中岡望の目からウロコのアメリカ

2004/11/17 水曜日

大統領の精神構造

Filed under: - nakaoka @ 10:18

この数日、風邪気味のうえ原稿執筆の準備に追われていました。アップしたいテーマはたくさんあるのですが、時間が取れません。今回は、今月号『中央公論』に寄稿した原稿に若干加筆をして、アップします。それは書評の形を取っていますが、ケネディ、クリントン、ブッシュ(息子)の精神構造について触れたものです。雑誌の紙面の制限で十分に説明し切れなかった部分がありますが、それなりに面白い内容になっていると思います。”時事的”なテーマではありませんが、アメリカの大統領を理解するうえで、少しは役に立つと思っています。遅れている「ブッシュ・ドクトリンとネオコン(3)」も、時間の余裕ができれば書く予定ですので、しばらくお待ちください。

「アメリカ大統領」
世界の命運を決するアメリカ大統領の精神構造を分析

アメリカの大統領にとって政策以上に重要なのは、「大統領の資質」である。たとえば大統領選挙中に行なわれる公開討論会で評価されるのは「大統領にふさわしい人物」かどうかである。また、在任中もいかにして大統領の威厳を維持するかが、大統領にとって極めて重要なことなのである。アメリカでは、政治家に限らず、プレゼンテーションが非常に重要である。今回の公開討論に先駆け、ブッシュ、ケリーの両候補とも、事前に討論の予行演習を繰り返し行なっています。最初の公開討論で劣勢にたったブッシュは、2回目では見違えるほど立ち直っていたのも、専門家のアドバイスが効いたのだろう。

アメリカの大統領は想像を絶する権力を持っている。政府内部でどんなに議論が行なわれようが、大統領の言葉は“最終決定”であり、誰も逆らうことができない。日本のように、役人の作文を合議で承認して政策が決まるというシステムとは基本的に異なる。それだけに大統領の「個性」や「世界観」「精神構造」が重要になってくる。

本稿では、キティ・ケリーの2巻からなる「ブッシュ・ファミリー」「ブッシュ・ダイナステフ」(ランダムハウス講談社)と、ビル・クリントンの「マイ・ライフ-クリントンの回想」(朝日新聞)の2冊を取り上げ、二人のブッシュ大統領とクリントン大統領の“精神構造”を分析する。さらに越智道雄の「ブッシュ家とケネディ家」(朝日新聞)を手がかりにケネディ大統領の精神構造も見てみることにする。

この3冊の本で共通に描かれるのは、人間としての大統領である。それぞれが人間的な欠陥や問題を抱えながらも、大統領の責務を果たそうとする姿である。ケネディとブッシュ・シニアとジュニアの大統領の3人の大統領には大きな共通点がある。それは3人とも上流階級の出身であり、子供の頃から大統領になることを期待されていたことだ。常に大きなプレッシャーの元で教育されてきたのである。

ケネディはフランクリン・ルーズベルト大統領の下で財務長官、駐米大使を務めたジョセフ・ケネディが父である。彼は「母は一度も僕を抱きしめてくれなかった」と述懐しているように、厳しい家庭環境の下で育てられた。父親の果たせなかった夢の実現を常に迫られていた。そうした重圧が長男のケネディのみならず、ケネディ家の子供たちにも重圧となっていたことは容易に想像できる。ケネディ大統領がマリリン・モンローとの不倫に走ったのも、愛情に飢えた故かもしれない。彼の弟や子供たちも様々な精神的な問題に直面しているのも、偶然ではないだろう。ケネディが大統領になっても、精神的な不安定さを抱え込んでいたのも、その生い立ちに大きな原因があった。

同じことがブッシュ親子にもいえる。ブッシュ・シニアの父プレスコット・ブッシュは大統領になるという政治的野心を持っていた。だが、その夢は果たせず、その実現を子供たちに託したのである。それが子供たちにとって大きなプレッシャーとなったことは容易に想像がつく。ブッシュ・シニアは父親のプレッシャーに押しつぶされ、父親に対する強烈な劣等感を抱くようになる。高校を卒業後、父の期待に反してエール大学へ進学せず、軍隊に入ったり、除隊後、復員軍人奨学金でエール大学に進学したのも、精一杯の反抗だったのだろう。学生結婚をしていた彼は、経済的に厳しい生活を送り友人から「ペニー拾い」とさえ呼ばれていた。また、政界進出も父の地盤のコネチカット州ではなくテキサス州から立候補する。

ブッシュ・シニアはニクソン大統領とフォード大統領の知遇を得て、国連大使、駐米大使、CIA長官の要職を務めるが、それでも父に対する劣等感は長く拭えなかった。キティ・ケリーは「ブッシュにとって国連大使をしていて最も楽しかったのは父親と生徒ではなく同僚として話ができたことだ」と書いている。だが、彼には父親を「凌ぐことなど念頭にも浮かばなかった」(越智)。彼は大統領になっても常に“プレスコットの息子”でしかなかった。こうした要因が、ブッシュ・シニアの自信のなさ、政治的立場の曖昧さの背景には父親に対するコンプレックスの背景にあったのは間違いない。湾岸戦争、共産主義に対する勝利という歴史的な偉業にもかかわらず、彼の影が薄いのも、そのためであろう。

ブッシュ・ジュニアも、祖父と父の影響から逃れることはできなかった。ブッシュ家の伝統に従いエール大学に進学するものの、成績は平均で「C」しか取れず、エール大学での生活は東部エスタブリッシュメントに対する強烈な劣等感も植え付けた。ドラッグや飲酒運転など無分別な行動を取り、父親の頭痛の種になる。これも幼少から大統領になることを期待された重圧に対する反発であったのかもしれない。だが、40歳の時にたばこやアルコール、麻薬を止める。そして青春時代の迷いを吹っ切り、「父の目をまっすぐ見て、“僕が後継者だ”と言えるようになりたい」(ケリー)と思い始める。

宗教との出会いも彼を変えた。「彼は確かに“神の声”を聞き」(ケリー)、「自分に迷いも疑問もないと断言」(越智)するようになる。彼のイラク戦争の議論には多くの矛盾があるが、彼の“宗教的な信念”が、ある意味では“超然”(見方によっては“傲慢”)とした姿勢を取らせているのである。

上流階級に属し、生まれたときから大統領になるよう運命付けられたケネディ、ブッシュ親子と比べると、クリントンの背景はまったく異なる。「恥辱にまみれた」アーカンソー州で生まれ、彼が生まれる前に父親が交通事故で死亡している。母はロジャー・クリントンという男前だが道楽者と再婚する。クリントンの姓は義父の姓である。彼は義父を「自己不信の影とまやかしの安心感を得るために飲酒と乱痴気騒ぎ、疎外からくる妻への暴力から抜け出せなかった」人物であったと語っている。

クリントンもまた、ケネディやブッシュ親子と違った意味で、幼少から大きな“心理的負担”を背負っていた。その結果、「自分の私生活の最も困難な部分について誰かと話し合うのをずっと避けてきた」。彼は、地方都市にいる心に傷を負った優秀な少年の一人にすぎなかった。15歳の時に「私は自己矛盾の塊だ-信仰深いが、その信仰自体に必要な確信を持てない。責任を望みながら、回避している。真実を愛するが、しばしば偽りに屈してしまう」と、学校の作文に書いている。まさに大統領になってからのモニカ・ルインスキーとの不倫問題を予見するかのような自己分析である。それ以外にも多くの女性問題が囁かれたが、それも幼少時代からの愛情への飢えが原因となっていることは間違いない。

世界の命運を握ると思われているアメリカの大統領が、いずれも個人的には幼少のころに大きな精神的なストレスを味わっているのは興味深い。しかも、いずれの大統領も不倫や様々な家庭問題を抱え込んでいる。しかも、それが単に個人的な問題に留まらず、政策に対しても影響を与えているのである。ケリーは、ケネディ家やブッシュ家に触れて、家族の中で「精神異常、自殺、アルコール依存症、知的障害、浪費癖、横領、そして性的なスキャンダルなどと無縁だったものはいなかった」と書いている。こうした問題は、アメリカの政治の陰の部分かもしれない。しかし、アメリカの政治を理解するには、単に政策の分析だけでなく、こうした大統領の“精神構造”の分析も不可欠かもしれない。

追記:
ブッシュ現大統領の学業が良好でなかったという指摘が頻繁に行なわれます。少しだけ、彼の弁護をすると、彼は「読書障害」というい問題を持っていました。要するに、机に座ってちゃんと本が読めない精神的な問題を抱えていたのです。そうしたことを克服し、また飲酒運転やドラッグといった問題を「神の声」を聞き、エバンジェリカル(福音派)クリスチャンに改宗することで克服したのです。

おまけの追記:
以下はブッシュの言葉です。「私がオバール・オフィス(大統領執務室)にいいて、刑務所にいない理由は1つである。それは私が信仰を発見したからである。神を発見したからである」。読者の皆さんは、この彼の言葉をどう解釈されるのでしょうか。ブッシュは、大統領に再選され、これからの4年、何をしようとしているのでしょうか。

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