中岡望の目からウロコのアメリカ

2005/2/18 金曜日

わが友ローレンス・サマーズのセクハラ発言事件顛末記

Filed under: - nakaoka @ 23:49

今週の日曜に原稿をアップしてから、ほぼ1週間、新しい原稿をアップすることができませんでした。月曜に「第2期ブッシュ政権のエネルギー戦略」、火曜に「為替相場の見通し」、水曜に『諸君!』への「書評」と原稿の締め切りが続き、水曜は午後3時から7時まで大学の授業があり、その後、7時から11時まで友人と飲んでいました。木曜は少し息がつけたものの、金曜に「資産運用」についての原稿の締め切りがあり、ブログの準備をする時間がまったく取れない状況でした。企業に属していたころよりも仕事は濃密になっています。が、収入は大幅減です。フリーのジャーナリストは改めて大変だと実感しているところです。そんな中、手紙を整理していたら、1985年7月18日付けのローレンス・サマーズの手紙が出てきました。その書き出しは、「Dear Nozomu, I am just writing to thank you for your hospitality in inviting my wife and me for the wonderful dinner in Tokyo」という書き出しで始まります。そこでサマーズに関するブログを書くことにしました。後で詳細を書きますが、彼を知らない読者がいるかもしれないので、簡単に紹介します。ハーバード大学教授から世界銀行副総裁を経て、クリントン政権の財務副長官、財務長官を務め、現在、ハーバード大学総長です。PS:本文の中でサマーズの演説の全文は明らかではないと書きましたが、17日の『ウォールストリート・ジャーナル』が演説の全文と質疑応答を掲載しています。ご希望の方にはメールかファックスでお送りできます。なおメール送付は26日までしかできません。

サマーズのことを”我が友”と呼ぶのはやや”誇大広告”かもしれませんが、彼とは素敵な思い出があります。上に書いたメールが出された数週間前の夜、東京の赤坂でサマーズ夫妻と私と東洋経済の同僚の川島氏(前週刊東洋経済編集長)の4名でお寿司を食べながら多いに談笑しました。その日の午後に大蔵省の一室でサマーズと野口悠紀夫氏(当時一橋大学教授)を挟み、私が司会で座談会をしました。その座談会のアレンジをしてくれたのが確か竹中平蔵氏だったと記憶しています。彼とは81年~82年にハーバード大学で一緒でした。それをきっかけにサマーズとは何度もメールを交換し、彼は『週刊東洋経済』への寄稿を約束してくれました。

彼は20代でハーバード大学の「テニュア教授」の地位を得ています。後でも触れますが、「テニュア教授」を日本語に訳すと「正教授」となるでしょうか。要するに終身雇用を約束された教授のことです。アメリカの大学では、まず「レクチャラー(講師)」がいて、その上に「アシスタント・プロフェッサー」(助教授)と「アソシエート・プロフェッサー(準教授)」がいます。さらにその上に「教授」がいるのですが、「教授」は通常「テニュア・プロフェッサー」を意味します。「助教授」「準教授」には「テニュア」がありません。ハーバード大学にいたときに聞いた話では、「助教授」「準教授」は契約ベースで、契約期間が確か2年だったと思います。契約更改は3度か4度まで可能で(これも正確な記憶はないですが、いずれにせよ契約の更新回数は制限されています)、その期限内に「テニュア」を獲得できないと、大学を去ることになります。通常「テニュア」を取るのは、学界で実績を評価された40代とか50代が普通です。自然科学系は少し違うかもしれませんが、社会科学系はそうだと思います。

だがサマーズは20代後半でハーバード大学の「テニュア」を獲得しています。同じように20代でハーバード大学の経済学部で「テニュア」と取っているのが、国際経済専門で、ロシアの経済顧問を務めたことのあるジェフリー・サックスがいます。サックスとは長い付き合いで、彼が日銀経済研究所に研究員として来日していたとき、サックス一家は我が家に遊びに来たこともあります。92年にハーバード・スクエアで偶然サックス一家に会ったとき、彼は息子たちに「昔、ノゾムの家に一緒に遊びにいったこと、覚えているか」って子供たちに聞いていました。私がハーバード大学を訪れるときは彼のオフィスに必ず顔を出していました。そのサックスは今はハーバード大学を去り、コロンビア大学に移っています。

サマーズは、アメリカ経済学界のサラブレッドです。ソローとサミュエルソンというノーベル経済学賞をもらった二人が叔父で、両親も経済学者です。母親はペンシルバニア大学ウォートン・スクールで公共経済学を教えていました。若くして将来のアメリカ経済学の指導者になることが保障されていた人物です。が、先に触れたように、学界を去り、世界銀行の副総裁に就任しています。アメリカの学界では、政府やこうした国際機関あるいは民間の研究所に数年出て、再び学界に戻るというのは普通のことです。が、彼は学界に戻らず、クリントン政権の中枢に入っていきました。先に書いたように、財務副長官になります。彼の最初の希望は大統領経済諮問委員会委員長だったと言われていますが、一部から反対があり、最終的に財務副長官になったといわれています。クリントン政権の2代目の財務長官は大手証券会社ゴールドマン・サックス証券の共同最高経営責任者であったロバート・ルービンで、「ルービン・サマーズ・コンビ」はクリントン政権で大きな影響力を発揮しました。

これだけでサマーズを”我が友”と呼ぶのはまだ”誇大広告”だと思いますので、もう1つ彼との思い出に触れます。サマーズが財務副長官に就任した後すぐに来日しています。ある日、アメリカ大使館から私に電話があり、「サマーズに会わないか」という連絡が入りました。単独で会って欲しいとのことでした。大使館の報道部のスタッフは、サマーズと私に昔の関係を知っていたと思います。もちろん了解しました。大使館で通された部屋は、大使私邸の居間でした。通常、記者会見はオフィスで行なわれるますが、このときは違いました。大きな居間に机が置かれ、サマーズと面と向かって座りました。最初の私の言葉は「週刊誌に寄稿してくれるという約束はまだ実行してくれていませんね」というものでした。彼は、その約束はすっかり忘れていたようです。そのとき、彼が盛んに主張したことは「クリントン政権は財政均衡を政策の課題に掲げた。その効果がでていて、長期金利が低下し、株価も上昇している」ということでした。

いずれにせよ”我が友”と呼ぶのは誇大広告なので割り引いていただくとして、久しぶりに彼のメールを読み、表題の「ローレンス・サマーズのセクハラ発言事件」を書く気になりました。順番から言えば、書きかけのテーマである「グリーンスパン連邦準備制度理事会委員長の国際金融講義(2)」を書くべきですが、それは後に回します。このセクハラ発言事件は、ある意味で、今のアメリカの状況を示しているかもしれません。今まで政治や経済のブログが多かったので、こうしたテーマを取り上げるのも良いかと思っています。

今年の1月14日、ハーバード大学の学内で全米経済研究所(NBER:National Bureau of Economic Reserach)のコンファレンスが開かれました。同研究所は、アメリカの景気循環を決定する民間の研究所で、多くのコンファレンスを開いたり、経済学者が研究成果を発表する場所を提供しています。会長はマーチン・フェルドシュタイン・ハーバーード大学教授です。彼はアメリカの経済学界を代表する学者で、レーガン政権の時の大統領経済諮問委員会委員長を務めた人物です。なお、フェルドシュタイン教授については、本ブログの「次期FRB議長」に関するブログで触れたように、グリーンスパンFRB議長の最有力後任候補の人物と目されている人物です。ちなみに同研究所はハーバード大学とMIT(マサチューセッツ工科大学)の間にあります。

そのコンファレンスの場でサマーズは「数学や科学の分野で女性研究家が少ないのは、男性と女性の間に固有に存在する遺伝子の違いによるものではないか」と発言したのです。その会議に出席していた女性学者の一部が、この発言に激怒して会場を出たのです。その一人のMIT大学教授のナンシー・ホプキンス教授は「サマーズが男性と女性の間の能力の生来の違いについて語り始めたとき、私は息が止まってしまった。こうした偏見は、私を病気にしてしまう」と怒りに満ちた発言をしています。サマーズは演説を原稿なしで行なっていたため、その発言の詳細な記録は残っていないので発言内容は出席者の記憶によるものですが、とにかく会議に出席していた女性研究者の一部が、サマーズの発言は「女性に対する差別である」、すなわち「セクハラである」と問題にし始めたのです。これを受けて地元の新聞『ボストン・グローブ』紙のコラムニストは、サマーズを”性差別論者”や”鍵十字を身に着けた者”(すなわちナチス)にたとえる記事を掲載しました。また、「the Mational Organzation of Women(全米女性組織)」という女性団体がサマーズにハーバード大学総長を辞任するよう要求したのです。さらに卒業生の一部が、ハーバード大学への寄付を中止すると言い始め、事態は”学界の津波”のように深刻な影響を与え始めたのです。

この問題は『ニューヨーク・タイムズ』紙なども取り上げ、アメリカの学界を巻き込む大騒動に発展して行ったのです。ちなみにリベラルの『ニュヨーク・タイムズ』紙の論調はサマーズに好意的でした。生物学者のオリビア・ジャドソンは『ニューヨーク・タイムズ』紙の寄稿で「生来の遺伝的な違いについて疑問を提起できないとするなら、それは恥じである」と書いています。要するに、サマーズの問題提起は科学的に当然のことであり、それを禁じるのは認められないと、サマーズの発言は女性差別ではないということです。

発言内容そのものも問題になったのですが、それには伏線がありました。2001年にサマーズがハーバード大学総長になってから「テニュア」もった女性教授の昇格が減っており、女性研究者の間に批判的な声が高まっていたのです。サマーズの発言は、まるでハーバード大学の人事の”差別”を裏付ける証拠を提供したような格好になったのです。2004年にハーバード大学では「テニュア」を持った教授が32人誕生しています。そのうち女性はわずか4名に過ぎませんでした。サマーズ批判派は、ハーバード大学の人事はサマーズの主張する男女の遺伝子的な能力の差から差別的に行なわれていると考えたのです。ちなみに現在のハーバード大学の学生の性別は男女が半々になっています。その比率から考えても、ハーバード大学では女性の教員が少ないということになります。ちなみに30年前にはハーバード大学には「テニュア」を持った女性教授は一人しかいませんでした。Cecelia Payne-Gaposchkinという天文学者で、それもハーバード大学の一部である女子大のラドクリフ大学に与えられたポストでした。

サマーズは、こうした批判に対して謝罪しています。彼は「私の発言の与えた影響について心から残念に思い、女性をもっと注意深く評価しなかったことを謝罪します」という声明を出しています。私は少女たちが(彼は”ガールズ”という言葉を使っていますが、これは女子学生という意味合いでしょう)が少年(ボーイズ)よりも知的に劣っているとは思っていません。あるいは女性(ウーマン)が科学のレベルで最高の実績を上げる能力に欠けているとは思っていません」と釈明しています。

サマーズは、こうした批判に答えるために、学内に2つのタスク・フォースを設置しました。1つは「女性ファカルティに関するタスク・フォース」で、もう1つは「科学とエンジニア分野における女性に関するタスク・フォース」です。なお「ファカルティ」というのは、日本語では「教授」という意味合いで、「ファカルティ・ミーティング」というと「教授会」という意味になります。要するに、女性の教授登用に関する調査委員会と科学分野における女性の状況に関する調査委員会を設置したのです。サマーズは、春までに答申を得て、答申の内容を実施に移すと約束しています。

問題は、ここで終わりません。まず、本当に男女の能力(特に科学分野で)に差があるのかどうかという問題と、科学の研究対象と性差別のあり方が学問の自由に関わってくるといういもう1つの問題を引き起こし、議論はまだ続いているのです。なぜなら、現実問題として、数学やエンジニアリングなどの分野の女性研究家の数は男性に比べて圧倒的に少ないという事実があるからです。

男女の能力に関して興味深いデータがあります。アメリカには大学受験のための全国共通試験があります。これはSAT(Scholastic Assesement Test「大学進学適性テスト」)と呼ばれています。2002年と2003年の男女別の成績を見ると、数学では男子生徒の成績は女子生徒の成績よりも30点以上高いのです。それ以外の科目では、男女の点数はほぼ同じでした。日本の場合の男女の差は分かりませんが、直感的にいえば、女子生徒の成績のほうが全科目で男子生徒を上回っているのではないかと思います。このあたりの日米比較してみると、面白いでしょう。

いずれにせよ、こうした男女の違いが統計的に存在することが多いに議論を呼んでいるのです。社会的な要因によるものか、生来の遺伝子的な要因によるものかを巡って、学者や評論家が議論を展開しています。スティーブン・ピンカーは『ニュー・リパブリック』誌への寄稿文の中で、科学分野で女性研究者が少ない理由を3つ挙げています。1つは、社会的に差別があること、女性が科学分野を専攻することを奨励しない雰囲気や偏見が存在すること。2つ目は、差別がないとしても、女性と男性の間に興味や関心の対象の差や能力の組み合わせ(mixture of talents)が存在していること。3つ目は、女性には育児という負担がかかっており、科学者として成功するためには膨大なエネルギーが必要だが、それに耐えられない現実があることを指摘しています。すなわち、生来の遺伝子の違いよりも、社会的状況のためい女性の科学者の数が少ないというのです。さらにピンカーは次のように言っています。「男女の違いは遺伝子によってもたらされた違いを意味しない。人々は社会的な状況に対応して能力や個性を発展させるのである」と。

サマーズを女性差別論者だと批判する人々に対して、遺伝子に基づく男女の違いを研究することを禁じるのは不当であるという反論も出てきています。

では、男女の遺伝子の違いはあるのでしょうか。暴力犯罪は男性のほうが女性よりも10倍から20倍と多いのも、男性の遺伝子のせいであるという説もあります。すると、遺伝子が与える男女差は厳然と存在しているということになります。もちろん、男女で染色体は違います。が、人種による遺伝子の違いはないということです。さらに男女の遺伝子については、遺伝子の違いは1%から2%であるという調査もあります。それはMITの生物学教授デビッド・ページによると、人間の男性とチンパンジーの雄の差と同じ程度のものだあり、実質的に意味のない差だということです。

なお、サマーズの発言の中には次のようなものもありました。女性の科学分野での成果が乏しいのは「男女の能力差に加え、”女性の家族を持ちたいという希望(family desire)より高い成果を求める雇用者の間の緊張が大きな理由である」と語っています。また「カトリック教徒が高給を得ることができる専門職の多い投資銀行業界における比率が低いこと、アメリカのプロ・バスケット界で白人男性の比率が圧倒的に低いこと、農業でユダヤ人の比率が圧倒的に低い」とも語っています。

今回の騒動の背景には、同時にサマーズに対する一部教授たちの不信感があります。サマーズは、僕の印象から言っても、極めて自信家であり、相手に有無を言わせないところがあります。彼は、政府の意思決定の仕方を大学に持ち込んだのです。そうしたトップダウンのやり方はハーバード大学では異質なものです。また、彼は「テニュア」を与える規準に年齢を導入し、若手の採用を促進しようとしていました。サマーズは54歳の二人の学者の「テニュア」を認めることを拒否しています。女性学者にも「テニュア」を与えるのが消極的だったのは、先に触れました。こうしたことから、教員の一部にサマーズに対する批判があったことも、騒動を大きくする原因となったようです。一部の推測では、一部の教員たちは、サマーズの信任投票を行なうように主張しています。以上が、今回の騒動の顛末ですが、まだ最終的にどうなるか分からないのが実情です。

最後の1つ「トレビア」を。サマーズもサックスも20代はひげを生やしていました。あるとき、サックスに「どうしてひげを生やしているのか」と聞いたことがあります。彼は27歳でハーバード大学の「テニュア」を取り、社会科学系では最年少の「テニュア教授」になりました。彼の答えは「20代の若造だと軽く見られるので、ひげを生やしている」というものでした。後年、彼に会ったとき、ひげは剃られていました。その顔は正直、童顔でした。サマーズも同様で、ひげを生やしていた20代の頃のほうが威厳がありました。

PS:サマーズのスピーチの正確な内容は不明と書きましたが、2月17日付けの『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙に全文と質疑応答の文章が掲載されました。A4で11ページになります。翻訳してもいいのですが、時間がありません。もし興味がある方がいましたらお送りしますので、ご連絡ください。20日から1週間以内ですと、メールで送ることができますが、それ以降はファックスになります。

1件のコメント

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    ピンバック by Essays on Design Thinking by Naohito Okude » ‚ƒƒž‚≪ƒ<ƒ‚€€鐚’鐚鐚鐚™綛器‘œˆ鐚‘鐚™— — 2009年1月19日 @ 08:29

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