中岡望の目からウロコのアメリカ

2010/7/3 土曜日

アメリカ最大の聖域:最高裁判所の実態

Filed under: - nakaoka @ 22:48

この3ヶ月、記事をアップできませんでした。大学教授としての新しい生活が始まったので、相変わらず多忙な生活が続き、ついつい時間が経ってしまいました。少し体勢を立て直して、またアップを始めるつもりです。私の関心項目のひとつにアメリカの最高裁判所があります。最高裁に関する資料は随分溜まりましたが、なかなか書くチャンスがありませんでした。今回、最高裁人事に絡んで、書いてみました。最高裁はアメリカの最大の聖域です。かつて映画で「ペリカン文書」というのがありましたが、それは最高裁の人事を巡る内容でした。今後も折に触れて最高裁に関して書くつもりです。

アメリカの最大のサンクチャリーは最高裁である。黒い法衣を着た9名の最高裁判事が、アメリカの政治と社会の方向性を決めているのである。最高裁の内情は秘密に包まれている。ジャーナリストのジェフリー・トービンは自著の『ザ・ナイン』(2007年刊)の中で「最高裁がどのように運営されているか外部から秘密にされている」と述べている。

また憲法学者のマーク・レビンも著書『メン・イン・ブラック』(2005年刊)の中で「多くの点で最高裁判事は議員や大統領よりも大きな権力を持っている」と指摘し、「最高裁の9名の判事のうち五名が国家全体の経済政策、文化政策、安全保障政策の行方を決定することができるし、現実にそうしている」と、最高裁の持つ圧倒的な権力について語っている。

最高裁判事は大統領によって指名され、上院によって承認されて、その地位に就く。任期は終身で、自ら辞任するか、死亡するか、あるいは議会から弾劾されない限り、地位は保証されている。しかも、かつて最高裁判事が弾劾によって辞任に追い込まれた例はない。日本のような国民審査も行われない。大統領の任期が最大8年であるのと比べると、その地位の影響力の大きさが分かる。

大統領にとって最大の仕事の一つが最高裁判事の指名である。空席がない限り、大統領は最高裁判事を指名することはできない。また最高裁判事の指名に当たって、大統領は政治的に近い立場の人物を選ぼうとする。誰が最高裁判事になるかによって、判決が大きく変わってくるからだ。ブッシュ前大統領は8年間の在任中に指名した最高裁判事は2名に過ぎなかった。クリントン大統領も2名である。戦後、最も多くの最高裁判事を指名したのはアイゼンハワー大統領である。オバマ大統領は在位二年に満たないが、昨年の5月のソニア・ソトマイヨール控訴裁判事を指名し、今年の5月にエレナ・ケーガン・ハーバード大学法律大学院学部長を最高裁判事に指名している。

上院では野党が与党の影響力のある最高裁判事の承認に抵抗するのが普通だが、それだけ最高裁判事の持つ影響力が大きいからである。上院が承認を拒否した候補者は12名である。たとえば1987年にレーガン大統領が指名した保守派で知られたロバート・ボーク・イエール大学教授が野党の民主党の反対で承認が拒否されている。

最高裁の権力の源泉は、最高裁が持つ憲法解釈の権限にある。1803年のマーベリ対マディスン裁判で憲法の最終的な解釈の権限は最高裁にあり、議会も政府も州も、憲法解釈で最高裁の判断に従わなければならないとの判決が出た。日本では最高裁の違憲判決が出ても政府が判決を無視するケースが多いが、アメリカでは最高裁の判決は絶対である。

最高裁の判決が政治を先取りしてアメリカ社会を大きく変えた例は幾つかある。1954年のブラウン対教育委員会裁判は人種差別撤廃の流れを作った。1963年のニューヨークタイムズ対サリバン裁判は公務員の名誉毀損を厳格に規定し、言論の自由を保障し、その後の報道のあり方に大きな影響を与えた。1973年のロー対ウエイド裁判では初めて女性の中絶件を認め、アメリカ社会に大きな影響を与えた。中絶問題は現在でも大きな政治問題で、共和党や保守派は同判決を覆す運動を続けている。上院での最高裁判事承認にあたって同裁判に対する見解がリトマス紙となっている。

特にアール・ウォーレンが最高裁主席判事を務めた1953年から1969年の期間は“ウォーレン裁判”と呼ばれ、最高裁は相次いでリベラルは判決を下している。この時代はリベラルの時代といわれるが、そうした流れを作ったのは最高裁の一連の判決であった。政治が時代の後を追っかけていたのに対して、最高裁は時代をリードしたのである。

最高裁の判決が政治に大きな影響を与えた例は数多くある。ルーズベルト大統領はニューディール政策のうち一二法案について最高裁は違憲判決を下している。同政権が成立したとき、最高裁判事は共和党大統領によって指名された判事が多数を占めていた。最高裁が違憲判決を下した政策の中にはニューディール政策の柱でもあった「農業調整法案」が含まれている。最高裁は、農民救済は州の権限であり、連邦政府の関与は州政府の権限を侵す物だというのが、判決の理由であった。さらに企業の過当競争や過剰生産を調整することを目的とする全国復興局の設置も、政府の市場介入を理由に違憲判決が下されている。こうした共和党よりの最高裁に対して、ルーズベルト大統領は選挙での圧倒的勝利を背景に熾烈な権力抗争を展開している。ルーズベルト大統領は最高裁判事の数を増やそうとしたり、民主党寄りの判事を指名するなどしている。ちなみに同大統領は就任中に8名の判事を指名している。

戦後も朝鮮戦争の最中の1952年に全米鉄鋼労組がストライキを計画したため、戦争遂行に支障が出ると判断したトルーマン大統領は大統領令を出し、製鉄会社を管理下に置こうとした。だが最高裁は6対3で、大統領令は連邦政府の権限を越えるものであると違憲判決を下し、大統領は指令の撤回を余儀なくされている。また、1985年にグラム・ラドマン・ホリングス法(均衡財政・緊急赤字管理法)が成立したが、最高裁は違憲との判断を下したため、法律は無効となった。そのため議会は違憲部分を修正して1987年に再び同法を成立させている。

最近でも最高裁の判決が政府に大きな影響を与えた例がある。ブッシュ前大統領はテロリスト容疑者をキューバのガンタナモ基地に収容し、拷問を加えるなど不当な扱いをしていた。この問題はハムダン対ラムズフェルド裁判で審議され、2006年に最高裁は5対3でブッシュ大統領が設置した軍事調査委員会は違憲であるとの判決を下したのである。この結果、ブッシュ政権はイラク政策の修正を迫られることになった。違憲の理由は、大統領は議会の承認を得て軍事調査委員会を設置することができるが、議会はその権限を大統領に付与することを拒否しているというものであった。

オバマ大統領も同様な問題に直面している。オバマ大統領は民主党の念願でもあった国民皆保険制度を実現したが、現在、12州の司法長官が医療保険制度改革法は違憲であると訴訟を起こしている。その根拠は、同法では2014年までに国民全員に保険制度への加入を義務づけ、また企業にも従業員への健康保険提供を義務付けている。加入しない場合、罰金を課せられることになっている。こうした強制加盟は、国民の憲法が保証する「選択権」を侵害するものであるというのが、12州の司法長官の主張である。4月段階では既に4州が同法の実施を阻止する法案を可決している。こうした動きに対してホワイトハウスのデビッド・アクセルロッド上級顧問は「同法は法的な挑戦に耐えることができる」と楽観的な見通しを語っている。

医療保険制度改革は国民の支持を得ていない。4月19日に発表された世論調査会社ラスムーセンの調査では、国民の56%が同法の撤廃を支持している。共和党は11月の中間選挙を同法のリフレンダム(国民投票)と位置づけ、攻勢を強めている。中間選挙では与党民主党の後退は避けられない状況になっており、オバマ政権は医療保険制度改革法の違憲裁判と中間選挙という二つの挑戦に直面している。支持率が低迷するオバマ大統領にとって厳しい状況は続きそうだ。

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