中岡望の目からウロコのアメリカ

2008/10/30 木曜日

米大統領選挙:オバマ候補と人種問題

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大統領選挙が迫ってきました。世論調査ではオバマ当選が濃厚になっています。特に10月に入ってからオバマ候補のリードが続き、終盤になって、その差は開いています。その中で最後まで残る不安定要因は人種問題です。アメリカでは「ブラドリー効果」や「ワイルダー効果」という言葉が頻繁に使われています。それは世論調査でリードしていた黒人候補が選挙で苦戦したり、敗北したという過去の例から、今回の大統領選挙でも同様なことが起こりうるかもしれないというものです。今となっては可能性が低いですが、万が一世論調査の違ってオバマ候補が敗北するとすれば、それは人種問題が理由となると指摘する声もあります。この記事は9月中旬に雑誌に執筆したもので、その後の状況は大きく変わっていますが、選挙前に読むに値すると思っています。

11月4日の大統領選挙の日、有権者は投票箱の前でふと考え込むことになるだろう。オバマ民主党大統領候補に投票しようとする人は、「本当にアメリカは黒人大統領を受け入れる準備ができているのだろうか」と自問するだろう。マケイン共和党大統領に投票しようとしている人は、「72歳の大統領で大丈夫なのだろうか。もし大統領に何かが起こった場合、副大統領が職を継ぐことになるが、44歳の経験の少ないペイリン副大統領にアメリカの運命を委ねることができるのだろうか」と、一瞬逡巡するかもしれない。建前的に言えば、アメリカは黒人大統領であれ、女性大統領であれ受け入れる状況はできている。しかし、本音のところでも同様に人種差別や女性差別の意識が払拭されているのだろうか。瞬間、多くのアメリカ人は自分の決定にたじろぐことにはならないのだろうか。

アメリカの書店に行くと、オバマ批判の書籍が溢れている。その中の何冊かはベストセラー・リストに載っているほど売れている。大半は共和党支持者で、黒人に対して人種的な差別意識を持つ筆者が書いたものである。それは選挙用であることを割り引いても、そうした状況を見ていると、アメリカは本当に黒人大統領を抵抗感なく受け入れることができるのだろうかと疑問を抱かせる。

保守系の著名な黒人作家のシェルビー・スティールは『A Bound Man』(邦題は『オバマの孤独』青志社刊)のなかでオバマに関して興味深い指摘をしている(翻訳は意訳が多いので以下は原文から直接訳す)。それは「オバマの政治的な考え方を聞き、後になって彼が混血であることを知ったら、人々は少し騙されたと感じるのではないかと思う」という短い文章である。リベラルな理念を語る人物が黒人であることの違和感を表現したものであろう。この感覚は、おそらく多くのアメリカ人が共有している感覚かもしれない。すなわちハーバード大学法律大学院を卒業した“エリート”と同じ言葉を話す人物が黒人であるという違和感である。それは黒人が大統領になることに対する違和感に通ずるものかもしれない。ちなみに選挙のなかで共和党がオバマを攻撃する材料のひとつが、オバマの“エリート主義”であるのも、こうした意識のなせる技かもしれない。民主党の大統領予備選挙の中で多くの低所得の白人労働者がヒラリー・クリントン上院議員を支持し、オバマに反対したのも、単に黒人候補に対する反感だけでなく、そのエリート主義を直観的に感じ取ったからかもしれない。

なお原書の副題は「なぜ我々はオバマに興奮し、なぜ彼は選挙に勝てないのか」である。大統領を目指す黒人の現実は、日本から見ているよりもはるかに厳しいものなのかもしれない。

そうしたアメリカの現実を知る上で極めて興味深い記事がある。ジャーナリストのジョージ・パッカーが『ニューヨーカー』誌(08年5月26日号)に寄稿している「保守主義の没落」と題する長文の記事である。

早々と共和党の大統領候補を確保したジョン・マケインは春先から「忘れられた地域を訪問する」という遊説を展開していた。その遊説先のひとつが、ケンタッキー州イーネズという小さな町であった。イーネズはアパラチア山脈の山の中にある貧しい炭鉱町である。この小さな町は民主党にとって忘れられない町である。それは1964年に当時のジョンソン・大統領が「貧困との闘い」を宣言した町だからである。ジョンソン大統領は「偉大なる社会計画」を掲げ、ルーズベルト大統領が始めたニューディール政策を完成させ、福祉国家を作り上げた人物である。1981年に誕生したレーガン政権は、保守主義思想をベースに福祉国家を解体する政策を推し進めていく。それが、その後のアメリカ政治における保守派とリベラル派の対立の構造を作り上げていくことになる。

そのほとんど忘れられかけた小さな町にマケイン候補が遊説にやってきた。パッカーはマケインの遊説を取材するためにイーネズにやってきて、地元の人たちにインタビューをし、彼らの本音を聞き出している。パッカーは、ハーバード大学を卒業し、現在、地域の巡回裁判所の判事の職にあるジョン・プレストンの次の言葉を紹介している。「オバマはエリート主義者だと見られている。そのことは人種的な要素も関連しているのは明らかだ。多くの人は公然とは口にしないが、民主党であれ、共和党であれ、黒人候補には投票しないだろう。誰もそれを認めないので、世論調査には出てこない。部屋の中に象がいても、誰もそのことを口にしない。残念だが、それが真実なのだ」。

アメリカでは人種差別は微妙な問題で、心の中で思っていても、公然と議論しにくい雰囲気がある。今年の3月にオバマが所属していた教会の牧師ジェレマイヤ・ライトが教会の説教の中でアメリカ社会における黒人差別に触れ、反米的発言を行ったとしてマスコミの槍玉にあがったことがある。オバマもライト牧師と同様に反米的な思想を持つのではないかと疑われた。その結果、オバマは教会を脱退し、彼を導いてきた牧師と絶縁せざるをえなくなった。その後も折にふれて、オバマの愛国心が問われ、彼は必要以上に自分がアメリカを愛していると語らなければならなかった。誰も公然と語らないが、黒人であること自体が疑いの目で見られるのである。

さらにオバマにとって複雑な要因がある。それは、彼はケニヤ人を父親に持ち、アメリカ人を母親にもつ“混血”だということだ。オバマは“黒人”と“混血”という二つのハンディを負っているわけだ。白人と黒人の混血であるスチールは、前掲書のなかでアメリカ社会のなかで自分の置かれた状況は一種の根無し草だと書いている。そして「バラク・オバマや私のような人間は常に疑いの目でみられている」と、極めて率直に語っている。

ケンタッキー州イーネズの話に戻そう。パッカーは町で多くの人の話を聞く。そして多くの人が何の躊躇いもなく、黒人には投票しないと語ったと書いている。白人の労働者の町では、黒人は受け入れられる余地はないのである。パッカーは「これは過酷な現実である。おそらくオバマはこのことを口にしてはならないのだろう」と書いている。

アメリカ社会における黒人の状況について、自らが黒人であるコンドリーザ・ライス国務長官の言葉を紹介しておこう。これは、ライト牧師事件後にオバマが釈明のために行った演説の中で触れた人種問題についてのライス長官のコメントである。2008年3月28日にライス長官は『ワシントン・タイムズ』紙のインタビューに答えて「アメリカは黒人に白人と同じ機会を与えなかった建国の欠陥(Birth Defect)」を抱えていると指摘した。すなわち「アメリカの黒人は建国に関わった人々である。アフリカ人とヨーロッパ人はアメリカにやって来て協力してアメリカを建国した。しかし、ヨーロッパ人は自分の選択で、アフリカ人は鎖に繋がれてアメリカにやって来た。これはあまり楽しい建国の現実ではない。この建国の欠陥のため、黒人は最初から大きいなハンディキャップを負わされ、現在でもその影響が残っている」と、歴史的な背景から現在の黒人問題を説明している。

ライト牧師と決別したオバマは、演説の中で人種間の和解を説き、人種間の「より完全な統合」を人々に訴えた。マケイン陣営は選挙運動の中で直接人種問題を取り上げないが、オバマの愛国心をテーマにする方針を打ち出している。逆にオバマは常に自分はアメリカを愛し、アメリカに忠誠を持っていることを人々に納得させなければならない。多くのアメリカ人は右派勢力の宣伝に乗せられ、オバマはイスラム教徒と信じている。それだけにオバマにとっても愛国心の問題を避けては通れない。オバマが大統領の座に就くには、こうした大きな目に見えないハードルをクリアする必要がある。

弾けたオバマ・バブル?

オバマの登場は、アメリカにとって新しい希望の可能性を感じさせるものがあった。「変化」を訴えるオバマは、多くの人々の心を掴んだ。それはジョン・F・ケネディの再来を彷彿させるものがあった。演説会場は熱狂に包まれ、人々はオバマの演説に酔いしれた。メディアは、オバマはアメリカを変えることができる数少ない人物だと持ち上げた。6月頃、選挙でのオバマの地滑り的勝利が囁かれた。オバマ自身も大統領のように振る舞っていた。7月にヨーロッパを歴訪したとき、ヨーロッパの指導者はオバマを次期大統領のごとく歓迎した。だが、世論調査は必ずしもオバマ勝利を確実視する結果は出ていなかった。一貫してオバマはマケインをリードしていたが、一気に突き放し、止めを刺すことはできなかった。

8月末、オバマ陣営をショックが襲った。デンバーで開かれた民主党大会で党の団結を訴え、盛り上がった雰囲気の中でマケインは副大統領候補に女性のサラ・ペイリン・アラスカ州知事を指名したのである。まだ44歳で、知事としても2年の経験しかなく、全国的な知名度もほとんどない政治家であった。共和党内部でも、この指名は“大きな賭け”であると不安視する声が聞かれた。だが、マケインは賭けに勝利した。メディアは一斉にペイリンに飛びつき、彼女は一晩にして新しいヒロインになった。中絶に反対するプロライフ派で、全米ライフル協会の会員で銃規制に反対し、エネリギー問題解決のために北極圏絶滅種保護区での原油採掘禁止に反対する保守主義者で、保守的なエバンジェリカル(福音派)であるペイリンの副大統領候補指名は、マケインに違和感を抱いて意気消沈していた共和党保守派とキリスト教右派を一気に蘇らせた。

また働く母親であり、5人の子供を持ち、5番目の子供はダウン症であることが多くの白人女性の共感を呼んだ。17歳の娘が妊娠しえいる事実も、性道徳の腐敗を嘆くよりも、その事実を受け止め、結婚させるという対応は、敢えてダウン症の子供を生んだことに加え、ペイリンのプロライフの主張が本物であるとの印象を与え、逆に支持者を増やした。こうした“ペイリン効果”で民主党のバイデン副大統領の影は薄くなってしまった。

オバマは上院議員一期目で、常に経験不足を批判されてきた。民主党内に根強くあったクリントンを副大統領とする“ドリーム・チケット構想”を否定して、オバマが副大統領に選んだのは民主党の長老上院議員で、外交問題委員会の委員長を務めるジョセフ・バイデンであった。政治家としての経験も豊かで外交政策にも強いというのがバイデンを選んだ最大の要因であった。また父親が自動車セールスマンであることで、オバマが弱い白人労働者層にアピールする狙いもあった。さらに決定的だったのは8月にグルジア問題が起こり、対ロシア政策が重視されるようになったことだ。少なくとも、こうした要素を総合すれば、バイデンは当然の選択だったかもしれない。しかし、“ペイリン効果”を目の当たりに見たオバマ支持者は「なぜクリントンを副大統領候補に選ばなかったのか」と、悔しがった。

選挙の帰趨を決定する要因のひとつに、民主党予備選挙でクリントンを支持した1700万人の票の動向である。クリントン支持派の一部はオバマ支持を拒み、選挙では棄権をするかマケインに投票すると予想されている。ペイリンはプロライフ派で、女性の中絶権を主張するプロチョイス派が多いクリントン支持者が“ペイリン効果”でマケインに投票するとは考えにくい。しかし、“ペイリン効果”で高齢層の白人女性のかなりがマケイン支持に回っているのも事実である。

そうした選挙情勢の変化を示す世論調査が発表され、オバマ陣営はショックを受ける。9月5日から9日にかけて行われたUSAツデーとギャロップの共同調査で、「今、選挙がおこなわれたら誰に投票するのか」という問いに対してマケイン54%、オバマ44%という結果が出たのである。ほとんど全ての世論調査でオバマがリードを保ってきたが、逆転しただけでなく、その差が10ポイントと極めて大きかったことが選挙情勢の大きな変化を示すものと理解された。常にオバマの後塵を拝してきたマケインが先行したのである。これは“オバマ・バブル”の破裂を意味するものかもしれない。

もうひとつのオバマの問題点が明らかになってきた。オバマは「変化」を訴えてきたが、詳細な政策を打ち出せないでいた。当初は民主党で最もリベラルな政治家との評価があったが、選挙戦が進むにつれて次第に中道寄りにシフトする傾向が見え始めた。そうした政策の振れが支持者の間に不信感を植え付けた。オバマは民主党全国大会で大統領候補に指名され、受諾演説の中で「民主党はルーズベルトの党である」と、改めてリベラルの立場を強調した。しかし、新しい時代の政策ビジョンを出したかというと、必ずしもそうとは言えない。むしろ共和党が中絶問題や同性婚問題などの道徳的な問題を取り上げるイデオロギー的な対立姿勢を強めており、オバマは守勢に立たされるかもしれない。

接戦が続く大統領選挙

もし“オバマ・バブル”が弾けたのなら、オバマの勝機はなくなったのだろうか。世論調査から言えば、さきのUSAツデーとギャロップ調査を除けば、マケインがリードしているといっても数ポイント程度で誤差の範囲である。マケイン支持の嵩上げは“ペイリン効果”によるところが大きい。メディアとペイリンのハネムーンが終われば、彼女に対して厳しい目が向けられてくるだろう。10月2日に行われるペイリン対バイデンの公開討論でお互いがどう評価されるかで、選挙情勢も変わってこよう。“ペイリン効果”も破裂するかもしれない。情勢は極めて流動的である。

さらにアメリカ経済の先行きが急速に不透明になっている。経済情勢の悪化は与党の共和党に不利に作用する。マケインもその影響を受けるだろう。もしオバマが新しい言葉で、新しいビジョンを語ることができるなら、勝機は十分にあることは間違いない。

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