中岡望の目からウロコのアメリカ

2009/8/2 日曜日

民主党のマニフェストを読む:一番問われているのは日本の政策決定過程

Filed under: - nakaoka @ 17:56

各政党は総選挙を控え、相次いでマニフェストを発表している。マニフェストは「政策公約」とか「政策宣言」などの訳語が与えられていますが、元々はイタリア語の”Manifesto”が語源で、英語の”manifest”にはそうした意味はありません。英語の“マニフェスト”は、形容詞で「明白な」、動詞で「明示する」、名詞で「船荷目録」といった意味です。英語の辞書を見る限り、日本の政党が使っている”マニフェスト“には「政策綱領」という意味ではなく、「政策綱領」という場合は”political platform”、「政策課題」といいう場合は”political agenda”という単語が使われています。いずれにせよ、各党はマニフェストを発表することで、政策を競い合っているわけで、好ましいことです。従来の選挙公約のように選挙の時だけ話題になり、選挙が終わってしまうと忘れ去られてしまうのとが違い、明確な文章で政策が表現され、その実施状況が客観的に評価できるのは良いことです。

本稿を執筆時点でまだ自民党のマニフェストの全文が明らかになっていないので、今回は民主党のマニフェストを評価して見ることにします。ただ自民党に関して言えば、マニフェスト以前に今までの政策を総括するほうが先だと思います。今までの政策の緻密な分析をしないで、野党と同じようにあたかも今までの政策とは無関係にマニフェストを発表するのは理解できません。国民は、現在の日本の社会的、経済的、思想的な状況に不満を抱いており、その原因を作ったのは、長期に及ぶ自民党政権(あるいは自民党の連立内閣)だったのですから、その反省や分析なしに今後の政策を説いても説得力はないでしょう。「そんなに素晴らしい政策があるのなら、なぜ今まで実施しなかったのか」と問いたくなります。自民党のマニフェストはさておき、民主党のマニフェストをどう評価すべきなのでしょうか。

本題に入る前に、ひとつ触れておきたいことがあります。それは自民党がよく使う「責任政党」という言葉です。野党には政策担当経験がないから、責任を持って政策を実施することはできないという議論です。この論理は妙な議論で、もし自民党の論理に妥当性があるなら、野党は永遠に政権の座に就くことはできないことになります。政権が変わるということは、リスクが伴いますが、それは国民が選択することです。一度も実際の政策運営をしたことがなければ、当初は混乱するのは避けられないでしょう。もし官僚がサボタージュすれば、大きな混乱が起こるかもしれません。しかし、今、問題なのは、旧態依然として自民党政権では何も変わらないと多くの国民が感じていることです。戦後の経済成長を果たす上で日本は独自のシステムを構築してきました。しかし、日本が先進国になり、経済のみならず政治や社会の国際化が進むなかで、日本の“成長モデル”が使えなくなってきたことは明白です。さらに冷戦の終結は自民党の思想的基盤をも崩していったのです。

自民党政権は80年代以降、長期低落傾向にありました。特にバブル以降の自民党政権の得政策は完全に機能麻痺に陥っていました。小泉政権の構造改革は、自民党が生き抜くために避けて通ることはできなかった道です(ただ、その目的と手法が良かったかどうかは別問題です)。郵貯民営化選挙で予想外の勝利をえた自民党は、自らの構造的な問題を真剣に議論することなく、官僚機構に依存した既得権に支えられて来たのです。今回の自民党に対する逆風は、一過性のものではないでしょう。一度、自民党に代わって民主党に政権を委ねてみようというのが、今回の総選挙の国民の雰囲気でしょう。自民党の「民主党には政権運営ができない」という議論は的外れであり、まず自民党はこの10年間、どんな政策を取ってきたのか、どんな社会を作り上げてきたのかを真摯に分析する必要があるでしょう。

さて本題の民主党のマニフェストの問題に戻ります。民主党のマニフェストの全文は民主党のウエブサイトで読むことができます。またメディアでも盛んにコメントされています。立場によって様々なコメントが行われています。民主党のマニフェストは13ページで、かなり詳細に政策提言が行われています。最初に次のような鳩山由紀夫民主党代表の文章が載っています。

「命を大切にすることも、ムダつかいをなくすことも、当たり前のことかもしれません。しかし、その“当たり前”が、崩れてしまっているのです。母子家庭で、修学旅行にも高校にも行けない子供たちがいるのです。病気になっても、病院に行けないお年寄りがいる。全国で毎日、自らの命を絶つ方が100人以上もいる。この現実を放置し、コンクリートの建物には巨額の税金をつぎ込む。一体、この国のどこに政治があるのでしょうか。政治とは、政策や予算の優先順位を決めることです。私は、コンクリートではなく、人間を大事にする政治をしたい。官僚任せではなく、国民の皆さんの目線で考えていきたい。縦に結ぶ利権社会ではなく、横につながり合う“きずな”の社会を作りたい。すべての人が、互いに役に立ち、居場所を見つけ出すことのできる社会を作りたい」

やや文章は稚拙ですが、その思いは伝わってきます。この20年、世界の流れは市場主義と競争主義が基調となってきました。自由に競争することで資源の最適な配分ができ、能力のある人は最大限能力を発揮し、経済成長率も高まると信じられてきたのです。経済成長が実現すれば、その恩恵は国民全体に及ぶという楽観的な期待もありました。こうした考え方を経済学では“トリクルダウンの経済学”と言われます。滴がこぼれるように経済成長の恩恵は全体に及ぶというものです。しかし、市場経済は理論家が考えるほど、素朴なものではないのです。必ず隙間を付いて儲けようとする人がでてきます。有利な制度を利用して利益を図ろうとする“モラル・ハザード”の問題が出てきます。市場主義は規制緩和とパッケージになっていますが、過剰な規制緩和は決して健全な結果をもたらさなかったのです。ただ、日本のように官僚機構が強く、過剰な規制緩和が行われている社会では、大企業や投資家の立場ではなく、消費者の立場に立った規制緩和は必要です。民主党のマニフェストで最も評価できる点は、この点です。「鳩山政権の政権構想」は5原則と5策で表現されています。

5原則は、政府のあり方と官僚制度のあり方について規定しています。原則1では「官僚丸投げの政治から政権党が責任を持つ政治家主導への政治へ」、原則2では「政府と与党を使い分ける二元体制から内閣の下の政策決定を一元化する」と書かれています。自民党政権の元では官僚が政策策定の主導権を持っていました。官僚機構は、政治が関与できない聖域(人事など)を作り上げてきました。官僚は政治家を小馬鹿にし、聞く耳を持たぬという傲慢な態度を平気で取ってきました。情報の独占であり、面従腹背で官僚機構の温存を図ってきました。麻生首相は「官僚は批判するのではなく、活用すべきだ」と語っていますが、それは政策立案能力が欠ける政党は官僚機構に依存しなければならないという現実を表現したものでしょう。

各論を詳細に議論するのは紙幅がないので、財政的な面を分析してみます。民主党が主張する政策を実現するには資金的な裏付けが必要です。民主党が掲げる主要な政策には次のようなものがあります。「子供手当(5.5兆円)」「公立高校の実質無償化(0.5兆円)」「医療・介護の再生(1.6兆円)」「農業の戸別所得保障(1兆円)」「暫定税率の廃止(2.5兆円)」などです。そうした政策を実現するのに要する資金は、2010年度で7.1兆円と試算されています。2011年度で12.6兆円、2012年度で13.2兆円の資金が必要とされています。2013年度は13.2兆円で、上記以外の政策で景気情勢を見ながら2013年度までに実現を図る政策にかかる資金が3.6兆円あると指摘しています。したがってマニフェストに掲げられている2013年度の政策を実現するには、総額で16.8兆円の資金が必要となっています。

民主党のマニフェストの批判者は、「ばらまき政策であり、予算の裏付けがない」と指摘しています。これに対して同マニフェストは、予算の組み替えで必要な資金を捻出できるとしています。具体的には、2010年度の予算をベースに、具体的な資金捻出額を示しています。まず公共事業の見直しで、1.3兆円、地方分権の促進や公務員の賃金見直しなどで1.1兆円、公益法人や特殊法人の見直し、契約方式の見直しなどで官庁費や委託費、施設費、補助金などの削減で6.1兆円、議員定数の見直しや予算の厳格化で0.6兆円の資金を捻出し、合計で9.1兆円の資金を確保するとしています。さらに「埋蔵金」と呼ばれる各種基金や財政投融資特別会計、外国為替資金特別会計の運用益などを政策費に充当することで5兆円の資金を捻出し、さらに租税特別措置などの見直しで2.7兆円を確保し、合計で政策実行に必要な16.8兆円の資金を確保するとしています。

批判者は、「公共事業や人件費などの削減はできない」「埋蔵金の転用は一過性のもの」などと、政策の資金的裏付けに説得力はないと主張している。政権が代わるということは、予算の優先順位が変わることを意味します。自民党は既得権に縛られて大胆な予算の組み替えも優先順位の見直しができないからといって、民主党も同じようにできないと考えるのは、むしろ非現実的です。同マニフェストは歳出の見直しに関して、「特別会計をゼロベースで見直し、必要不可欠なもの以外は廃止する」「予算編成過程を原則公開するとともに、執行を厳格に管理する」「決算に関する情報公開を徹底するとともに、提出時期を前倒しすることで予算との連動性を高める」「一般会計・特別会計について企業会計に準じた財務書類の作成、国会提出を法制化する」などが掲げられています。これは官僚の予算作成の独占的な権限を規制し、より透明度の高い制度を作り上げることで、公平性を高めることになると評価されます。

民主党のマニフェストで明かでないのは、歳入見通しです。予算は歳出で政府の裁量で組み替えることはできますが、歳入を決定するのは経済状況です。成長率が高まったり、インフレが高進すれば、税収は増えます。逆に景気悪化が続けば、税収は減ります。したがって、民主党の政策は、歳入は現状が続くということを前提そしています。さらにメディアで頻繁に指摘されているのは、消費税問題に言及していない点です。それに伴い財政赤字をどうするかの明確な目標には言及されていません。

マニフェストには7項目にわたってかなり詳細な政策提言が行われています。2項目の「子育て・教育」では少子化対策として年額31万2000円の「子供手当」の創設を掲げています。また公立高校の実質無償化を行い、私立高校に対しても授業助成を行うとしています。非常に盛りだくさんの政策が掲げられており、それぞれは今まで主張されてきた事柄ですが、自民党政権では実現しなかったものです。こうした民主党のマニフェストに対抗するために自民党も同様な政策を掲げています。

もし民主党のマニフェストの半分でも実現すれば、鳩山代表が言うように「明治維新以来最大の改革」になることは間違いないでしょう。今までの自民党の政策は企業に軸足を置き、富裕層を優遇する政策を取ってきました。この10年、企業経営者と株主の所得は大幅に増えましたが、一般の勤労者や労働者の実質賃金は停滞したままです。労働分配率は低下する一方、企業収益は大幅に増えてきました。しかし、経済は需要に支えられているものです。大恐慌の時、アメリカでは実質所得が上昇しました。ひとつは移民規制を実施し、新規の労働者の流入を阻止したこと、また灯籠組合の団体交渉権を認めることで賃金が上昇しました。これは戦後のアメリカ社会の繁栄を支える基盤になりました。もちろん、ニューディール政策の批判者から実質賃金が上昇したことで高失業が続いたと指摘する声もあります。消費が高まらない社会の経済成長には限度があります。

外需依存の成長がいかに脆弱なものであるか、今回の急激な景気悪化で明らかになりました。内需をベースとする成長を実現するには、社会保障制度の充実と将来のリスクを軽減することが必要です。少なくとも、民主党のマニフェストには、従来の社会の枠組みを変え、成長パターンを変えようという意思は見られます。もちろん、企業からの反論もあります。

日本の文化には、失敗を許さない雰囲気があります。アメリカの文化には、やってみてダメだったら、やり直せば良いという考え方があります。政権交代は、まさにそうした発想から出てくるものです。日本の歴史を振り返ってみると、明治維新にせよ、太平洋戦争での敗北にせよ、既得権構造が崩れ、新しい世代が、新しい発想で日本を作り替えることで、成長を実現してきました。今回の選挙の焦点は、戦後60年の間に作り上げられてきた既得権構造を転換させるところにあるのではないでしょうか。もちろん、個別の政策の整合性の検討は当然行わなければなりませんが、全体の状況を判断することも重要なポイントでしょう。

1件のコメント »

  1. はじめまして。 検索してたまたまたどり着きました。
    高い視点での評価、冷静で優れた評論と思いました。
    釈迦に説法で当然ご存じと思いますが、万が一と思い
    下記のHPを示させていただきます。
    石井さんのプログラムは民主党のマニフェストと重なっている
    ところがいくつかあります。 また、重なっていない部分も
    重要と思いました。 もしもまだ見ておられないのでしたら
    ぜひ確認をお願い致します。
    http://www.osagashitai.com/kouzoukaikaku/kouki/jimetsu16.htm

    コメント by tumu — 2009年8月21日 @ 13:39

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