就任3年目のバーナンキFRB議長を評価する:彼はリセッションを回避できるのか?
ベン・バーナンキFRB(連邦準備制度理事会)議長は、経済学界では大恐慌の超一流の研究家として高い評価を得ている。また「インフレターゲット論」を積極的に主張していることでも知られる。2002年にプリンストン大学からFRB理事に就任。さらに大統領経済諮問委員会委員長の要職を務めたあと、2006年2月1日にFRB議長に就任するなど、信じられないほどの短期間でワシントンに大きな地位を築いて。それ以前はワシントンで彼の名を知る人は少なかった。名FRB議長になるには、大きな金融問題を克服し、経済界や市場の信認を得る必要がある。ボルカー議長は70年代末にインフレ抑制で実績を示し、グリーンスパン議長は87年のブラック・マンデーを乗り切ったことで議長の地歩を確実にした。今、バーナンキ議長はサブプライムローン問題とクレジットクランチ(信用逼迫)に直面している。昨年夏以降の同議長の政策は評価できるのだろうか。本稿は「時事トップ・コンフィデンシャル」(2月29日号)に寄稿したものである。
サブプライムローンの焦げ付きに端を発した金融危機に対してFRB(連邦準備制度理事会)は的確に政策的対応を行なったのであろうか。サブプライムローン問題は2006年頃から真剣に議論されていた。しかし、当時、バーナンキFRB議長の発言などを聞いている限り、同議長には問題の深刻さを十分に理解しているとはいえなかった。サブプライムローン問題が大きな問題となったのは、6月のベアスターン証券の投資ファンドが住宅ローンを担保とする証券に対する投資で巨額の損失を被っていることが明らかになってからである。その後、相次いで投資ファンドが凍結される事態が続き、FRBは事態の深刻さが初めて気づいたのである。
しかし、その対応は決して迅速とはいえなかった。6月28日に開催されたFOMC(連邦公開委員会)は政策金利であるフェデラル・ファンド金利を5・25%まま据え置く決定を行なった。声明では「今年の上半期、住宅部門で調整が行なわれているにもかかわらず、経済は穏やかに成長を続けているように見える」と楽観的な見通しを述べている。8月7日に開催されたFOMCでは「この数週間、金融市場は不安定になっており、与信条件も家計や企業にとって厳しいものになっている。住宅市場の調整も続いている」(声明文)と厳しい情勢判断をしながらも、フェデラル・ファンド金利は据え置かれた。
だが、金融市場では信用不安が増し、優良企業すら担保付商業手形を発行できなくなり、資金繰りに窮する状況さえみられるようになった。クレジット・クランチ(信用逼迫)が発生したのである。こうした事態の進展に驚いたバーナンキ議長は8月10日に予定外のFOMCを開催し、「連邦準備制度は公開市場操作を通して必要な準備を供給し、フェデラル・ファンド金利がFOMCが定めた目標の5・25%で取引が行なわれるように促す」と、金利を据え置く一方で銀行に対する貸し出しを行なうことで市場に流動性を供給することを決めたのである。大手銀行は、この政策に応じて巨額の資金を連邦準備銀行から借り入れて、金融逼迫に対応した。
さらに8月17日に開催されたFOMCでも、「金融市場の状況は悪化し、貸出条件は厳しくなっており、先行きに対する不透明性の高まりから先行きの経済成長が制約される可能性がある」「ダウンサイド・リスクは大幅に高まっている」と厳しい認識を示しながら、再びフェデラル・ファンド金利は据え置かれた。FOMCが本格的な利下げに踏み切ったのは9月18日に開催されたFOMCで、フェデラル・ファンド金利は0・5ポイント引き下げられ4・75%となった。
サブプライムローン危機の深刻化を前にFOMCが利下げに躊躇していたのは、インフレ懸念を払拭できなかったからである。原油や食糧品の価格上昇でインフレ圧力は高まっていた。9月18日のFOMCで利下げを決めたものの、声明の中で「今年に入ってコア・インフレは若干改善しているが、インフレ・リスクは依然として残っている」と指摘している。FOMCは金融危機とインフレ高進のリスクを両睨みに政策運営を行なっていたのである。
だがサブプライムローン危機は金融市場にだけでなく実態経済にまで深刻な影響を与え始めた。多くのエコノミストはアメリカ経済がリセッションに陥る可能性が高まったと警鐘を鳴らし始めた。10月31日に開催されたFOMCで再びフェデラル・ファンド金利を0・25ポイント引き下げ、4・5%にしたが、原油など一次産品価格の上昇によって「インフレ圧力は新たに高まっている」ことから「連邦公開市場委員会はインフレ状況の展開を注意深く監視する」と、依然として強いインフレ懸念を表明している。
その後、12月に開催されたFOMCでフェデラル・ファンド金利を0・25ポイント引き下げる決定を行なっている。年が変って1月22日に予定外に開催されたFOMCで0・75ポイントという大幅な利下げが決定された。この利下げは市場の意表を衝くものであった。なぜなら一週間後の1月30日に次回のFOMCの開催が予定されていたからである。9月から始まった利下げで2・25ポイント引き下げられた。しかし、市場の反応は鈍く、株価下落に歯止めはかからなかった。経済もリセッションは避けられないというのが大方の見方である。
グリーンスパンとバーナンキ
金融政策の効果が発揮されるまで時間がかかり、その効果も一様ではないというのが、経済学が教えるところである。利下げの累積効果が一気に出てくる可能性も否定できないが、当面、経済情勢の悪化は避けられないだろう。
今回の利下げを、ITバブルが弾け、アメリカがリセッションに陥った2001年のときの金融政策と比べてみると興味深い。アメリカ経済は2001年第一四半期から第三四半期までマイナス成長が続いた。日本がバブル崩壊後の金融政策で大きな過ちを犯してデフレに陥った。当時のアラン・グリーンスパン議長は、アメリカは日本と同じ轍を踏んではならないと考えていた。そうした判断から大胆な利下げに踏み切った。2001年1月3日に開催されたFOMCでフェデラル・ファンド金利を0・5ポイント引き下げて6%にした。1月から12月までにFOMCは合計11回にわたって利下げを行い、フェデラル・ファンド金利を6・5%から1・75%にまで引き下げたのである。発足したばかりのブッシュ政権の大幅減税も加わり、リセッションは戦後で最も短期間で穏やかなものとなった。
FOMCはその後の金融緩和を続け、最終的に2003年6月25日のFOMCでフェデラル・ファンド金利を戦後最低の1%にまで引き下げたのである。実は、このグリーンスパン議長の“超低金利政策”を積極的に擁護したのが、当時プリンストン大学の教授であったベン・バーナンキ現FRB議長であった。グリーンスパン議長の低金利政策を支持したことが理由ではなないだろうが、バーナンキ教授は2002年にFRB理事に任命される。その後、当時大統領経済諮問委員会のマンキュー委員長(現ハーバード大学教授)が後任に彼を推挙したことで、2005年に大統領経済諮問委員会の委員長に就任する。さらに翌年、ブッシュ大統領にグリーンスパン議長の後任に指名され、2006年2月1日にFRB議長に就任した。
バーナンキ議長は学界では金融論の専門家として確固たる地位を築いていたが、ワシントンでは無名に近い存在であった。それがFRB理事に就任後、わずか4年でアメリカのFRB議長に就任したのである。学者としてFRB議長に就任したのは、アーサー・バーンズ(在任期間はニクソン政権時代の1970~78年)に続いて二人目である。わずか31歳でプリンストン大学の教授のテニュアを得るなど、極めて優秀な学者である。ちなみに前任者のグリーンスパン前議長と同じサクソフォンを演奏する趣味を持っている。
彼は、大恐慌の研究でも著名である。マサチューセッツ工科大学の大学院生のころ大きな影響を受けたのが、マネタリストのミルトン・フリードマン教授であった。大恐慌は投機的な株式投資によって引き起こされたというのが主流派経済学者の一般的な見方であったが、フリードマン教授は政府の政策の失敗によって大恐慌は引き起こされたと独自の論陣を張っていた。
バーナンキ議長も自著の中で「大恐慌が株価下落を引き起こしたのであって、株価暴落が大恐慌を引き起こしたわけではない」と書いている。そして大恐慌はFRBのマネーサプライの管理に失敗し、本来なら金融を緩和すべきところを逆に引き締めてしまったこと、さらに金融システムの円滑な運営を確保できなかったことが要因であると指摘している。またFRBは金本位制を維持することに心を奪われ、国内の金融情勢に的確に対応しなかったとも書いている。金融パニックを回避するには、FRBの銀行の監督権を強化し、金融逼迫が起こったとき、積極的に銀行に流動性を供給すべきであると主張している。さらに、1929年の株価ブームを沈静化させるためにFRBが金融を引き締めたことは大きな政策の失敗であるとして、特定の株式市場や住宅市場のような特定の資産市場のバブルを阻止するために、FRBは金融政策を発動してはならないとも書いている。
サブプライムローン問題の責任
バーナンキ議長は、今、厳しい試練に直面している。グリーンスパン前議長が1987年の株価暴落の“ブラック・マンデー”の危機に迅速に対応し、信認を得たが、果たしてバーナンキ議長はサブプライムローン問題に端を発する危機に対応できるのだろうか。8月以降のバーナンキ議長の金融政策は、経済や市場の動きに対して常に一歩遅れを取っているというのが大方の見方である。確かに7月、8月の対応は鈍く、金融緩和に路線転換した後の対応も隔靴掻痒とする感が否めない。また逆に今年1月の急激な利下げも異様な印象を与えている。そうした政策発動の仕方は逆に市場に混乱さえもたらしている。大幅な利下げにもかかわらず株価が反応せず、さらに下落を続けているのも、バーナンキ議長の政策に対する市場の信頼感が確立していないことの証拠といえなくもない。
実は今回のサブプライムローン問題のかなりの責任はFRBにあると言っても過言ではないだろう。まず、異常とも思えるサブプライムローンの貸し込みをFRBはチェックすることができなかった。多くのサブプライムローンは銀行以外の住宅ローン業者によって行なわれている。その中に返済能力を無視したローンが多く行なわれていた。1994年に議会は「住宅保有者保護法」を成立させ、ノンバンクの住宅ローンを規制する権限をFRBに与えたが、グリーンスパン前議長は規制強化に取り組まなかった。またFRB理事であったバーナンキも、住宅バブル問題に対してほとんど何もしてこなかった。
さらに住宅バブルに対する対応も明らかに遅れた。グリーンスパン前議長は、住宅市場は加熱しているが、“バブル”ではなく、“フロス(小さな泡)”であると積極的な対応を取らなかった。バーナンキ議長も2006年7月2日の下院金融サービス委員会での証言で「住宅市場の落ち込みは今までのところ秩序だったかたちで進んでいる」と楽観的な見通しを述べている。大統領経済諮問委員会委員長のときも議会証言で「住宅価格の上昇は実需に基づくものであり、投機的な要因はない」と語っているように、基本的に住宅バブルに対する感度は鈍かった。さらに既に触れたように、特定の資産バブルを押さえ込むために利上げをすべきでないという考え方も持っていたことも、対応を遅らせた一因かもしれない。
グリーンスパン前議長もバーナンキ議長も「バブルを認識することはできない」との考えを持っている。ITバブルが弾けたとき、グリーンスパン前議長は「バブルは弾けて初めてバブルだと分かるものだ」と反論している。バーナンキ議長も1999年に書いた論文の中で「バブルが弾ける前にバブルであると認識することは実際上不可能である」と書いている。住宅バブルが弾け、サブプラムロー問題が明らかになったとき、FRBの対応が鈍かったのも、そうしたバーナンキ議長の考え方が影響したのかもしれない。
バーナンキ議長は再任されるのか
彼がFRB議長に就任したとき、最優先課題として取り組んだのがFRBの政策決定の透明性を高めることであった。バーナンキ議長は、市場にFRBの金融政策の意図を明確に伝えることで、市場で正しい予想形成を促し、金融政策を円滑に進めることができると考えていた。同議長は“インフレターゲット論”の強力な推進者であった。それは、目標インフレ率を公表することによって、市場の将来の金利予想を安定化させることができるというものである。インフレ期待が抑え込まれれば、長期金利は低位安定し、持続的な経済成長が可能であるという理論である。要するにFRBの透明性と市場とのコミュニケーションを通して市場の期待形成に影響を与えようとしたのである。
だが、こうした戦略は成功しているとは言いがたい。『ニューヨーク・タイムズ』(2008年1月30日)は「FRBの透明性を高めようという彼の努力は逆にFRBが何をしているのが混乱を招いている」と指摘している。グリーンスパン時代と比べるとFOMC内での議論は活発化し、多様な意見が出されている。グリーンスパン議長はカリスマ的な影響力を行使し、前回一致で政策を決定してきた。しかしバーナンキ議長はFOMC内で盛んに議論が行なわれるようになっている。そうした意味では政策決定過程は透明になっているが、同時にFOMCの明確な一致した政策意図が見えなくなる弊害も起こっている。たとえば、FOMCの決議で反対票を投じる委員が頻繁に出ている。危機に際してFRB議長により大きな指導力が要請されるが、バーナンキ議長がそうした責任を果たしているか疑問視する声も聞かれる。
果たしてFOMCはどこまで利下げを行なうのであろうか。グリーンスパン前議長はフェデラル・ファンド金利を1%まで下げ、アメリカ経済がデフレに陥るのを防いだ。ただ、その代償として住宅バブルを引き起こすことになった。バー名木々議長にどこまで覚悟があるのか見えてこない。
バーナンキ議長の任期は2010年までである。民主党の大統領が誕生すれば、バーナンキ議長の再任は厳しくなるかもしれない。共和党も有力大統領候補者であるマケイン上院議員はバーナンキ議長に距離を置き始めている。グリーンスパン前議長が共和党、民主党の両大統領のもとで18年、議長の座に留まった。バーナンキ議長の命運は、どうサブプライムローン問題を解決し、アメリカ経済のリセッション入りをどう阻止するかにかかっている。おそらく同議長は経済論理と現実の間のギャップに戸惑っているだろう。
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破綻まであと30年、米大統領選挙と年金問題…
“年金破綻”随分前から警告され続けている事だが、先月2……
トラックバック by 専門家や海外ジャーナリストのブログネットワーク【MediaSabor メディアサボール 】 — 2008年4月19日 @ 20:55
いつも勉強させてもらってます。
コメント by ali@住み込みバイト — 2008年7月9日 @ 19:01