中岡望の目からウロコのアメリカ

2009/7/6 月曜日

ジョン・ルース米駐日大使指名の背景:なぜオバマ大統領かルースを指名したのか

Filed under: - nakaoka @ 11:30

7月2日、ホテル大倉の平安の間で「米国独立記念日」のパーティが開かれました。正式には7月4日が独立記念日ですが、日本では二日早めにパーティが行われました。私も招待され、参加しました。昨年の同じパーティに比べると、規模も大きくなっており、華やかな感じでした。パーティでアメリカ人のジャーナリストに会い、新駐日大使に指名されたジョン・ルースの話になったとき、彼は「ルーズと発音するのが正しいのでは」と言っていました。日本のメディアはすべて「ルース」と表記しています。さてどちらが正しいのでしょうか。また、ルース氏が日本とまったく関係ないことに関して大使館の高官と話をしたら、「大使館のスタッフがサポートするので問題ない」との返事でした。余談が長くなりましたが、今回はジョン・ルースが次期駐日大使に指名された背景を分析します。この原稿の執筆時点は6月20日なので、その後の状況の変化は織り込んでいませんが、基本的に変わっていないと思います。オバマ政権の日本軽視だという批判もあります。またオバマ大統領の論功行賞だとの見方もあります。以下でそうした見方を検討してみます。

ホワイトハウスがジョン・ルース氏を新駐日大使に指名するという発表を行ったとき、日米の外交関係者は一様に「ルースとは何者か」と一瞬耳を疑った。まったく無名のシリコンバレーで活躍する弁護士が駐日大使に指名されたのである。

5月21日の午後2時過ぎからホワイトハウスでロバート・ギブス報道官の記者ブリーフィングが行われた。報道官の説明が終盤に差し掛かった時、ある記者が「ひとつだけ質問があります」と手を挙げた。同報道官は「ひとつだけ」と念押し、記者は「新駐日大使に指名されたジョン・ルースに関してですが、彼の指名に至った経緯を説明してください」と続けた。その質問を受けたギブス報道官は「申し訳ない。ジョン・ルースとは何者ですか」と逆に記者に聞き返した。記者は「ジョン・ルースは新駐日大使に指名された人物です」と説明した。ギブス報道官は「ルースの指名に関する情報と彼のバックグラウンドや経験については調べてから後で報告します」と答えて、その場を終えた。この小さなエピソードは、ホワイトハウス内でさえルース氏は無名の存在だったことを示している。

指名が発表されてから既に1カ月以上経っているが、多くの外交専門家は依然として「なぜルースなのか」という疑問を払拭できないでいる。ホワイトハウスが発表した文書では「ルーツ氏は2005年からウィルソン・ソンシニ・グッドリッチ・アンド・オサティ法律事務所の最高経営責任者を務め、技術的分野を専門とする国際的な法律事務所の管理・経営に携わっている」弁護士である。また「地域および実務分野を超えて意見を調整し、事業のための戦略的な優先事項や成長イニシアティブを策定・伝達・実施する責任を担ってきた」と説明し、海外での経験にはまったく触れられていない。要するにルース氏は、シリコンバレーで活躍する弁護士の域をでない存在なのである。ただルース氏を知る人は「彼は聡明で、知性的で、物事を素早く理解し、献身的な人物で、大使としては良い選択である」と積極的な評価をしている。

それにしても北朝鮮問題、中国問題など政治的、経済的な緊張を孕んだ東北アジアでアメリカの最大の同盟国である日本に送り込む大使が、なぜ外交経験もなく、日本に関してまったく知識を持たない弁護士でなければならないのかという疑問は残る。さらにオバマ政権の対日政策を浮き上がらせたのは、指名の発表の仕方である。ルース氏の新駐日大使指名はスリランカ、アイスランド、コソボ、ブラジル、アルゼンチン、デンマークなど合計12名の大使指名と一緒に発表された。ただ公平を期して言えば、同時に発表された大使人事には駐仏大使と駐英大使も含まれており、同盟国で日本だけが特別扱いされたわけではない。

しかし、オバマ大統領は、新中国駐在大使に中国語が堪能で共和党の将来を嘱望されている若手政治家ジョン・ハンツマン・ユタ州知事を指名し、自ら記者会見で「この人事は重要である。ハインツマン氏は米中関両国のパートナーシップの新時代を切り開くだろう」と最大級の言葉で紹介している。しかし、ルーツ氏に関しては他の指名大使と同様に簡単な経歴書が配られただけで、ハインツマン知事に託したような熱いメッセージに匹敵する言葉は一言も書かれていない。

オバマ大統領は「大使人事では政治任命を減らしキャリアの外交官を積極的に登用する」と語っていたが、現実の大使人事は論功行賞の政治任命が大勢を占めている。国務省には173の大使級のポストがあり、現在までオバマ大統領は一八人の大使を指名したが、キャリア外交官はわずか5名に過ぎない。ワシントンの外交筋は、大使になるには赴任国の言葉を喋れないまでも、その国や隣国に関する最低限の知識を持ち、少なくとも最低の外交政策の経験を持つことが必須条件であると語っている。今までのオバマ大統領の大使人事を見る限り、そうしたアドバイスとは逆に論功行賞の政治任命が主流になっている。

政治指名の大使いずれも大統領選挙中に巨額の政治献金をした共通点を持つ。たとえば駐英大使に指名されたルイス・サスマン氏は元シティグループの副会長でオバマ陣営のために選挙期間中に10万㌦の資金を集めている。さらに大統領就任式に際して5万㌦の寄付をしている。駐仏大使に指名されたチャールズ・リブキン氏は元ソロモン・ブラザーズのアナリストで、選挙資金として50万㌦集めている。デンマーク大使に指名された弁護士のローリー・フルトン氏も20万㌦の資金を集めている。ルース氏もその例外ではなく、選挙資金50万㌦を集めている。ルースの妻も92年以降、選挙のたびに民主党候補に献金をしている。オバマ陣営に対する献金六九〇〇ドルを含む民主党候補への献金総額は7万7500㌦に達している。

もともとアメリカでは大使人事は選挙での論功行賞に利用される傾向があった。ただ、それでも論功行賞で指名された大使たちの赴任国は主にアフリカや欧州の小さな国など外交上ほとんど意味のない国であり、今回のように日本、イギリス、フランスまでもが論功行賞の対象になった例はない。ギブス報道官は「大使に指名された人々は明確な問題意識と専門家としての実績のあるグループだ」と、オバマ大統領の大使指名を擁護しているが、アメリカ国内でも「大使のポストをお金で売った」という批判が出ている。それだけに留まらず、一連の大使人事にオバマ政権の外交政策の優先順位が反映されていると見ることもできる。

ルース人事をいち早く報じた朝日新聞は「大統領との個人的な関係の深さを優先した選択」と書いているが、本当にオバマ大統領とルース氏の間にそんなに親密な個人的信頼関係があるのだろうか。例えばトム・シェーファー前駐日大使はブッシュ前大統領と野球のテキサス・レンジャーズの共同経営者であり、オーストラリア大使を経て駐日大使に就任している。名実ともにブッシュ前大統領とシェーファー前大使は友人関係にあった。一部の論評では、今回のルース人事とシェーファー人事を比較するものがあるが、それはオバマ大統領とラース氏の関係をやや過大評価している。
ルース氏は熱狂的な民主党員で、1984年の大統領選挙ではウォールター・モンデール候補の特別アシスタントを務め、2000年の民主党の大統領予備選挙ではビル・ブラッドリー候補の選挙資金集めを行い、2004年の大統領選挙ではジョン・ケリー候補の北カリフォルニア州選挙資金委員会の委員長を務めている。今回の大統領選挙でも、オバマ不利が伝えられた選挙運動の最初の段階からオバマ陣営の資金集めに積極的に携わるなど、オバマ候補へ忠誠を尽くしている。

『ニューヨーク・タイムズ』(2008年8月6日)はオバマ陣営の有力なファンド・レイザー一六名を紹介しており、ルース氏もその中の一人であった。ルース氏が有力なファンド・レイザーだからといって、ブッシュ・シェーファーの親密な関係がオバマ大統領との間にあるとは思えない。あくまで選挙資金集めを通した関係で、それ以上に二人を結びつける関係を見出すことはできない。この人事は、オバマ大統領の腹心を送り込むというのとはまったく違うものである。あくまで選挙での支持に報いる人事であると見て間違いない。

当初、ハーバード大学のジョセフ・ナイ名誉教授が最有力候補に挙がっていた。ワシントンの情報筋によれば、そうした情報はホワイトハウスから意図的に流されたものであるという。ナイ教授が指名を受ける気がなければ、そうした観測を否定する意思表示をしていたはずである。だが、彼は「候補者として名前が上がっていることは光栄である」と語るなど、駐日大使に強い意欲を示していた。あるアメリカの知日派ジャーナリストは「ナイは駐日大使のポストを望んでいたことは明らかで、今回の決定に失望しているだろう」と述べている。最終段階で何らかの政治的判断が下されたのだろうが、今のところ藪の中である。

ルース氏を歴代大使と比較すると、“小物”のイメージは拭えない。歴代の駐日大使は、議会に対する影響力が強かったマイク・マンスフィールド元上院議員、学者であり、国務省キャリアのマイケル・アマコスト元国務次官、ウォールター・モンデール元副大統領、トーマス・フォーリー下院議長、ハワード・ベイカー元共和党院内総務、ジョン・シェーファー元オーストラリア大使と続く。

大使はそれぞれ日米関係に大きな足跡を残している。また大使就任前から独自の日本とのコネクションを持っていたことでも知られている。ルース氏はワシントンとのコネクションはまったくない。もし報道されているように、ルース氏がオバマ大統領に極めて近い立場にあれば、それなりの影響力を行使することは可能だろう。しかし、かつてワシントンに影響力を持つマンスフィールド大使が国務省ルートを無視して大統領や議員に直接情報を流したことで、国務省と米大使館の意思疎通ルートが阻害された例もある。ルース氏は、日米関係でどのような役割を果たすことができるのだろうか。
ルース氏の指名はオバマ政権の日本軽視の現れとの見方がある。これに対して元国務省のスタッフは「オバマ政権にとって日本が重要かどうかはアメリカが直面する世界の問題解決にどれだけ日本が積極的に関わっていくかで決まる。オバマ政権は日本の政治家を無能だとみている。現状はアメリカが日本を軽視しているのではなく、日本自らが軽視される状況を作っている」と反論している。

また「日本の官僚やジャーナリストは大使人事を日米関係のリトマス紙とみる傾向が強いが、これは誤った見方だ」と、大使人事を過大に評価することに注意を喚起している。とはいえ誰が大使に就任するかは日米関係にとって重要であることに間違いない。

シャトル外交が一般化している現在の国際政治の世界では、大使の存在は象徴的なものに過ぎないとの見方もある。外交政策はホワイトハウスで策定される。大使に期待されているのはパブリック・ディプロマシーの役割であろう。日本でのアメリカのプレゼンスを高め、アメリカのメッセージを日本に伝えるのが大使の重要な職務である。また日本の情報をアメリカ政府にフィードバックし、政策に反映させるのも重要な役割である。歴代の駐日大使は、それぞれ日本に対する明確なメッセージを持っていた。まだ議会の承認を得なければならないが、ルース氏は新大使として日本にどんなメッセージを届けようとしているのだろうか

【ホワイトハウス発表資料】
ジョン・ルース氏は、2005年からウィルソン・ソンシニ・グッドリッチ・アンド・ロサティ法律事務所の最高経営責任者を務め、技術的分野を専門とするこの国際的な法律事務所の管理・経営に携わっている。1988年から同事務所のパートナーを務めるとともに、その他の様々な上級職に就いて指導的な役割を果たしてきた。在職期間中は、ソフトウエアと通信の発展からインターネットの時代、バイオテクノロジーの出現、そして現在のクリーン技術と再生可能エネルギーの重視に至るまで、シリコンバレーに様々な技術革新の波が押し寄せる中、同事務所を率いる一翼を担った。指導者として同事務所の多様性イニシアティブ(マイノリティの雇用促進)を推進した結果、同事務所はこの分野で全米第一位となった。地域および実務分野を超えた意見を調整し、事業のための戦略的優先事項や成長イニシアティブを策定・伝達・実施する責任を担ってきた。ルース氏は、スタンフォード大学法科大学院および教育学大学院の学部長諮問委員会の委員を務めている。スタンフォード大学で学士号、同法科大学院で法学博士号を取得。(訳はアメリカ大使館)

【経歴】
John Roos (ジョン・ルース)
1988年から現在まで:Wilson Sosini Goodrich & Rosati Law Firmのパートナー兼CEO
2008年:”Obama for America”のCalifornia Finance Committeeの共同委員長、またNational Finance Committeeのメンバー
2004年:”John Kerry for President”のNorth California Finance Committeeの委員長、またKerryのNational Campaignのシニア・アドバイザー

1件のコメント »

  1. ニューヨーク市立大のツルミ教授が先日駐日大使についても言っていました。
    日本をよく知る政治力ある人といいにくいようでした。
    中国大使のほうは政治力あり中国通で中国語もできる人ということでした。

    コメント by あゆ — 2009年8月1日 @ 22:01

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