中岡望の目からウロコのアメリカ

2008/4/27 日曜日

なぜマレーシアが世界のイスラム金融の中心地になったのか

Filed under: - nakaoka @ 10:01

しばらく記事をアップできませんでした。仕事に忙殺され、気分的にも時間が取れず、記事の準備ができませんでした。今回は『週刊東洋経済』に寄稿した記事のベースになったものです。イスラム金融では「コーラン」の教えで、利子を取ることは認められていません。しかし、新しい金融手法でイスラム金融が急速に成長しています。後日、イスラム金融について詳細な記事を掲載しますが、今回はイスラム金融の中心になっているマレーシアの状況について書いてみました。特に女性で中央銀行総裁の任にあるゼティ総裁の果たした役割に焦点をあててみました。なお、4月に入って大学も始まりました。国際基督教大学では大学院の「国際経済」を教えており、学生はアフガニスタン人の学生一人、ベトナム人の学生が二人です。日本女子大では「経済学概論」で学生数は約60名、「比較社会論」は約30名、武蔵大学の「アジアの金融」はイギリス人、アメリカ人、フランス人、日本人学生がそれぞれ一人、「アメリカ文化入門」は約25名です。

2月末、東京で開催されたイスラム金融に関するシンポジュームに講師として出席したゼティ・アクタル・アジズ・マレーシア中央銀行総裁は、聴衆にイスラム金融の将来について静かに語りかけた。マレーシアの人の英語は訛が強く、日本人には聞き取りにくいが、総裁の英語はきれいな英語で、流暢であった。それは、ペンシルバニア大学ウォートン大学院で学び、マレーシア中央銀行ロンドン駐在員事務所の首席代表として5年間、勤務したせいかもしれない。

現在、マレーシアはイスラム金融の世界のハブと言っても決して過言でないほど大きく成長を遂げている。マレーシアのイスラム金融の急激な成長は、ゼティ総裁の功績を抜きに語ることはできないのである。

マレーシアは、「スクーク」と呼ばれるイスラム債の分野は他の市場を圧倒している。02年に世界で最初のイスラム債が発行されたのは、マレーシア市場であった。IMF(国際通貨基金)の資料では、マレーシアで発行されたイスラム債は世界の残高の3分の2を占め、発行件数でも他の市場を圧倒している。

世界で最大のイスラム債市場を持つだけでなく、国内金融でもイスラム金融化が着実に進んでいる。同国で発行される社債の半分以上がイスラム債であり、発行残高も320億ドルを超えている。株式市場でもイスラム株は上場株の86%、時価総額の70%を占めている。成長著しいイスラム金融であるが、世界的にはまだニッチ市場に過ぎない。しかし、マレーシアでは通常の金融市場を凌駕するまでに育っているのである。

現在、イスラム銀行は11行、通常の銀行でイスラム金融サービスを提供している銀行が8行ある。イスラム金融サービスを提供している支店の数は06年の段階で1167支店に達している。「タカフル」といわれるイスラム保険を取り扱っている保険会社は8社ある。03年に設立されたCIMBイスラム銀行は、消費金融業務から投資銀行業務、資産運用業務、保険業務、プライベート・バンキング業務まで行なう総合金融機関として存在感を強めている。

マレーシアでイスラム金融が急激に成長し始めたのは97年のアジア金融危機後である。マレーシアは経済発展の国家戦略としてイスラム金融の成長を促進してきた。そのキッカケとなったのが、総裁就任後の01年に年に打ち出した「フィナンシャル・セクター・マスター・プラン」であった。マレーシアの金融市場を統合し、金融自由化を進め、経済成長を図る10年計画(01年から10年まで)であり、その中にイスラム金融の促進も織り込まれていた。

今でこそマレーシアはイスラム金融の世界の中心地になっているが、最初は中東諸国の後塵を拝していた。世界で最初にイスラム銀行が設立されたのはアラブ首長国のデュバイ・イスラム銀行で、75年のことであった。同年、本格的にイスラム法に基づいてイスラム金融を行なう銀行としてイスラム開発銀行が設立されている。イスラム金融では中東諸国が先行していた。

マレーシアでも60年代からイスラム金融の考え方はあったが、銀行が設立されるには至っていなかった。当時、イスラム教徒はメッカへの巡礼資金を貯めていたが、「コーラン」の教えから預金することはできなかった。そうした資金の受け皿として政府が「巡礼基金公社」を設立。また民間でも「タブング・ハジ」と金融機関が設立されたが、とてもイスラム銀行といえる組織ではなかった。実は、その金融機関を設立したのが、ゼティ総裁の父親であった。マレーシアの最初のイスラム銀行が設立されたのは、83年のことである。だが、それに続くイスラム銀行は長い間設立されることはなかった。93年に英銀のスタンダード・チャータード銀行がイスラム金融サービスを始め、国内で2番目のイスラム銀行が設立されたのは99年になってからである。

90年代、好景気に沸いたマレーシア経済はアジア金融危機の直撃を受け、構造改革を迫られることになる。新しい経済発展計画の柱のひとつが同じイスラム宗教圏の中東からの資本導入であった。そのためイスラム金融の育成が経済発展計画の大きな柱となった。イスラム金融の育成計画を打ち出したのがゼティ総裁である。先に述べたように父親がイスラム巡礼預金を受け入れる金融機関を設立したことが、開発構想を策定する際に影響を与えたのかもしれない。

ゼティ女史はアジア金融危機に直撃された98年9月に総裁代行に任命されると、為替管理を導入するなどして市場の安定を図った。その政策はエコノミストなどから厳しい批判を受けるが、その政策で市場は安定を取り戻す。当時、総裁代理は女性とって最高のポストであった。手腕を評価され、00年5月に中央銀行総裁に任命された。就任後、すぐに「マスター・プラン」を打ち出している。世界初のイスラム債発行でも直接指揮を取り、実現させたのも同総裁の功績のひとつである。

その活動は国内に留まらず、国際的なイスラム金融の規制を決める「イスラム・フィナンシャル・サービス委員会」の設立準備委員会委員長を務めるほか、他のアジア諸国でイスラム金融の普及に意欲的に取り組んでいる。現在、イスラム金融のインフラ整備として「国際イスラム金融センター」の建設を積極的に支援している。マレーシアはイスラム金融に対する優遇税制、市場整備、法の整備など積極的にインフラの整備を進めるほか、積極的な海外から移民を受け入れるなど大胆は政策を相次いで発表している。その背後にゼティ総裁の姿を見るのは難しいことではない。

イギリスの金融専門誌『ユーロ・マネー』は、ゼティ総裁を「冷静で、知性があり、中央銀行総裁としてタブさを発揮していることで尊敬されており、国内だけでなく国際的にも大きな貢献をした」と評している。やや小太りで穏やかな顔から想像できないようなエネルギーを持っているようだ。また同誌は05年に同総裁を「セントラル・バンク・ガバナー・オブ・ザ・イヤー」に選出している。同総裁はダツク・ザリナ・アンワー証券取引委員会委員長とともに同国を代表する女性でもある。

ゼティ・アクタル・アジズ・マレーシア中央銀行総裁
ペンシルバニア大学で経済博士号を取得。卒論のテーマは「資本移動と政策への影響」。85年に中央銀行に就職、経済分析局の首席エコノミストや総裁代行を経て、2000年に総裁に就任。

3件のコメント »

  1. イスラム債。
    名前はよく聞きますが中身があまり理解できません。
    ただ、資金調達手段としてはこれからますます重要な地位を占めるのでしょうね。
    もっともっと勉強しておきたいです。

    コメント by 大学生 — 2008年5月14日 @ 16:20

  2. 頑張ってくださいね♪

    コメント by タイ ホテル — 2008年6月20日 @ 15:27

  3. [...] 中岡望の目からウロコのアメリカ » なぜマレーシアが世界のイスラ…スになったものです。イスラム金融では「コーラン」の教えで、利子を取ることは認められていません。しかし [...]

    ピンバック by イスラム金融 | 金融情報ブログ・ほんわかBEST — 2011年7月19日 @ 01:11

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