中岡望の目からウロコのアメリカ

2010/1/29 金曜日

日米安全保障関係の将来を考える:普天間基地移設問題の意味

Filed under: - nakaoka @ 10:26

随分、記事を掲載できませんでした。年末からずっと多忙な日が続き、なかなか時間が取れないまま、時間が過ぎてしまいました。今回掲載する記事は12月中旬に執筆し、尾崎行雄記念財団の月刊誌『世界と議会』の1月号に掲載したものです。普天間基地移設が大きな日米問題になっています。ただ日本のメディアの報道の仕方には極めて不満を感じています。危機を煽り、アメリカ政府の団ベン者のような記事が溢れています。そうした状況に対して、この問題の本質を整理してみました。問題は単に普天間基地移設ではなく、東アジアに於ける脅威の認識、それをベースにした新しい安全保障関係をどう構築するかにあると思います。そうした観点から、日米安全保障関係の将来を考えて見ました。

日米関係が大きな岐路に立っている。「ニューヨーク・タイムズ」に掲載された鳩山由紀夫首相の論文記事は、新しい日米関係のあり方を論じたものであった。首相は日米関係の“イコール・パートナーシップ”を主張し、同時に東アジア共同体の設立を呼びかけるものであった。同時に、アメリカの市場至上主義政策の限界を指摘するものであった。そうした議論は特に珍しいものではなかった。ただ日本の新政権の方向性が見えない時に新首相が行った問題提起は、アメリカ政府の関係者に不安感を抱かせたことは間違いない。

さらに東アジア共同体からアメリカを除外するという発言は、アメリカ政府を苛立たせたことは間違いない。途中で鳩山首相はアメリカを排除するという主張を取り下げた。同時に日米同盟は日本の安全保障の基本であり、新しい時代に向けてさらに深化させる必要があると訴えた。日米関係の最初のスタートは、ある意味では最悪のものであったかもしれない。しかし、それはあくまで議論の段階での話に過ぎない。具体的な政策での対立ではなかった。

普天間基地の移設の問題は極めて具体的な問題であり、具体的な結論を出さなければならない問題であった。2009年2月、クリントン国務長官が来日した際、外務省の飯倉別館で当時の中曽根外務大臣との間で「在日沖縄海兵隊のグアム移転協定」の調印が行われた。1996年に「沖縄に関する特別行動委員会」が沖縄の海兵隊をグアムに移転すべきであるという勧告を行った。それを受けて、2002年7月に日米政府は普天間基地をキャンプシュワッブの沖に移設することを確認。さらに2006年5月に日米政府は共同声明で普天間基地移転に関連する一九項目の再編プログラムを明かにした。同時にアメリカ政府は8000名の海兵隊をグアムに移転することを正式に合意し、総費用100億㌦のうち日本が60億㌦負担することも決まった。2009年2月の協定調印は、普天間基地の移設と海兵隊のグアム移転に関する最終的な合意書であり、アメリカ政府はこの協定を“法的な拘束力のある政府合意”であると解釈していた。

2009年2月16日、寒風が吹きさらす羽田空港に降り立ったクリントン長官が羽田の迎賓館で行った演説の最初の言葉は「日本はアメリカのアジア外交のコーナーストーン(要石)である」というものであった。最近のアメリカのアジア外交の焦点が中国に移りつつあるのは間違いなく、誰の目にもアメリカ外交の中で日本の存在が希薄になりつつあるのは明かであった。日本経済の相対的な地位の低下もあり、「日本パッシング」という言葉が日米関係を表現する言葉として頻繁に使われていた。さらに一九八八年にクリントン大統領が訪中をした際に日本に立ち寄らなかったことで、その言葉はさらに現実味を帯びていた。クリントン国務長官の発言は、そうした日本の雰囲気を察した上でのものであることは間違いなかった。オバマ政権としては最大限に配慮した言葉であった。

逆に言えば、この10年、日米の間に深刻な政治的、経済的な問題はなく、ブッシュ・小泉関係に象徴されるように極めて友好的な関係が続いていた。日米関係は無風状態といっても良かった。さらに言えば、自民党政権は対米関係最重視の政策を取り、アメリカとの関係が良好であれば日本の安全保障の問題は心配ないとの立場を取ってきた。いかに日米間で波風を立てないかが、自民党政権の政策の最大の焦点であったと言っても過言ではない。

普天間基地移転問題は、そうした日米関係に大きな課題を突き付けた。鳩山政権はマニフェストに従って普天間基地移設に関して再検討するとの立場を明らかにしたことで、この問題が日米間の喫緊の問題として浮上してきた。2009年10月20日、ゲーツ国防長官が来日し、極めて厳しい口調で日本政府に協定の履行を要求し、合意内容に関して妥協の余地はないとアメリカ政府の立場を明かにした。アメリカのメディアは、ゲーツ発言を“最後通告(ultimatum)”と表現するほど、ある意味では傲慢なものであった。

日本のメディアはゲーツ長官の強硬発言のみに過剰に反応した。各メディアは、普天間基地移転問題で日米関係が危機的な状況に陥ると連日報道し始めた。確かにゲーツ長官の発言や訪日中のやや無礼ともいえる態度が一気にテンションを高めたことは間違いない。しかし、同時にゲーツ長官は「日本の新政権が移転計画を見直したいと思っていることは極めて理解できる。私たちは“タイムリミット”という点から話をしているのではなく、できるだけ迅速に事態を前進させる必要があると主張しているのだ」と、極めて冷静なコメントもしている。

こうした当初の認識はオバマ政権に共通したものであった。日本のメディアは大げさに危機を煽っていたが、オバマ政権は比較的冷静に対応しようとしていたことは間違いない。オバマ大統領のアジア歴訪の前の2009年11月6日に民主党系のシンクタンク・ブルッキングス研究所で行われたシンポジュームで、国家安全保障会議のアジア担当部長で大統領の特別補佐官であるジェフリー・ベーダー氏が講演を行っている。なお同氏はオバマ大統領のアジア歴訪の随員として大統領と行動を共にし、オバマ大統領に直接アドバイスを行っている。講演の中で、同氏は「アメリカはアジア太平洋の国家である。東アジアの国はアメリカとの同盟関係を支持しているが、同時にアメリカの軍事的な存在を軽減し、より対等な関係を望んでいる。それが日本と韓国で米軍を再編成している理由である」と語り、日米関係に関しては、日本は東アジアのアメリカの安全保障の要石であり、今後もそのことに変わりはないと指摘する一方、「日米関係は当たり前だと考えるようなものではない(the relationship with Japan is not one which we can take for granted)」と語っている。さらに「日米安全保障条約を結んで50年経ち、世界は変わった。アメリカは変わった。日本は変わった。鳩山首相の日米関係を見直そうという主張は、日米同盟を新たなものにする重要な一歩として私たちは歓迎する」と述べている。

ベーター発言はオバマ政権の立場を説明しているものと理解しても間違いではないだろう。オバマ政権の対日担当者は、恐らく以下のような状況判断をしていたと思われる。まぜ日本で初めての本格的な政権交代であり、鳩山政権が自民党政権の政策を見直そうとするのは当然である。普天間基地問題もマニフェストに掲げられているが、それは選挙用の主張であり、いろいろ現実の中で学習して行けば政策の見直しも行われるであろう。また普天間基地移設問題は、基本的に日本政府と沖縄県民の間の国内問題である。したがって紆余曲折はあっても、最終的には鳩山政権は当初の合意通り普天間基地の移設を行うとの見方を持っていたと思われる。にしたがってオバマ政権の立場は、当面、ウエイト・アンド・シーで状況の推移を見守るというものであった。

だが、日米両政府の間に大きな認識ギャップがあった。鳩山政権の中で普天間基地移設を巡って意見は分かれたいたようだが、少なくとも鳩山首相は普天間基地移設に関してマニフェストを変更する気持ちはなかった。さらに普天間基地移設問題は国内問題であるという認識以上に日米安全保障のあり方を巡る問題であるとの認識が強かったのではないかと思われる。鳩山政権が明確なメッセージをオバマ政権に伝えなかったことも、さらに状況を複雑にしてしまったのは間違いない。両国政府が同時に変わったことで緊密に意見交換を図るルートが確立されていないため、情報がお互いのメディアを通して伝えられることになった。

鳩山首相は日米の対等なパートナーシップを主張していたが、その具体的なイメージは明確に語られることもなく、また当然のことながらアメリカ側に伝えられることもなかった。その結果、オバマ政権からすれば、鳩山政権は何をしたがっているのか理解できない状況が続き、相当苛立ちが高まっているのは間違いない。

東京で行われた鳩山・オバマ会談で普天間基地移設問題を検討する作業部会の設置が決まったが、ここでも同床異夢の状況であった。鳩山首相は抜本的に普天間基地移設問題を見直すことをイメージしていたのに対して、オバマ大統領は協定をどう実施に移すかを議論する場として理解していた。同じようなコミュニケーションの問題は、コペンハーゲンでも起こったと推測される。鳩山首相はクリントン国務長官と短時間会談した後、「クリントン長官は普天間基地移設問題の決定の先送りに理解を示した」と発言している。だが、12月21日、クリントン長官は藤崎駐米大使を国務省に招集し、日本は2006年の普天間基地移設の合意の早急な実施を求めるという異例の行動を取った。これは明かに鳩山首相のコペンハーゲンでの発言を否定する意味があったと理解される。鳩山・オバマ会談と同様に鳩山・クリントン会談でも非常に深刻なコミュニケーション問題が発生している。

普天間基地移設問題がどのような決着を見るのか、予想はできない。結局、当初通りの移設が行われるのか、なんらかの妥協が成立し、微調整が行われるのか分からない。ただ、普天間基地移設問題が将来の日米関係の大きな分岐点になることは間違いない。

さらにオバマ政権を神経質にさせている問題がある。それは核を巡る日米密約問題である。アメリカにとってこの問題は普天間基地移設以上に重要な問題である。アメリカはオーストラリアとニュージーランドと軍事同盟アンザス条約を締結しているが、1985五年、ニュージーランドが米海軍の核兵器搭載戦艦の寄港を拒否したため、アメリカはニュージーランドの防衛義務を停止し、現在、アンザス条約は実質的に米豪の二カ国条約となっている。アメリカは核兵器搭載戦艦の同盟国への寄港問題で「確認も否定もしない政策」を取っている。

日本では密約問題の調査が行われており、また佐藤・ニクソンの密約書簡が発見されるなど、この問題が大きな問題となることは間違いない。仮に政府が密約の存在を確認し、核三原則をどのように取り扱うのかで、日米安全保障関係は大きく変わってくる可能性がある。ニュージーランドは核持ち込みを拒否したことでアメリカとの安全保障関係が断ち切られてしまった。もちろん、国際情勢から言えば、日米安全保障関係とアメリカとニュージーランドの安全保障関係の状況は同じではない。しかし、核問題が日米安全保障関係の核心に触れることは間違いない。ゲーツ長官は北沢防衛大臣との会談で「密約問題が核抑止力と日米関係にマイナスの影響を及ぼさないようにすることを希望する」と語っている。この問題は安全保障のパンドラの箱を開けることになるかもしれない。

普天間基地移設問題、密約問題と解決の道を探るのは容易ではない。いずれも国内問題であると同時に日米問題でもあり、国内問題を重視すれば、日米関係にダメージを与えかねない。鳩山政権にとって極めて高いハードルであることは間違いない。

ただ、日米安全保障関係を再検討することは極めて重要である。東西冷戦は終わったが、東アジアでは依然として冷戦構造が残っている。改めて日米で東アジアにおける安全保障の脅威に対する評価をし直してみる必要がある。その中から新しい日米安全保障の姿が浮かび上がってくるだろう。それこそが鳩山首相の主張する対等なパートナーシップへの第一歩になるだろう。

東アジアの安全保障に最大の脅威は中国の台頭である。中国の軍事費は毎年20%前後の伸びを記録している。将来は空母を保有することになると見られている。しかも、まだ国内の民主化が十分に進んでいないことも、大きな潜在的脅威の要因となりうる。しかし、その一方で米中関係は大きく発展している。ポールソン前財務長官の肝いりで始まった米中戦略経済対話を通して米中両国は閣僚級レベルでのコミュニケーションのチャンネルを確立している。また米中の経済関係は急速に相互依存関係を強めている。通商問題を巡る対立は頻繁に起こっているが、それは必ずしも安全保障上の問題とはいえないし、逆にそうした摩擦は両国の経済関係が不可分なものになっている証左とも言える。

中国は2010年にGDPの規模で日本を追い抜くと予想され、国際社会での責任も強まっている。ブッシュ政権の時、ゼーリック国務副長官(現世銀総裁)は中国を国際社会の“ステークホールダー”と呼び、国際社会での責任を果たすことを求めた。今後も中国の民主化問題、通商摩擦、台湾海峡などで地域的な緊張が発生する可能性は否定できないが、中国がアメリカや日本などの周辺国と全面的な対立に入る可能性は低いと考えるのが現実的であろう。また注目すべき動きとして、米中軍事交流がある。2009年10月に徐才厚国家中央軍事委員会副主席がアメリカを訪問している。また2009年11月17日、オバマ大統領と胡錦濤主席は共同声明のなかで徐副主席の訪米で「持続かつ信頼できる軍事的な関係の促進に向かって具体的な一歩が踏み出された」「両国は交流のレベルと頻度を高めることも含め、両国の軍事関係者の積極的な交流と協力プログラムを実施する」書かれている。おそらくアメリカと中国の間には一種の“親和力”のようなものが存在するというのが、筆者の印象である。

もちろん朝鮮半島の安全保障の問題は残るが、東アジアでも冷戦構造は大きく変わりつつあることは間違いない。事実、アメリカはそうした安全保障の状況の変化に対応して米軍の再編成を進めている。日米安全保障条約の前提も間違いなく変わりつつある。アメリカの戦略的な判断に任せるのではなく、日本も積極的に発言し、新しい地域の安全保障のあり方を説くべき時にきている。それは鳩山首相のいうより対等な日米パートナーシップが目指すところではないのだろうか。そうした中で本当にどの程度の在日米軍が必要なのか、沖縄の役割は何なのかを問い直す時期かもしれない。もちろん対等なパートナーシップを求めることは、地域の安全保障に対して応分な責任を担うことも意味する。日本が世界や地域の安全保障にどう関わっていくかという明確なビジョンが必要になる。それなくして日米の対等なパートナーシップは存在しえないし、アメリカを説得することはできないだろう。

先に触れたようにベーター氏は、日米関係を「当然なものではない」と指摘している。おそらくアメリカにとって歴史的な結びつきからすれば“当然な国”はイギリスである。日本は決してイギリスにはなれないのである。むしろ日本は日米関係を考えるとき、ドイツを想起すべきであろう。冷戦終了で米独関係は大きく変わった。ドイツの雑誌『シュピーゲル』は米独の関係を“フレネミーズ(frenemies)”と表現している。それは友人のフレンド(friend)と敵のエニミー(enemy)を合成した言葉である。

ドイツは2008年夏にドイツを訪問したオバマ大統領候補がブランデンブルグ門で演説するのを認めず、また2009年にホワイトハウスに招待されたとき、メルケル独首相は拒否している。また米独の間には景気政策や金融規制を巡る対立も存在している。ドイツはイラク戦争に反対し、アフガニスタンに派兵はしているものの、アメリカのアフガン政策には批判的である。しかし、二〇〇九年十一月にメルケル首相は米議会でアメリカとの“強力なパートナーシップ”の必要性を訴え、両国の間に“自由と責任”に対する共通の理解が存在すると語りかけている。またドイツはヨーロッパの安全保障で重要な役割を果たしている。

日本は長い間、“物言わぬ同盟国”であった。それは50年にわたる自民党政権の対米政策の結果でもあった。日本は“従属的な独立”に甘んじてきた。両国の政権が変わった今、日米同盟のあり方を考え直してみる良い時かもしれない。そのためには単なる言葉ではなく、明確な対等なパートナーシップのイメージを語り、アメリカに伝える必要がある。そして世界と地域の安全保障に日本はどう責任を負い、どう責任を果たすべきかを明確に語る必要がある。また安全保障問題は極めて重要だが、同時に日米関係はさらに広いコンテクストの中で議論されるべきであるも忘れてはならない。

1件のコメント »

  1. 20年前、日産モトイベリカの日本派遣社員は「日本滞在時についでにオーストラリアへも行くつもりだ。」と心待ちにしていました、アジア太平洋経済協力(APEC)のほうがヨーロッパ人にとっては重要事項のようです。

    コメント by satoco gracia — 2010年1月30日 @ 01:44

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