中岡望の目からウロコのアメリカ

2010/1/30 土曜日

為替相場展望(2):キャリートレードと為替相場

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この記事は1月25日に書いたものです。前の記事は1月7日に書きました。その時点ではアメリカ経済の回復は堅調であると書きました。それをベースに相場の見通しを書いたのですが、1月8日に発表された雇用統計は予想に反してあまり良い内容ではありませんでした。その他の要因も加わり、その後、ドルが売られる展開となりました。ここでは、そうした要因を説明しました。同時に、前回にも触れた”キャリートレード”についても解説しました。蛇足ですが、私は大学を卒業して外国為替専門銀行の東京銀行(現在の三菱東京UFJ銀行)に就職し、最初の業務は輸出手形の買取業務でした。経済社会での最初の経験が為替相場に関するものでした。その時の経験が、記者になっても随分助けになりました。

前回、本欄で円相場の基調は円安・ドル高にあると書きました。その前提条件は、アメリカ経済の回復が予想を上回るペースで進んでいるという判断がベースにありました。年末段階では、失業率も11月を頂点に低下し始めるという見方が支配的でした。もし、アメリカ経済の回復が進んでいるということが予想されるなら、FOMC(連邦準備制度理事会)は早晩、ゼロ金利政策を修正し、利上げに踏み切ることになるのは間違いないと思われました。FOMC、あるいはFRB(連邦準備制度理事会)はインフレ再燃を随分気にしています。中央銀行の最大の責務は通貨価値の維持にあります。低金利による流動性の供給は、将来、必ずインフレを誘発する可能性があります。FOMCの議事録では、操業度がまだ低いので景気が回復してもすぐにインフレの兆候は出てこないと指摘しつつも、同時に“インフレ予想”が上昇しているという警告も発しています。具体的な受給の逼迫で物価が上昇するよりも、インフレ予想が高まることの方がインフレに与える影響は大きいのです。早ければ第2四半期に利上げがあるという予想が市場の大方の見方でした。とすれば、ドル・キャリー・トレードの巻き戻しや対米投資の増加で、ドルは基調的に強くなるというのが、円安・ドル高のシナリオでした。

その見通しが基本的に変わったわけではありませんが、アメリカ経済の回復スピードは予想ほど強くないとの認識が出てきています。12月の失業率は10%に留まったままであり、個人消費も好調とは言えません。第3四半期の経済成長率も3度にわたって下方修正されています。こうした状況から判断すれば、景気が力強く回復しているという見方はやや勢いがなくなってきています。ポール・クルーグマン・プリンストン大学教授やジョセフ・スティグリッツ・コロンビア大学教授などは、アメリカ景気の“二番底”の可能性は否定できないという指摘をしています。こうした状況の変化を背景に、12月に見られたドル高の勢いも鈍くなっています。

先週(18日から23日)の週は、ドルが売られました。円相場は1ドル=89円79銭と一時90円を超える円高場面も見られました。これは12月18日以来の円高水準です。ユーロの対ドル相場も、1ユーロ=1.4029ドルと昨年の7月30日以来のユーロ安を記録しています。円の対ユーロ相場は円高で、1ユーロ=126円98銭を付けました。ドル安を懸念して、資金はリスク資産から一次産品へ流れています。為替市場では、円が“最強の通貨”となっています。『ウォール・ストリート・ジャーナル』(1月22日付け)は、円のことを“最も安全な通貨(ultimate safe-haven currency)”と呼んでいます。日本から見ていると、景気回復の足ドルは重く、政治的な不安を抱えている円がどうして“最強の通貨”なのかと疑問に思いますが、海外の投資家の目にはそう映っているようです。確かに欧米の経済状況と比較すると、円は安定した通貨といえるのかもしれません。

【為替相場を取り巻く不確実性高まる】
しかし、相場の状況は常に変化しています。昨年の3~4月までは円高・ドル安の展開でしたが、秋から年末に掛けて相場の展開はガラリと変わりました。相場は、常に新しい情報を消化しながら展開していくものです。景気見通しが大きく変わる時や、新しいニュースが発表されたり、大きな政治的、経済的なイベント(出来事)が起こると、短期的に相場は大きく変動します。先週の相場は、まさにそうした展開でした。

では先週、何が起こったのでしょうか。まず、既に述べたようにアメリカ景気の回復が予想ほど強くないことがベースにありました。そこにオバマ大統領の銀行規制が発表されました。内容は一言で言えば、銀行が預金業務を行うのであればヘッジファンドや投機的な資産運用を行うことを規制するというものです。そうすることで銀行のリスクを低下させることを狙ったものです。大恐慌の後、アメリカは商業銀行業務と投資銀行業務の兼業を禁止する「グラス・スティーガル法」を導入しました。しかし、1970年代末から金融規制緩和の動きが始まり、最終的に同法は廃止になりました。その結果、国民の預金を預かっている銀行がリスクの高い投資を行い、金融危機を招いたという経緯があります。オバマ政権は金融規制強化を政策の柱に掲げていましたが、オマバ大統領は今までの規制強化案に満足していなかったのです。そうした中で19日にマサチューセッツ州上院補選が行われ、民主党候補が敗北しました。同州は民主党の指定席と見られていただけに、オバマ政権と民主党にとって大きな打撃となりました。11月に中間選挙を控えており、オバマ大統領としても何とか巻き返し策を講じる必要があったのです。そんな状況の変化の中で、昨年来、商業銀行と投資銀行の業務区分を主張していたポール・ボルカ-元FRB議長の提案が取り上げられ、今回のオバマ大統領の規制強化案の柱となったのです。この政策は市場に大きな影響を与えました。市場は、規制強化が行われれば、対米投資が減少すると反応しました。それはドル売りにつながります。

さらにドル安材料が浮上してきました。それはバーナンキFRB議長の2期目の再任が怪しくなってきたからです。上院で同議長の再任は承認されるというのが大方の見方でしたが、ここでもマサチューセッツ州上院補選の結果が響き、一部の民主党議員が再任に反対との姿勢を明らかにしたのです。同議長の任期は1月30日までです。ただテクニカルにいえば、仮に議長として再任されなくても、FRB理事として留任は可能です。議長は理事の中から指名され、議長の任期と理事の任期が異なるからです。可能性は低いかもしれませんが、同議長が再任されないという可能性は否定できません。上院銀行委員会のドッド委員長は「もしバーナンキ議長が再任されなければ、市場(株式市場、債券市場、為替市場)は大暴落する可能性がある」と語っています。

さらに為替市場が懸念するニュースがありました。中国経済は予想を上回るスピードで成長しています。住宅バブルなどインフレ問題が深刻化しています。中国の12月のインフレ率は1.9%でした。中国経済の成長は、巨額の財政刺激策と政策的な貸出促進政策で実現したものです。中国政府はインフレを抑制するために、銀行貸出の抑制を始めています。昨年1年で、新規貸出額は9.59兆元(1.4兆ドル)に達しています。新規融資を抑制するために中国人民銀行は銀行の支払い準備率の引き上げを行っています。市場関係者は、6月末までに中国人民銀行は利上げに踏み切るのではないかと予測しています。こうした中国の動きも市場に先行き不透明感を与えています。

ユーロ相場はドルと円の両方に対して下落しました。その背景には、ギリシャの財政赤字問題があります。1月19日にユーロの財務大臣会議が開催されました。会議後、出席者は「ギリシャ危機は他のユーロ諸国に影響を及ぼす可能性がある」と語っています。極論ですが、ギリシャ問題はユーロ体制そのものを揺るがす懸念があるのです。

こうした国際的な経済情勢が大きく変わる中で、円は相対的な安定した通貨と見られ、投資家が円買いを進めたのが、今回の円高です。ただイベントに誘因された市場の動きは、逆に言えば、イベントの影響が消化される、あるいは消えれば終わりで、中長期的な影響はないでしょう。中期的な為替相場の焦点は、依然としてアメリカの景気回復と金融政策の動向であることは間違いないでしょう。そこで、前回の記事で“キャリー・トレード”のことを書きましたが、今回、少し詳しく説明しておきます。

【キャリー・トレードの背景】
10年ほど前には、“キャリー・トレード”は金融機関のトレーダーの間で使われていた“業界用語”でした。しかし、最近では、経済新聞は言うまでもなく一般新聞までキャリー・トレードという言葉を使うようになっています。「円のキャリー・トレードが行われた」とか、「ドルのキャリー・トレードの巻き戻しが始まった」などという表現が頻繁に為替の記事に登場するようになっています。それだけキャリー・トレードが相場に与える影響が大きくなっているということなのでしょう。

ハーバード大学のジェフリー・フランケル教授はキャリー・トレードを「低金利の通貨をショートにし、高金利の通貨をロングにする戦略である(the strategy of going short in a low-interest currency, while simultaneously going long in a high-interest currency)」と定義しています。英語の”short”は日本語で「売り持ち」、”long”は「買い持ち」のことです。たとえば、5~6年前、盛んに「円のキャリー・トレード」が行われました。それは円金利が安く、円を売り持ちにして、高金利のニュージーランド・ドルを買い持ちにすることで大きな利益を上げることができました。 もう少し具体的なイメージで説明すると、投資家は金利の安い円資金を借りて、その円でニュージーランド・ドル建ての債券などに投資することです。要するに円資金を借りてニュージーランド・ドル建ての債券を“キャリー(保有する)”のです。

ただ、キャリー・トレードは低金利の資金を借りる場合だけを意味する訳ではありません。もっと広い意味では、資金を借りなくても、投資家はポートフォリオを低金利の資産から高金利の資産に組み替えることもできます。こうしたポートフォリオの組み替えもキャリー・トレードという定義に含められています。その際、当然、低金利の資産は売却され、その資金で高金利の通貨が買われ、それがその国の資産に投資されるのです。したがって、キャリー・トレードが行われると、低金利の通貨は売られ(安くなる)、高金利の通貨は買われます(高くなる)。もちろん、最初に説明した資金を借り入れて行うキャリー・トレードのほうが高い利益を上げることができます。

キャリー・トレードの対象となるのは、どんな通貨でも構いません。最近まで、ユーロやドルを借りてのキャリー・トレードが盛んに行われていました。対象となった資産は、オーストリア、ブラジル、ハンガリー、アイスランド、インドネシア、メキシコ、ニュージーランド、ロシア、南アフリカ、トルコの高い利回りの資産でした。こうした国には国際資本が流入したのです。

ただキャリー・トレードは一種の投機ですから、高いリスクも伴います。したがって市場のボラティリティ(変動幅)が小さい時、リスクは少ないのですが、逆にボラティリティが大きくなるとリスクも大きくなります。したがって、世界的に低金利の時代が続き、しかも変動幅が小さい時にキャリー・トレードが盛んに行われました。要するに市場リスク(market risk)が小さい時、キャリー・トレードは魅力的な投資になるのです。過去の例を見ますと、1987年にアジア金融危機が起こりましたが、危機が発生する直前まで巨額のキャリー・トレードが行われていました。投資家はアジアやラテン・アメリカ、ロシアに巨額の投資を行ったのです。ヘッジファンドは高いレバレッジを効かして、巨額のドル資金を借りて、発展途上国の高利回りの金融商品に投資を行っていました。しかし、ドル金利の上昇で多くの投資家は巨額の損失を計上しました。1998年10月4日から10日の間に円相場はドルに対して16%も上昇したのです。そのためキャリー・トレードはリスクが高くなり、投資家は円ショートの巻き戻し(円の買い戻し)を行ったのです。低金利の国の為替が強くなると、投資家は損失を計上することになります。

円がキャリー・トレードの対象になったのは1990年代末のゼロ金利の頃です。円金利はゼロなので極めて低い金利で円を借りることができました。円借りによる円ショートが行われたのです。円資金は米ドル、オーストリア・ドル、ニュージーランド・ドル、香港ドルに投資されました。

キャリー・トレードの逆を「巻き戻し(unwindingとかreversal)」と言います。先に述べたように投資家はキャリー・トレードに使っている低金利の通貨の為替相場が上昇すると予想されると、巻き戻しを行います。たとえば2007年にサブプライム・ローン問題が顕在化したとき、投資家はドル資産を売却し、キャリー・トレードを手仕舞っています。

【キャリー・トレードの仕組み】
上でキャリー・トレードの概念的な説明をしました。もう少し具体的な事例を上げて説明します。そのほうが分かりやすいでしょう。

現在、ドル金利は超低金利です。FRBは政策金利であるフェデラル・ファンド金利の目標を0~0.25%に設定しています。この金利は銀行間市場での金利です。金融機関であれば、フェデラル・ファンド市場で超低コストの資金を借りることができます。機関投資家は金融機関を通して同じく超低金利の資金100万ドルを1%の金利で借りることができたとします。金利の高い国の金融商品の利回りが5%とします。金利差は4%で、資金調達にかかるコストは1万ドルです。これを“キャリング・コスト”と言います。もし為替相場や金利が変動しなければ、この投資家は労せずして4万ドル儲けることができるのです。もしレバレッジ(借入)を使って借入額を増やせば、利益もそれだけ増えます。もし、投資期間中にドル相場が下落すれば、金利差益に加え為替差益も発生するので、利益はさらに増えます。ドルを売っているのですから、理屈から言えば、ドル相場は下落する可能性があります。そうなれば投資家は二重の利益が期待できるわけです。

しかし、世の中はそんなに楽に出来ているわけではありません。キャリー・トレードは国際的にだけ行われるわけではありません。短期金融市場で低利の短期資金を借りて(長期金利よりも金利が安い)、たとえば長期の住宅担保証券に投資し、金利差を稼ぐことができます。これもキャリー・トレードと同じ仕組みです。しかし、それは国内の債券市場でバブルを引き起こします(市場に大量の資金が流入するため)。国際的にも、高利回りの国の債券市場でバブルが起こる可能性もあります。そうなれば、各国の中央銀行は政策を変更する可能性があります。低金利国の金利が上昇すれば、キャリー・トレードの巻き戻しが始まり、債券市場も為替市場も大きく変動する可能性があります。損失を最小限に納めようとする投資家は資産を売り急ぎ、さらに市況を悪化させるという悪循環が始まるかもしれません。

【最近のキャリー・トレードの状況】
2009年11月9日付けのブルームバーグの記事は「国際通貨基金によれば、米国の歴史的低金利が世界的なキャリー・トレードの原動力となっている。IMFはドルの一段の下落余地も指摘し、新たな金融不均衡への懸念も浮上している」。「IMFは7日、G20で公表した報告書で、『ドルのキャリー・トレードの資金調達通貨となっている兆候がある』とし、このキャリー・トレードが『ユーロや一部の通貨への上昇圧力につながっている可能性がある』と分析した。ドルについては『中期的な均衡点に接近してきたものの、なお過大評価されている』との見解を示した」と書いています。

さらに2010年1月8日付けの『ウォール・ストリート・ジャーナル』は「ドル・キャリー・トレードはまだ終わっていない」と題する記事を掲載しています。その内容を紹介します。「12月の雇用統計で直近のドル高相場の期待は水を掛けられた」と指摘しています。市場はドル金利上昇、ドル高を予想していました。そのため12月にドルはユーロに対して5%、円に対して8%上昇しました。しかし、利上げ予想は完全に当てが外れ、1月11日の週は逆にドル安・円高相場となりました。FOMCの利上げのタイミングは先に延びたため、「ドル・キャリー・トレードが終わったというのは時期尚早である。ドルのキャリー・トレードが本当の意味で終わるのは、今年の後半である」と分析しています。同記事は、6月のFOMCで利上げが決定される確率は22%と予想しています。しかし、「利上げの可能性が先に延びたことで、キャリー・トレードで高利回り商品に投資をしている投資家は一息ついた」とも書いています。

FOMCが利上げを決定し、本格的なドルのキャリー・トレードが始まった時、相場は本格的なドル高になる可能性があります。ただ、それは大きな要素ではありますが、キャリー・トレードだけで相場が決まる訳ではありません。その時のアメリカ経済の状況、国際経済の状況も同時に相場の展開に大きな影響を与えます。

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