中岡望の目からウロコのアメリカ

2007/12/3 月曜日

アメリカ外交を検討する(2)パキスタンの政変とアメリカ政府

Filed under: - nakaoka @ 0:36

現在、私は大学でアメリカの政治思想を教えています。アメリカの民主主義の理念は「独立宣言」と「憲法」の中に現れています。「独立宣言」には「人々は平等に生まれた」と書かれており、「憲法修正条項」の最初の10項をまとめて「権利の章典」と呼んでいます。その中の「修正条項第四条」は「不合理な捜査、押収の禁止」を規定しています。すなわち「人々は身体、家、書類などを確保し、不当な捜査や押収に対抗する権利を有しており、これを犯してはならない」と書かれています。要するに正規の裁判所の手続きを踏まない限り、身体検査や家宅捜査、書類の押収などをしてはならないということです。しかし、現在のブッシュ政権は“テロとの戦い”をいう名目で盗聴を認め、不当な拷問も許容するなど、長い伝統の中で培われてきたアメリカの民主主義を空洞化しています。また、外交政策においては自らの国益を達成するために、独裁政権すら容認する政策を取っています。ブッシュ大統領を”Terror President(恐怖の大統領)”と呼んだりしています。テロとの戦いといえば、誰もが沈黙してしまうのがアメリカのみならず世界的な風潮になっています。しかし、それはより高次な民主主義の理念を踏みにじる根拠にはならないと思います。ここではパキスタンのムシャラフ大統領の独裁とアメリカ政府の対応について書きました。執筆時点は11月16日で、その後の状況の変化がありますが、問題の本質は変わらないと思います。

パキスタンのムシャラフ大統領とアメリカの民主主義の意味

以前、数週間にわたってパキスタンのジャーナリストと一緒にアメリカ国内を旅行したことがある。彼は非常に優秀なジャーナリストであった。仲間だけがいる時は非常に思い切った発言をしていたが、公的な場所に出ると非常に慎重な態度に変わった。そうした変化が不思議で、その理由を聞いてみたところ、「自分の発言はいつも政府によって監視されている」という答えが返ってきた。言論の自由が規制されていることとは、こういうことかと思い知らされたのを鮮明に覚えている。

11月3日にムシャラフ大統領が戒厳令を宣言し、憲法を停止し、最高裁判事など多くの裁判官を拘束したというニュースに接し、パキスタンのジャーナリストのことを思い出した。彼らと一緒に旅行したのは80年代の後半であった。当時、パキスタンは軍政下に置かれていた。それから20年近くたっているが、パキスタンの民主化は遅々として進んでいないようだ。

パキスタンは過去3度、軍政下に置かれている。最初は58年から70年、次が78年から88年、そして99年から現在までである。ムシャラフ大統領は99年のクーデターで政権の座についた人物である。当時、親米派と言われたシャリフ政権を倒して軍事政権を樹立し、現在に至っている。当時、このクーデターはアメリカに反対するものであったと言われていた。いずれにせよ、欧米諸国はクーデターによって成立したムシャラフ政権を好意的には見ていなかった。
だが、2001年9月11日の連続テロ事件以降、情勢は一変した。テロとの戦いを訴えるブッシュ政権は、アルカイダやタリバンとの戦いでパキスタンの協力を求めたのである。ムシャラフ大統領は、それまでの“好ましからざる人物”から一転して“頼れる人物”へと評価が変わっていく。01年以降、アメリカのパキスタンに対する経済援助は100億ドルに達している。その大半がパキスタンの軍事力強化に使われている。

パキスタンはアフガニスタンにおける欧米諸国のテロ討伐作戦にとって不可欠な存在になっていく。タリバンはパキスタン国境地域に基地を置き、アフガニスタンの欧米軍に攻撃を仕掛けていた。またパキスタンはアルカイダなどイスラム過激派の温床になっており、アメリカの要請を受けムシャラフ大統領はそうした勢力の弾圧を推し進めていた。ブッシュ政権にとって、パキスタンは軍事戦略上きわめて重要な存在になっていた。

しかし、今回のムシャラフ大統領の強権発動は、アメリカに大きなショックを与えた。アメリカはパキスタンが民主化を進めていくことを期待していたからである。今回のムシャラフ大統領の措置は、そうしたブッシュ政権の期待に背くものであった。ムシャラフ大統領が戒厳令を宣言する前、ライス国務長官は直接電話でムシャラフ大統領に戒厳令を宣言することを思いとどまるように説得を試みている。しかし、ムシャラフ大統領はそうしたブッシュ政権の要請を無視して、今回の措置を発動したのである。

なぜムシャラフ大統領はアメリカ政府の要請を蹴ってまで強権発動に踏み切ったのか。10月6日に大統領選挙が行われ、ムシャラフ大統領は当選した。しかし最高裁は、彼の大統領就任は憲法違反だとの見解を持っていた。パキスタンの憲法では、公職にあるものは選挙に立候補できないと定められている。今回の場合、ムシャラフ大統領は軍の最高司令官の地位にあり、それは公職に該当することになる。したがって、憲法の規定に従えば、彼の大統領選挙での当選は無効になる。こうした事態に直面したムシャラフ大統領は、最高裁が判決を下す前に戒厳令を宣言する一方で憲法の適用を停止し、最高裁判事を含む多くの裁判官、弁護士を拘束したのである。さらにムシャラフ大統領に反対する人々を5000人も拘束したと言われる。反対派の集会に対しても暴力的に抑えにかかった。要するにムシャラフ大統領は自らの保身のために強引な行動をとったわけである。

こうした事態の転換にブッシュ政権は戸惑いを隠せなかった。ライス国務長官は11月11日のABCテレビの報道番組“ジス・ウィーク”に出演してムシャラフ大統領に対して「速やかに戒厳令を解除すること」を求めた。さらに「ムシャラフ大統領が軍籍を離れ、総選挙を実施することが、パキスタンを民主化する必須条件である」と語っている。ただ、ライス国務長官は「パキスタンはテロと戦う重要な同盟国であり、アメリカは見捨てることはない」と、ムシャラフ政権を排除する意思のないことも明らかにしている。要するにパキスタンの国内情勢が混乱すればテロとの戦いが進まなくなるだけでなく、パキスタン自体が大きな問題となることをブッシュ政権は恐れているのである。

しかし、議会の対応はブッシュ政権とは違っている。たとえばバイデン上院外交委員会委員長は「我々はパキスタンが自国民を抑圧するのではなく、本気でテロと戦っているのか厳しく見ていく必要がある」と、経済援助の見直しを含め、厳しい態度をとることを示唆している。

他方、EUも対応に苦慮している。EUの対外関係委員会のフェレロ・ウォルドナー委員長は「パキスタンに対する経済援助は貧困の撲滅と教育に向けられており、中主するつもりはない」と語り、また欧州会議の指導者は一様に「パキスタンは重要な同盟国である」ことを強調している。アメリカだけでなく、欧州でもパキスタンの民主化よりもテロとの戦いが優先されている。

ただ欧米のムシャラフ大統領批判は厳しく、同大統領も譲歩する姿勢を見せている。まず軍の最高司令官の職を辞する意向を表明している。それによって民間の大統領として憲法の規定に抵触しなくなると主張している。さらに来年1月9日までに総選挙を実施すると発表している。ただ戒厳令解除に関しては明言を避けている。場合によっては総選挙は戒厳令のもとで行われることになる。それはライス国務長官の言う民主化への第一歩とはいえない。

こうした強硬なムシャラフ大統領に対して元首相のブット女史が同大統領の退陣を求めるなど反対運動を積極的に展開している。ただ彼女は決して民主主義の代弁者でないのが、パキスタンの不幸かもしれない。首相在任中、拷問など非民主主義的な政策を取ったことで知られている。本当の民主化に向けた努力ではなく、単なる政争に終わる可能性もある。

注目されるのはパキスタン軍の動きである。治安維持活動を行っているのは警察で、軍は距離を置いている。パキスタン軍は国境地帯でのテロ組織との戦いに不満を抱いているといわれる。ムシャラフ大統領は軍の要職に側近を配して、軍を掌握しているといわれるが、事態の進展によっては思わぬ事態が生じるかもしれない。
ブッシュ政権はなりふり構わず“テロとの戦争”を推し進めているが、その成果は芳しくない。パキスタンにおいても、世論調査ではアメリカに対して好意的と回答した比率は27%に過ぎない。多くのパキスタン国民は「テロとの戦いはアメリカの戦争」であって、自分たちの戦争ではないのである。

ブッシュ政権は、一方で民主化を唱えながら、テロとの戦いというい理由で独裁国家を支援するという矛盾に満ちた選択をしている。また国内でも盗聴など明らかにアメリカの憲法に違反する行為をテロとの戦いを口実に合理化し、捕虜に対する人権も平気で無視している。この7年間、ブッシュ政権はアメリカの民主主義の良き伝統を空洞化させてきた。ミャンマーに対しては即座に制裁を発動して置きながら、ムシャラフ大統領に対しては支持の姿勢を変えることはなかった。アメリカの“大義”と何なのだろうか。

1件のコメント »

  1. アメリカの外交は日本と違ってしたたかですね。

    日本の外交はどうにかならないものでしょうか。

    コメント by 長澤まさみyoutube — 2007年12月12日 @ 11:28

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