減税は本当に景気政策として有効なのか
世界経済の情勢は悪化の一途をたどっています。欧州経済は既に深刻な様相を示しており、アメリカ経済も急激に悪化しています。輸出に依存する日本経済も今年はマイナス成長になることは間違いありません。そんな中で各国は景気刺激策を打ち出しています。オバマ次期大統領は1月20日に正式に大統領に就任しますが、1月6日に始まった新議会では既に景気刺激策についての議論が行われています。民主党幹部とオバマ経済チームが中心になって政策の詰めを進めているところです。刺激策の総額は8000億㌦から1兆㌦の規模になりそうです。その政策の柱は減税で、個人減税と企業減税を含めて3000億㌦を超えそうです。また日本でも景気刺激策が議論されており、政府は定額給付金による2兆円減税を主張しています。ただ本当に減税が効果あるのかどうか疑問もあります。日本の国会での議論を聞いていると、まるで理論的な議論はなく、根拠のないまま政府は「効果がある」と主張、野党は「効果がない」と主張し、見直しを迫っています。改めて景気政策としての減税の効果について説明したいと思います。
【景気刺激策の基本的な考え方】
減税の効果について議論する前に、GDP(国内総生産)の仕組みについて整理しておきます。GDPを支出の面から見ると、その構成要素は「個人消費(民間最終消費支出)」「民間住宅投資」「民間企業設備投資」「民間在庫投資」「政府支出」「純輸出」です。それぞれの支出項目がどう変動するかで経済成長率が決まってきます。GDP全体は総需要を意味します。景気が悪くなるのは需要が落ち込むからです。重要が落ち込めば、企業は生産調整をします。それが雇用に影響を与えることになります。資本主義社会では景気循環は避けられません。期間が短いか長いかはあっても、景気が良い時と悪い時は必ずあります。経済政策は、その景気循環をできるだけ穏やかにし、完全雇用を実現することが目的です。しかし、景気循環は資本主義の宿命で、変動の波を小さくしても、なくすことはできません。
景気が悪くなるということはGDPの構成要素のいずれかが落ち込み、それが他の項目に波及するからです。構成要素で最大のものは「個人消費」です。アメリカ経済の場合、「個人消費」がGDPに占める比率は70%程度と非常に高い水準にあります。それだけ個人消費への依存度が高いわけです。日本の場合は60%弱です。途上国ではさらに低く、中国の場合は50%にも達していません。次に大きな比率を占めるのが「企業の設備投資」です。アメリカと日本ではいずれも15%前後です。また日本の場合、景気動向に大きな影響を与えるのが「純輸出」です。これは輸出と輸入の差で、プラスの場合もマイナスの場合もあります。日本は「純輸出」はプラスで経済成長に寄与しています。アメリカは逆にマイナスで、経済成長の足を引っ張っています。いずれにしても最大の比率を占める「個人消費」の動向が景気の動きを決めているといっても過言ではありません。
今回の景気悪化は、アメリカの場合は「個人消費」と「住宅投資」の落ち込みが大きく響いています。日本の場合は、アメリカや中国など海外経済の低迷で輸出が減退したこと、円高で企業収益が悪化したことが大きな要因となっています。したがって景気対策は、こうした落ち込みを埋め会わせるために需要を作り出すことです。景気対策は2つあります。ひとつは「金融政策」で、もうひとつは「財政政策」です。
昨年来の金融危機で各国は金融緩和を進め、金融機関の救済を行ってきました。そこに急激な景気後退も加わったことで大幅な金融緩和が行われ、日米では“ゼロ金利”政策がとられるまでになっています。イギリスでもイングランド銀行が1月8日、政策金利を1.5%に引き下げることを決めました。これはイギリスの金融政策上、最低の金利になります。今年は各国の景気はさらに悪化すると予想されています。すると金融政策の発動の余地はもう残っていないのです。金融政策が効果を失った状況を“流動性の罠”といいます。金利はマイナスにすることはできないのです。そのため金利という“価格”を政策手段として使えないなら、中央銀行が市場で国債などを購入して資金を供給する“量的な緩和”を行って金融面から景気を刺激する政策も考えられますが、いずれにせよ効果には限りがあります。景気政策として「金融政策」が使えないなら、「財政政策」を使って景気回復を図るしかありません。
「財政政策」には大きく分けて「減税政策」と「公共事業政策」があります。この10年位、各国とも財政均衡を大きな政策目標に掲げてきたため、「金融政策」が景気政策の柱となってきました。また「公共事業政策」には無駄が多く、政治的な影響も受けやすいことからあまり評判が良くありませんでした。しかし、「金融政策」が無力になり、大恐慌の懸念が高まっているときに、悠長なことは言っておられず、再び「財政政策」を使って景気浮揚を図らざるをえなくなっています。具体的には個人減税を行えば、家計部門の可処分所得が増え、消費も増えることになります。公共事業を行えば、企業に対する直接的な需要を作り出すことができます。そうした財政支出は一回限りの影響に留まらず、経済全体に波及していきます。減税で増えた所得は一定の割合で消費に使われます。これを「消費性向」といいます。ケインズ経済学では「消費性向」は短期的には一定と考えられています。すると最初の所得増加分の一部は消費に充当され、それが次の人の所得増加となり、連鎖が続き、最終的に最初の減税額の何倍もの消費需要を作り出すことになります。これを「城数効果」といいます。こうした理論がケインズ経済学のベースになっています。公共事業でも同様な波及効果が期待されています。
ところが「消費性向」が一定という理論は必ずしも正しくないという別の経済理論もあります。その代表的な理論に「恒常所得仮説(permanent income hypothesis)」というのがあります。これは保守派の経済学者でノーベル経済学賞を受賞したミルトン・フリードマンが主張した理論です。消費を決定するのは所得であることに異論を唱える人はいません。ただケインズ理論のように増加した所得が自動的に一定の比率で消費に回るという考え方と、恒常的な所得をベースに消費するという考え方です。前者の場合は「臨時収入は使ってしまえ」ということですが、後者の場合は「臨時収入は貯蓄しよう」ということになります。ましては「将来、財政赤字を補填するために増税がある」となれば、消費に向けられる額はそれだけ少なくなるでしょう。ただその場合でも、全額貯蓄することはないでしょうが、臨時所得の消費性向はかなり低くなると考えられます。経済効果が最大となるのは、消費性向が100%で臨時収入が全額消費された場合ですが、現実にはあり得ない状況です。国会討論で麻生首相が「定額給付金をどんどん使ってほしい」と言っていたのも、そうすれば消費が増え、景気が良くなるという意味です。
【減税の効果を検討する】
大幅な減税をしても人々があまり消費しなければ、後に財政赤字が残るだけです。実際に減税効果がどれだけあるのか調べてみましょう。アメリカは「2008年景気刺激法」に基づいて総額で1000億㌦の減税を行いました。7000万所帯が平均で950㌦の戻し税を受け取ったのです。アメリカでは納税も還付も小切手で行われるのが普通です。直接、内国歳入庁から小切手が送られてきます。それを銀行に持って行って換金するのです。実は人々は増えた収入のうちの10%から20%しか消費に回さなかったのです。残りの増加分は貯蓄と借金の返済に回されました。GDP統計で見ると、第2四半期中に総額で780億㌦の減税が行われましたが、消費が120億㌦増えただけでした。
ハーバード大学のマーチン・フェルドシュタイン教授は「この事実から一回限りの減税は経済活動を活性化させる有効な方法ではない」「消費の増加は減税の規模と比べると非城に小さい」と指摘しています(『ウォール・ストリート・ジャーナル』2008年8月6日)。同教授の発言のポイントは“一回限りの減税”というところにあります。これが一回限りでなく“恒常的”な減税なら話が違うということです。フリードマンの理論を使えば、恒常的な所得になら消費は増えることになります。
減税の効果が小さいと指摘する学者にコロンビア大学のジョセフ・スティグリッツ教授がいます。同教授はもっと直感的に「先行き雇用不安がある状況で増税による所得増加があっても消費に使われるよりは将来に備えて貯蓄される可能性が強い」と指摘し、現在のような状況では直接需要を作り出すことができる公共事業を優先すべきだと主張しています。要するに人々の消費は単に所得水準だけでなく、将来に対する見通しの影響も受けることになるというわけです。
【日米の減税政策をどう評価すべきか】
減税の消費刺激効果がまったくないというのは極論ですが、普通に考えられているほどの効果はないというのは事実でしょう。オバマ次期大統領は「景気回復再投資計画」によって300万人の新規雇用を創出すると主張しています(つい最近までは250万人でしたが)。そのために総額で8000億㌦程度の規模の景気対策を検討中だと伝えられています(オバマ次期大統領は具体的な数字に関して質問されても、明確には答えていません)。議会の審議の過程で額は1兆㌦程度まで膨らむとの予想もあります。そのうちの3000億㌦が減税に使われることになると予想されます。オバマ次期大統領は選挙中に中産階級や低所得者を対象に一人当たり500㌦、一所帯1000㌦の減税(戻し税)を行うと公約していました。個人向け減税額は総額で1400億㌦程度になります。なお税金を納めていない低所得者には生活補助金を支給することになります。また、もう一つの大きな特徴は企業減税も同時に行うことです。特に過去に発生した損金処理について現在は過去2期分に限られていましたが、それを5年にまだ拡大することなども検討されています。加速度償却などの導入で設備投資を刺激する案も浮上しています。
これに対して異議を唱えているのが昨年のノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマン・プリンストン大学教授です。同教授は総額の40%近くを2年間にわたって減税に回すのは好ましくないと批判しています(『ニューヨーク・タイムズ』2009年1月5日)。その理由として、「政府の支出は直接需要を生み出すが、減税の多くは貯蓄にまわる」、「減税による消費増は何も残さないが公共投資は後に資産を残す」ことを挙げています。ただ公共投資は実施するまでに時間がかかり、景気が急激に悪化している状況に十分に対応ができないため、最初に減税を行う必要はあると指摘しています。ただ2年目は公共事業の効果が期待できるので減税を行う必要はないとも言っています。「2年間で景気対策額の40%を減税に振り向けるのは多すぎる」と書いています。
スティグリッツ教授もクルーグマン教授も減税よりも公共投資の必要性を訴えているのが特徴です。ただフェルドシュタイン教授は、最近の会合で、オバマ経済チームが検討する大幅減税を支持する発言を行っていますが、それも「他に選択肢がない」というのが根拠になっています。
オバマ次期大統領にニューディール政策を行ったルーズベルト大統領のイメージを重ね、「新しいニューディール政策」を期待する声があります。ニューでフィール政策は大規模な公共事業を通して雇用を創出しました。そこからオマバ次期政権にも同じ様な政策を期待しているのでしょう。ただクルーグマン教授は「企業減税はまってくニューディール的ではない」と批判しています。最近のメディアの中には「ケインズが復活した」という論調が多く見られます。こうした公共事業を中心とする政策が主張されるのも、そうした雰囲気を反映したものでしょう。なお共和党は伝統的に減税を主張する政党です。ただ、その場合、高額所得者や企業向け減税が中心で、中産階級や低所得者向けの減税には熱心ではありません。共和党の減税政策は経済政策というよりもイデオロギー的で、高額所得者の納税負担が大きすぎるために軽減すべきだという思想に基づいています。ですから共和党の減税政策と民主党の減税政策には考え方で大きな差があります。なおオバマ経済チームが減税の割合を高くしたのは、議会で共和党の支持を得るためだとの説もあります。
さて、日本の減税はどうでしょうか。正直、経済学的な議論はまったく行われていません。この10年、“公共事業性悪説”が大きな影響を与えてきました。確かに日本の公共事業は特定の企業や政治的な色彩が強かったことは事実です。オバマ次期大統領はグリーン・インフラや教育投資、代替エネルギーの開発などの中長期的な視点にたった公共事業の必要性を説いています。日米を比較すると、日本ではまともな議論が行われていないようです。日本の個人消費はアメリカと比べるとかなり低い水準にあります。輸出依存の経済は脆弱です。内需の拡大は常に叫ばれてきましたが、実現しませんでした。それが今回のような経済低迷の原因になっています。多くの人は、貯蓄はあるが使わないのが実情です。スティグリッツ教授の理論を借りれば、将来に対する不安が大きいことが消費低迷を招いているのでしょう。本当の景気政策は、目先の減税ではなく、もっと明確な展望を示すことなのではないでしょうか。
5件のコメント »
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「貯蓄はあるが使わない」31歳の会社員です。
非常に読み易く解り易い解説ですね。
頭の中が整理されました。ありがとうございます。
日本にはなかなか「明確な展望を示す」リーダーが、
その育成土壌の不足や悲観論一辺倒のマスコミによる
揶揄によって出現し難いですね。
なお、恐縮ですが誤植と思われる箇所がありましたので
指摘致します。
「城数効果」
⇒乗数
「消費の増加は減税の規模と比べると非城に小さい」
⇒非常
ニューでフィール政策
⇒ニューディール政策
「企業減税はまってくニューディール的ではない」
⇒まったく
コメント by しだっくす — 2009年1月19日 @ 15:06
リスクを取る、取れる人、企業に政府がリスクを取りやすくする環境を作れば、雇用は生まれ、消費は増えると私は考えます。
減税=消費増加の考えは間違えだと。また、台湾が行ったような短期的な消費拡大の為の定額交付金は雇用を生まないし、経済を長期的に動かす事はできないと思います。
法人税を”0%”に。法人が税金払うお金が投資家に還元され(税金がその時点で課せられ)新しいリスクを取る環境を作りだすのがベストではないでしょうか?
ニューディールでは政府が雇用を作ろうとがんばりましたが、結果として25%だった個人に対する最高税率が79%まで跳ね上がり、投資家が投資しない環境を作ってしまった。
日本が世界からお金を集め、ベンチャーを日本で立ち上げ、世界に発信する企業を作るのには、法人税を”0%”にして経済を活発化させる必要があるのではないでしょうか?
目先の減税ではなく、長期的にリスクがきちんと取れる減税を行えば、自然と資産は集まり、景気は良くなると思いますがいかがでしょう?
MikeRossTky
コメント by MikeRossTky — 2009年1月20日 @ 00:04
オバマ人気のアメリカ政治はこの語どうなっていくんでしょうね。
世界からも注目されていますが、こんなに温かく見守られている
大統領も珍しいですよね\(^▽^)/
こんなに詳しく解説されている方がいたとは知りませんでした。
これから拝見させていただきます。
コメント by 推理と投資 — 2009年1月28日 @ 15:40
米国の個人消費がGDPに占める割合は約70%
日本は約60%だった。
米国の場合の個人消費は、モラルハザードすれすれの
借金消費(カードローン等)。
日本は、一般には預金からの現金消費だった。
米国では、カード会社がこれまでのリボ払いやローン払いの
制限をどんどん厳しくしてきた。どんどん借金消費が出来なくなってきた。だからどんどん需要も落ちてきた。
もし、米国でもモラルある個人消費形態なら、個人消費は日本と
同じぐらいの60%が妥当ではないだろうか。→とすると米国経済の
再生はちょと難しいかもしれない。→個人消費を期待できない。
コメント by 陳胡臭 — 2009年1月29日 @ 16:45
個人的に減税は大賛成。であります。
コメント by uターン転職 — 2009年2月11日 @ 14:01