ブッシュ政権の外交政策を巡る群像(2):イラク戦争を始めた論理は何か
アメリカ社会の興味深い点は、様々な議論が公然と行なわれ、その論議の過程でコンセンサス(合意)が形成されることです。学問の世界、例えば経済学の世界では、学者は「ワーキング・ペーパー」と呼ばれる試論のような論文を書きます。それを信頼できる学者に送り、それを受け取った学者は真摯なコメントをつけて返します。そうした作業を繰り返しながら、最終的に「ジャーナル」と呼ばれる学会誌に掲載されます。それが、やがて政策過程にも反映され、現実の政策として採用されていきます。ですから、学界の議論を詳細に見ていると、数年後の政策の行方が見えてくるのです。日本では残念ながら、そうした学者の真摯な双方向のコミュニケーションはあまりないようです。有力学者への追従とおせいじと、陰での中傷的なコメントはあっても、公然とした議論はできないのが日本の風土であり、特徴のようです。アメリカでは学界に限らず、自らの主張を明確に発表し、それがやがて政策の基盤へと発展していきます。2002年9月に発表された「The National Security Strategy of the United States」は、アメリカ政府が正式に”ブッシュ・ドクトリン”を認めた文書です(それは本ブログの「ブッシュ・ドクトリンとネオコン」の項を見てください)。しかし、その出発点は、1992年に、当時のブッシュ(父)政権の国防次官であったポール・ウオルフォウイッツ(現国防副長官)が、レーガン政権の国防次官であったルイス・リビー(現チェイニー副大統領首席補佐官)が作成した「Defense Planning Guidance」でした。
この文書の中で、彼らは「冷戦後の世界秩序」のあり方と、アメリカの役割を説いたのです。だが、ブッシュ大統領は再選を果たせず、クリントン政権が誕生すると、このネオコンの提案は無視されます。しかし、”無視”されたというのは言いすぎで、実はクリントン政権の外交政策にも影響を及ぼしています。94年にクリントン大統領は「PDD25(大統領指令25号)」を発令します。それは、アメリカは国益のためなら軍事力の「事前執行」を容認するという内容です。この「事前執行」は、後の”ブッシュ・ドクトリン”の「先制攻撃」の考え方に通じるものです。
さらに、ここで全訳を掲載するProject for the New American Centuryのクリントン大統領宛ての書簡があります。それは、イラクが大量破壊兵器を保有しているとの理由から、サダム・フセインの政権からの排除を主張したものです。あるいは体制転換を主張したものです。2001年9月11日の連続テロ事件の発生を待つまでもなく、その後に展開されるイラク戦争の理屈が、ここで公然と主張され、ブッシュ政権の樹立、連続テロ事件、アフガン戦争を経て、実行に移されるのです。さらに2000年9月にthe Project for the New American Century は報告書「アメリカの防衛の再建(Rebuilding America’s Defenses)」を発表します。まだクリントン政権が存在し、ゴア副大統領とブッシュ・テキサス州知事が大統領の座を巡って争っていた時です。この中で、冷戦後におけるアメリカ軍の「再編成」が議論されています。「再編成」という意味で「Transformation」という言葉が使われています。最近、この「トランスフォーメーション」はマスコミに盛んに出てきていますが、その語源は、このレポートにあるのだと思います。ちなみに「トランスフォーメーション」は経営学でも頻繁に使われている用語です。そのニュアンスを理解するには、合体ロボットのことを「トランスフォーマー」というところから具体的なイメージが湧いてくるでしょう。「トランスフォーメーション」とは、様々な部分を組み合わせることで形を変えることなのです。
ちなみに「Rebuilding America’s Defenses」のレポートの作成者は27名です。ネオコンの論者であるケーガン(Kegan)3兄弟のロバート・ケーガン(Robert Kagan)、ドナルド・ケーガン(Donald Kagan)、フレッド・ケーガン(Fred Kagan)のほかに、ウィリアム・クリストル(William Kristol)や「Defense Planning Guidance」の筆者ルイス・リビー(Lewis Libby)、ポール・ウオルフォイッツ(Paul Wolfowitz)など常連の名前が見られます。 以下で1998年1月26日のクリントン大統領に当てた書簡の全訳を掲載します。どこかに既に訳文があるかも知れませんが、歴史的な文献として、本ブログに掲載することにします。アメリカの外交政策の流れを理解するうえで必要は文献だと考えるからです。同時に、先のブログに書いたように、そこで署名した人々がブッシュ政権の外交政策の中枢に入り、現実の政策を動かしている”群像”だからです。
大統領閣下
私たちは、現在のアメリカの対イラク政策は成功していないこと、また冷戦後、私たちが知っているいかなる脅威よりもはるかに深刻な脅威にまもなく中東で直面することになるかもしれないとの確信から、この書簡を大統領閣下に対して書いております。次の「一般教書」演説の中で大統領閣下は、この脅威に対処するための明確かつ断固たるコースを描く機会に恵まれています。私たちは、大統領閣下に、この機会を捉え、アメリカとアメリカの友邦、アメリカの同盟国の利益を確保する新しい戦略を明確に述べることを求めるものです。この戦略は、特にサダム・フセイン体制を権力の座から排除することを目的とすべきです。私たちは、この困難ですが、必要な政策努力を支援する覚悟はできております。
サダム・フセインの”封じ込め”政策は、過去数ヶ月、確実に空洞化してきています。最近の出来事が明確に示しているように、サダム・フセインが国連の査察を拒否したとき、私たちはイラクに対する制裁を継続するにしても、サダム・フセインを処罰するにしても、もはや湾岸戦争の時の同盟国に頼ることはできないのです。サダム・フセインが大量破壊兵器を生産できないようにする私たちの能力は、大幅に低下しているのです。かりに最終的に完全な査察が行なわれるようになったとしても(それはありえないことですが)、今までの経験から、イラクの化学兵器や生物兵器の生産を監視することは、不可能ではないにせよ、難しいことを示しています。査察担当官が長期間にわたってイラクの多くの施設に立ち入ることができなかったために、査察官がサダム・フセインの秘密のすべてを明らかにするのはさらに難しくなっています。その結果、遠くない将来、私たちは、十分な確信を持って、イラクがそうした兵器を持ているかどうか判断することができなくなるでしょう。
そうした不確実性は、中東地域全体に深刻な不安定をもたらす効果を及ぼすものです。もしサダム・フセインが大量破壊兵器の運搬手段を獲得するなら(私たちが現在の状況を継続させるなら、サダム・フセインは間違いなく、その能力を手に入れるでしょう)、この地域のアメリカ軍と、アメリカの友邦、イスラエルのような同盟国、アラブの穏健諸国の安全と、世界の石油を供給している大きな地域が危険にさらされることになることも付け加えなければならないでしょう。大統領閣下、閣下が明確に宣言することによって、21世紀の初頭における世界の安全保障は、私たちが、この脅威をどう処理するかによってほぼ決まってくるのです。
脅威の大きさを前提にすれば、アメリカの同盟国の括弧たる姿勢とサダム・フセインの協力に依存する現在の政策は、危険なほど不十分なのです。唯一の許容できる戦略は、イラクが大量破壊兵器を使う能力、あるいは使うと脅す能力を排除する戦略なのです。短期的には、このことは、外交政策は明らかに失敗しており、進んで軍事行動を取ることを意味しています。長期的には、サダム・フセインを権力の座から排除することを意味しています。それは、現在、アメリカの外交政策の目標になるべきなのです。
私たちは、閣下にこの目標を明確に説明し、政府がサダム・フセインの権力から排除する戦略を実施することに注意を払うことを求めるものです。また、この政策は外交、清治、軍事的な努力によって十分に補完する必要があります。私たちは、この政策を実施することの危険性と困難さを十分に知っておりますが、失敗することの危険性は、それよりもはるかに大きいと信じています。私たちは、アメリカは既存の国連決議に基づいて軍事的な手段を含む必要な手段を講じ、湾岸におけるアメリカの重要な利権を守る権限を持っていると信じています。いかなる場合も、アメリカの政策は、国連安全保障委員会の全会一致の主張によって阻止されることを許してはならないのです。
私たちは、閣下に断固たる行動を取ることを要請するものです。もし閣下がアメリカあるいはアメリカの同盟国に対する大量破壊兵器の脅威を終らせるために今行動を取れば、閣下はアメリカの最も基本的な国家安全保障の利益のために行動することになります。もし閣下が弱腰で、ふら付いた現在の政策を継続するなら、アメリカの利益とアメリカの将来を危機にさらすことになるでしょう。
以上が98年の書簡の全訳です。そして、2003年にアメリカはイラク戦争を始めるのです。それは、この書簡で描かれたシナリオ通りに行なわれるのです。別に連続テロ事件がなくても、ブッシュ政権のアメリカはおそらくイラク戦争を始めていたでしょう。
さらに、この書簡に署名した18人の人々は、例外なくブッシュ政権の中枢、あるいは周辺で大きな影響を及ぼす立場に立っているのです。感情的な議論ではなく、こうした事実を積み重ねながら議論をしていく必要があるのです。
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