中岡望の目からウロコのアメリカ

2009/7/16 木曜日

米財務省証券が格下げされる日:重くのしかかる巨額の財政赤字の負担

Filed under: - nakaoka @ 18:47

長期金利の説明をしました。今回はアメリカの財務省証券の話です。アメリカの財務省証券(国債)が、格下げされるかもしれないということが話題になっています。要するに巨額の財政赤字を賄うために、オバマ政府は巨額の財務省証券を発行しなければならなくなっています。赤字の規模は年間に1兆㌦を超すまでになっています。どれほど信頼度が高くても、投資家はひとつの金融商品ばかりに投資するわけにはいきません。リスク分散は投資家にとって必須です。投資家が買わなくなったら、債券の利率を上げるしか道はありません。またリスクが高まれば、格下げされ、それにともなって利率は上昇します。本原稿は2ヶ月以上前に書いたもので、数値など少し古くなっていますが、前の金利の話の応用編として読んでください。また格付けについても詳細を説明しました。

5月21日に格付け会社スタンダード&プアーズがイギリスの国債の見通しを“安定(stable)”から“マイナス(negative)”に変更しました。それは将来、イギリスの国債の格付けが現在のAAAから引き下げられる可能性があることを意味しています。ヨーロッパでは今年に入って格付けが引き下げられる国が相次いでいます。1月14日にギリシャの国債格付けがAからA-に、1月19日にスペインの国債格付けがAAAからAA+に、1月21日にポルトガルの国債がAAAからAA+、1月30日にアイルランドの国債の格付けがAAAからAA+に引き下げられました。まだ未確定ですが、イギリス経済の悪化が続き、財政赤字の拡大が続けば、イギリス国債の格付けも引き下げられることになるでしょう。この発表を受けて、イギリス国債は売られ、同時にポンド相場も下落しました。

しかし、ここで物語が終わるわけではありません。イギリス国債の格付けが引き下げられるかもしれないという思惑は、アメリカにも大きな影響を与えたのです。イギリスの見通しの修正を受けて、5月22日、アメリカの国債(通常、財務省証券と呼ばれています)の格付けも現在のAAAから引き下げられるのではないかという思惑から、市場で大量に売られたのです。財務省証券の売りは翌週も続き、27日には期間10年物の財務省証券のイールド(利回り)が史上最高の水準(3.732%)にまで上昇したのです。同時にドルも売られ、ドルはユーロと円に対して大幅に下落しました。

財務省証券が売られ、イールドが上昇した最近の例は、1月にガイトナー財務長官が議会での承認手続きでの証言で中国に対する制裁を示唆したために、逆に大量の財務省証券に投資している中国が報復で財務省証券の購入を減らすのではないかという懸念が高まり、財務省証券が売られ、イールドが上昇したことがあります。今回は格付け問題が財務省証券売却の引き金となったのです。以下で「格付け」の仕組みと問題、米財務省証券の格付けが引き下げられた場合、何が起こるのかについて説明します。

【格付けとは何か】
最近、格付けが大きな問題になりました。それはサブプライムローンに関連し、不動産担保証券やそれに関連する金融商品の格付けが好い加減であったことが、金融危機を招いた要因のひとつだとして、格付け会社に対する規制強化などが議論されています。格付け会社は、企業の格付けや各国の国債の格付け、さらに金融商品などの格付けを行っています。最初に知っておきたいのは、格付けは倒産の可能性を示す指標であるということです。したがって、格付けが最高の企業があっても、それは企業として優れているということではなく、財務内容から見て、倒産の確率が極めて低いということを意味するだけです。もともと投資家への情報提供が目的で格付けが行われるようになったのです。企業は資金調達をするために社債を発行します。しかし、投資家が社債の質を判断するのは実際上無理です。投資家が投資を行う際に投資リスクを判断できる指標があれば便利です。そうした要請に基づいて格付けが始まったものです。1900年に設立されたムーディーズ・インベスターズ・サービスが1909年に鉄道債の格付けを行ったのが、最初の格付けです。当時、アメリカでは鉄道建設ブームで、250社以上の鉄道会社が社債を発行して資金調達をしました。投資家にとって、各社の信用状況を把握するのは実際上困難でした。しかし、各社の社債の格付けがあれば、より適切な投資ができることになります。ムーディーズに続いて、1922年にスタンダード&プアーズ(S&P)の前身、1924年にフィッチ・インベスターズ・サービスが設立されました。現在、資金調達をするには信用格付けをすることが必須の条件となっています。現在、金融庁は指定格付け会社として5社を指定しています。日本の格付け会社である格付投資情報センターと日本格付研究所の2社と、海外の格付け会社であるムーディーズ・インベスターズ・サービス、S&P、フィッチ・レーティングの3社です。

格付け会社はそれぞれ独自の分析に基づいて企業や債券などの格付けを行っています。格付けの表記の仕方も各社で異なっています。例えば、最も安全である「最高格付け(Prime Maximum Safety)」は、ムーディーズはAaa、S&PはAAA、フィッチはAAAという表記を使っています。次の格付けである「投資適格(High Grade High Quality)」債は、ムーディーズがAa1、Aa2、Aa3、S&PはAA+、AA、AA-、フィッチはAA+、AA、AA-の表記をそれぞれ使っています。また「非投資適格(Non investment grade)」債は、ムーディーズはBa1、S&PはBB+、フィッチはBB+の表記を使っています。繰り返しますが、格付けは企業評価ではなく、債券の債務不履行(default)の確率を表現したものです。債務不履行に陥る確率が高いと当然投資リスクが高まりますから、投資家はリスクに見合う高い金利を要求します。企業が格付けを気にするのは、格付けが引き下げられると資金調達コストが上昇するからです。

【イギリスの国債格付けの引き下げ問題】
最初にS&Pがイギリスの国債の見通しを“安定”から“マイナス”に変更したことを書きました。その理由は何だったのでしょうか。それは国債の発行残高が増えているからです。同社では各国政府の債務状況を調査しています。それによると各国の2013年の国債発行残高とGDPの比率は次のように予想されています。アメリカは08年の44%から77%に高まり、日本は110%から120%、既に格付けが引き下げられているイタリアは102%から116%、そして問題のイギリスは52%から97%と急速に高まると予想されています。S&Pはイギリス国債の見通しを変更した理由として「国債残高が対GDP比で100%に迫り、その水準が持続するからである」と説明しています。イギリスは不況脱出のために積極的な財政政策を行っています。その結果、国債発行残高は確実に増えています。今後、増税などの対策を講じることで財政赤字を削減することも考えられるわけですが、S&Pは政治的にそうした政策を取ることは厳しいと見ているようです。「見通し」を下方に修正したからといって格付けが確実に引き下げられるわけではないですが、その意味は大きいものがあります。イギリス政府に掛る圧力はますます強くなるでしょう。来年の選挙の結果も重要な要素だと見られています。財政均衡が政治の大きな焦点になるでしょう。もしイギリス政府が何らかの財政赤字削減策を打ち出せなければ、S&Pはイギリス国債の格付けを引き下げることになると予想されます。

では国債の評価はどれだけの意味があるのでしょうか。日本の例を取り上げてみます。ムーディーズは2002年6月に日本国債の格付けをA2に引き下げました。上から6番目の格付けで、発展途上国のボツワナの格付けよりも低いものです。他方、2007年4月にS&Pは日本国債の格付けをAA-からAAに引き上げました。それでも格付けは香港やスベロニア、バミューダと同じで上から5番目の格付けです。しかし、だからと言って日本の国債が償還不能と考える人はいないでしょう。S&Pの日本国債の格付けの推移は以下の通りです。1997年6月AAA、2000年12月AAA、2002年12月AA-、2004年12月AA-、2006年12月AA-、2008年12月AAです。ちなみに2008年12月段階で中国の国債はA+、韓国はA、台湾はAA-です。いずれも日本の国債の格付けよりも下ですが、オーストラリア、シンガポールはAAAで日本国債よりも格付けは上になっています。

日本と外国の大きな違いは、日本の場合、投資家の大半が日本の投資家であるということです。アメリカなどでは海外の投資家に対する依存度が極めて高く、資金調達が極めて不安定です。また日本のように国内で国債が消化されている場合、国内で資金の再配分が行われ、国内の生活水準が直接的に悪化するわけではありません。資金は国内で回転し、海外に流出するわけではないのです。もちろん、国内での所得再配分の問題はありますが、国債の償還不能という事態は考えにくいのです。しかし、国債が償還不能になったケースは幾つかあります。1997年のアジア金融危機がロシアに飛び火し、ロシアは国債のデォールトを宣言したことがあります。いずれにせよ、国債も投資対象の金融商品にすぎず、政府が財政的に償還できなくなる事態は起こりうるわけです。

【財務省証券の格付け引き下げはありうるのか】
まず米財務省証券について簡単に説明しておきます。通常、国債は英語ではGovernment Bondという表現を使います。日本の国債はJGBと略されることが多いのですが、これはJapanese Government Bondを略したものです。これに対してアメリカの国債は「財務省証券」と呼ばれます。英語ではTreasury bondといいます。Department of Treasuryは財務省のことです。要するに財務省が発行する債券という意味なのです。なお、財務省債券は3つの言い方があります。Treasury Bill, Treasury Note, Treasury Bondです。Billというのは1年未満の短期財務省証券、Noteは1年以上、10年未満の中期財務省証券、10年以上は長期財務省証券を指します。財務省証券の基準となっているのは10年物の財務省証券です。なおイギリスでは40年という長期の国債も発行されています。

既に説明したようにイギリスの国債が格下げされる可能性が高まったことで、投資家は同じ様な状況にあるアメリカの財務省証券の格下げもあるのではないかと不安を覚えたのです。そうした不安に加え、巨額の財政赤字が続けば、将来インフレが発生するとの懸念もあります。最近、投資の神様と言われるウォーレン・バフェットも、現状が続けば、将来、アメリカでインフレが発生する懸念があると警鐘を鳴らしています。インフレが高進するという予想が高まれば、投資家は長期の金融商品に投資するのを控えるか、あるいはインフレを織り込んだ金利を要求するようになります。そうでないとインフレで投資価値が目減ってしまうからです。さらに3月末に中国人民銀行の周小川総裁が、ドルの基軸通貨を見直し、IMF(国際通貨基金)のDSR(特別引出権)を拡大し、ドルに代わる基軸通貨にすべきだという主張をしました。そうした状況の中でイギリス国債の格付け問題が出てきたのです。政府が巨額の赤字を抱えて債務不履行に陥る可能性に加えて、インフレが高進することが懸念されれば、投資家は手持ちの長期の財務省証券の売却を進めるでしょう。まさに5月下旬にそうした事態が市場で起こったのです。

5月12日のイギリスの新聞「フィナンシャル・タイムズ」にアメリカのピーター・ピーターソン基金の理事長デビッド・ウォーカーが「もしアメリカ政府が医療改革と年金改革を行うことができなければ、医療制度は2017年に破綻し、年金制度も2037年には破綻する」という内容の記事を寄稿しています。その中で、そうした事態が予想されれば、財務省証券の格付けが引き下げられることになるだろうと指摘しています。そうしたコメントも、投資家の不安を煽ったのかもしれません。S&Pがイギリス国債の見通しを下方に修正し、イギリス国債とポンドが売られた翌日の22日にアメリカ市場でも財務省証券とドルが売られたのです。10年物の財務省証券のイールド(利回り)が0.5ポイント上昇し、過去6ヵ月で最も高い水準にまで上昇しました。ドルも対ユーロで1ユーロ=1.3905㌦と4ヵ月来の安値を付けたのです。その後もドル相場の下落が続き、対ユーロで1.59㌦台にまでドル相場は下落しています。

ここで「イールド」について説明しておきます。債券には決まった金利が付きます。そのため株式などと違って「確定利付き商品」と呼ばれます。この金利のことを「クーポン金利」ともいいます。債券にはクーポン券が付いており、そのクーポン券と引き換えに利息が支払われるのです。しかし、市場で取引される証券の価格は額面よりも高い場合もあれば、安い場合もあります。高い場合に買うと、受け取る利息額が同じでも、分母となる債券価格が高くなるので「利回り」は低下します。したがって市場の取引価格の変動で債券の「利回り」も日々変化するのです。この「利回り」は英語で「イールド」といいます。

ただ、こうした市場の混乱に対してムーディーズは「アメリカ政府の金融力は弱まっているが、アメリカの金融システムや経済を支える制度は健全であり、アメリカの財務省証券のAAAの格付けを支える要因となっている」との声明を発表しました。またイギリス国債の格付けの引き下げを示唆したS&Pも「財務省証券の格付けを引き下げる計画はない」と語るなど、市場の混乱を収めるように動いたのです。ガイトナー財務長官も「約束通り、オバマ政権は財政赤字を縮小する」と、市場の不安を払拭するために発言しています。そうした対応もあり、5月26日には財務省証券の大量売却の動きは収まりました。また26日にはFRBが60億㌦の財務省証券を購入し、価格を下支えしました。

5月26日から3日間、新規の財務省証券の入札が行われました。その動向が注目されたのですが、応募状況は極めて順調でした。26日は2年物の財務省証券400億㌦、27日は5年物の財務省証券350億㌦、28日は7年物の財務省証券260億㌦の合計1010億ドルの入札が行われました。巨額の新規発行で財務省証券が大量に売られた後だけに、どれだけの応募があるのか注目されました。2年物財務省証券の応募額は1175億㌦、5年物財務省証券の応募額は813億㌦あり、逆に財務省証券に対する需要が強いことが明らかになりました。懸念された外国の機関投資家や中央銀行の応募が全体の54.4%を占めました。ただ今回、入札のなかった10年物財務省証券の人気はあまり芳しくない状況が続いています。そのため2年物財務省証券と10年物財務省証券のイールド差は拡大しています。財務省証券は最も安全な投資対象だと見られています。経済が混乱したり、金融危機が起こると投資家は安全を求めて財務省証券の購入を進めます。今回のサブプライムローン問題に端を発した金融危機の中でも投資家は財務省証券を購入しました。こうした状況を英語では”flight-to-quality”といいます。要するに質の高い金融商品に逃避することで、常に米財務省証券がその役割を果たしてきました。

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