中岡望の目からウロコのアメリカ

2008/1/27 日曜日

ブッシュ政権の7年を総括する:失われたアメリカ民主主義への信頼

Filed under: - nakaoka @ 5:54

ブッシュ政権は私たちのアメリカに対するイメージを変えてしまったようです。ブッシュ政権を英語で“Terror Presidency”と表現をすることがあります。「恐怖の大統領」です。総投票数で民主党のゴア候補に負けたにもかかわらず、大統領に就任したブッシュ大統領にとって、その正当性を国民に認めさせることが、おそらく政権発足時の最大の課題だったのではないでしょうか。それを可能にしたのが、9月11日の連続テロ事件です。それを契機にブッシュ大統領は”強い大統領“を売り物に国民の支持を得ます。外交政策は、”テロとの戦い”がスローガンになりました。「テロに襲われたらどうするのか」と恫喝することで諸外国に圧力をかけ続けたのです。誰も「テロに襲われることはない」と反論できないまま、ずるずるとアメリカの外交政策、もっとはっきりいえばブッシュ政権の延命政策に羊のごとく従ったのです。拷問も盗聴もすべてテロ対策を口実に許容されていったのです。しかし、その代償は大きなものでした。多くの国や人々はアメリカの民主主義に対する疑念を抱き始めたのです。さらにアメリカの”一国覇権”の時代は、確実に訪れつつあります。今回は、ブッシュ政権の7年の総括です。元の原稿は『週刊エコノミスト』(2008年1月1日/8日合併号)に寄稿したものです。

ブッシュ政権の任期も余すところ1年を切った。この7年間にブッシュ政権はいったい何をしたのであろうか。“テロとの戦い”を口実にブッシュ政権は国内においては長年培われてきたアメリカの民主主義の空洞化を進め、海外においてはイラク戦争に代表される“帝国主義的な政策”を推し進めてきた。イラク人捕虜に対する拷問、国内における盗聴、徹底した秘密主義は、内外においてアメリカの“偉大さ”に対する懐疑を呼び起こしてきた。ネオリベラリズムを思想的な原動力にし、金融界の圧倒的な力を背景にアメリカ主導で進めてきたグローバリゼーションも、世界経済の不均衡拡大の前に陰りも見え始めている。
 
ブッシュ政権の下でアメリカは孤立しつつあるのは間違いない。ドイツの週刊誌『シュピーゲル』は「アメリカはどれだけ危険なのか」(11月20日号)と題する刺激的な記事を掲載している。その中で「この地球上でブッシュにもっとアメリカを必要とするというメッセージを送る人は誰もいない」と、ブッシュのアメリカの孤立ぶりを表現している。そして「現在、ブッシュは吠えるけど、噛み付くことのできない犬である」という刺激的な言葉でブッシュ政権の置かれている立場を説明している。

この7年間、ブッシュ政権は何をしたのであろうか。ジョセフ・スティグリッツ・プリンストン大学教授は『ヴァニテフィ・フェア』(12月号)に「ブッシュ大統領の経済的な結果」と題する長文のエッセイを寄稿している。その中でブッシュ政権は7年の間に財政赤字は就任時よりも70%も増大し、貿易赤字も史上最大に膨れ上がり、ドル安と原油だかを招いたと指摘している。

そして何よりも不平等は拡大し、「ブッシュ政権が成立したときと比べ貧困の中で生活している人は530万人も増え、アメリカの階級構造はブラジルやメキシコと同じ状況に近づいている」と、ネオリベラリズムに基づく市場原理主義が招いた現実を説明している。さらに「ブッシュ大統領は多国主義を覆し、アメリカ支配のシステムに置き換えようとしてきた。しかし、ブッシュ大統領は最終的にアメリカ支配を世界に押し付けることに失敗した」とブッシュ政権の外交政策を批判している。その結果、「アメリカは最も嫌われる国になった」と、スティグリッツ教授はブッシュ政権の政策を厳しく評価している。

アメリカ支配の構図を崩す一つの出来事があった。12月9日、ブラジル、ベネズエラ、パラグアイなど南米7カ国の首脳が「ザ・バンク・オブ・ザ・サウス」設立の調印を行ったのである。同行設立の目的は世界銀行と同じ南アメリカの地域開発のための資金を供与することである。しかし、その意味は単に地域開発のために銀行を設立したに留まらない。調印に参加したエクアドルのラファエル・コレア大統領は「同行設立は私たちの金融的独立を達成するためである。また金融危機に際して支援を行うために独自の基金を設立する」と、その本当の狙いを語っている。

すなわちアメリカは“ワシントン・コンセンサス”という枠組みの中で財務省とIMF、世界銀行を一体化させることでネオリベラルの経済政策を各国に強いてきた。経済危機に瀕した国が金融支援を求めると、IMFや世銀は厳しい条件を課し、アメリカの支配力を強化してきた。97年のアジア金融危機に際して日本は“宮沢構想”を打ち上げ、アジア独自の基金の設立を目指したことがあった。しかし、それはアメリカから激しい反対に直面し、政府はその構想を断念したことがあった。今回の南米7カ国による独自の銀行設立は、明らかに“ワシントン・コンセンサス”に対する挑戦であり、アメリカ支配の構造の一端が崩れ始めた兆候ともいえる。

正当性を失ったアメリカ外交

12月3日、国家情報会議が「国家情報評価報告書」を発表した。この「イラン・核兵器開発の意図と可能性」と題する報告書は「私たちはイランが2003年から核兵器プログラムを中止していることを極めて高い信頼度を持って判断できる」と指摘している。ブッシュ政権が“悪の枢軸”としてイラクを批判し続け、核兵器開発を阻止するために爆撃も辞さないと主張していたが、その根拠がアメリカ政府の報告書によって崩れたのである。さらにブッシュ政権の信頼性を損ねたのは、同報告書の内容は8月の段階でブッシュ大統領に報告されているという事実が明らかになったことだ。

そうした情報にもかかわらず、ブッシュ大統領は9月にイラクに対して単独で制裁を課しているのである。さらに10月の段階でも、ブッシュ大統領は“第3次世界大戦”さえ辞さないという強硬な発言を繰り返していた。実は7月の段階でブッシュ大統領はイラン爆撃を推し進めようとして軍の反対にあったと、アメリカのジャーナリストのセイモア・ハッシュは指摘している。

イラク戦争は、サダム・フセイン大統領が大量破壊兵器を開発しているというのが根拠で始まった。だが、最終的に大量破壊兵器を開発していた事実は確認されなかった。イラン問題でも、ブッシュ政権は同じような議論を行っていた。報告書を受けて行われた記者会見でブッシュ大統領は「イランは危険な存在であった。イランは危険な存在である。イランは核兵器を製造するのに必要な情報を入手したら危険な存在になるだろう」と、強弁とも思われるイラン敵視の発言を繰り返している。

こうしたブッシュ政権の行動や発言によって、アメリカは国際的な支持を失いつつある。その端的な例が、11月24日に行われたオーストラリアの総選挙の結果であろう。親米派で知られていた現職の首相であるハワードが率いる自由党と国民党の保守連合が、ラッドが党首の労働党に敗北したのである。これによって労働党政権が成立したのである。今回の保守連合の敗北は、親ブッシュ路線にあることは間違いない。ラッド新首相はイランからの撤兵を主張していた。ブレア前英首相、ベルルスコーニ前伊首相に続き、ハワードの退陣によってイラク戦争を積極的に支持してきた指導者はすべて表舞台から去ったのである。

それと同時に政策綱領の中で「企業の社会的責任」や「公平と平等」などを掲げていた。これはネオリベラルの市場原理主義とは一線を画すものである。ここでもブッシュ路線は後退を強いられたといえよう。おそらく日本の安倍政権の挫折も、改革疲れが大きな要因となったのは間違いないだろう。世界の潮流は、わずかではあるが確実に変わりつつあるのかもしれない。

新しい冷戦の始まりへ

もうひとつ国際政治で新しい潮流が見られ始めている。それはロシアの復権である。アメリカの保守派の論客のディミトリ・シムズは「フォリン・アフェアーズ」(11月/12月号)に寄稿した「ロシアを失う」と題する論文の中で、アメリカはロシアを敗戦国ドイツと日本と同じ敗戦国と考える傾向があると指摘している。しかし、ロシアは戦争で負けたわけでもないし、領土が占領されたわけでもない。「ロシアは敗北したのではなく自ら転換した」と、同氏は指摘する。ただ転換の犠牲は大きく、ロシアは自信を喪失していた。そのロシアがプーチン体制のもとで、原油高に支えられているとはいえ、社会的安定と経済的繁栄を享受し始め、次第に自信を回復しているのである。それがアメリカの覇権に対する挑戦となって次第に顔を現しつつある。

最近、ロシアの自己主張を示す小さな出来事があった。12月12日、ロシア外務省はウラル山脈より西側に配備する通常戦力の上限を定めたヨーロッパ通常戦力条約の履行を停止すると発表した。これはアメリカのミサイル防衛計画に対する対抗措置である。さらにプーチン大統領は中距離核戦力全廃条約からの離脱の可能性を示唆するなど、冷戦終了後のアメリカ一国主義的な国際情勢に微妙な変化が出始めている。ロシアは経済成長を背景に中央アジア諸国との連携強化を進めている。中国などを含めた「上海条約機構」は、その具体的な動きのひとつである。

自由貿易の見直し論も台頭

大国の条件は「経済力」と「軍事力」それに「思想」である。既に述べたようにネオリベラリズムという「思想」は、大きな挑戦を受けている。「経済力」にも大きな陰りが見られる。サブプライム・ローン危機でアメリカ経済の減速は避けられず、08年にはリセッションに陥る可能性も指摘されている。その結果、ドル安は進行し、貿易赤字は依然として高水準に留まっている。この10年間はアメリカ経済と中国経済がエンジンとなって世界経済を牽引してきた。しかし、米中経済の相互依存の構図も崩れつつある。

アメリカは中国の労働力を活用することで競争力を高めてきた。中国は1兆4000億ドルに達した外貨準備をアメリカに還流することでアメリカ経済を支え、アメリカ市場への輸出を増やしてきた。米中経済は実に巧みに補完関係を作り上げてきたのだ。ポールソン財務長官が声高に人民元の切り上げを要求しても、それはポーズ以外の何者でもなかった。アメリカ自体が人民元安の恩恵を受けてきたからである。

しかし、世界の外貨準備が5・6兆ドルに達した現在、ドルがアメリカに還流し続ける保証はなくなりつつある。膨大なアメリカの貿易赤字とドル安は、世界経済に様々な衝撃を与えている。ドルはユーロに対して2001年以降、実に40%も下落している。スティグリッツ教授は、原油高はドル安の結果であると指摘している。

さらにドル安は“ソブリン・ウエルス・ファンド”と呼ばれる政府投資ファンドという新しい怪物を生み出してしまった。ドルにペッグしている産油国は、ドル安に伴う資産の減価に対応するためにドル以外での積極的な運用を始めている。それがさらにドル安に拍車をかける懸念もある。同時にサブプライム・ローン問題で巨額の損失を被ったシティグループはアブダビ政府の投資ファンドから75億ドルの資金を得ることで生き延びることができた。

アメリカ経済の頓挫は、中国経済にも大きな影響を及ぼすだろう。中国の輸出の約57%が外国企業によるもので、ハイテク製品に至っては85%が外国企業によるものである。そのかなりの部分がアメリカ企業であるとみて間違いないだろう。アメリカ経済がリセッションに陥れば、中国の対米輸出は確実に減少するだろう。

アメリカの貿易赤字は解消する見通しはまったく立たない。そうした中でアメリカ国内では自由貿易に批判的な声も出始めている。アメリカ企業のアウトソーシングを批判するヒラリー・クリントン上院議員は「自由貿易は何も良いことをもたらさなかったのかもしれない」と発言し、特に中国に対して強硬姿勢を取ることを主張している。プリンストン大学のアラン・ブラインダー教授は「アウトソーシングでアメリカは4000万人の職を失う可能性がある」と指摘している。こうした政治的圧力が強まれば、アメリカ主導の世界経済の枠組みも変わってくるかもしれない。

4件のコメント »

  1. 仕事上とても参考になるBLOG、
    有難うございます。

    コメント by 染川サトコ — 2008年2月6日 @ 18:03

  2. 何気なくお名前を検索してみたら
    ブログを発見してびっくり!
    内容の充実ぶりにさらに驚きです。
    全記事を熟読、勉強させて頂きます。

    コメント by 流離い人 — 2008年2月6日 @ 21:35

  3. 失望しました。もう少しましなジャーナリストと思っていましたが。
    私の反論:
    政治面;Mickael Ignatieff http://nytimes.com/2004/03/14
         ”軽い帝国”の時代をまったく理解しておられないようですね
    Tony Blair “What I’ve learned” The Economist May 31 2007
    経済面;Hyman P. Minsky “John Maynard Keynes” 1975
         日本語版サブタイトルにこうあります:市場経済の金融的不安定性
    総合; Peter G. Peterson “Running On Empty”
    Foreign Affairs Sep/Oct 2004

    コメント by 今井正夫 — 2008年2月7日 @ 01:24

  4. 確実に訪れつつあります(15行目)は確実に綻びつつありますの誤謬では?

    コメント by satoco somekawa — 2008年2月8日 @ 00:49

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