中岡望の目からウロコのアメリカ

2007/2/22 木曜日

チェイニー米副大統領とは何者か?:今回の訪日の背景とブッシュ政権内での同副大統領の影響力を評価する

Filed under: - nakaoka @ 1:44

アメリカのチェイニー副大統領が20日、来日しました。21日に安倍首相と会談しました。新聞報道では日本が同盟国アメリカのイラク政策を支持する一方で、アメリカは日本政府の“拉致問題”解決を支持するというエールの交換に終始したようです。20日、イギリスのBBC放送は次のような報道をしています。「ブレア首相は数週間以内にイギリス軍1500名をイラクから撤退させるという新しいタイム・スケジュールを発表した。BBCは、もしイラク南部で治安維持が十分確保されれば2007年末までに約3000名のイギリス軍を同地域から撤退させるとブレア首相は議会で表明するという政府高官の発言を紹介している。現在、イギリス軍はイラクに約7000名の兵を派遣している」。アメリカの最大の同盟国イギリスも撤退姿勢になりつつあります。イギリスと並んでイラク戦争支持の姿勢を維持しているのは、日本とオーストラリアです。今回のチェイニー歴訪は、なんとしても日本とオーストラリアの支持を確実なものにすることにあるのは明白なようです。チェイニー副大統領はアメリカ史上、最も力のある副大統領であると言われています。従来、副大統領は飾りもので、大統領とはあまり仲が良くないというのが普通でした。しかし、チェイニー副大統領はブッシュ大統領の最大の盟友で、依然として隠然たる影響力を維持しています。しかし、彼を次期大統領に推す声はまったくと言って良いほど聞こえて来ません。今回は、チェイニー副大統領の今回の歴訪の狙いと人物紹介をしてみます。

チェイニー米副大統領は19日から27日までの一週間、日本、オーストラリア、グアムを歴訪しています。19日にワシントンを発ち、日本には20日から23日までの3日間滞在する予定です。21日に安倍首相と会談しました。以下、今回の歴訪の狙い、チェイニー副大統領の人物と同夫人に関する情報、ブッシュ政権の中での立場、ネオコンとのかかわり、現在の政治的立場に関して書いてみます。

今回の訪問の目的

ホワイトハウスはチェイニー歴訪に関して、次のような発表をしています:「副大統領は2月19日から1週間、日本とオーストラリアを訪問する。同副大統領は安倍晋三首相とジョン・ハワード豪首相に会い、アジアにおける相互安全保障の問題、テロに対する国際的な戦いを含む共通な課題について議論する。大統領は副大統領にイラクとアフガニスタンに対する両国の協力に感謝の意を伝えるように要請した。この点に関して、副大統領は日本の自衛隊とオーストラリア軍に対しても感謝の意を表することになる。さらに副大統領はグアム滞在中の米軍も訪問する」

これに対してオーストラリアの新聞(UBN News)はハワード首相の以下のコメントを紹介しています:「チェイニー副大統領の来豪はアメリカとオーストラリアの関係を強化し、地域の安全保障問題やアフガニスタン、イラク、テロリスムとの戦いといった主要な国際的な問題について協議する重要な機会である。米豪同盟は両国にとって永続的な重要性を持ち、国際的な安全保障に寄与している。オーストラリアとアメリカは共通な目標に向かって共に協力を継続する。両国は、テロリスムと戦い、国際的な環境問題に取り組み、エネルギー安全保障を強化し、大量破壊兵器の拡散を阻止し、開放的な国際的な経済秩序を促進するために、密接に協力を続けている」。なおチェイニー副大統領の前回の訪日は2004年4月です。チェイニー副大統領が来日する前に、共同通信は日本政府筋の情報として「チェイニー副大統領は両国の同盟関係を強化し、北朝鮮の核問題、北朝鮮による拉致問題について意見交換すると予想される」と伝えています。安倍・チェイニー会談で、安倍首相はハワード豪首相と同様、“日米の同盟関係”の重要性を語っています。

また、グアムの地元メディアは次のように伝えています。「チェイニー副大統領の今回の歴訪のアジェンダ(課題)は秘密にされている。グアム滞在中に副大統領に会う機会があるのかとフレキス・カマチョ・グアム知事に聞いたところ、“アメリカ政府発表以上のことは知らない。アメリカ政府から連絡を受けていない”と答えた」。グアム訪問は、沖縄の米軍移転の問題もあり、グアム駐在の米軍指導者との話し合いが必要なのかもしれません。

チェイニー副大統領の経歴、人物論

では、チェイニー副大統領とはどんな人物なのでしょうか。誕生日は1941年1月30日です。彼の父親は農務省の役人で強硬は保守派であったと言われています。同副大統領はエール大学に入学したのですが、学業不振で故郷に帰り、地元の電力会社で働いています。その後、地元のコミュニティ・カレッジに入学、さらにワイオミング大学に転入しています。決して優秀なエリートではなかったようです。同大学で政治学の学士号と修士号を取得しています。ベトナム戦争を支持していましたが、同副大統領は5年間の徴兵猶予を得て、ベトナム戦争には従軍していません。同副大統領の宗教はUnited Methodist Churchです。

彼の政治的キャリアは次のとおりです。1969年にニクソン政権の時、ラムズフェルドの下でインターンとして政府で仕事をしています。チェイニーとラムズフェルトはブッシュ政権で副大統領と国防長官と立場は逆転しましたが、80年代までラムズフェルドはチェイニーよりも常に高い地位にいました。その後、ホワイトハウスで幾つかの下級のポストを経験し、フォード政権のときラムズフェルドがフォード大統領の首席補佐官に就任し、彼はチェイニーと協力して競争相手を引き摺り下ろして、一緒に地位を昇り続ける。そのときの権力闘争は“閣内クーデター”とさえ言われました。そのときフォード政権から排除されたのはジェームズ・シュレジンジャー国防長官、ネルソン・ロックフェラー副大統領、キッシンジャー補佐官などです。その“クーデター”後、ラムズフェルトは国防長官に就任し、チェイニーは大統領首席補佐官に任命されました。このころ、チェイニーとラムズフェルトは後に大統領になるジョージ・H・W・ブッシュ(現大統領の父)と密接な関係を作り上げています。チェイニーは、1976年のフォード大統領の大統領選挙の責任者になりますが、フォードは大統領選挙でカーター民主党候補に敗北を喫します。その結果、チェイニーは野に下ることになります。

チェイニーを政治家として飛躍させたのは、議会でのキャリアでした。1978年にワイオミング州から立候補して下院議員に当選します。それを足場に共和党内で力を蓄えていきます。1981年から87年に共和党政策委員会の議長を務めています。1989年まで下院議員として5回当選しています。議員在籍中、ワイオミング州の石油、石炭産業の代弁者でもありました。1989年から93年までブッシュ大統領(父)の国防長官を務めています。チェイーはブッシュ大統領の国防長官のファースト・チョイスではありませんでした。最初、ブッシュ大統領はジョン・タワー上院議員(テキサス州選出)を国防長官に指名しますが、議会の承認が得られませんでした。そこにブレント・スコウクロフト(フォード政権の安全保障担当補佐官)がチェイニーを国防長官に推挙します。議会共和党との密接な関係を背景にブッシュ政権内で影響力を増していきました。ちなみにブッシュ(父)も、大統領に就任する前は共和党全国委員会委員長の座にあり、共和党内では大きな力を持っていました。また、チェイニーは国防長官として「湾岸戦争」を指揮しています。しかし、チェイニー国防長官は、連合軍のバグダッドに侵攻してサダムフセインを排除する提案に反対しています。そのとき、彼は「アメリカはイラク統治に伴う責任を負い、アメリカ軍の人的被害を受け入れる準備があるとは思わない」と語っています。これは後にブッシュ政権(息子)の副大統領になって積極的にフセイン排除に動くのとは対照的です。そうしたイラクに対する姿勢の変化は、共和党が野党であった90年代にネオコンの影響を受けたためだと想像されます。

ブッシュ大統領(父)は1992年の選挙でクリントン候補に敗北し、民間にポストを得ます。最初は、保守系シンクタンクのアメリカン・エンタープライズ・インスチチュートに所属していました。さらに1995年から2000年まで、米軍に対するサービスを提供(営舎の建設や食糧の供給など)する企業ハリバートン社の会長兼CEO(最高経営責任者)に就任しています。元国防長官ですから、完全なる“天下り”です。事実、チェイニーがハリバートン社のCEOに就任してから、同社の売上は急激に増えています。当然、受注に際して元国防長官の地位と影響力を行使したためと見られています。それが、彼の胡散臭さの大きな原因となっています。なお副大統領就任後も、当然のことながら、同社の売上は増え、チェイニー副大統領とハリバートン社の“密接な関係”が常にメディアで問題となっています。

チェイニー副大統領は、いわゆるブッシュ一家とは極めて近い関係にあります。ブッシュ(父)とは既に述べたように極めて近い存在でしたし、ブッシュ政権では閣僚も務めています。2000年にブッシュ選挙委員会でチェイニーは「副大統領サーチ委員会」の委員長に就任します。副大統領を探す立場にいた彼が、副大統領に就任したのですから、やや奇妙な感じがします。チェイニーは、ブッシュ大統領のファースト・チョイスではなかったと言われています。しかし、最終的にブッシュはチェイニーを副大統領候補に指名しました。アメリカ政府では副大統領の実質的な地位は極めて低いのです。多くの場合、大統領と不仲な副大統領が多くみられ、副大統領は政策過程から排除されることが多かった。しかし、チェイニー副大統領は、“歴史上最も強力な副大統領”と呼ばれるように、ブッシュ政権の中で隠然たる勢力を持ち、政策決定に重要な役割を果たしています。エネルギー問題では、自らのエネルギー企業との関係を背景に、「国家エネルギー政策策定委員会」を指示し、リベラル派からエネルギー企業よりの政策を批判された。議員時代からエネルギー産業の利益の代弁者でしたから、当然の動きでしょう。また、エンロンとの密接なつながりも問題化されました。なお2002年6月29日、ブッシュ大統領が大腸内視鏡調査を受けた際、大統領代理を務めています。同日11時9分から13時24分までチェイニー副大統領は「大統領」の地位に就いたのです。過去、大統領代理を務めた副大統領は二人しかいません。

チェイニー夫人に関して

チェイニー夫人の結婚前の名前はリン・ヴィンセント(Lynne Vincent)です。チェイニーとは14歳で出会い、高校時代の恋人でした。同夫人は1986年から96年まで「the National Endowment of the Humanities(国立文化財団)」の理事長を務めています。同基金は、研究者に研究助成金を提供する財団です。また、チェイニーと同様にアメリカン・エンタープライズ・インスティチュートに所属し、教育問題などで研究活動を行なっています。ブッシュが大統領選挙で当選する前から、同夫人を教育長官に推す声があったほど、教育問題では著名でした。

同夫人はコロラド大学で学士号と修士号を取得しています。またウィスコンシン大学で19世紀のイギリス文学を専攻し、博士号を取得しています。公職としては、先に指摘した国立文化財団に加え、ロッキード・マーチンの取締役、ユニオン・パシフィック・リソーシーズ・グループの取締役、アメリカン・エクスプレスIDSファンドのディレクターなどの要職に就いています。

家族構成は、二人の娘がいます。孫は5人。長女のElizabethは、現在中東担当の国務次官補代理を務めています。夫は国土安全保障省の弁護士です。次女Mary は「Republican Unity Coalition (共和党統一連合)」の理事を務めています。なおMaryは同性愛者で、最近、妊娠が明らかになりました。保守派のチェイニー副大統領にとって、娘が保守派や宗教右派が批判する同性愛であることは当惑する事実です。2004年の大統領選挙で民主党候補がその事実に触れ、問題となったことがあります。その際、チェイニー副大統領は「同性婚」について「それは個人の問題である」と強硬派の保守派と一線を画す発言を行なっています。また娘の同性愛も、個人的な事柄であり、それを公的な場で指摘するのは不適当であると猛烈に反発しています。

チェイニー副大統領の閣内での影響力と思想

チェイニー副大統領は、ブッシュ政権内で最も影響力を持つといわれています。特に「副大統領オフィス」には若手で強硬派のスタッフを多く抱え、積極的に政策立案に関わっています。元々、ネオコンとは思想的に異なりますが、90年代にハリバートン社の会長を務めているときラムズフェルドと一緒にウィリアム・クリストル(彼はネオコンの父と言われるアービング・クリストルの息子で、現在はネオコンの雑誌The Weekly Standardの編集長)などネオコンを代表する人物と密接な関係を作り上げています。ネオコンがイラク戦争を含む中東政策を立案した「Project for New American Century」の設立に際して資金援助をしています。また、第一期ブッシュ政権では盟友のラムズフェルドを国防長官、ネオコンのウフォルオウィッツを国防副長官、同じくネオコンのダグラス・フェイスを国防副長官に任命し、アフガン戦争、イラク戦争など安全保障政策をリードしています。湾岸戦争のときは国防長官として迅速な軍の撤収とサダムフセイン排除を否定しましたが、イラク戦争では逆の立場を取っています。その変化は90年代のネオコンとの接近が理由かもしれません。また、スコウクロフトは「チェイニーはネオコンではない。しかし湾岸戦争でアメリカは失敗したと考えるネオコンと組んだ」と指摘しています。

チェイニー副大統領はネオコンというよりは、共和党主流派の保守強硬派に属していると理解すべきでしょう。フォード政権のとき、先に触れたようにキッシンジャー国務長官の“デタント政策”にラムズフェルドと一緒に反発しています。そして、フォード政権内で一種のクーデターを起こし、“現実派”の外交政策を拒絶しています。

ブッシュ政権内ではネオコンの論者を味方につけ、外交政策をリードしました。閣内でウフォルオウィィッツ国防長官やルイス・リビー(現在、情報漏洩で裁判に掛けられている)と連合を組みましたが、現在では、第一期ブッシュ政権で影響力を行使したネオコンや強硬派の大半は閣外に去っています。第二期ブッシュ政権初期にチェイニー副大統領の影響力はさらに強まったといわれています。非ネオコンの側近であるライク国務長官、ハドレーの安全保障担当補佐官への首席補佐官が、チェイニー副大統領の立場をさらに強化したといわれています。

チェイニーの影響力の行方

しかし、最近のチェイニー副大統領の影響力の低下は顕著です。側近のリビーの失脚や友人を誤射して死亡(陳謝:コメントで指摘されたように死亡にはいたっていません)に至らしめたり、健康問題(心臓疾患)があったりして、以前ほどの勢いは感じられません。2004年の大統領選挙でも動きは鈍く、投票日に狩りに行っていたなど目だった活躍はみられませんでした。通常、2008年の大統領選挙ではチェイニーを大統領候補に推す声があっても不思議ではないのですが、ほとんど彼を大統領に推挙する声は聞かれません。

1月12日付けの「ワシントン・ポスト」紙は「Cheney Enters the Twilight of His Career(チェイニーは経歴の黄昏の段階に入っている)」と題する記事を掲載しています。内容は以下の通りです。「チェイニー副大統領と協力してイラク戦争を推し進めた強硬派の保守主義者であるラムズフェルド国防長官、ボルトン国連大使と一人ずつ去っていく。チェイニーはキャリアの黄昏の中にいるが、まだ生き残っている。しかし彼のブッシュ大統領に対する影響力の低下を示す証拠はない」と書いています。さらに「ブッシュのイラクへの増派、超党派のイラク研究グループの勧告への反対はチェイニーの見解を反映したものである」と続けている。しかし、その一方で、リビー裁判で苦しい立場に立っていることも指摘しています。世論調査でのブッシュ支持率の低下は著しいのですが、チェイニーの支持率はさらに低くなっています。しかし、こうした状況にもかかわらず、「ブッシュ大統領とチェイニー副大統領の関係は極めて良好である」と言われています。大統領と副大統領が政策を決定するパターンは変わっていないようです。昨年、11月にチェイニー副大統領はサウジアラビアを訪れ、イスラエル・パレスチナ問題を議論しています。同紙は「チェイニーは舞台裏のオーガナイザーという最初の役割に戻りつつある」という共和党内部の声を紹介しています。

2件のコメント »

  1. >友人を誤射して死亡に至らしめたり、
    誰のことですか?
    ウズラ狩りで友人を撃ってしまった件ならば、彼は数日後に退院しています。
    これでジャーナリスト?聞いて呆れます。
    アメリカ大使館から抗議が来ないとよいですね。
    調べものが苦手なようなので資料を。
    http://en.wikipedia.org/wiki/Dick_Cheney
    >Whittington was discharged from the hospital on February 17, 2006
    dischargeを辞書で引くぐらいは、ご自分で。

    コメント by luxon — 2007年2月22日 @ 11:43

  2. 07/02/20のチェイニー米副大統領訪日の目的
    今月のチェイニー副大統領の訪日の目的は日米同盟の再確認と補強と言われていますが、これでは単なる外交辞令であり、なんの意味もありません。実際の彼の訪日の目的は安倍政権との北朝鮮問題での取引ではないかと考えています。
    再確認と補強と言う以上、日米関係に亀裂が走ったことは間違いありません。言うまでもなく六カ国協議でのアメリカの対北朝鮮政策の転換にようる日本の置いてきぼりです。安倍政権にとって、それがいかにショックであったかは、その後の麻生外相や久間国防相の異常とも言える発言(それは単なる閣僚の個人的発言ではなく、安倍内閣そのもの意思であることは誰の目にも明らかです。)がそのことを示しています。拉致問題を唯一支持率の支えとする安倍政権にとって、かくもあからさまに対北朝鮮融和に転換されたのでは、たまったものはありません。
    しかしブッシュ政権としては中東問題の解決を迫られている以上、選択の余地はありません。結局アメリカは安倍政権に対北朝鮮政策への協力を押し付けるでしょう。それは、安倍首相がチェイニーとの会談で、アメリカが北朝鮮をテロ支援国家のリストから外す条件として拉致問題の解決を前提とすることを要請したが、チェイニーがこれを受け入れたという情報が全く出てこないことからも明らかではないでしょうか。
    その代わりにアメリカは日本になにを与えるかが問題です。チェイニーは拉致問題での協力を口にしたり、横田夫妻に面会したり、リップサービスに懸命ですが、実質上は、それは恐らく、中東戦争への自衛隊の参加をこれ以上要求しないこと、或いは沖縄の普天間基地問題での譲歩等かも知れません。それにしても、安倍政権は自ら招いた拉致問題での世論の硬化を前にして、対北朝鮮政策をアメリカに摺り合わせるのに苦労することでしょう。もっとも安倍にアメリカに対して、けつをまくるだけの度胸があれば別ですが。
    しかしもっと大変なのはブッシュ政権、即ちチェイニーではないでしょうか。今世界中が心配しているように、イラン攻撃に踏み切って、軍事力で中央突破するだけの実力が彼にあるとはとても思えません。とすればブッシュにもチェイニーにも、惨めな退陣しか残された道はありません。

    コメント by 渡辺 修 — 2007年2月25日 @ 01:10

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