか。彼は、ヘリコプターからおカネをばらまけばいいと主張しています。そのことから、彼は“ヘリコプター・ベン”と揶揄されます。彼の主張は、ケインズが言った、公共事業で穴を掘って埋めろという理論と同じです。また、FRBは長期国債を買うべきだとも主張しています。通常、オペレーションの対象となるのは短期国債ですが、マネーサプライを増やすためなら長期国債をオペしても構わないではないと主張しました。また、政府は印刷機を持っているのだから、紙幣を増刷しろと、やや過激な意見も言っています。そうした議論にはやや誇張があると思いますが、彼が言いたかったことは、「異常な事態には異常な手段を使うべきだ」ということだと思います。

グリーンスパンの超低金利政策は、ある意味ではバーナンキによって論理的にも支えられていくわけです。これは、後で住宅バブルを生み出す大きな原因になってくるわけですが、バーナンキとグリーンスパンはデフレ対策で同盟していたわけです。

現在の連邦準備制度の確立

やや議論が先走ってしまいました。もう一度、連邦準備制度の歴史に戻ります。今のような連邦準備制度の理事会ができたのは、ルーズベルト大統領のときです。それまでは、連邦準備制度は完全なものではありませんでした。FRBとニューヨーク連銀の間で金融政策の権限を巡る抗争は続いていました。ニューヨーク連銀は自分の判断でオペレーションし、市場に介入をしていました。ところがFRBの方は決定機関で、実際に市場に関与しているわけではありませんし、市場に直接介入する手足も持っていませんでした。ニューヨーク連銀が独自の判断で動くため、政策決定と政策実施の間にキシミが生じたわけです。それが、市場の動向に対して弾力的かつ迅速な対応がとれなかった理由の1つです。

ルーズベルト政権のときに、初めて現在の形の制度ができ上がります。FRBと連銀の関係が明確になり、財務長官がFRB議長を兼務することもなくなります。初代FRB議長はマリナー・エクレスで、1934年から48年までの14年間、議長の座にありました。FRBの建物はワシントンにありますが、それはルーズベルト大統領が建てたものです。それまでFRBは財務省内に間借りをしていました。大恐慌を経て、本当の中央銀行としてのFRBのシステムができ上がったわけです。

しかし、もう1つFRBが本当の中央銀行になるために乗り越えなければいけない問題がありました。戦争中、戦費の増加を抑えようとする政府の要求で、FRBは国債の買い支えを行い、国債金利の上昇を阻止していました。そのため、FRBは独自の金融政策を行なえなかったのです。FRBは政策の独立性を確保するために財務省と激しく対立します。そして51年に財務省とFRBの間で合意が成立して、FRBは国債の価格維持をしなくてもよくなりました。この合意のことを、「アコード」と呼んでいます。これによって、FRBは初めて独自の判断で金融政策を発動することができるようになったのです。しかし、その後もFRBは金融政策の独立性を維持するために、政府の圧力と戦わなければならない状況が続きます。

バーナンキは14代目のFRB議長になります。FRB議長は常に政府との緊張関係の中にあります。就任当初は密月で、FRB議長と政府の対立はあまり目立たないのですが、関係はどんどんそれが変わってきます。たとえば、最近の例で言えば、ボルカー議長を任命したのは民主党のカーター大統領です。共和党のレーガン政権が成立し、インフレを抑制するためにボルカー議長の手腕が必要で再任します。しかし、その後、レーガン大統領は政府寄りの“ギャングフォー”と呼ばれる4名の理事任命し、7名の理事の過半数の理事を影響下に置き、ボルカーに金融緩和の圧力をかけ始めます。政府の意向を受けてレーガン大統領任命の理事たちが公定歩合の引き下げを求め始めますが、ボルカー議長は反対します。しかし、理事会での票決でボルカー議長は少数派になってしまいます。そのときボルカー議長は理事会に対して最終決定を待つように要請し、その間に日本とドイツに協調利下げの根回しをして、最終的に公定歩合引き下げに同意したのです。これで、ボルカーは辛うじて議長の面目を保つことができました。 また、ボルカーの前の議長アーサー・バーンズも、彼もカーター政権に冷たい扱われ方をされ、最後は石をもって追われるように去っています。

FRB理事と議長の機能は基本的に違います。議長は任期14の理事の中から選ばれ、議長の任期は4年です。議長も理事も、再任が可能です。議長は4年の任期が切れても、理事として残ることは可能です。ただし、議長であっても、理事の任期が切れれば、再任されない限り、議長の座を退くことになります。06年1月31日にグリーンスパンは理事を辞めました。議長の任期はまだ残っていましたが、理事の任期が切れたため、自動的に議長を辞任することになったのです。ブッシュ政権の中には、理事に再任して、議長職に留まらせようという動きもありましたが、グリーンスパンにはその意思はありませんでした。

理事の任期満了というのは1月31日と決まっています。ただ、途中で辞任する理事が多く、後任の理事は前の理事の残りの任期を引き継ぐことになります。1月31日が、理事の任期が満了する日なのです。後任の理事は前任者の残りの任期を務めるわけです。グリーンスパンは理事としての任期を勤め上げ、ある意味では円満退社をしたわけです。こういう形で議長職を退いたのは、グリーンスパンが初めてだと思います。そういった意味で彼は議長を辞めたわけで、特別な理由があったわけではありません。
 
FRBでの金融政策の決定過程

FRBでの金融政策の決定過程は複雑です。まず、公定歩合の変更を決めるのはFRB理事会です。ただ「決める」というのは正確な言い方ではありません。手続き的には、理事会は連銀総裁から公定歩合の変更の提案を受け、それを「承認」するかどうかを決めるのです。ですから、理事会は公定歩合の変更に関して受け身なのです。ただ、理事会と連銀総裁は緊密に連絡を取り合っていて、事前の調整は当然行なわれていると思います。ですから、理事会は積極的に連銀総裁に働きかけることも可能です。

ただ、今では公定歩合の変更は象徴的な意味しかありません。新聞を読んでも金融政策としてフェデラル・ファンド金利の変更の話が主で、公定歩合のことはどこにも出てきません。金融政策の手段としてフェデラル・ファンド金利が使われており、公定歩合は実質的にその役割を終えているのです。最近、日本のメディアではフェデラル・ファンド金利のことを「政策金利」と呼ぶこともあるようですが、それは以上のような背景があるからです。連銀の貸し出しを通して銀行のリザーブをコントロールするというのは、あまり現実的な政策ではありません。むしろインターバンク市場でのリザーブを公開市場操作でコントロールするほうが現実的なのです。

日本ではまだ公定歩合政策が金融政策の中心であると見られていますが、日銀も実際の銀行のリザーブを管理する手段としてはコール市場での資金需給を使っています。

では、フェデラル・ファンド金利を決めるのは誰かということになります。それは、FOMC(連邦公開市場委員会)で決められます。FOMCはどういう構成になっているかといいますと、7人の連邦準備制度理事会の理事と12の連邦準備銀行の総裁で構成されています。FOMCの委員は19名ですが、そのうち投票権があるのは7名の理事と5名の連銀総裁だけです。FRB議長がFOMCの議長を務め、ニューヨーク連銀総裁が常任副議長で常に投票権を持ち、残りの4名の投票権のある連銀総裁は任期1年で持ち回りになります。残りの7名の連銀総裁はFOMCの議論に参加しますが、投票権はありません。金融政策、すなわちフェデラル・ファンド金利の目標値はFOMCの12名の投票権のある委員の票決で決められます。そのとき、FRB議長は、議長といえども他の委員と同様に1票しか投票権を持っていません。また、理事会でもFRB議長の投票権は1票です。ですから、理事会の票決で議長が小数派になる事態も起こりうるのです。だから、FRB議長は他のFRB理事やFOMC委員に対して影響力を行使して、自分の意見を通そうとしたりします。場合によっては、議長は小数派になることを嫌って、全体の流れに乗るという政治的な判断をすることもありえるわけです。

では、たった1票しか持っていないのに、どうしてFRB議長はそんなに大きな力があるのでしょうか。FRB議長は、FOMCで議論の方向性に影響を与えたり、金融政策の方向性を決定する権限を持っているからです。FOMCで議論が行なわれた後、議長が議論を総括し、政策を提案するのです。その際に、自分の意見を優先することができます。
なお、FOMCは年に8回開催されます。たとえば今年ですと、1月31日に既に開かれました。そこでフェデラル・ファンド金利が0・25%ポイント引き上げられました。ちなみに次のFOMCは3月27日と28日に開かれます。それ以降は、5月10日、6月28日、8月10日、9月20日、10月24日、12月12日に開催されることが決まっています。

FOMCは、まず議長がオープニングステートメントを述べます。その後にFRBのスタッフから公開市場操作と外為市場介入についての報告があり、さらに前回のFOMCの議事録が承認されます。その後、FRBの調査局長と金融問題局長から経済状況の説明や経済見通しが報告されます。そうした報告を受けた後、非投票委員の連銀総裁を含めて意見交換が行なわれます。そうした各委員の意見に基づいて議長が自らの見解を述べ、金融政策の方向性を決め、投票委員による票決が行なわれます。ポイントは、FRB議長、すなわちFOMC議長が金融政策に関する提案を行なうというところです。そこで議長は非常に大きな影響力を発揮することができるのです。事前の根回しなどもあり、金融政策の方向性はほぼ決まっていることが多いと思われます。

その決定を受けて、理事会はニューヨーク連銀に対して出される「ディレクティブ」と呼ばれる「指令書」でフェデラル・ファンド金利の目標値を連絡します。その指示を受けて、ニューヨーク連銀は公開市場操作を通してリザーブをコントロールして、フェデラル・ファンド金利を設定された水準に誘導することになります。

FRBの透明性を高めたグリーンスパン

実は1990年代初めまでFOMCはフェデラル・ファンド金利の目標値は公表しませんでした。ではどうしたかといいますと、公定歩合の変更だけが公表されました。公定歩合は、民間銀行が中央銀行から資金を借りるときの金利です。しかし、現実には民間銀行がリザーブの不足を補うために中央銀行から資金を借りることは稀です。大半の場合、資金の余裕のある他の銀行から借ります。それがフェデラル・ファンド市場で、ニューヨーク連銀は公開市場操作でリザーブの量を調整し、それを通してフェデラル・ファンド金利に影響を与えるのです。したがって、金融機関は公定歩合ではなく、ニューヨーク連銀の公開市場操作の仕方を見て、金融政策の方向を推測していたのです。

ところが、90年代に入ってグリーンスパン議長は、公定歩合の変更と同時にフェデラル・ファンド金利の目標値も発表するようにしたのです。それ以降、公定歩合よりもフェデラル・ファンド金利のほうが重視されるようになったのです。

もう1つ、グリーンスパン議長のもとでFOMCの議事録が発表されるようになりました。FRBも官僚機構で、長い間、FOMCの詳細な議事録は存在しないと言い張っていたのですが、議会の圧力もあり渋々ながら発表するようになったのです。現在、FOMC開催から3週間後に議事録が発表され、私たちは金融政策の内容を詳細に知ることができるようになりました。グリーンスパンは、こうした方法で金融政策に関する明確なメッセージを市場に伝えるようにしたのです。

こうした手続きの改革は一般にはあまり触れられていませんが、グリーンスパンの重要な貢献の1つだと思います。FRBの透明性に関連してもう1つ付け加えれば、FRBは「ハンフリー・ホーキンス法」に基づいて議会に年2回、「金融政策報告」を提出しなければなりません。その際、以前は当年度の経済見通ししか言及しなかったのですが、グリーンスパンは当年度と次年度の2年の経済見通しを「報告」の中で発表するようにしました。これも、市場に対して金融政策に関する明確なメッセージを送る意味があったのです。

後で詳細に触れますが、バーナンキ新議長の「インフレターゲット論」も、政策当局の意図を市場に知らせて、市場関係者に正確な予想を形成させることを目標にしたものです。ちなみに、バーナンキ議長はFOMC後に毎回、経済見通しを発表するように主張しています。なぜなら、FOMCで経済見通しに関して議論が行なわれており、そうした情報を公表すべきだと考えているからのようです。バーナンキはFRBの透明性を高めることで、FRBのアカウンタビリティー(説明責任)を高める必要があると主張しています。そうした意識が、彼の「インフレターゲット論」の背景にあるのです。

グリーンスパンの話に戻りますが、彼はFRBの透明性や公開性を進めるうえで大きな役割を果たしたのですが、彼は優れたコミュニケーターとはいえませんでした。彼の言葉は全然わからない。何冊もの「グリーンスパン語録」と題する本が出版されていますが、これも彼の発言が極めて曖昧なことも理由だと思います。グリーンスパンは「もし私の言っていることが分かったとすれば、それは自分が何か言い間違いしたからだ」と言っています(笑)。彼は“misspeak”という言葉を使っています。

グリーンスパンの有名な言葉に「根拠なき狂乱」というのがあります。なんとも分かりにくい言葉です。様々な局面で曖昧な表現を使うので、市場関係者は一生懸命にグリーンスパンの真意を探ろうとするのですね。そういうことがたくさんある。つい最近も住宅バブルが発生しているかどうかという問題が議論されています。グリーンスパンは、「住宅バブル」という言葉を彼は使わないで、「住宅フロス(froth)」という言葉を使っています。「フロス」というのはビールの小さな泡を意味します。住宅市場は「バブル」じゃないが、「フロス」であると主張するのですが、なんだか分かったような、分からないような妙な感じになってしまいます。

もう1つは、グリーンスパンは「マエストロ」といわれていました。要するにオーケストラの指揮者です。圧倒的な力と影響力を発揮して、オーケストラを思い通りに動かしてきたのです。彼には威厳があり、他の理事も真正面から物を言うのを憚られました。金融政策も、彼の動物的な直感に頼るところがあったのです。また、グリーンスパンはインナーサークルを大事にし、局長クラスの何人かを側近として使い、彼らは“バロン(男爵)”と呼ばれていました。王に仕える“バロン”ということです。FRB理事にコーンという人物がいます。彼はFRB官僚からの叩き上げで、グリーンスパンに可愛がられて理事になった人物です。実現しませんでしたが、グリーンスパンはコーンを自分の後任としてブッシュ大統領に推挙しています。今までの金融政策は、ある意味ではグリーンスパンの個人的な能力が非常に大きなウエートを占めたわけです。

その中でグリーンスパンに真正面から物を言ったのはバーナンキです。さきほど触れたように、デフレ対策についてはバーナンキとグリーンスパンは協調していますけれども、それ以外、特にインフレターゲット政策については真正面から対立しています。バーナンキは、インフレターゲット政策を採用するように主張していますが、グリーンスパンやコーン理事は反対しています。その理由は、インフレターゲット政策を採用すると金融政策の機動性が失われるというものです。日本でもインフレターゲット政策を巡る議論が行なわれていますが、日銀プロパーの主張は、グリーンスパンと同じで、金融政策の機動性が失われるというものでした。

いずれにせよ、バーナンキはグリーンスパンに対して歯に衣を着せぬ物言いをしていましたが、それは彼が学者として高い評価を得ていることや、優れた経済理論を持っているからだと思います。

グリーンスパンとバーナンキの個性の違い

グリーンスパンとバーナンキの手法を比較すれば、グリーンスパンは自分の個性で金融政策を運用したのに対して、バーナンキはもっと組織的かつ透明性のある政策決定を主張していくものと予想されます。

バーナンキは02年にFRB理事になり、05年に大統領経済諮問委員会の委員長に転出していますが、その間に約50回近くの講演をやっています。ある意味では、ものすごくアウトスポークンな人物で、グリーンスパンとは違い明確な言葉を使って市場にメッセージを送っています。グリーンスパンが非常に個性的で、何を言っているかわからないのに対して、バーナンキはコンセンサス・ビルダーで、他者の主張に耳を傾けて合意を形成していくタイプだと思います。

FRB副議長にファーガスンという人物が就いています。彼はグリーンスパンの後任に名前のあがった人物ですが、結局、実現しませんでした。彼はFRBのナンバー2なのですが、バーナンキは在任期間が短かったにもかかわらず実質的にFRBナンバー2の座を占めていたといっても過言ではありません。彼は、非常に短い間にFRBの中に自分の立場を確立しているのです。

インフレターゲット政策の本当の狙い

バーナンキといえば、インフレターゲット政策というように、彼とこの政策は切っても切れない関係にあります。もちろん、インフレターゲット政策は、彼の独占物ではありません。リベラル派の経済学者ポール・クルーグマンも熱心にインフレターゲット政策を説いています。では、バーナンキが主張するインフレターゲット政策の狙いは何か、以下で少し説明してみることにします。

バーナンキが主張していることは、インフレターゲットを導入することで、あるいは金融政策に関する情報公開を進めることでFRBに対する信頼度とアカウンタビリティーを高めることができるということです。先ほど触れたように、FRBは年に2回議会に「金融政策報告」を議会に提出することが義務付けられています。実は、それ以外にFRBに金融政策に関する説明責任は何もないのです。もちろん、議長や理事が議会に呼ばれて証言することはありますが、それ以外に法的な説明責任はありません。

バーナンキのインフレターゲット政策は、政策決定過程と市場の期待形成との関連で理解すると分かり易いと思います。彼は、金融政策は特殊な能力を持った人物の裁量的な判断で行なわれるべきではなく、よりシステマチックに行なわれるべきだと考えています。そうすることで、FRBは政策決定の透明性を高め、説明責任を果たすことができるようになります。言い換えると、グリーンスパン的な金融政策の手法は好ましくないと考えているのかもしれません。また、正確な政策意図を市場に伝えることで、より有効な金融政策を行なうことができると考えているようです。

金融政策と市場の期待形成に関して、80年代半ばまで「合理的期待理論」や「マネタリスト理論」が有力な理論として存在していました。それらの理論では、金融政策が効果を発揮するためには、政策の発動は市場の意表をつくような“サプライズ”でなければいけないと主張されていました。そうでないと、市場は金融政策の先を読んで動き、政策効果を相殺するような行動を取ると考えられていたからです。

ところが、今は理論が変わり、市場が思惑から過剰に反応しないように政策の意図を正確に市場に伝えるほうが、政策効果があがるという考え方が強くなってきています。先ほど触れたように、グリーンスパンのもとでいろいろな改革が行なわれ、FRBの政策決定の透明性は高まってきました。グリーンスパンの金融政策は、ある意味では“市場追認型”でした。要するに、彼は折に触れた金融政策に関して市場にメッセージを伝え、市場が対応したのを確認して政策変更を行なう手法を取っていました。とはいえ、本音のところでは、まだグリーンスパンには秘密主義的なところが残っていました。バーナンキは、さらにFRBの金融政策決定過程の透明性を高め、市場が正確な期待形成を行なえるようにすべきだと考えているのです。市場が金融当局の政策を正しく理解すれば、正しい期待形成ができる。正しい期待形成ができれば、大きな市場の変動はなくなるはずだという考え方です。これは、インフレターゲット政策のエッセンスの一つです。

FRBがインフレターゲット政策を正式に採用するかどうかは別にして、バーナンキ新議長のもとでFRBの運営の仕方はかなり変わってくるかもしれません。FRBの透明性と説明責任を高めるという考え方は、もはや必然的な流れになっています。そうした大きな流れの中にバーナンキが登場してきたのも、ある意味では歴史の必然性かも知れません。彼の人事は偶然の賜物かもしれませんが、そうした発想の人物が議長就任するというのは必然的だったのかも知れません。こうした情報は、なかなかニュースにはなりません。しかし、金融政策を考え、評価するときに、こうした理解を持っておくことは非常に大事だと思います。

バーナンキとは何者か?

次はバーナンキの人物論に話題を変えたいと思います。バーナンキとは何者かと改めて説明します。彼は53年12月にジョージア州で生まれで、現在52歳です。秀才で、高校生のときに日本のセンター試験のような大学進学能力検定試験でほぼ満点を取っています。最初はブランダイス大学で数学を勉強したかったようですが、ハーバード大学で経済学を専攻、マサチューセッツ工科大学(MIT)で博士号を取得しています。優れた経済学者は、どうも数学系から出てきている人が多いようで、彼もその例外ではないようです。アメリカでは理論を数式で展開できない経済学者は一流とはみなされません。ただ、できることならもっと歴史とか哲学を学んだ人物から経済学者が出てくればいいのにと、個人的には思っています。

MITを卒業後、スタンフォード大学、MIT、ニューヨーク大学で教鞭を取った後、85年にプリンストン大学教授に就任しています。96年からFRB理事になる02年まで経済学部長の座にいました。金融理論を専門にしていますが、本人は自分をマクロ経済学者だと言っています。金融理論の一環として、大恐慌の研究を行なっていることは既に触れました。

02年にFRB理事に任命されます。彼は学界では有名だったのでが、ワシントンではまったく無名でした。ちなみに奥さんはスペイン語を教えている先生です。彼をFRB理事に引っ張ったのが、当時、大統領経済諮問委員委員長(CEA)のグレン・ハバード(現コロンビア大学ビジネススクール教授)です。05年6月に当時のCEA委員長だったマンキューに推挙されて、彼の後任としてCEA委員長に就任しています。02年にワシントンに来て、わずか3年余で大統領に次ぐ権力者といわれるFRB議長に就任したのですから、驚きです。ある意味では、学者だけでなく、優れた政治的資質も持っているのかもしれません。

その政治的なセンスを示す例として、ブッシュ政権が01年と03年に実施した期限付きの減税の恒久化問題に対する対応の仕方があります。CEA委員長のとき、減税の恒久化について質問されたとき、彼は「賛成である」と答えています。巨額の財政赤字を考えると、通常の経済学者なら減税の恒久化はなかなか支持できないものです。しかし、その後、彼は友人に「ブッシュ政権の閣僚として政権の政策に反対はできない」と洩らしています。このエピソードは、彼は融通の効かない経済学者ではなく、政治的状況にある程度対応できる柔軟性を持った人物であることを示しているといえます。FRB議長としても、理論に囚われるのではなく、現実的な対応をする議長になるかもしれません。

バーナンキは、共和党員として登録しています。共和党員ですが、これは僕の判断ですが、経済的にはケインジアン的な傾向を持っているようです。彼は保守派のサプライサイダーやマネタリストとは違っているようです。マネタリストは、インフレは通貨供給量で決まると主張しています。どっちかといえば、金融理論家や金融の実務家にはマネタリスト的な考え方をする人が多いのですが、バーナンキは「インフレはGDPギャップ(需給ギャップ)で決まる」と書いています。これはオーソドックスな経済学の考え方で、どちらかといえばケインズ経済学的といえます。

彼は、2年前にノースカロライナ州に行って労働組合の前で話をしています。同州は失業率が非常に高い。企業のアウトソーシングなどで失業者が大量に出ている。そこでの演説で、彼は、労働者を守り、労働者の負担を軽減することがいかに大事かを説いています。労働者にために年金制度や健康保険制度などの整備が必要だとも語っています。その考え方は、どっちかといえば民主党的な考え方です。共和党の保守派は、「失業保険制度をやめてしまえと」とか、「健康保険制度の縮小や年金鮮度の民営化せよ」と過激な主張をしています。労働市場を自由にすれば資源配分は効率的に行われるから、社会政策は必要ないというわけです。

それした議論からすると、バーナンキは思想的には穏健派で、経済政策ではアクティビストといえるでしょう。アクティビストというのは、ケインジアン的な発想です。バーナンキは、政府の市場介入を頭から否定していないようです。ある保守派の論者は雑誌に寄稿した文章の中で「バーナンキはケインジアンである」と書いていますが、あながち間違いとは言えないかもしれません。そうした彼の思想的な面を見ておくのも、彼の政策の大きな判断基準になるかもしれません。

これに関連して一つエピソードを話しますと、ブッシュ政権批判の急先鋒がクルーグマン教授ですが、彼をプリンストン大学に招聘する際に経済学部長であったバーナンキが大きな役割を果たしたといわれています。これも、バーナンキの考え方を知るエピソードかもしれません。
 
グリーンスパンとバーナンキの金融政策

では、バーナンキは、どんな金融政策の舵取りをするのでしょうか。講演の残り時間も少なくなっていますので、その話を10分ぐらいして、最後にご質問にお答えする時間を取りたいと思います。

『プリンシプル・オブ・マクロエコノミックス』の中でバーナンキは、グリーンスパンの金融政策を「プリエンプティブ・アタック(preemptive attack)」であると書いています。プリエンプティブ・アタックというのは、ブッシュ大統領が使った言葉で“予防的攻撃”という意味です。これが「ブッシュ・ドクトリン」と呼ばれ、イラク戦争の論理的な根拠になりました。アメリカはテロリストに攻撃されて国民が被害を被るのを待つのではなく、テロの兆候があれば予防的にテロリストを攻撃するという考え方です。バーナンキがその言葉を使ってグリーンスパンの金融政策を特徴付けているのは、非常に興味深い。要するに、グリーンスパンの金融政策はインフレ予防的な攻撃型の政策だということです。

具体的にどういうことかといいますと、インフレの兆候が見られたら小刻みに金利を上げていく政策です。穴から出てきた頭を叩く“モグラ叩きゲーム”のようなものをイメージしてください。インフレが本格化してから対策を講じていては間に合わない。だからわずかでもインフレの兆候が見られたら、その芽を早めに摘み取るために予防的に政策を発動するのがグリーンスパンの“プリエンプティブ・アタック”の金融政策だというのです。
それが典型的に表れたの、04年6月に始まった一連の利上げです。04年6月から06年1月までに実に14回にわたって0・25%ポイントずつ小刻みにフェデラル・ファンド金利を上げています。これが、まさにインフレに対する予防的攻撃政策です。その結果、フェデラル・ファンド金利は1%から4・5%にまで引上げられました。

それまでの金融政策は明らかに超緩和的でした。それはデフレを抑え込むための緊急避難的な政策でした。したがって、今回の一連の利上げは、金融政策を中立的なものに戻すものでした。しかし、グリーンスパンはインフレの再燃を懸念していたことは間違いありません。グリーンスパンは二度も大きなバブルを引き起こしています。一つは90年代のITバブルで、もう一つが最近の住宅バブルです。グリーンスパンは、1月31日のFOMCで利上げを決めたことで、一応、最後の役割を終えたという感じを持っているのではないかと思います。

問題は、バーナンキが次にどのような政策を取るかです。それは、彼のインフレターゲット政策と関連してきます。結論から言いますと、バーナンキは「私のインフレターゲット論とグリーンスパンのプリエンプティブ・アタック政策は基本的にはその背後にある哲学は同じだ」と書いています。そのあたりはもうちょっと解釈が必要です。彼が「哲学は同じだ」というとき、具体的に何をイメージしているのか分かりません。ただ、次のように解釈することは可能でしょう。

バーナンキのインフレターゲット政策では、FRBは長期的なインフレ目標を公表することになります。そのときに非常に重要なのは、目標は何%から何%というように幅で決めるのはだめ、たとえば2%というように特定の水準で表現されなければならないということです。それも消費者物価指数ではなく、“コアインフレ(core inflation)率”を使うべきだと主張しています。コアインフレというのは、価格変動の激しいエネルギー価格と食品価格を除いた物価水準のことです。そして、長期的なインフレ目標を決めたら、途中で目標を変えたりしない。そうした確固たるコミットメントをすることで、市場は中央銀行の金融政策を信頼し、正しい予想を形成するようになるというのが、インフレターゲット政策のエッセンスです。市場参加者は、長期的なインフレ目標に基づいて予想を形成するので金利の乱高下はなくなるというのが、彼の主張です。長期金利は将来のインフレ予想を織り込んで決まります。将来の予想インフレが安定すれば長期金利の動向も穏やかになり、経済の良い影響を及ぼすことになります。だから、市場がFRBの政策を信頼するかどうかが、インフレターゲット政策の鍵になります。そのために金融政策の決定過程の透明性やFRBの政策の説明責任が重要になってくるのです。ちなみに、バーナンケは目標とすべきコアインフレ率は2%と考えているようです。

問題は、短期的な金融政策の運用をどうするかです。バーナンキは長期的なインフレ目標は必ずしも短期的に達成する必要はないと言っています。たとえば、四半期で平均値がインフレターゲット内ならいいというわけです。となると、インフレ率の長期目標を発表するかどうかを別にすれば、インフレターゲット政策は、経済状況に応じて小刻みに金利を操作するグリーンスパンの金融政策と基本的に差はないのではないかという気もします。だからこそ、バーナンキは「インフレターゲット政策とグリーンスパンの予防的攻撃政策の背後には同じ哲学がある」と言っているのかもしれません。

中央銀行の最大の目的は物価安定にあります。それはグリーンスパンもバーナンキも同じ考えだと思います。しかし、具体的な目標を掲げれば、政策の自由度を拘束することになるというのが、グリーンスパンのインフレターゲット政策反対の理由です。政策の発動は機に応じて自分が判断するんだというのが、彼の立場です。それに対してバーナンキは、市場に対して明確な約束し、市場とできるだけコミュニケーションを積み重ねて、市場の予想形成に良い影響を与える必要があると主張しています。政策の狙いを伝えることによって市場は正しい期待を形成することができる。しかし、それは長期の話です。短期については、グリーンスパンと同じように予防的な攻撃をして、インフレを加えて抑え込んでいくという話になります。とすると、現実の政策運営では、二人の間に基本的な差はないのかもしれません。

バーナンキはインフレハト派かタカ派か

では、それを現実の状況に適用するとどうなるのでしょうか。3月28日と29日にFOMCが開かれます。今、フェデラル・ファンド金利が4・5%で、現在、市場は金利の見通しで迷っています。ブッシュ大統領がどうしてバーナンキをFRB議長に選んだかというと、彼が“インフレ・タカ派”ではないからというのが一つの理由だと考えられています。先ほど触れたように、彼はどちらかといえば雇用重視派といえるかもしれません。さっきのノースカロライナ州の講演ではは雇用問題を重視の発言をしています。インフレを抑制するためなら雇用の犠牲を払っても構わないという考えの持ち主ではないようです。たとえば、70年代末から80年代初めにかけて当時のFRB議長のボルカーは超高金利政策を取って、失業率を二桁にまで上昇させて、インフレ沈静化に成功しました。バーナンキが、成長や雇用を犠牲にしてまでインフレを抑えようとするのかどうか。他方、コアインフレ率は、2%に近づいています。市場はバーナンキが3月のFOMCでどのような判断をするのか、じっと見守っています。フェデラル・ファンド金利を上げるのか、据え置くのか。この決断は、市場の彼に対する信頼に大きな影響を与えるのは間違いありません。

もう1つの政策を決める大きな条件は、住宅バブルをどう判断するかです。バーナンキはFRB議長に指名される前に行なわれた上院での証言で「住宅市場はバブルではない。住宅価格の上昇は雇用増加と世帯数の増加など実需に基づくものである」と証言し、必ずしもグリーンスパンの分析を支持していませんでした。そして、「今年は経済活動の鈍化を受けて、住宅価格の上昇はスローダウンするだろう」という言い方をしています。しかし、アメリカ経済を支えているのは何かといいますと、住宅価格の上昇です。住宅バブルによって個人の可処分所得が増え、それが個人消費を刺激するというのが、今のアメリカ経済の高成長の構造です。

住宅バブルで個人の可処分所得がふえるというとピンとこないかもしれません。長期金利(住宅ローン金利)が下がると、個人は低利のローンに借り換えます。すると返済負担が減り、可処分所得がふえます。もう1つは、住宅価格が上がりますと、ホーム・エクイティー(住宅の担保価値)が上昇し、家を担保に銀行からローンを借りることができます。住宅価格の上昇を背景に可処分所得が何兆ドルも増えているのです。

では、長期金利がどうして低水準に留まっているのかといいますと、世界中のおカネがアメリカに集まってきているからです。どうしておカネがアメリカに集まるのか。これに関してバーナンキは、FRB理事の最後の講演で“世界的な貯蓄過剰(グローバル・セービングス・グラット)”が存在するからだと分析しています。世界に貯蓄が投資に使われず、余っているのです。本来なら設備投資をするために資金を借りる途上国が、現在は逆に資本の輸出国になっている。その資金は、高イールドのドルの金融商品に投資されているのです。その結果、ドルの長期金利が低下しているのです。また、それがドル高を生んでいるのです。そして長期金利の低下が住宅需要を刺激し、さらに個人消費を刺激するという循環を作り出しているのです。そして、先ほど述べたように、個人消費の伸びがアメリカの経済成長の原動力になっています。

世界的な貯蓄余剰に関連して、バーナンキはもう一つ重要な指摘をしています。アメリカの貿易赤字は、世界的な貯蓄余剰の結果であるというのです。途上国が設備投資を抑制しているので世界の需要は伸びず、高成長のアメリカの輸入が増えたのがアメリカの貿易赤字拡大の原因だというのですね。要するに、アメリカの貿易赤字拡大はアメリカの政策のせいではないのです。発展途上国だけでなく、中国や日本は為替市場に介入して蓄積したドル資金をアメリカに投資しており、それがドル高を招き、アメリカの貿易赤字の要因の一つになっているのです。アメリカの貿易赤字は危機的水準に達していますが、目先的にはドル資産の高イールドは投資家にとって魅力的で、ドル資産運用が増えているのです。

1月中旬、市場ではアメリカの利上げは打ち止めとの思惑が高まりました。それはバーナンキが利上げをしないだろうという見方を反映したものです。しかし、その一方で利上げを予想する人もたくさんいます。3月末のFOMCまでに何が起こるかわかりません。しかし、市場はバーナンキの最初の決断を注視しています。彼が市場のクレディビリティー(信頼)を確保できるかどうかの最初の試練です。彼の最初の試練は外為市場だろうと言われています。もしバーナンキが市場の信任を得られなければ、一気にドル売りが起こるかもしれません。先ほど指摘した世界の資本の流れを背景に、ドルは間違いなく過大評価されています。三流経済紙的な議論ですけれども、“ドル暴落”という事態も十分に起こり得るわけです。

ドル相場はどこかで反転しなければなりません。為替相場の反転起こるのは、政策が変わったときです。そういった意味でも、3月のFOMCの決定が注目されます。

バーナンキとブッシュ政権の関係

金融財政政策と言いますけれども、アメリカでは財政政策というのは実質的にないのです。アメリカの財政政策は“景気政策”というよりも、むしろ“税政策”なのです。減税は景気対策のためというよりは、もっと政治的な意図で行われる傾向が強いのです。たとえば、財政赤字の拡大にもかかわらずブッシュ政権は減税措置の恒常化を主張していますが、それは保守主義者の政治思想や社会思想が背景にあるからです。

では、バーナンキは財政赤字問題をどう考えているのでしょうか。12月に上院銀行委員会での議長承認のための公聴会が開かれ、同委員会の委員がバーナンキに財政赤字について意見を求めています。そのとき、彼は「財政赤字は好ましくないが、自分は具体的にどうすればいいかという提案は行なわない。それは議会と政府の問題である」と答えています。グリーンスパンなら、もっと積極的な発言を行なったでしょう。彼は「財政赤字問題はFRBの権限外の問題である」という姿勢を貫きました。それが良いのか悪いのかは分かりませんが、彼は政治との間に距離を置こうとしているのかもしれません。逆の言い方をすれば、彼はブッシュ政権の閣僚であったけれども、保守的な考え方よりもややリベラルな考えを持っているのかもしれません。就任当初は、政府と新議長の間にハネムーンの期間がありますが、それが過ぎれば、ひょっとしたら政府とFRBが対立する局面も出てくるかもしれません。

いずれにせよ、バーナンキはこれから非常に難しい選択を迫られるでしょう。かりにフェデラル・ファンド金利をさらに0・25%ポイントから0・50%ポイント引上げたとしても、実態経済に与える影響は限られたものでしょう。それよりも、そうした政策によってバーナンキが市場にどんなメッセージを送るのか、また市場がバーナンキをどう評価するのかが重要なのです。ちなみに、私の予想では、3月のFOMCでバーナンキは0・25%ポイント引上げ、4・75%にすると思います。アメリカのエコノミストには、年内にフェデラル・ファンド金利は5%まで上昇するという見方もあります。下がるという人もいるにはいますが、小数派です。

インフレターゲット政策の採用に関しても、バーナンキは急がないでしょう。まずFRB内部の意見統一を図るものと思われます。彼が議長になったからといって、すぐにインフレターゲット政策が採用されることはないでしょう。おそらくFOMCが終わった後に経済予想を発表するなどの手続きの変更を進め、金融政策の透明性と高めていくことで結果的にインフレターゲット政策と実質的に同じ政策を採用することになるのではないかと思っています。
 これは余談ですけれども、最近、日銀が少し慌てています。日銀は今までインフレターゲット論を歯牙にもかけてこなかったのです。私が知っている日銀スタッフは「インフレターゲット政策なってバカみたいなものだ」と言って憚りませんでした。しかし、バーナンキがFRB議長になった途端に真剣に検討を始めたそうです。ただ、最後に一言付け加えますと、インフレターゲット政策を採用している国は結構多いのです。イギリスがそうですし、カナダや欧州中央銀行もそうです。ただ、研究によると、インフレターゲット政策を採用している国とそうでない国の経済パフォーマンスにはあまり差がないという結果もでています。

というところで、今日は、あとはご質問を受けることにします。(拍手)

ーありがとうございました。

それでは、ご質問をお受けします。何なりとお願いいたします。
質問 最後の方で日銀の政策にちょっと関連するようなお話がありましたけれども、先日、この場で日銀副総裁のご講演がありました。そのときは、たしか日銀は物価の安定が第一だと、そのために政策の透明性を高める必要があるというようなことをおっしゃったと思います。そういう意味で、今度の新しい議長のバーナンキさんの透明性というお話と一脈通ずるものがあると思いますが、日銀の政策が近々変わるのではないかと言われていますけれども、その辺をもう少し教えていただけますか。

中岡 私は日銀ウオッチャーではないので、日銀の動きについてあまり詳しいことは分かりません。確かに、政策の透明性を高めるという言葉は同じかもしれませんが、具体的にイメージしている世界は、バーナンキと日銀ではかなり違うのではないかと思います。FRBは、さっきほど言いましたように、非常に長い歴史の中で独立性を勝ち取り、透明性を高めてきました。さらにバーナンキは、FRBの説明責任を明らかにすることの重要性を強調しています。しかし、残念ながら、日銀の場合は、そうした努力をどこまでやってきたのか疑問です。新日銀法ができて、日銀もやっと財務省から自由になった。しかし、そのプロセスでどういった哲学を主張したのかとなるとお寒い限りです。ですから、日銀副総裁の透明性を高めるという言葉をどこまで額面通りに受け取ったらいいか分かりません。

私は大学でバブル発生から現代に至るまでの日本の経済政策を教えているんですけれども、改めて日銀の政策を検討してみると、失敗の連続です(笑)。バブルを起こしたのは日銀の政策の失敗ですし、デフレを起こしたのも日銀の政策の失敗によるものです。そうした事実から判断すると、バーナンキが主張するような意味で日銀が政策の透明性を高め、説明責任を果たそうとしているとは思えないですね。

これは前にも言ったことですが、4年前に話をしたときには会場の3分の2ぐらいしか席が埋まりませんでした。しかし、2度目、3度目は着実に参加者が増え、今日は会場いっぱいなっています。次はもっと広い場所を変えてもらわなければいけないかと(笑)。

ー 今の話だと、カリスマ議長の後は、言葉は何と言ったらいいのかわからないですけれども、1人でリーダーシップをとるというよりは、FRB理事の中でのコンセンサス運営みたいなことになっていくのか、それとも、やはりバーナンキという人は抜群のパワーをこれから発揮していく――優秀であるということはよくわかっていますから、そのカリスマ性を自分なりにつくっていく可能性があるのかどうか、その辺はどんな感じでしょうか。

中岡 グリーンスパンがFRB議長になったとき、「彼はボルカーたりうるのか」という議論がありました。彼は非常にユニークな人で、もともとニクソン大統領の選挙スタッフとしてワシントンに来た人物です。それまではニューヨークの経営コンサルタントでした。それからずっとワシントンで生き抜いてきた稀有な人物です。それも政権が共和党から民主党に移っても、議長の座に留まり続けた。その彼ですら、FRB議長になるときに力不足だと言われました。87年のブラックマンデーに非常にうまく処理したことで、彼は初めて市場の信任を得たのです。

ところが、彼の金融政策に対する批判がある。彼はITバブルを阻止できなかった。「根拠なき狂乱」という言葉に見られるように、株高が異常であることを知っていながら、それを放置してバブルを招いたのです。その結果、株式市場で一種のモラルハザードを起こしてしまった。投資家に、株価が下落すればグリーンスパン議長が金融を緩和して救済してくれるという甘えを生んでしまった。そして、今度は住宅バブルです。実はデフレ対策のサイド・エフェクトかもしれませんが、これによって経済を支えてきた。形はITバブルと似ています。

今、多くのメディアは「バーナンキはグリーンスパンたりえるか」という問いを発しています。グリーンスパンが問われたことと同じです。グリーンスパンは8月に議長に就任して、2ヵ月後の10月にブラックマンデーで試されました。バーナンキは就任2カ月後の3月に開かれるFOMCで最初の試練を受けるかもしれない。いずれにせよ、市場の信任を得るにはどこかで試されなければいけない。それがどんな形の試練かは分かりません。あらゆるシナリオが書けると思いますけれども、それは今の段階では単なるお話の域を出ないと思います。

ーありがとうございました。よろしいでしょうか。
ドルの安定を保ちながらインフレなき成長をどうやって保っていくかという、バーナンキにとっては大変大きな課題がこれから突きつけられることになろうというお話であったと思います。しかし、私はかねてから思っているんですけれども、やっぱりアメリカは双子の赤字じゃなくて、家計も加えると三つ子の赤字であろうというふうに考えると、これはFRBといえども大変難しい、狭い馬の背みたいなところを歩いていかなければいけないのではないかなというふうに思います。

それから、最後に1つ言いわけをちょっと。さっき中岡さんが去年呼んでもらえなかったとおっしゃいましたけれども、実はおととしの夏にやっていただいた、その保守革命の講演がものすごくよかった。だから、私としてはすぐやってほしかったのですが、実は1年間はお願いしないことにしています。そうすると去年の秋でしたよね。お願いしたら、今日のような講演は聞けなかったということで、私はベストの選択をしたのではないかと。また1年ちょっとたったらお願いしたいと思っています。

今日はいい話をどうもありがとうございました。(拍手)

10件のコメント

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  7. アクセスアップには「TraDo(トラド)」
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    トラックバック by トラックバック最強ツール「TraDo」って? — 2006年5月5日 @ 20:05

  8. トラックバックによる広告「TraDo(トラド)」
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  9. SEO対策やアクセスアップと言えば「TraDo」
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  10. SEO対策やアクセスアップと言えば「TraDo」
    SEO対策やアクセスアップに効果的な最強広告ツール「TraDo」。いつまで無駄な時間を使い続けますか?

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