中岡望の目からウロコのアメリカ

2006/10/1 日曜日

アメリカの保守派の論者が考える安倍政権の”国の形”

Filed under: - nakaoka @ 11:24

安倍新政権の思想の輪郭が次第に明らかになってきています。土曜日のテレビ番組で塩崎官房長官が「安倍首相は“日本の形”を語った最初の総理である」という趣旨の発言をしていました。安倍首相の考える“日本の形”は、ある意味では、戦後の総否定に通じるものかも知れません。今まで、戦後の総括を主張した政治家はたくさんいましたが、この戦後生まれの宰相は、戦後民主主義全体に不満を抱いているようです。日本がますますイデオロギー的な対立に陥っていくのではないかと思います。今回は、「アメリカのメディアの見た安倍首相」の第二弾です。保守派を代表する『The Weekly Standard』(10月9日号)に掲載された「A Japan That Can Say Yes」の紹介です。以前、ソニーの創業者・盛田昭夫と石原慎太郎都知事が書いた本『Noといえる日本―新日米関係の方策』(1989年刊行:英語のタイトルは「Japan That Can Say No」です)のタイトルをもじったもので、この論文は日本語にすると「Yesといえる日本」というタイトルになるでしょう。以下、要約です。

なお9月の同ブログのPV件数は212万7092件です。8月は216万8850件でしたから、若干の減少となりました。9月は月初めに1件、月末に1件と2本しか原稿をアップできなかったので、PV件数が減っても当然でした。

同論文を紹介する前に、少し日本の置かれている状況を整理しておきます。盛田、石原の本は、日米関係が緊張するなかで書かれたものです。アメリカの支配から脱するために日本の優れたエレクトロニクスなどの技術を利用すべきであるという主張です。しかし、この二〇年間に世界と日本の状況は変わって、現在はかつてないほど日米関係は緊密化し、その関係は軍事同盟にまで発展しています。日本の指導者は、日本の安全保障にとってアメリカは不可欠だと主張するまでになっています。盛田、石原の本が出版されて以降、何が変わったかといえば、日本の経済的凋落とアジアにおける政治的・外交的な影響力の低下、中国の政治的。経済的な大国としての急速な台頭、朝鮮半島での緊張という80年代までには見られなかった大きな地政学的な変化が起こったことです。そうした大きな流れの中で、日本は漂流を始め、次第に右傾化を強めていきます。この急速な右傾化は、中国の台頭が直接、間接的に影響を及ぼしているのでしょう。また、従来、リベラルと呼ばれた人々も、世界的な保守化、アメリカ化の中で対抗論理を作り出せなかったことも、右傾化を促す結果となっていると思います。そうした状況の中で「憲法改正」「教育基本法改正」を柱に、戦後体制を総体として否定して、日本のナショナリズムの流れをより確実なものにするというのが、“日本の形”なのでしょう。

前回のブログに書いたように、アメリカのメディアは共通して安倍首相に“ナショナリスト”という肩書きをつけています。彼の思想、政策は、ある程度、海外のメディアにも理解されているのでしょう。今回紹介する論文「Yesといえる日本」の筆者は、保守派を代表するシンクタンクであるアメリカン・エンタープライズ・インスティチュートのDan BlumenthalとGary Schmittです。

論文は「型どおりな考え方でいえば、安倍晋三が日本の首相の地位に昇りつめたのは日本にとって悪いニュースであるし、さらにえいばアメリカにとっても悪いニュースである。安倍は日本の中に潜む軍国主義を解き放つように主張する熱狂的なナショナリストである。それは日本と、そして間接的にアメリカをアジアから孤立させることになるだろう」という刺激的な文章で始まっています。そして、「しかし、そうした考え方は、安倍のナショナリズムの本質とアジアに与えるプラスの影響を読み違えている」と続けている。以下、その抄訳です。

「安倍のナショナリズムはアメリカで見られるナショナリズムとは異なる。それはリベラル・ナショナリズムである。彼と彼のアドバイザーたちは、日本の繁栄をリベラルな民主主義と人権を結びついた普遍的な価値の普及と等しいものであるとしている。日本の新しい国際的な主張と“平和憲法”を改正するという決意、アジアでより大きな軍事的な役割を担うという決意に関して、多くのことが書かれている。その中で、あまり議論されていないのが、日本の外交政策の最先端に民主主義の普及が置かれていることだ」

「2006年6月29日の共同声明でブッシュ大統領と小泉純一郎首相は民主主義の普及が日米同盟の礎石であると誓った。それから、小泉首相は、日本のODA(政府開発援助)の改革に着手し、それを日本外交の“パンとバター(基本)”とした。それまで日本はODAを政治的な目的で利用することを避けてきた」「安倍が憲法改正すなわち第9条の改正を総裁選挙公約にしてきたことは事実である。安倍は中国や北朝鮮に対してタカ派で、日本が攻撃される前に北朝鮮を攻撃することができる軍事力を獲得すべきであるとある主張している」

「安倍が主張するより大きな協力には、オーストラリア、インド、アメリカ、日本のアジアの4つの大きな民主主義国家が含まれている。もし日本がアジアや世界で確信を持って行動するようになれば、同じような制度を持つコミュニティの中で同じようなことをしようとするだろう。このビジョンは、やがては安倍の最大のlegacy(功績)となるだろう」

「アジアにはヨーロッパのように歴史的な対立を緩和する効果的な国際的な組織が存在していない。アジアの安全保障の問題がますます深刻になってきている。北朝鮮の核兵器開発と核拡散問題、過激なイスラム主義の台頭、中国の台頭である」「こうした問題に取り組むために、アジアは日本が考えているような普遍的な価値に基づく新しい多国籍的なネットワークを必要としている。ワシントンは、日本、オーストラリア、インド、アメリカを中核とする国際的なネットワークの確立を歓迎すべきである。中国は、こうした4カ国を核とする国際的な組織の確立は、中国封じ込め政策であると反発するだろう。しかし、アジアには中国を中心とし、アメリカが加わっていない他の組織が存在している」

「さらにNATO(北大西洋条約機構)や欧州同盟と同じように、こうした日本・オーストラリア・インド・アメリカの民主国家の“アジア・クラブ”は、他の国に対しても門戸を開いておくべきである。もし中国のような国が政治改革を進めるなら、そのアジア・クラブから排除すべき理由はない」「反対論者は日本が“歴史問題”をちゃんと解決しなければ、日本はアジアでそうした役割を担えないと、そうした考え方を一蹴するだろう。たしかに、日本は過去の痛みを緩和したり、韓国やフィリピンなどの国に日本が本当に新しい国になったと確信させるために、もっとすることがある。しかし、中国共産党が反日運動を指導している限り、それは困難だろう」

「北京にとって、“日本の過去”は日本を隣国から孤立させ、他の国に日本が国際的な役割を果たすことを懸念させるための外交上の武器である。中国は、日本が新しい役割を演じるのを阻止することを決意しているのである」「ワシントンは、中国のそうした戦略を直視し、“普通の”民主的なパワーになろうとする日本の努力を支持すべきである」

以上が要旨です。両者の主張を支持するかどうかは別にして、これがアメリカ保守派を代表し、知日派として知られる筆者の主張です。日本の思想状況に対する理解があまりにもナイーブなのに驚かされます。こうした筆者の接し、議論する日本人の大半が保守的な人々ですから、そうした人たちの考え方の影響を受けるのは仕方ないかもしれません。ここで展開されているのは、(1)日本はアジアや国際的な舞台でより積極的な役割を果たすべきである。なぜなら、安倍政権の外交政策はネオコンと同じようにその基本を“民主主義の世界への普及”に置いており、その限りではブッシュ政権(あるいはネオコン的な保守派)の外交政策の基本方針と一致することになると、筆者は理解しているようです。また、彼らが、ODAを政治的、外交的な目的で利用することを勧めているのも非常に違和感を覚えます。

(2)アジアで日本が指導力を発揮するためには、日本、アメリカ、オーストラリア、インドの4カ国を軸に“アジア・クラブ”を構築すべきであると主張しています。それは、筆者たちも認めているように、結果的に中国を封じ込める政策になります。そして中国に対しては、政治改革をして“民主国家”になれば仲間に入れてあげようと主張しています。また、中国だってアメリカや日本を排除した国際組織を作っているではないかと主張しています。日米を排除した組織とは、中国、ロシア、カザフスタンなど6カ国で組織される「上海条約機構(SCO)」を指しているのでしょう。本当に日本が中国封じ込め政策に加担するとなると、北東アジアの緊張はさらに高まるでしょう。それは、さらに日米軍事同盟を強化するという悪循環に陥ることになります。また、日本の国民の多くは日中、日韓関係の正常化を望んでいます。小泉的対決政策は何も生み出さないことが分かっているし、今後の日本のアジアに置ける役割を考えると、中国と対立することで得られるものはほとんどないでしょう。だからこそ、多くの日本人は日中関係の改善や日韓関係の改善を大きな政策課題としてあげているのです。筆者たちが主張するように、安倍政権は民主主義を世界に普及させるというアメリカの“理想主義的”外交政策を日本の外交政策にも採用するつもりなのでしょうか。もしそうなら、日本はアメリカと同じように、中国に対して政治的民主化を迫っていくことになるのでしょうか。

以前、このブログでフランシス・フクヤマ(「日中の対立をどう解消すべきか:米学者フランシス・フクヤマの提言」)も、東アジアには共通したフォーラムが存在しておらず、将来、6カ国協議(日本、中国、アメリカ、韓国、ロシア、北朝鮮)を恒常的な国際フォーラムにしていく必要があると主張していることを紹介しました。あと10年経ったら、北東アジアの政治的、安全保障の状況は大きく変わっているでしょう。今、それがどういう形になっているか予想するのは困難です。しかし、6カ国協議が恒常化し、地域安全保障問題を議論し、解決する協議の場になっているかもしれません。5年、10年という期間でみれば、筆者たちの浅薄なアジア・クラブ論よりも、フクヤマの主張のほうが現実性と妥当性を持っているように感じられます。

アメリカが一番恐れているのは、東アジアにおけるアメリカの影響力の低下です。あるいは日本がアメリカの影響から離脱することです。1997年のアジア金融危機に際して、日本の大蔵省が第二IMFをアジアに作ろうとしたとき徹底的に潰しにかかったのはアメリカでした。日本と中国、韓国がなんらかの共同市場を構築しようとすれば、アメリカは反対に回るでしょう。アメリカにとって、”アメリカ抜き”のシステムや制度的な枠組みができることが一番困るのです。その意味で、日本と中国が対立しているほうが現在の保守的な立場に立つアメリカにとって好都合かもしれません。ただ、前のメディアの反応で紹介したよに、アメリカ国内でも、日中対立はアメリカの国益からも好ましくないという議論もあります。ただ、今回の筆者はアジア・クラブで中国を排斥するほうが、アメリカにとって好ましいとの判断があるようです。

やや粗っぽい紹介になりました。問題は、こうした知日派論者がアメリカ政府に対して情報と分析を提供しているのです。その実際的な影響力は分かりませんが、無視できない議論だと思います。筆者が主張するように、“普通”の国になった日本が再び森田、石原のように「Noといえる日本」になっているかもしれません。本当に安倍首相の考える“日本の形”ができあがったとき、日本の“本当の姿”はどうなっているのでしょうか?

PS:
韓国の潘氏が国連事務総長に選ばれそうです。日本政府の国連安全保障理事会常任理事国入りの熱意も、小泉政権の終焉とともに消えてなくなりそうです。国連総会に総理も外務大臣も出席しませんでした。本当に日本の国際的なプレゼンスを高めたいと思うのであれば、日本人の総長を誕生させるほうがよほど効果的だったでしょう。しかし、残念ながら、日本にはそれにふさわしい人物が見当たらないようです。緒方貞子さんが国連難民高等弁務官を務めましたが、彼女が国際社会に与えた影響は非常に大きなものであり、日本人に対する認識を改めさせる効果があったのではないかと思います(蛇足ですが大学時代、彼女の外交史のクラスを取ったことがあります)。翻って考えれば、安保理常任理事国入りの現を抜かしたりせず、事務総長のポストを手に入れたほうがよほど日本にとって良かったのではないかと思います。でも、その要職に耐える日本人がいるのかな・・・

PS2:
読者の方から次の指摘がありました。

「日本が事務総長を輩出する意欲に欠けるのは
なぜか、との問いが提出されていましたが、素人の
私は新聞報道などで「事務総長は、先進主要国以外
から出す」という慣例があるとの情報に接しており、
「あれ?」と思いました」

国連事務総長の件、私の事実確認が十分でなかったようです。陳謝します。

これに関連して蛇足ですが、世界銀行総裁はアメリカ、国際通貨基金の専務理事はヨーロッパから選出するという慣行があります。以前、IMFの専務理事を日本から出そうという動きがありましたが、欧米の既得権を打ち破ることができなかったことがあります。

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