中岡望の目からウロコのアメリカ

2008/10/30 木曜日

新冷戦論:グルジア紛争は米ロ関係の転換点になるか

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この記事は『週刊エコノミスト』10月7日号に掲載したものです。出版からなかり時間が立っていますが、基本的な状況に変化はないと思います。変化があるとすれば、グルジアやウクライナなどが金融危機のなかで経済が急激に悪化し、IMF(国際通貨基金)の緊急援助を受け、国内的にも混乱が見られることです。またロシアも金融危機の影響を受け、グルジア紛争が起こった8月当時とはやや情勢の変化があります。当然、アメリカも金融危機、経済不振、大統領選挙と不安定な状況にあり、米露関係が動く状況ではありません。ただ、ここ数年、ロシアの経済復興を背景に再び両大国が向い合う”新冷戦”を主張する論者が増えています。この問題は、今後も外交政策の焦点の一つになるでしょう。”新冷戦(Cold War)”に対して、むしろ現在は”冷たい平和(Cold Peace)”というべきだとの議論も出ています。本記事はグルジアとアメリカの特殊な関係を理解するうえで役に立つと思います。これからも外交問題についてできるだけフォローしていくつもりです。

新冷戦」が始まった!?

米国の政治学者フランシス・フクヤマが「ナショナル・ジャーナル」誌に「歴史の終焉」というエッセイを寄稿したのが、1989年である。その中でフクヤマは、共産主義の崩壊を予言し、「歴史の終焉」を主張した。すなわち資本主義が共産主義に勝利することで、ドイツの哲学者ヘーゲルが主張した階級あるいは思想の対立過程を繰り返しながら発展する歴史は止揚され、終焉を迎えることになる。エッセイが発表されてすぐ、ベルリンの壁は崩壊し、共産主義体制は資本主義の前に敗北した。フクヤマの預言は当たったのである。歴史の終焉は、「冷戦」の終結を意味した。

それから19年経った今年の春、米国の保守派を代表する学者ロバート・ケーガンは『歴史の復活』と題する本を出版した。その中で「歴史は再び正常に戻った」と主張した。すなわち冷戦の終結によってすべてのイデオロギーの対立は消滅し、小さな国の対立はあっても、冷戦時代のような大国が対峙しあう時代は去ったと信じられてきた。しかし、「それは幻想に過ぎなかった。世界は変わっていなかった」と指摘し、米国、ロシア、中国、欧州、日本、イランは地域での覇権を求めて国際競争を展開するようになったと指摘した。

冷戦の終結で超大国ソビエトは解体され、米国に正面から立ち向かう国家はいなくなった。だが8月7日、ロシア軍がグルジアに侵攻した時、再び米国とロシアの二つの大国が戦場を挟んで向き合うことになった。多くの論者は、これを「新冷戦」の始まりだと議論し始めた。

冷戦終結後、ロシアは国内問題の処理に追われ、国際政治の場で屈辱を味わってきた。市場経済への移行と巨額の原油収入で経済の復興を遂げたロシアは自信を取り戻し、再び自己主張し始めた。特にロシアの裏庭である中央アジア、コーカサス地方での米国の影響力の拡大がロシアを苛立たせていた。しかも原油や天然ガス資源を豊富に持つカスピ海沿岸にあり、かつてはソビエトの一部であった国々が欧米の影響下に入るのは、安全保障の観点からもロシアにとっても看過できない事態だった。

特にグルジアの急激な米国への接近はエネルギー問題もから絡み、米国とロシアの間の緊張要因のひとつになっていた。
ウラジミール・プーチン首相は、博士論文の中で「ロシアが超大国の地位を復活させるためにはエネルギー資源を支配しなければならない」と書いている。エネルギー企業の民営化路線を転換し、世界最大の天然ガス会社ガスプロムを国有化したのも、そうした発想に基づくものであった。プーチンは、旧ソビエト・ブロックから産出される原油や天然ガスはロシアの管理のもとでロシアを経由して世界に輸出されるべきだと考えていた。
だが米国の政策はまったく逆であった。冷戦後、クリントン政権はソビエト崩壊後の独立国家連合体の民主化を進めると同時に安全保障の観点から中央アジアで産出される原油や天然ガスをロシアを経由しなで輸出する道を開こうとした。1997年に国家安全保障会議のスタッフシェイラ・ヘスリンが議会証言で米国の戦略を「西欧の安全保障を強化する一方、モスクワの原油とガスの世界への供給に対する支配を低下させること」であると語っている。その戦略の要になるのがグルジアであった。クリントン政権は、その外交戦略を実現するためにグルジアを経由するパイプラインすなわち「エネルギー回廊」を建設することを決め、アゼルバイジャンからグルジアのスプサまでパイプラインが敷設された。

ブッシュ政権の政策も基本的にクリントン政権の政策と変わらなかった。2006年6月、チェイニー副大統領はリトアニアの首都ヴィリニュスで「ロシアが親米的な隣国から原油調達を阻止する行動にでるなら米国は新しい冷戦をもってロシアに対峙するだろう」と脅しとも取られかねない強い言葉を使ってロシアを牽制している。
また天然ガスの25%をロシアに依存するEUは、依存度を下げるためにグルジアを通り、アゼルバイジャンのバクー、グルジアのトリビシ、トルコのジェイハンを結ぶ新しいパイプライン(BTCライン)を建設する事業に取り組んでいる。総額115億ドルの費用をかけ、2012年に完成を目指している。ブッシュ政権も、同プロジェクトを支援することを約束している。このプロジェクトは明らかにロシアを排除することを目的としている。

こうした米国やEUの動きに対してロシアは当然反発した。国内に混乱を抱える状況では強硬な手段を取ることはできないが、経済復興が進み自信を回復したロシアは欧米の政策に警告を発するようになる。ロシア外務省の高官アンドレ・ウルノヴは「海外の勢力がカスピ海沿岸でのロシアの地位の低下を図っている。そうした試みにロシアが毅然と抵抗しても誰も驚かないだろう」と語っている。

同時にロシアは石油確保のために対抗策を講じている。カザフスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンと交渉し、3か国は年間200億立方メーターの天然ガスをロシア経由で輸出することに同意、07年12月に正式に協定に調印している。ロシアは、天然ガスの購入価格を市場価格に連動すると約束することで合意を取り付けている。購入した天然ガスはガスプロムを通して欧州に輸出されることになる。

米国とグルジアの特殊な関係

米国とグルジアの間には特殊な関係がある。クリントン政権はグルジアの軍再建に資金援助やグルジア軍の訓練などを積極的に行ってきた。グルジアのミヘイル・サアカシュヴィリ大統領はコロンビア大学法律大学院を卒業し、一時、ニューヨークの法律事務所で働いていた経歴を持つ。“ばら革命”で前任者のシュワルナゼ大統領を放逐し、04年に大統領に就任している。経歴から分かるように極めて親米的な人物である。米国に多くの人脈も持っている。たとえばグルジア政府の米国でのロビイストであるランディ・シューネマンは、共和党大統領候補のジョン・マケイン上院議員の上級顧問でもある。

サアカシュヴィリ大統領は野心家で、グルジア内の親ロシア的な南オセシアとアブハズを完全に支配下に置く機会を狙っていた。「エネルギー回廊」は、この二つの地域を通っており、ロシアも強い関心を持っている地域でもあった。今回の紛争は、どちらが最初に仕掛けたのかまだ判然としないところがある。お互いに相手が先に攻撃したと非難しあっている。ただロシアが干渉の機会をうかがっていたことは間違いない。ライス国務長官が7月にサアカシュヴィリ大統領と会談したとき、ロシアの挑発に乗らないように忠告している。

だが、同大統領はその忠告を聞かず、大きな計算間違いを犯した。『タイム』誌(9月3日号)は「彼はロシアが動き始める前に南オセチア軍を一気に壊滅させることができると考えていた。もう一つの誤算は、西側の同盟国が外交的に介入し、ロシアの動きを制限すると踏んでいたことだ」と指摘している。しかし、グルジアの南オセシアへの侵攻を始めた数時間後にロシアは大量の戦車を動員して反撃を行っている。また米国やNATOの反応も、同大統領が期待したようなものではなかった。その結果、グルジアは屈辱的な敗北を喫し、ロシアは南オセシアとアブハズの独立を支持すると発表するのである。

ジョン・ボルトン前国連大使は、今回の紛争によって「ロシアはグルジアを通っているエネルギー回廊をいつでも閉鎖できることを示した」と指摘している。これに対してブッシュ政権は「グルジアのエネルギー回廊は安全である」(マシュー・ブライザ国務副次官)と影響の大きさを打ち消している。

ただ、これによって米国の政策が変更を迫られることは間違いないだろう。紛争後、チェインー副大統領はグルジアを訪問し、復興のために10億ドルの援助を約束している。援助の基本は人道的な目的と戦争被害の復興にあり、軍事力強化は含まれていない。NATOなどはロシアのWTO(世界貿易機関)への参加を認めないなどの報復策を検討しているが、迫力はない。外交の専門家の評価では、グルジアは完全にロシアの罠にはまり、欧米もプーチン首相に翻弄されたと分析している。

大統領選挙への影響

サアカシュヴィリ大統領が大きな誤算をした理由のひとつに、マケイン議員との会談があったといわれる。その会談でマケイン議員はグルジアを支持すると語ったと伝えられている。そうした言質を同大統領は過大に評価したと推測される。グルジア紛争は民主党と共和党の全国大会の前に起こった。ただ、この問題は今のところ大きな選挙の争点にはなっていない。しかし、両候補者に安全保障政策と外交政策の判断力が問われることは間違いないだろう。

マケイン議員は8月10日に、民主党大統領候補のバラク・オバマ議員は11日にそれぞれグルジアに関する声明を発表している。その中で注目されるのは、オバマ議員が「ロシアと西欧の関係は長期にわたり複雑である。良きにつけ悪しきにつけ、何度も転換点があった。今回も、その転換点の一つである」と米ロ関係の変化を示唆している。ただ論調は一般論に終始している。これに対してマケイン議員は「ロシアのグルジアへの侵攻は米国にとって道徳的にも、戦略的にも極めて重要である」「我々はグルジアにエネルギー回廊という重要な戦略的利権を持っている」と、極めて具体的な指摘をしているのが注目される。

 「新冷戦」が始まったのかどうか議論の余地がある。ただ明確なことは冷戦後続いた米国の一極体制が間違いなく崩れ始めていることだ。ロシアのエネルギーを梃にした外交と同時に「上海協力機構」を梃に中国も中央アジアなどへの影響力拡大を図っている。オバマ議員もマケイン議員も新しい時代に対する明確な外交戦略を持っているとは言い難い。

米国とNATOは重大な選択に迫られている。それはグルジアのNATO加盟問題である。NATOはグルジアの加盟問題の判断を年末まで先延ばしにすることを決めている。またロシアの影響力拡大を恐れたウクライナもNATO加盟を求めている。グルジアやウクライナがNATOに加盟すれば、軍事的な攻撃を受けた場合、NATOは軍事的な支援を与えなければならなくなる。

また米国はポーランドとミサイル基地の建設で合意に達した。こうした政策も米ロの関係を緊張させる可能性がある。ただ、大統領選挙を見ている限り、両候補とも明確な対ロ戦略を語ってはいない。

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