中岡望の目からウロコのアメリカ

2008/11/5 水曜日

今回の大統領選挙で問われる政治思想の問題―オバマ候補当選の先に見えるもの

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大統領選挙が終わり、開票作業に入っています。オバマ候補の勝利は間違いないでしょう。今回の選挙は”アメリカの転換点”を示す選挙になるとの見方があります。それは黒人大統領の誕生ということと、戦後、アメリカのあり方を巡るリベラルと保守の戦いに新たな1ページが加わったという意味でもあります。戦後のアメリカはルーズベルトのリベラル主義がアメリカの政治を社会を席巻しました。しかし、1980年の大統領選挙でドナルド・レーガン政権が成立し、保守の時代に入ります。そして、今回の選挙は明らかに保守の敗北を意味します。では、それはリベラルの復活を意味するのでしょうか。今回の記事は『自由思想』10月号(石橋湛山記念財団)に寄稿したものです。執筆時点は10月中旬です。

今回の大統領選挙の状況

今回の大統領選挙は様々なテーマが浮かびあがった。民主党の大統領候補を選ぶ予備選挙では、初めての女性候補が誕生するか、あるいは初めてのアフリカ系アメリカ人の候補が誕生するかが最大の焦点となった。結果的には総得票数ではほぼ互角であったが、緒戦を勝利したバラク・オバマ上院議員が民主党大統領候補の指名を受けた。オバマ議員はイラク戦争で最も厳しい立場を取ることで、民主党内のリベラル派の支持を得たことと、分裂したアメリカ政治の統合と人種的和解を主張することで無党派層や若者層の支持を得たことが予備選挙勝利の原動力となった。

ただヒラリー・クリントン上院議員を支持した約1400万票の中の多くの女性票がオバマ議員に対する反発から離反し、投票所に行かないか、共和党候補に投票するのではないかと予想され、クリントン議員が支持者に対してオバマ議員支持を訴える場面もみられた。その後もオバマ議員は女性票をどう獲得するかが、選挙運動のひとつの課題として残った。

他方、共和党は8年間のブッシュ政権の負の遺産をどう処理するかが大きな焦点のひとつになった。昨年の夏には大統領候補から脱落したと思われていたジョン・マケイン上院議員が奇跡の復活を遂げ、3月の段階で予備選挙の勝利を確実にした。共和党予備選挙で注目されたのは、誰が保守派を代表する候補者であるかということであった。結果的には共和党内でもリベラル派と目されるマケイン議員が予備選挙を勝利し、多くの保守派を落胆させたことだ。宗教的右派や社会的保守主義者を代表すると期待された牧師のマイケル・ハッカビー前アーカンソー州知事が共和党保守派をまとめるのではと期待されたが、出遅れと経済政策の弱点から支持層を拡大することはできなかった。

さらに特徴的だったのは、有力視されていたルドルフ・ジュリアーニ前ニューヨーク市長も同性結婚や中絶に関して共和党内ではリベラルな立場に立ち、ミット・ロムニー前マサチューセッツ州知事はモルモン教徒で、立候補声明を出してから同性婚や中絶問題に対して立場を変えたが、基本的にリベラルに近い意見を持っていた。要するに、今回の予備選挙でどの候補もブッシュ政権を支持してきた“レーガン連合”を継承し、まとめあげる人物は存在しなかった。

マケイン議員も共和党保守派に距離を置き、当初は無党派層や民主党保守派の票を獲得する戦略を取っていた。ただ、世論調査で劣勢に立たされたマケイン議員は7月頃から戦略転換を行い、共和党の基盤である保守層の取り込みに注力し始める。それが予想外の副大統領候補の指名であった。共和党全国大会の直前にマケイン候補が指名したのはアラスカ州のサラ・ペイリン知事であった。彼女は中絶や同性婚に反対する強硬派の保守主義者であり、自らもダウン症の子供を出産し、10代で妊娠した娘の中絶も認めなかったことから、一気に保守派のシンボル的存在になり、“ペイリン現象”を引き起こし、マケイン候補の劣勢を跳ね返す役割を果たした。

ではレーガン連合について説明する必要があるだろう。それは1981年に大統領に就任したロナルド・レーガン大統領を支持し、“保守革命”を実現する原動力となった保守層のことである。具体的には社会的・宗教的保守主義者と自由市場を主張するリバタリアン、財政均衡を主張する財政的保守主義者、反共主義者のグループである。それぞれの掲げる政策目標は違うが、それをひとつの大きな政治的なグループにまとめあげたのがレーガン大統領であった。

同時にレーガン大統領は民主党内の保守派の支持をも獲得し、民主党のジミー・カーター大統領に圧倒的な差を付けて大統領選挙で勝利している。レーガン大統領に投票した民主党保守派の人々は“レーガン・デモクラッツ”と呼ばれ、今回の大統領選挙でも、その動向が注目されている。また、冷戦終結後、反共主義者の外交政策はネオコンと呼ばれるグループに継承されていき、レーガン政権後もレーガン連合が共和党の強力な運動基盤であった。

クリントン政権の八年間、共和党は政権の座から遠のいたが、2000年の大統領選挙でジョージ・W・ブッシュ政権の誕生を演出したのはレーガン連合であった。特にクリスチャン・コーリションなど宗教的右派が資金面でも、選挙運動の面でも非常に大きな役割を果たした。さらにレーガン連合が大きく機能したのが2004年の大統領選挙であった。この選挙でブッシュ大統領は圧勝で再選を果たした。理由は二つあった。それはテロに怯えるアメリカ国民に対して強い大統領を訴えることで従来は民主党支持派が多かった母親層の支持を得たことと、選挙の前にマサチューセッツ州などで同性婚を合法化する判決が出たことなどから危機感を抱いた宗教的右派、特にエバンジェルカル(福音派)と呼ばれる人々が大挙してブッシュ大統領支持で動いたことだ。

もともとエバンジリカルは進化論を巡る論争で主流派プロテスタントと袂を分かち、独自の運動を展開した宗派である。主流派プロテスタントが都市部で活動したのに対して、エバンジェリカルは郊外に小さな教会を作り、布教活動を展開した。戦後、富裕層が年を離れ郊外に移り住むようになったのと郊外を拠点とするエバンジェリカルの運動が結び付くことになる。主流派プロテスタントの信者の数が減少しているのに対してエバンジェルカルの教会は着実に信者の数を増やし、政治的にも大きな力を持つようになっていく。

ただエバンジェリカルがすべて共和党支持の保守派であるわけではない。カーター大統領もエバンジェリカルのキリスト教とであった。またブッシュ大統領もエバンジェリカルであり、大統領就任直後からホワイト・ハウス内で聖書の勉強会などを始めている。またエバンジェリカルは別名“ボーン・アゲイン・クリスチャン”と呼ばれている。すなわち「生まれ変わったキリスト教徒」という意味で、人生の苦境を経験し、再び神を発見したキリスト教徒のことである。エバンジェリカルにとってブッシュ大統領はまさに“ボーン・アゲイン・クリスチャン”であった。アルコール中毒で苦しみながら、信仰の道を再発見した人物と評価されていた。

だが、マケイン候補はエバンジェリカルの心に響く存在ではなかった。多くのエバンジェリカルは醒めた気持ちでマケイン候補に距離を置いていた。そうしたエバンジェリカルを再び結集する役割を担って登場したのがペイリン副大統領候補である。大統領選挙の争点を経済から社会問題である同性婚や中絶に移すことで、マケイン陣営はオバマ候補に反撃を試みたのである。2004年の大統領選挙の“文化戦争”のパターンを取り戻すことで起死回生を狙った。その効果などについては後述する。

ブッシュ大統領の“ブレーン”といわれるカール・ローブ前大統領次席補佐官は、レーガン連合を背景にウィリアム・マッキンリー政権(1897から1910年)からウフィリアム・タフト政権(1909年から1913年)に実現した共和党長期政権を理想にし、新たな共和党長期政権の樹立を語っていた。ローブにとって共和党の基盤を固めた2004年の大統領選挙の勝利は、その大きな出発点であった。しかし、イラク戦争の失敗や経済政策の失敗の中で、一転、共和党は逆風に立たされる。2006年の中間選挙で共和党は下院、上院で大敗を喫する。1994年以降続いていた共和党の両院支配は崩れてしまった。そうした逆風の中で、今回の大統領選挙が行われた。しかも、共和党候補の中にはレーガン連合を再結集する人物はいなかった。

保守派の中には、今回の大統領選挙では敗北は避けられないと、10年計画で保守派の理論的、組織的再構築を始め、2012年の大統領選挙に備えるべきだと主張するグループさえいた。2006年以降のアメリカ社会の変化の中で保守派勢力は自らの影響力の退潮を認めざるを得なかったのである。それは1964年の大統領選挙で保守派の代弁者であったバーリー・ゴールドウォーター共和党大統領候補がリンドン・ジョンソン民主党大統領候補に屈辱的敗北を喫し、自らの影響力の限界を感じた保守主義グループが体制立て直しのために地道な論理活動と政治活動に注力した状況を思い起こさせるものがあった。

選挙結果はアメリカ政治の転換点になる?

実は今回の大統領選挙はオバマ候補が勝つのか、マケイン候補が勝つのかということ以上に重要な意味を持っている。アメリカの評論家ロバート・カットナーは「時代を変える大統領は政治的なアラインメント(連合)を作り上げる大統領である。過去一世紀に二つの象徴的な例がある。一人はフランクリン・ルーズベルトであり、もう一人はドナルド・レーガンである。間にアイゼンハワー政権があったが、ルーズベルト連合は1932年から1968年の36年間続いた。レーガン連合は間にクリントン政権があるが、1980年から2008年の28年間続いた」と書いている。カットナーが今回の選挙をレーガン連合の終わりだと判断しているのは興味深い。おそらく、それは前述したように今回の大統領選挙でレーガン連合は共通な候補者を擁立できなかったことを意味するのであろう。実はこれこそが議論されなければならない問題なのである。すなわちレーガン連合の終焉はアメリカ保守主義の終焉を意味するのか。またルーズベルト連合の再生を意味するのかが問われる重要な選挙なのである。

ルーズベルト大統領は大恐慌の最中に誕生し、大胆なニューディール政策を導入することでアメリカの政治を根底から変えた大統領である。ルーズベルト大統領を支えたのが「ルーズベルト連合」あるいは「ニューディール連合」である。我々が知っているアメリカのリベラリズムとは、ニューディール・リベラリズムのことであり、ニューディール・リベラリズムが戦後のアメリカ社会の基調となった。一般にアメリカのリベラリズムというとき、それはニューディール・リベラリズムを意味している。その支持基盤となったのがインテリ層や労働組合、南部の中産階級、移民などである。世界恐慌の中でイタリアやドイツは国家資本主義に活路を求める。それはファシズムやナチズムを生み出すことになる。これに対してルーズベルト大統領は公共事業と労働政策、福祉政策、医療制度や住宅政策などを柱とするニューディール政策で大恐慌からの脱出を図る。すなわち国家資本主義ではなく、修正資本主義にアメリカの活路を見出したのである。

余談だが、現在アメリカのサブプライムローン問題で経営危機に直面しているファニーメイ(連邦住宅公社)は、ルーズベルト政権下の1938年に政府支援企業として住宅市場に流動性を供給する目的で設立されたものである。1986年に民営化されるまでアメリカの住宅抵当証券の流通市場を実質的に独占する存在であった。

ニューディール・リベラリズムは戦後のアメリカの繁栄を背景にアメリカの政治、社会、経済を支える思想へと定着する。そしてアメリカのリベラリズムとはニューディール・リベラリズムを意味するまでになっていく。それがピークに達したのはジョンソン政権の時である。ジョンソン大統領は「偉大なる社会政策」と「貧困との闘い」をスローガンに掲げ、ニューディール政策の最後の仕上げに取り掛かる。1965年の「社会保障法」によって低所得者と障害者を対象にする医療保険制度「メディケイド」と高齢者を対象にする医療保険制度「メディケア」である。この公的医療保険制度の確立でニューディール政策はほぼ完成した。

アメリカの社会保障制度や公的医療保険制度の確立は、当時世界各国で主張された福祉国家論とオーバラップし、ひとつのモデルと考えられた。たとえばイギリスの社会保障制度は「揺籠から墓場まで」という言葉で示されるように社会における国家の役割が拡大していった。だが、ジョンソン大統領の「偉大なる社会政策」はニューディール政策を完成させるものであると同時に、その凋落を予兆するものでもあった。「偉大なる社会政策」とベトナム戦争の戦費は巨額の財政負担を強いた。またベトナム戦争を巡ってリベラル派は分裂し、リベラル派はニューレフトの激しい挑戦を受けることになる。そして経済的にも思想的にもニューディール・リベラルは後退を強いられ、1967年の大統領選挙でジョンソン大統領は出馬しないと決断する。大統領選挙は共和党のリチャード・ニクソン元副大統領と民主党のリベラル派を代表するハーバート・ハンフリー元副大統領の間で争われ、ハンフリー候補は大敗を喫する。選挙人の獲得数はニクソン候補の301人に対してハンフリー候補はわずか191人に留まった。カットナーが1968年にニューディール連合が終焉したというのは、このことである。この大統領選挙を境にアメリカの政治が大きく変動する。それを説明する前にルーズベルト大統領のリベラリズムの基本的な考え方を見てみよう。

1994年の一般教書の中でルーズベルト大統領は、「どれほどアメリカ国民の全般的な生活水準が上昇しようとも、国民の3分の1、あるいは5分の1、10分の1というわずかな人々が十分に食糧を得ることができず、ちゃんとした衣類を持たず、十分な住む家がなく、不安定な状況に置かれているなら、私たちは満足してはならない」と語っている。そして国民の八つの権利を主張している。すなわち①雇用の権利、②食糧と衣類と余暇を楽しむだけの十分な所得を得る権利、③農民の権利、④企業が公正な価格で取引をする権利、⑤すべての家族がまともな家に住む権利、⑥十分な医療を受け、健康を享受する権利、⑦年をとったり、病気になったり、事故にあったり、失業するなどの経済的不安から守られる権利、⑧十分な教育を受ける権利を政策の基本として謳いあげている。ここに見られるのは福祉国家の理念と同時に、政府の役割を重視する姿勢である。この8つの権利は「第2の権利章典」と呼ばれている。ちなみに表現の自由、宗教の自由、集会の自由などを規定した憲法の最初の10の修正条項をまとめて「権利章典」と呼ぶ。

こうしたニューディール・リベラルの発想はオバマ候補の主張の中にも見られる。民主党全国大会の最終日の8月28日にオバマ候補は民主党大統領候補受諾演説の中で「我が党はルーズベルトの党である」と訴えている。そして政府の役割について「政府がすべての問題を解決できるわけではないが、私たち自身ができないことは政府が代わって行うべきである」と主張している。またオバマ候補は自著『The Audacity of Hope』(邦訳『合衆国再生―大いなる希望を抱いて』)の中で、次のように書いている。「結局のところ、私は民主党員なのである。私は平均低なアメリカ人よりも豊かで権力を持っている人々を優遇してきた政治に怒りを覚えている。私は、政府はすべての人にチャンスを与える重要な役割を担っていると考えている」と書いている。ルーズベルト大統領と同じ様にオバマ候補は、政府の役割を積極的に評価している。

これはレーガン大統領が1981年1月29日に行った大統領就任演説を思い起こされる。レーガン大統領は「政府が私たちの問題を解決するのではなく、政府自体が問題なのである」と厳しく民主党政権を批判している。実はリベラル派と保守派の政治思想の基本的な差は政府の役割の評価の仕方にある。すなわちリベラル派は政府が積極的に経済や社会に関わることで社会を改善していけると信じているのに対して、保守派は政府が肥大化することは最終的に市民的自由を奪うことになる主張している。リベラル派と保守派の対立については後述する。

その主張から分かるように、オバマ候補の基本的発想はニューディール・リベラリズムに通じるところがある。景気政策でも積極的に減税を主張するなど、ケインズ政策の復活を思わせるところがある。そうしたことから、オバマ候補をルーズベルト大統領に匹敵する政治家で、アメリカの社会と政治を変える可能性を秘めた政治家であると評価する人は多い。リベラル派の中でオバマ・ブームが起こったのも、そうした期待を反映したものであった。

リベラリズムの対抗軸としての保守主義の登場

アメリカの政治はリベラリズム対保守主義を対抗軸に展開されている。しかしルーズベルト政権が確立したニューディール・リベラリズムはアメリカ社会を席巻し、保守主義が政治的な勢力として登場するのは1960年代に入ってからである。保守派の経済学者として知られるミルトン・フリードマンは自伝の中で「学界もメディアもリベラル派が多数を占め、自らを保守主義者と語る者はまるでパラノイア(偏執病)のように見られた」と、当時の状況を述懐している。

アダム・スミス的自由市場論を展開する保守的なリバタリアン(自由主義者)は大恐慌に対して有効な処方箋を書くことができず、信頼を失っていた。経済学的にいえば、ケインズ経済学が学界を席巻していたのである。フリードマンは長い間、経済学界では主流派経済学とは相いれない異端の学者であった。戦後の保守主義の理論的な構築は、思想の分野で始まる。その最大の契機となったのは共産主義勢力の台頭であった。多くの保守主義者にとってニューディール・リベラリズムに基づく政府は次第に肥大化し、やがては全体主義に至ると危機感を抱いていた。すなわち福祉国家で肥大化する政府の向こうに共産主義や全体主義の姿を見ていたのである。しかし、アメリカには保守主義の理論的基盤が存在しなかった。そのため戦後の保守主義運動は保守主義の源流を求める思想的な試みから始まったのである。

その役割を担ったのがラッセル・カークであった。カークは18世紀のイギリスの政治家であり、思想家であるエドマンド・バーク(1729年から1797年)に現代保守主義の起源を求めた。バークは『フランス革命の省察』の中でフランス革命を批判し、階級の必要性を説いている。急激な変化は社会的混乱を引き起こすと革命思想を批判する。それはフランス革命の思想的なベースであった啓蒙思想に対する批判の書であった。カークは1953年に出版した『保守主義者の心』の中で進歩主義を批判し、倫理的な面からリベラリズムに対する思想的基盤を構築する。また保守主義者リチャード・ウィーバーは1948年に『思想は結果を導く(Ideas have consequences)』と題する本の中でカークと重なる進歩主義・リベラリズムの批判を展開している。こうした保守主義者は伝統主義者と呼ばれ、現在の社会的保守主義者や宗教的右派に主張は受け継がれている。

しかし、それだけでは保守主義は政治勢力にはなりえない。保守主義者であるリバタリアンの復興が必要であった。リバタリアンに生気を吹き込んだのはヨーロッパの全体主義を逃れてアメリカに亡命してきた経済学者たちであった。特にフリードリヒ・ハイエクであった。彼はヨーロッパの全体主義の脅威を目の当たりに経験し、その問題点を感じ取っていた。ハイエクが1944年にシカゴ大学出版局から出版した『隷属への道』は、政府の肥大化はやがて人々を政府に隷属させることになると福祉国家批判を展開する。経済学の面からニューディール政策への批判が行われたのである。また亡命経済学者ルードヴィッヒ・フォン・ミーゼスも計画経済が破綻すると主張し、共産主義批判を行い、保守主義の主張を強化する役割を果たした。伝統主義者とリバタリアンは社会倫理的な面で考え方の相違があったが、反共主義という共通項を持っていた。

アメリカの保守主義が単なる思想の議論から現実の政治勢力になるには、もう二つの要素が必要であった。まずお互いに軽蔑しあうところがあった伝統主義者とリバタリアンを政治的な目的のために融合する必要があった。それを実現したのがフランク・メイヤーの融合主義である。もう一つの要素は、保守主義を国民に広げる機能である。これを担ったのがウリィアム・バックリー・ジュニアである。彼は雑誌『ナショナル・リビュー』を創刊し、保守主義者の議論の場を提供すると同時に若い保守主義者を育て上げていく。

そうした保守主義運動はひとつの転換点を迎える。それは一九六四年の大統領選挙である。保守主義を代表する形でバーリー・ゴールドウォーター上院議員が共和党大統領候補に指名され、ジョンソン大統領と競いあったが、大敗北を喫する。ゴールドウォーターは保守主義者の経典ともいえる『ある保守主義者の良心』を一九六四年に出版し、保守主義者にとってシンボル的な政治家であった。日本では極右のイメージが強い人物であるが、彼は今でも保守主義者にとって敬意を持って語られている人物である。ゴールドウォーターの大敗は保守運動の転機となった。保守主義者は地道な草の根の選挙組織を作り上げていくのである。リチャード・ニクソン大統領は保守主義者とは見られていないが、共和党の政治的基盤作りで重要な役割を果たした。

ニクソン大統領が使った有名な言葉に“サイレント・マジョリティ”がある。リベラル派が世論を代表するのではなく、声には出さないがアメリカ社会には保守的な多数派が存在するという主張である。“サイレント・マジョリティ”とは具体的にいえば南部の白人中産階級を意味していた。南部の白人中産階級は、実はルーズベルト連合を構成する重要なグループであった。共和党は、民主党の支持地盤に切り込んでいくのである。そしてやがて南部諸州は共和党の強固な地盤へと変わっていく。

それを可能にしたのは“リベラルの過剰”であった。リベラリズムの大きな流れの中で個人の自由を最大限認めようという雰囲気が醸し出された。その結果、ポルノ解禁などが行われる結果となった。決定的な影響を与えたのは一九七三年のロー対ウエイド裁判で最高裁が女性の中絶権を認めたことである。さらにカーター大統領が公立学校における礼拝を禁止したことで、宗教的右派が反発することになった。従来、宗教団体は政治に対して一定の距離を置いていた。しかし、こうした“リベラルの過剰”の中でキリスト教右派が政治的な勢力として台頭してくる。最初は「モラル・マジョリテフィ」運動として、それが「クリスチャン・コーリション」へと引き継がれ、共和党の有力な支持基盤になっていく。

南部の白人中産階級の多くは敬虔なクリスチャンで、彼らも“リベラルの過剰”に反発し、次第に民主党を離れていく。2004年の大統領選挙で中絶や同性婚が大きな争点になったように、この問題はリベラル派と保守派にとって深刻な価値観を巡る問題となっている。

伝統主義者、リバタリアン、反共主義者、キリスト教右派に加え、もともと民主党にいた“冷戦リベラル”と呼ばれる反共主義で親イスラエルグループ(その大半はユダヤ人である)は民主党の対イスラエル政策、対ソ政策に不満を抱き、民主党を離れて共和党へと転向してきた。そうした勢力が一体化して出来上がったのが“レーガン連合”である。そして2000年の大統領選挙でレーガン候補は現職のカーター大統領を破って初めての保守主義者の大統領が誕生したのである。これは“レーガン革命”あるいは“保守革命”と呼ばれている。レーガン大統領の政策は市場主義、規制緩和、小さい政府、財政均衡、企業と金持ち減税、自己責任、反共主義が柱となり、結果的には低迷が続いていたアメリカ経済とアメリカ企業の復興の道を開き、同時に共産主義に対する勝利をもたらしたのである。これ以降、アメリカは社会的にも、経済的にも、政治的にも、保守主義路線を進み始める。

レーガン政権二期、ジョージ・W・H・ブッシュ政権一期の12年後に政権は再び民主党に戻るが、それはニューディール・リベラルへの復帰ではなかった。ビル・クリントン政権は財政均衡、行政改革と共和党顔負けの保守的な政策を掲げて政権を奪取したのである。クリントン政権を支えたのは南部のスタッフを中心としたニューデモクラッツと呼ばれる「デモクラティック・リーダーシップ・カウンセル」であり、クリントン政権は中道右派の政権であった。要するに勢いを増す保守主義ににじり寄って成立した民主党政権であった。カットナーが指摘するように1980年から保守の時代は2008年まで続くのである。クリントン政権下で行われた一九九四年の中間選挙で共和党は両院で過半数を獲得した。これは“共和党革命”あるいは選挙を指導した当時の下院議長であったニュート・ギングリッチの名を取って“ギングリッチ革命”と呼ばれている。これは保守主義の全面勝利宣言というものであった。

“国のあり方”を巡る歴史的論争

アメリカの政治は保守とリベラルという対立軸に動いてきた。だが、その構図をさらに理解するためにはアメリカの歴史に一本の補助線を引いてみる必要がある。ヨーロッパのリベラリズムは王政や教会権力との闘いの中から生まれてきた。しかし、アメリカには戦うべき旧勢力は存在しなかった。それが特異なアメリカのリベラリズムを生み出してきた。アメリカ独立の契機を作った本にトーマス・ペインの『コモン・センス』(1776年)がある。その中に「政府は最善の状況においても必要悪であり、最悪の状況においては耐え難い存在である」という一節がある。この発想がアメリカの政府に対する基本的な考え方を象徴的に示している。イギリスの王政に苦しめられたアメリカ人には、強い国家権力を忌避する傾向があった。また独立宣言の中に「すべての人は平等に造られ、それは創造主によって与えられたもので、決して奪うことのできない権利である」書かれている。すなわち人間には生まれながらに持つ“自然権”があると主張することで、国家による権利の剥奪を否定したのである。ジェームズ・ウィルソン・カリフォルニア大学教授は「アメリカの政治文化は権利の重視と権威や権力者に対する根深い不信を反映している」と書いている。言いかえれば、強い政府、大きな政府に対する不信感がアメリカの政治の基盤にある。

政府のあり方を巡る論争がアメリカの政治の大きな焦点であった。それは建国当初のアレキサンダー・ハミルトン(1755年~1804年)とトーマス・ジェファーソンから始まっている。ハミルトンは強い連邦政府を主張したが、ジェファーソンは政治的権力は州をベースに置くべきだと主張した。ハミルトンを支持する人々は“フェデラリスト”と呼ばれ、ジェファーソンを支持する人は“リパブリカン”と呼ばれた。それ以降、国のあり方を巡って常に政治的な対立が生じる。ちなみにハミルトンはイギリスのバンク・オブ・イングランドのような中央銀行の設立を主張したのに対して、ジェファーソンは反対し、アメリカが連邦準備法を成立させ、FRB(連邦準備制度理事会)を設置したのは1913年のことである。先進国では最も遅い中央銀行の設立であった。ハミルトンとジェファーソンの対立は、ある意味では保守派とリベラル派の対立に通じるとことがある。それは政府の果たすべき役割に対する立場の差であり、目指すべき政府の方向性の違いでもある。

建国当時のリベラリズムを古典的リベラリズムと呼ぶなら、ニューディール・リベラリズムはかなり異質のリベラリズムである。古典的リベラリズムはある意味では保守主義思想に通じるものが多い。大胆な言い方をすれば、アメリカの歴史の中では保守主義が本流であるかもしれない。

オバマはルーズベルトになり得るか
 
選挙の結果を予想するのは難しい。本稿を執筆時点(10月中旬)では、多くの世論調査はオバマ候補のリードとなっている。世論調査の結果通りなら、オバマ候補の勝利の可能性が高い。しかし、黒人の候補者と世論調査の間の乖離を示す“ワイルダー効果”というのが存在している。それは1989年のバージニア州知事選挙で民主党の黒人候補ダグラス・ワイルダーが世論調査で共和党候補を9ポイントから一一ポイントリードし、楽勝が予想されていた。しかし、実際の投票結果では僅差で勝利している。また、1982年のカリフォルニア州知事選挙に黒人トム・ブラッドリー・ロサンジェルス市長が立候補し、世論調査では圧倒的に対立候補をリードしていた。しかし、ブラッドリー市長は選挙で敗れている。こうした事例から、多くの有権者の黒人候補に対して世論調査で答える回答と実際の投票行動が違うケースが見られることを示している。すなわち公然と黒人候補に対して否定的なコメントはしないが、投票箱の前にくると人種的な偏見が顔を出すのである。ある有権者は「本音は言えない」と答えているが、今回の大統領選挙で“ワイルダー効果”が出てこないとも限らない。そうした保留条件を除けば、オバマ候補が大統領に当選する可能性が濃いことは間違いない。

大恐慌はルーズベルト大統領にニューディール政策という全く新しい政策を選択させた。今、金融不安に揺れ、アメリカ資本主義の根底が崩れつつあるとき、オバマ候補が大統領に選ばれれば、どのような政策を取るのであろうか。彼は第二のルーズベルトとしてアメリカ社会を再び変えることができるのだろうか。『ナショナル・ジャーナル』誌は、上院におけるオバマ候補の投票行動を分析し、最もリベラルな政治家であると指摘している。“チェンジ”というスローガンを叫ぶオバマ議員にルーズベルト大統領のイメージを重ねることはできるかもしれない。しかし、大統領選挙運動が進むにつれてオバマ候補の主張は徐々に中道にシフトし始めている。またオバマ議員の政策には具体性に欠けるとの批判も強まっている。ここではオバマ候補の政策を分析する紙幅はないが、ニューディール政策のようなグランド・デザインは見つからない。人種的融合と超党派的政策を訴えることで分裂する政治状況を統合しようとする意気込みは感じられるが、その現実性には疑問が残る。ルーズベルト大統領は就任後100日で主要なニューディール政策を実行に移している。オバマ候補も経済危機に直面する中で、最初の100日にどんな政策を打ち出すのだろうか。現在の時点では、その政策の形はまだ明確には見えてこない。

【参考文献】
Buckley, William: Flying High-Remembering Barry Goldwater (Basic Book, 2008)
Friedman, Milton and Rose: Two Luck People (University of Chicago Press,1998)
Goldwater, Barry: The Conscience of a Conservative (Gegnery Gateway, 1990)
Kirk, Russel: The Conservative Mind (Regnery Publishing Company, 1985)
Kuttner, Robert: Obama’s Challenge (Chelsea Green Publication, 2008)
Pain, Thomas: Common Sense (Penguin Books)
Perlstein, Rick: Nixonland ( Scriber, 2008)
Wilson, James and Dilulio, John: American Government (2006, Houghton Mifflin Company)
中岡望:『アメリカ保守革命』(中公新書ラクレ、二〇〇四年)
―――:「大統領を作った男・カール・ローブ」(『中央公論』二〇〇五年三月号)
―――:「保守主義凋落を見据えて逝った“レーガン革命の守護神―ウィリアムウ・バックリー論」(『諸君』二〇〇八年六月号)
―――:「米大統領戦―“草の根保守の女神”ペイリンが流れを変えた」(『諸君』二〇〇八年一一月号)

8件のコメント »

  1. いつも興味深く読ませていただいております。
    そしていつもアメリカは意外と奥の深い国だと感じますね。
    それもそのはず同じ政治体制で300年近くやってんですから。
    日本で300年前と言うと、江戸時代、別の国の話になってしまいます。
    アメリカの政体も世界では最長寿の政体の一つではないでしょうか?
    アメリカは決して若くない。
    オバマがこのアメリカの重い伝統を背負ってなにをするのか、
    しかも黒人で、しかも何もかもドンつまったところで、
    本当に興味があり、目が離せませんね。

    コメント by なーふぁんちゅ — 2008年11月6日 @ 21:48

  2. オバマ政権はカーター政権と同じ様な結果をと思います。

    今の共和党、そしてそのサポーターが自由を政府から守る事が出来るかな?

    ちなみに、Ronaldだから、ドナルド・レーガンではなく、ロナルド・レーガンではないでしょうか?

    MikeRossTky

    コメント by MikeRossTky — 2008年11月7日 @ 21:04

  3. 「諸君」11月号に「草の根保守の女神ペイリンが流れを変えた」という論文をお書きになっていますが、それを受けて、
    1.彼女は大統領選の流れを変えてしまったのでしょうか?
    2.アメリカの「草の根保守」というのはあの程度の「教養」レベルなのでしょうか?

    閑話休題。

    かつて「共和党は平和と不況の党」「民主党は戦争と繁栄の党」といわれたことがありましたが、レーガンからブッシュまで共和党は戦争と不況(経済を腐らせる)の党に変わったかに思えます。(戦争こそ、大きな政府の最たるものであることは、草の根保守主義とは矛盾しているような気もしますが)

    オバマは果たして戦争と繁栄の党の伝統を復活させられるでしょうか?
    それともいまや戦争をでっち上げなくては持たなくなったアメリカの路線の上で、オバマもまた戦争と不況により、アメリカの斜陽を深めることになるのでしょうか?

    以上、お説をうかがいたく。

    コメント by 鈴の音 — 2008年11月8日 @ 01:45

  4. 初めまして。

    今日はどんなことが書いてあるのか、
    ブログの更新をいつも楽しみにしています。

    お仕事頑張って下さいね!

    コメント by さやか — 2008年11月11日 @ 23:40

  5. いやぁアメリカって面白いですよね。

    大いなる矛盾を抱えながら、まとまったり離れたり。

    大変参考になる記事でした、ありがとうございます。

    コメント by みんなのFX — 2008年11月15日 @ 20:03

  6. うーん、アメリカはどうなっちゃうんでしょうね??

    コメント by sisi — 2008年11月20日 @ 23:03

  7. 興味深く読ませていただきました。有意義な内容で勉強になりました。とりあげさせてくださいね。

    コメント by あゆ — 2008年12月6日 @ 23:15

  8. 今日はどんなことが書いてあるのか、
    ブログの更新をいつも楽しみにしています。

    お仕事頑張って下さいね!

    コメント by モンクレールメンズ新作 — 2013年11月13日 @ 10:55

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