中岡望の目からウロコのアメリカ

2004/12/18 土曜日

アメリカの「投資の神様」ウォーレン・バフェットの人物論と投資哲学

Filed under: - nakaoka @ 22:26

いつも硬いテーマばかりで読むのも大変だと思います。今回は少し趣向を変え、アメリカの投資の神様といわれるウォーレン・バフェットの人物論をアップします。彼の投資哲学はユニークです。ユニークというよりは、極めて伝統的でまっとうなものといったほうが妥当かもしれません。別に特別な投資テクニックを持っているわけではないのです。割安株を買い、長期に保有するという基礎中の基礎を実行することで、彼は巨万の富を得たのです。ここにアップする記事は月刊誌「GQ Japan」の今月号に寄稿したものに加筆、修正したものです。

少しでも株式投資を勉強した人なら、間違いなくウォーレン・バフェットという人物を知っているでしょう。一代にして株式投資で巨万の富を稼いだ人物です。その投資手法は、今でも独自なものです。投資の手法は、大きく分けて2つあります。1つは「グロース株(成長株)」投資です。最近、流行のIT株などに対する投資は、このカテゴリーに入ります。新しい産業で、成長可能性を秘めた株式に投資することです。もし予想通りに高い成長率を実現すれば、株価は大きく上昇するでしょう。多くの投資家が新規上場株を手に入れようとするのは、こうした企業あるいは産業の成長性を買っているのです。この投資は“ハイリスク・ハイリターン”の投資になります。

もう1つの投資手法は「バリュー株(割安株)」投資です。これは同業他社などの株価に比べて割安な株式を探し出し、それに投資する手法です。割安という判断はいろいろな手法で判断されます。一番一般的なのが「株価収益率(PER)」と呼ばれるものです。これは、企業の1株当たりの利益と株価の倍率を表現したものです。1株当たりの利益が10円で、株価が1000円なら、PERは100倍です。もし比較する2つの会社で、1つの会社の1株当たり利益が10円で、株価が1000円、もう1つの会社の1株当たり利益が20円で、株価が同じ1000円なら、最初の会社のPERは100倍、後の会社のPERは50倍です。もし条件がまったく同じなら、後の会社の株価は2000円であっても不思議ではありません。

ただ、同じ1株当たり利益で、PERが違う場合、なんらかの理由があるはずです。経営者に問題があったり、財務内容に違いがあったり、経営上の問題(たとえば大きな訴訟問題を抱えているとか)、商品構成に問題があるとか、なんらかの問題がある場合があるので、単純にPERだけで妥当な株価を評価することはできません。しかし、PERが投資の重要な指標になることは間違いありません。ただ、産業によってPERが違うので、違う業界の企業を比較するのはあまり意味がありません。

実は、バフェットは、「バリュー株」投資こそが投資の基本であると考え、それを実行した人物なのです。もう1つ、バフェットの投資手法の特徴は、自分が知らない企業には投資しないということです。ですから、身近にある製品(日常用品などを生産している。たとえば剃刀の会社ジレット)企業や、人々に良く知られている企業(ウォールト・ディズニー)などに投資することです。会社の内容を知っていれば、確信を持って投資することがでるからです。後で触れますが、彼が持っている投資会社「ヨークシャー・ハザウエイ」の投資銘柄は、以上に述べた基準に基づいて選ばれたものです。

もう少し投資手法について説明します。投資対象となる株式は、(1)事業が単純で理解できるものであること、(2)一貫した経営実績を持っていること、(3)長期的に優れた業績を上げていること、です。こうした例に該当するのが、コカコーラ、ワシントン・ポスト、金融機関のウエルズ・ファーゴ、ジレット社などです。

次のポイントが、(1)経営者が合理的である、(2)経営者が株主に対して正直で率直である、(3)経営者が企業の惰性に対して抵抗している、です。特にバフェットは企業倫理が重要だと考えています。高額な報酬を得たりする経営者では駄目なのです。彼は、2003年の年次報告の中で、強欲な経営者について嘆いています。また、彼は今はやりのストック・オプションに対しても批判的です。

さらに、(1)1株当たりの利益ではなく、自己資本利益率に注目すること、(2)本当の価値を知るために”所有者収益”を計算すること、(3)利潤率が高い企業を選ぶこと、(4)内部留保した資金を有効に活用している企業であること、です。”所有者収益”は「企業の純益+減価償却額-設備投資額-追加稼動資本」ということです。さらに、(1)事業の価値を決定することです。しかし、以上の要件をすべて満たしていても、株式投資で利益を上げることが保証されているわけではありません。そこで最後の条件として、グラハム教授の教えに戻ります。企業の価値よりも低い株価の企業を選ぶことです。バフェットは「優れた投資機会は、優秀な企業が異常な状況に取り囲まれ、誤った株価が付いているときである」と述べています。

もちろん、こうした単純な原則に忠実だからといって、投資に成功するわけではありません。私は、「会社四季報」の記者として企業を分析したこともあり、また「会社四季報」の副編集長や「英文会社四季報」の編集長を務め、東洋経済の「オール投資」で株式記事を書いていたこともあります。そして多くの投資家があまりにも目先の情報に流され、ちゃんとした投資の考え方を持っていないか驚いたこともあります。ですから、最低限、バフェットの考え方を理解してみるのは有益だと思っています。

では、次にバフェット個人について説明しましょう。アメリカの雑誌は、彼のことを「中西部の大学の教授のようだ」と表現しているように、地味な人物です。しかし、彼には様々なニックネームが付いています。「投資の神様」「アメリカで最も成功した投資家」「触れたものがすべて金になるゴールデン・ハンドを持つ人物」「オマハの鉄人」などです。彼がCEO(最高経営責任者)を務める投資会社バークシャー・ハザウエイ社は、アメリカで最も投資で高い収益を上げている投資会社の1つなのです。過去37年の同社の投資の年平均リターンは22・6%を記録しています。65年以降、同社の簿価は実に1949倍も増加しているのです。その成果は、彼の投資手腕によるところが大きいのです。

バフェットには、もう一つの顔があります。『フォーチュン』誌の調査「世界の大富豪」によれば、彼はマイクロソフト社CEOビル・ゲイツに続いて2004年は2位にランクされているのです。その資産総額は429億ドルを越え、過去10年間、富豪ランキングで5位以下に落ちたことはない本物の金持ちです。彼が大富豪ランキングの常連であるのは、バークシャー・ハザウエイ社の驚異的な成長を見れば当然のことでしょう。

彼こそは、現代の“アメリカン・ドリーム”を現実にした人物であるともいえます。30年8月30日にネブラスカ州オマハ市で生まれています。父親は証券会社の株式ブローカーを務める一方、連邦議会の議員にもなった人物です。バフェットは同じ世代の子供たちとは違っていました。驚異的な暗算力を持ち、幼少時代から金儲けやビジネスに非常な関心を抱いていたのです。最初の“ビジネス”は6歳の時で、雑貨店を営む祖父からコーラ飲料を買い、それを転売して1本に付き5セントの利益を上げています。

11歳の時にシティ・サービス社の株を1株38ドルで購入しています。しかし、購入直後、株価は27ドルにまで下落し、彼は落胆します。そして、株価が40ドルに戻ったときに株をすべて売却しています。これが彼には株式投資の“痛い教訓”を教えたのです。なぜなら、その後、同社の株価は200ドルにまで上昇したからである。彼は、この経験を通して「株式投資には忍耐が必要である」ことを学び、それが後の彼の投資哲学の基礎になる。このとき、後の投資の基礎となる投資もしています。彼は「ワシントン・ポスト」紙の株にも投資しているのですが、これは後の「自分が良く知っている株に投資する」考え方に通じます。当時、彼はアルバイトで、同紙の配達を配達し、同紙がどんな会社か知っていたからです。

高校卒業後、大学への進学を渋り、早く仕事に就きたいと考えていました。しかし、最後は父親の勧めでペンシルバニア大学ウォートン・スクールに進学することになります。だが長い間、株式投資によって社会や経済に対して多くの経験をしていたことから、彼は「教授よりも自分のほうが良く知っている」と大学に落胆して、郷里のオハマに戻ります。そこでネブラスカ大学に転入することになります。ネブラスカ大学を卒業後、コロンビア大学経営大学院に入学します。そこで彼の“株式投資の師”となるベンジャミン・グラハム教授と巡り会うのです。バフェットはグラハム教授のクラスでAプラスを取った唯一の学生でした。

当時、まだ「大恐慌」で大損害を被った印象が強く残っており、人々は株式投資を“バクチ”と受け止めていました。今のように、株式投資は一般的ではなかったのです。貯蓄の柱は預金であり、主な投資対象は不動産でした。そんな中で新しい株式投資の理論を開発したのが、グラハム教授でした。同教授は、株式投資は投機ではなく、会社の“本源的な価値”に注目して投資すべきだと説いたのです。さきの株式投資からいえば、投資の基本は「バリュー株(割安株)」に投資するのが基本であり、そのためには会社の財務内容を詳細に検討する必要があるというのが、同教授の学説でした。彼にとって、企業とは財務内容で成り立っている抽象的な存在でした。

バフェットはコロンビア大学の経営大学院を卒業後、グラハム教授がパートナーシップを務める会社で働くことを望んだのですが、同教授は他の学生を雇い、彼の望みは叶えられませんでした。また、彼の父もバフェットがウォール街で働くのに反対しました。バフェットは失意のまま再びオハマに戻ることになります。オマハに戻った彼は、父の証券会社の仕事を引き継ぎますが、やがて資金を集め、不動産投資など行ないます。しかし、いずれも失敗に終りました。そこに再び彼にチャンスが巡ってきます。大学の夜間クラスを教えていたとき、グラハム教授に呼び戻され、再びニューヨークに出て行くチャンスに恵まれたのです。同教授の下でスタンダード&プアーズのレポートの分析を行うことで、彼は独特な投資哲学を持つようになります。そして次第に企業財務の数字だけを重視の同教授の投資手法に疑問を抱き始めるのです。彼は、投資をするには、単なる財務数字よりも、会社の経営の質と製品に対する理解ほうが重要だと考えるようになっていたのです。

そして彼は同教授と袂を分かち、再び故郷に戻ります。ニューヨーク滞在中に貯めた資金14万ドルを元手に親類縁者、友人ら7人から出資を募って投資会社「バフェット・アソシエーツ」を設立します。最初は仲間内の資金を運用する投資会社でしたが、25%の投資収益を上げるなど、優れた運用実績をあげました。その成功が知られるようになると、全国から資金を集めるようになりました。56年には運用資産は30万ドルにまで増えています。彼は、3万ドルでアパートを買い、寝室で運用を始めたのです。62年には同社の資本金は720万ドルにまで増えています。パートナーも90名と、非常に大きな投資会社に成長しました。しかし、同社が成功していたにもかかわらず、バフェットは同社を解散し、新たに「バフェット・パートナーシップ」を設立するのです。その投資運用も大きな成功を収めますが、バフェットは69年に再び同社も解散します。解散し、投資していた株式の大半を処分し、投資家に分配しますが、投資先の企業で倒産の瀬戸際にあった繊維会社バークシャー・ハザウエイ社とダイバーシファイ・リテーリング社の株式は売却せずに、彼は同社の経営に乗り出したのです。同時に損害保険会社2社を買収、それによって現在の投資会社ヨークシャー・ハザウエイ社の経営の基礎が確立したのです。

バフェットは、62年にカリフォルニアからオハマにやってきたチャーリー・マンガーと運命的な出会いをします。彼はハーバード大学法律大学院卒業の弁護士で、バフェットの生涯にわたるビジネス・パートナーになるのです。二人の性格には相反するものがありました。金儲けに執着するバフェットに対して、マンガーは社会活動などに積極的に取り組む人物でした。しかし、その二人が組んだところに、バークシャー・ハザウエイの成功の秘密の一つがあったのかもしれません。マンガーは、現在も同社の副会長の職にあり、同社の社会貢献事業に大きな影響を発揮しています。同社は「バフェット基金」を設けています。ケチで知られるバフェットは、自分の死後、財産を同基金に寄付する意向です。

バークシャー・ハザウエイ社は投資会社として、大きく成長していきます。71年にカリフォルニアにあるチョコレートの販売会社シーズ・キャンディ社を2500万ドルで買収します。これは、当時の同社最大の投資物件でした。76年にはグラハム教授がかつて役員を務め、倒産寸前であった保険会社GEICOを買収し、再建に成功します。こうした投資を通して、同社は単なる繊維会社から本格的な投資会社へと急成長していくのです。

同社の経営はユニークです。まず会社を買収して子会社化する一方で、子会社の収益を株式投資に使い、高い収益を上げている。バフェットの投資はユニークで、同社が買っているという噂が流れるだけで、その株の株価は急騰した。また、彼は買収した企業の経営者をそのまま経営陣に残しています。事業について一番良くしっているのが、旧来の経営者であると考えたのです。そして旧経営陣は、そうしたバフェットに対して精一杯忠誠心を示すのです。また、彼は株式を取得した企業の経営には直接かかわりませんでしたが、抜群の記憶力で、経営内容は熟知していました。

既に触れたように、バフェットの投資哲学は単純明快です。「バリュー株」をベースに、長期投資を行なうのが最大の特長です。彼は「毎年の成果ではなく4~5年の成果に焦点を当てるべきである」と語っているように目先の株価の動きにあまり注目しません。また「自分が理解できない事業や企業は決して投資しない」というのも、彼の投資哲学です。したがって、投資対象となる企業は、身近な消費財を企業が多いのが特徴です。同社の子会社や投資先会社の特徴は、食品会社や日常品生産の会社や小売会社が多いのも、彼の投資哲学によるところが大きいといえます。また、「事業を買うのであって株式を買うのではない」と語っているように、単に株価が安いだけでは投資しないのです。過去に優れた収益の実績があり、比較優位のある製品を作っている企業でなければ投資してはならないというのが、彼の投資哲学であるのです。

したがって、彼はIT企業やベンチャー企業には投資していないのです。彼はビル・ゲイツと長年の友人ですが、マイクロソフトの株は1株も買っていません。「10年先の収益が予想できない企業には投資しない」という彼の哲学に基づいたものです。そのおかげで、ITバブル崩壊による株価暴落の影響を受けないで済んだのです。また、彼は最近はやりのデリバティブ投資やヘッジ・ファンドのような投資手法には、嫌悪感を抱いているようです。

彼のもう一つのニックネームについても触れておくべきでしょう。それは「アメリカ最大の“ケチ”」というものです。膨大な資産を持ちながら、「1文たりも無駄なことに使わない」というのが彼の哲学でもあります。「ビジネスとお金こそが人生のすべて」であり、古きよき時代のアメリカの投資家の最後の人物といえるかもしれません。彼がケチだと言うだけでは、彼の正当な評価にはならないでしょう。彼はバークシャー・ハザウエイ社の大株主であり、その時値評価から、アメリカ有数の富豪になっていますが、彼は同社の株を1株とも売却したことはないのです。彼は、バークシャー・ハザウエイ社が儲けたお金はすべて次の投資に向けています。子会社の収益と投資収益を集め、それを投資することから、バフェットは「資金の配分者(capital allocator)」とも呼ばれています。

生活は、CEOとしての給与で賄っており、自分の利益はすべて同社に再投資しているのです。ですから、日常生活は極めて質素です。本ブログの中の「アメリカの慈善家たち」にも登場していますが、バフェット基金に膨大な献金をしたからです。ただ、ちょっと裏話をすれば、彼がそのランキングに顔を出したのは、長年別居していた妻スーザンが死亡し、その財産が遺言によって同基金に寄付されたからです。しかし、彼もまた、自分の死後、財産を同基金に寄付することになっています。ちなみに別居の理由は、彼の不倫です。子供たちには、財産を残さないというのも、彼の人生哲学の1つなのです。

バークシャー・ハザウエイ社の「年次報告書」は、アメリカの投資家のバイブルのようなもので、彼らは報告書が発表になると競って読むそうです。株主総会は「Woodstock for capitalism」と呼ばれています。ウッドストックは80年代に開かれた大野外演奏会が開かれた場所で、当時のヒッピー文化の象徴的な催し物でした。同社の株主総会は、それに匹敵する資本主義の大イベントであるという意味です。先に触れたように、彼の投資の基本的な考えは、日常的に見える商品を作っている会社を選べということです。したがって、子会社や株式投資の特徴は、食品会社や日常品生産の会社や小売会社が多いことです。その最適な例が、飲料会社カコーラや剃刀を作っているジレットです。また、同社の傘下の子会社には、シーズ・キャンディのほかに家具の販売店ネブラスカ・ファーニチャーズ・マート、宝石の加工販売のボーシャイムズ・ジュエリーなどがある。いずれも消費者にとって身近な企業です。他には、カード会社のアメリカン・エクスプレス、コカコーラ、ジレット、新聞社のワシントン・ポスト、スポーツ用品のナイキ、洋服のギャップなど、日本人にも良く知られた銘柄にも投資しています。

バフェットの友人のビル・ゲーツは、彼について次のように言っています。「Every principle that Warren holds about business and business value will apply in this new world we are going into」。GEの元CEOのウエルチはバフェットを「superb judge of managerial talent、masterful evaluator of people」と、優れた経営的センスと人物を評価する能力を持った人物である表現しています。また、バフェットは「バークシャー・ハザウエイ社を経営する以上に楽しいことはない」と語っています。

1件のコメント

  1. 株式投資のココロ
    最近、本屋にいくと店頭に平積みにされている株式投資の本の多さにびっくりさせられます。いやー、本当にちょっとブーム到来って感じですね。今後、郵貯マネーや団塊マネー流入を考…

    トラックバック by 今日、僕が学んだこと。~一歩ずつ愚直に前進、プチファイ・ライフ~ — 2005年11月3日 @ 23:48

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