中岡望の目からウロコのアメリカ

2004/11/7 日曜日

大統領選挙とネオコン(2)

Filed under: - nakaoka @ 1:21

昨日中に「大統領選挙とネオコン(2)」をアップするつもりでした。しかし、某月刊誌の編集長と飲みに出かけ、お酒を鯨飲し、完全に酔ってしまいました。また、大いに議論をしたため朝、起きたら喉が痛く、体調不全で、原稿を書くエネルギーがありませんでした。というわけで、若干遅れてのアップです。議論を進めるまえに、重複するかもしれませんが、ネオコンとブッシュ政権の関係を整理しておきます。

まず、9月11日の連続テロ事件以降、ブッシュ政権は「一国主義(unilateralism)」の傾向を強め、テロに対する戦いとしてアフガニスタンに侵攻し、さらにイラクとフセイン政権がテロリストを支援し、大量破壊兵器を保有しているとの理由からイラク戦争を始めます。そうしたブッシュ政権の外交政策の変更をリードし、同政権の外交政策を乗っ取ったのがネオコンといわれるグループであると言われています。そして、今回の大統領選挙はイラク戦争の是非を巡る選挙であると同時に、間接的にはネオコンの思想のレファレンダム(referendum:国民投票)であるという面も持っていたのです。ここで紹介するテッド・リンドバーグは「ケリーは選挙をネオコンのリレファンレンダムにしようとしている」と指摘しています。すなわち、ネオコンの思想に依拠したアメリカの安全保障政策を問う選挙だったというのです。以上を前提に、以下に彼の議論を紹介しながら、アメリカの安全保障政策の問題を説明してみたいと思います。「ですます調」の文章は私のコメントで、「である調」はリンドバーグの主張の要約です。

ネオコンの批判者は、連続テロ事件以降、国防総省と副大統領室の一部のグループと週刊誌『ザ・ウィークリー・スタンダード』の寄稿者がアメリカの外交政策を乗っ取ったと批判している。ネオコンたちは「アメリカのイメージで世界を作り変えるために破壊的で不必要な試みを行なわせようとしている」と批判している。イラク戦争での失敗は、ネオコンの政策が有効でないことを証明している。すなわち、「先制攻撃」「軍事力への信頼」「アメリカ的民主主義の普及」という考えは否定されたとも批判している。大統領選挙でブッシュ候補が敗北することは、国民がネオコン的な思想を否認したことになる。リンドバーグは、以上のように選挙と外交政策の関係を要約しています。(1)で説明したように、ネオコンはブッシュ候補の勝利を確信しているようには思われません。今回の大統領選挙をリフレンダムにするというのはケリー候補の主張であって、ブッシュ・サイドあるいはネオコン・サイドから出た議論ではないと指摘しています。そして、「今回の選挙は、新しい安全保障政策の原理を問う選挙ではなく、誰がその原理を実行するのに優れているかを選ぶ選挙である」と指摘しています。そして、アメリカの新しい安全保障政策(すなわち”ブッシュ・ドクトリン”)は、どの候補が当選しようが、アメリカの今後50年間の基本政策であることに変わりはないと述べています。これでは何のことか理解できないので、もっと彼の議論に耳を傾けてみましょう。

新しい安全保障政策は冷戦後の世界情勢に対する認識から始まったというのが彼の主張です。クリントン政権以降、世界の安全保障を巡る環境に2つの大きな変化が起こった。それまでの東西冷戦という構造が崩れ、アメリカの軍事的優位が圧倒的になる。冷戦後のアメリカの安全保障に関する考え方はブッシュ政権(父親)の時に国防総省にいたポール・ウォルフィッツ(現国防副長官)などが検討を加えていた。その研究レポートは、同政権の最後のリークされ、物議をかもした。その研究の中にはフセイン政権の排除や中東の民主化などが主張されていました。ただ、ブッシュ大統領は、そのレポートで主張されている政策を採用しませんでした。その中で、ブッシュ政権(息子)の外交政策の基本となる考え方が示されている。その考えは、冷戦後のアメリカの国際的な立場をどう考えるか、アメリカが国際的な安全保障の責任をどう果たしていくかに対する認識から生まれたものである。その考え方の基本に「一国主義」があっったのです。「一国主義」は連続テロ事件以前から、保守派の政治思想の中心におかれていたのです。それが、クリントン政権が認めた「京都議定書」の拒否であったり、「AMB条約」の破棄であったり、「国際犯罪法廷」の拒否という形で具体化してきた。このことは、「一国主義」は、アメリカの世界の安全保障に対する責任という美しい言葉と同時に、アメリカの利権の保護という意味合いも持っていることが分かります。そして、リンドバーグは続けます。こうした新しい考え方を構築する際に、ネオコンと呼ばれるグループが果たした役割は大きかった。ネオコンは、自分たちの思想が影響力を持つことを求め、そして影響力を手に入れたのである。今、ネオコンは”モンスター”のように見なされ、批判されているが、ネオコンはこうした新しい思想の構築に貢献したことを誇りに思うべきであると、彼は主張する。一時、ネオコンの影響力は絶大だと見られていました。しかし、イラク戦争の”失敗”でネオコンあるいはネオコン的思想は批判されるようになってきています。そうしたことに対して、彼は、ネオコンの思想は、アメリカの外交政策、安全保障政策の基本を作ったものであり、それはブッシュが再選されようが、ケリーが当選しようが、変わるものではないと主張しています。彼の言っていることを理解するには、もう少し説明が必要かもしれませんね。

まず整理しておきます。アメリカの「一国主義」という考え方は、冷戦後のアメリカの国際的な位置づけから始まったものです。それはアメリカの圧倒的な軍事力を維持することが重要であるという考えとも結びついています。「一国主義」が具体的な政策の形を取るのは、2002年にホワイハウスが発表した「2002年アメリカの安全保障」のなかです。これによって、ウォルフォウィッツなどが主張していた考えが具体的な政策になるのです。そして、リンドバーグは、先に触れたように、「2002年アメリカの安全保障」が、今後50年間のアメリカの外交政策、安全保障政策の基礎になると主張しています。では、具体的にどのような政策が、そのレポートの中に織り込まれているのでしょうか。リンドバーグは4つの点を指摘しています。まず、アメリカは世界での軍事的な優位を維持するために必要なことはすべて行なうべきである。すなわち、他の国がアメリカに対して軍事的に競合することを防ぐような政策を取るべきである。2つ目は、テロリスト支援国家の体制を転換させることで、テロリストの行動を阻止すべきである。3つ目は、テロリストと大量破壊兵器が睦びついたとき、その危険性は計り知れない。したがって、脅威が現実のものとなる前に先制攻撃を加えるべきである。4つ目は、民主主義は安全保障を維持する最善の方法である。したがって、アメリカは世界の民主化の先頭に立つべきである。こうした政策は、繰り返しますが、”ブッシュ・ドクトリン”と呼ばれています。まさに、アメリカのイラク戦争は、ブッシュ・ドクトリンに依拠して行なわれているのです。

すこし長くなりました。今回は、ここで終わり、「大統領選挙とネオコン(3)」で、さらに議論と分析を続けます。ご期待ください。なお、時間的な余裕があれば、「2002年アメリカの安全保障」の抄訳を掲載することも考えています。

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