中岡望の目からウロコのアメリカ

2007/10/8 月曜日

近くて遠い国・資源大国モンゴル経済の本当の姿

Filed under: - nakaoka @ 16:58

相変わらず多忙な日々が続いています。読者から「最近、ブロクの記事アップが月にすう本に減ってしまいましたね」と言われました。特に7月以降は、そんな状況が続いています。前にも書きましたが、海外での取材が集中してしまいました。8月のノルウエー、モンゴルに続いて9月はアメリカに取材に出かけていました。大学の授業も始まり、知らないうちに時間が経っているという状況です。今回、アップするのはモンゴル報告です。本記事は『週刊東洋経済』(9月29日号)に寄稿した原稿「草原お資源大国・モンゴルの行方」です。アランバートル・フォーラムという会議に出席し、その機会を利用して取材などを行なったものです。モンゴルは、ある意味では日本にとって近くて遠い国です。今、銅をはじめとする鉱物資源を持つ資源国として注目されています。また日本も積極的に政府開発援助(ODA)を提供しています。そのモンゴル経済に何が起こっているかを報告します。

モンゴルの首都ウランバートルは、途上国特有の熱気で満ち溢れている。1990年に共産主義と決別し、この15年間、市場経済に向かって全力で駆け抜けてきた。ウランバートルは、今、建築ブームに沸いている。街を歩いてみると至るところで建築現場を見ることができる。この数年の高度経済成長と2002年6月に成立した「土地私有法」に国民に無償で土地が払い下げられたことで、人々はウランバートルに流れ込んできたため、住宅需要が急速に高まってきた。郊外ででは中層のアパート建設工事が至るとろで見られ、ウランバートルを取り巻く山の中腹まで家並みが広がっている。

また「今までウランバートルにはオフィス用のビルはほとんどなかった」(窪田真一・笹川汎アジア基金上席研究員)ことが、建築ブームに火を付けたのである。現在、ウランバートルには約3000社の民間企業が活動しており、オフィス需要の大幅な増加が見込める。

成長に伴う熱気と同時に社会的インフラが成長に追いつかない現実も見られる。カナダのビクトリア大学のロバート・ベデスキー教授は「今のモンゴルは60年代の韓国のように開発の熱気と貧困が同居する雰囲気が似ている」と言う。急速な成長の一方で貧困が放置され、都市基盤もまだ十分に整備されていない。筆者が泊まったウランバートルの中心地にあるホテルでも日中に何度か断水があった。ウランバートル郊外に出ると道路は舗装されておらず、車は大きく弾みながら進んだ。

アジア経済の中で最も出遅れたモンゴルが、今、その膨大な資源を保有することから脚光を浴び、世界の資源外交の大きな焦点となっている。モンゴルは埋蔵量世界4位を誇る銅鉱山や石炭のほか、ニッケルやモリブデン、タングステン、金といった希少金属、ウラニウムなど数多くの豊富な鉱脈を持っていることから、『アジアン・タイムズ』紙はモンゴルを“21世紀のエル・ドラド(黄金郷)”と呼び、『ワシントン・タイムズ』紙は「新しいアジアン・タイガー」と書いている。

急激な市場経済化を経て高度成長を実現

モンゴルは古くて新しい国である。多くの日本人がモンゴルと聞いて連想するのは、13世紀にモンゴル帝国を建国したジンキス・ハーンであり、ゲルと呼ばれるテントの家であり、壮大な草原で暮らす遊牧民の姿だろう。最近では朝青龍に代表されるモンゴル出身の力士であり、ウランバートルで開催された日朝作業部会かもしれない。モンゴルが急成長を遂げる経済であるというのは、ほとんど知られていないのではない。

モンゴルは重い歴史を背負った国でもある。モンゴル帝国の崩壊後、18世紀に清王朝の支配下に置かれ、過酷な扱いを受けた。その思いを現在でも多くのモンゴル人が心の底に持っており、それが強烈な“嫌中国”感情となっている。ウランバートルで中国について印象を聞くと、多くのモンゴル人が「中国は嫌いだ」と答えたのが印象的であった。

清が滅んだ後、1911年に独立し、24年にモンゴル人民共和国となった。しかし、独立したとはいえ実質的にソビエトの植民地であった。90年にソビエトの崩壊後、民主化が始まり、92年に新憲法を制定し、革命党の一党支配に終止符を打ち、経済は社会主義経済から市場経済への道を歩み始めた。

ソビエト支配下ではモスクワからの借款と支援によってモンゴル経済は支えられていた。貴重な収入源の銅鉱石はカザフスタンに輸出さて、そこで精錬された。ソビエトの巧みな統治によって、モンゴルに銅精錬の技術は蓄積されることはなかった。ソビエト崩壊は、同時に経済的な自立を強いられることであった。モスクワはモンゴルに経済援助を与える余力ななくなった。カザフスタンに輸出した銅鉱石の支払いも滞り、モンゴル経済は極めて厳しい状況に置かれた。モンゴル経済は、極論すれば、銅の輸出と遊牧に依存する“モノカルチャー経済”であった。現在、モンゴルには3400万頭の羊やヤギ、牛などが放牧されている。

社会主義体制から市場経済への移行は、アメリカ主導で行われた。アメリカ人の学者が政府顧問として開放自由化政策の立案に携わり、アメリカ政府の意向を汲んだIMF(国際通貨基金)と世界銀行がモンゴル経済に深く関与するようになった。アメリカのネオリベラリズムが一気にモンゴル経済を覆い尽くした。

筆者の知人のモンゴル人は「市場経済への急激な移行でウランバートルと地方、またウランバートルの人々の間で貧富の格差が拡大した」と語っていた。モンゴルの一人当たりのGDPはと2100ドル(購買力平価で換算、06年CIA統計)で、世界138位と極めて貧しい。

そうした犠牲を払ってモンゴル経済は、市場経済移行の苦しみを経て95年から本格的な回復に向かっていく。04年の経済成長は10%を超え、06年には8・4%の高成長を実現すると同時に始めて貿易収支の黒字化(3960万ドル)を実現したのである。輸出は前年比で約44%も増えた。こうした輸出増加は、銅などの鉱物の世界的な需要の増加と市況上昇によってもたらされた。

鉱物の輸出増加は、財政をも潤す。鉱物はGDPの25%、輸出全体の70%、税収の16%を占めている。一次産品の需要や価格は不安定なものの、鉱物を中心とした輸出主導の成長は当分続きそうである。その最大の理由は、隣に世界最大の消費国中国が存在するからである。さらに銅鉱石の最大の輸出国は、世界最大の銅の消費国である中国である。中国経済が頓挫しない限り、モンゴルは常に安定した需要を保証されているといえる。モンゴル政府は07年の成長率も7%台は確保できると予想している。

モンゴル政府は「2021年国家開発戦略」で、現在1000ドル台の一人当たりGDPを5年後には7000ドル、21年には1万5000ドルまで引き上げる意欲的な計画を打ち出している。

ただ、以前のソビエト依存の経済から現在は実質的に中国依存の経済になりつつある。大量の消費財も中国から流入してきている。現状が続けば、いずれモンゴルは中国経済圏に組み込まれてしまうかもしれない。既に輸出に占める中国の比率は47%を超えており、輸入に占める中国製品の比率は約25%に達している。エンクサイハーン元国連大使は「中国は脅威であると同時に経済発展のモーティベーションを与えてくれる」と言う。一方で根深い“嫌中国”感を持ちながら、巨大な中国経済に飲み込まれてしまうモンゴルの現実が、そこにある。

モンゴルで展開される国際資本の資源争奪競争

モンゴルは世界の資源資本にとって垂涎の的となっている。まだ輸送ルートや水や電力の供給といったインフラはほとんどといって良いほど整備されていない。しかし、国際資本のモンゴルへの資源投資は意欲的である。たとえば、銅の埋蔵量45万トンといわれるオユ・トルゴイ鉱山では、中国の江西銅業がカナダの大手鉱山会社アイバンホーと共同開発の調印を行っている。オユ・トルゴイ鉱山には、イギリスの大手鉱山会社リオ・ティント社も共同出資をしている。またアイバンホーは中国中信集団公司と戦略的提携を結び、モンゴルの資源開発に乗り出している。

ゴビ砂漠にある高品質のコークス用石炭が埋蔵されているタヴァン・トルゴイ鉱山には中国の神華集団が開発に乗り出しており、鉱石搬送ようの鉄道建設計画も発表している。韓国も、モンゴルの資源に興味を示している。07年7月に韓国のコリア・リソーシーズ・ロジスチックス社はウランバートルの南東450キロにある推定埋蔵量5600万トンの石炭鉱山の開発件を取得、今後3年関で1850万ドルの投資計画を発表している。また、モンゴルはソビエトと共同で80年代からウラニウム開発に取り組んでおり、現在、ウラニウムはすべてロシアに輸出されている。そのほかカナダ企業、オーストラリア企業、欧州企業がモンゴルの資源を巡って積極的に動いている。

モンゴルの自然開発に関連して日本企業の名はほとんど出てこない。世銀ウランバートル事務所の開発担当のツメンソングト氏は「日本企業は国際資本と比べると競争力がない」と指摘する。日本の専門家は、「海外の資源会社に太刀打ちできるような人材が日本企業になはいし、国も明確な資源外交政策を持っていない」と指摘する。原因がどうあれ、諸外国は資源の利権を獲得するために猛烈に競いあっているのは事実である。

モンゴルに対する直接投資で見ると、件数、金額ともに中国が一位を占め、二位に韓国が登場する。カナダ、ロシアもモンゴルに対する直接投資は意欲的である。中国は別格としても、韓国の積極的な姿勢が目立つ。ウランバートルの中心地に「ソウル通り」と名づけられた道がある。市街を走る車も韓国製が目につく。百貨店でも韓国家電メーカーの商品製品が多く陳列されている。日本からの企業進出は極めて少ないが、韓国企業は確実にモンゴル市場で地歩を固めているようだ。

だが日本はモンゴルに対する最大の援助国である。91年に始まったモンゴル援助は、有償、無償を含め合計で1400億円に達している。あるODA(政府開発援助)の関係者は「以前、日本がモンゴルにバス60台を寄贈したことがある。そのときは日野のバスだった。しかし二度目に寄贈したときは安いからと韓国の現代自動車のバスを購入して寄贈した」と語ってくれた。同氏は、この状況を“戦略なき経済援助”と言って嘆いていた。

日本の援助比率は着実に低下している。モンゴルは日本が国連安全保障会議の常任理事国入りを賛成してくれる唯一のアジアの国であり、次回の選挙で非常任理事国の立候補権を日本に譲ってくれるほどの“親日国家”である。だが、外交政策でモンゴルをどう位置づけるかという戦略性はまったくないと、多くの専門家は指摘する。日本政府は「日本モンゴル基本行動計画」を策定したり、新空港建設やウランバートル市道路網改善計画など打ち出している。しかし、日本の存在感は薄い。モンゴル人が最も好きな国民は日本ではなく、アメリカなのである。

市場経済への移行は終わり中期的に8%成長は可能
モンゴル産業貿易省顧問・Ch. チルンツェツェグ

モンゴル経済は1990年から計画経済から市場経済への移行を始めたが、移行期は終わった。モンゴル経済は伝統的に鉱業と家畜に依存した農業経済である。銅、石炭、モリブデンなどの鉱物の産出高はGDPの30%を占めている。しかし製造業も着実に成長を遂げている。またモンゴルの主要な輸出製品にカシミア製品がある。モンゴルで最初のカシミア工場は日本の資金や技術支援を得て建設されたものである。モンゴルはWTO(国際貿易機関)の加盟国で貿易の自由化を進めている。

もうひとつのモンゴルの特徴は、隣人に中国、ロシアという巨大市場を持っていることだ。この2大市場を活用することが重要だと考えている。既に中国は最大の輸出国であり、中国の直接投資はトップを占めている。昨年の経済成長は8%を越え、貿易収支も初めて黒字を計上した。これは銅などの国際市況が上昇したことと、需要増加にともなる鉱物の産出高が増えたのが最大の要因である。他の経済指標では失業率は3%程度、インフレ率は6%程度である。今後も8%程度の成長を持続することは可能だと考えている。

鉱業の雇用は多くなく、雇用を増やすには製造業の育成が必要である。昨年、大阪でビジネス・フォーラムを開催し、日本企業との協力を期待している(談)

2件のコメント »

  1. 鉱山大手リオ・ティント社、モンゴルのオユ・トルゴイ・プロジェクトに資本参加…

    鉱山大手のリオ・ティント社が、カナダのアイバンホー・マインズと提携し、資源大国モ……

    トラックバック by 遠い異国の経済情報ブログ — 2008年1月13日 @ 18:19

  2. 中岡望の目からウンコのアメリカ

    コメント by 7777 — 2018年5月29日 @ 00:24

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