中岡望の目からウロコのアメリカ

2005/5/7 土曜日

学校での「進化論」の教え方を巡ってカンサス州で行なわれている論争:もう1つのアメリカの保守化現象

Filed under: - nakaoka @ 10:46

以前、知人のアメリカ人が次のようなことを言ったのを思い出しました。その人物はジャーナリストで、どちらかといえばリベラルな人物でした。しかし、人生の大きな問題に直面したとき、キリスト教に救いを求めたと語っていました。ブッシュ大統領もアルコール依存症で悩んでいたとき、プロテスタントの保守派であるエバンジェリカルの教えに遭遇し、”生まれ変わります”。エバンジェリカルの思想の中で”生まれ変わる”(これを英語でrebornといいます)ことは重要なことであり、それは神の啓示を示す証拠でもあります。エバンジェリカルの場合、いろいろな問題を克服して聖書の教えに帰依するようになることが高く評価されるのです。アメリカ社会は、その根底に宗教性に依拠している社会なのでしょう。このブログでもアメリカ社会の保守化や宗教化について何度も書いてきましたが、5月5日、カンサス州の教育委員会が、学校での「進化論」の教育を巡って公聴会を開催しました。まだアメリカ人の中にはダーウィンの「進化論」を信じない人がかなりいるのです。以下、今、カンサス州で何が起こっているのかの報告です。その後の展開については、10月5日付けのブログに詳細を書きましたので、そちらも参照してください。

まずアメリカにおける「進化論」を巡る歴史を振り返ってみましょう。1925年に「スコープス・モンキー・トライアル」という裁判が行なわれました。これは、ジョン・T・スコープスという生物学の教師が、学校でダーウィンの「進化論」を教えたとして訴えられた事件です。この訴訟が起こされたテネシー州では、当時、「進化論」を教えることを禁止した法律がありました。この訴訟は全国的な注目を浴びました。最終的には、スコープスに有罪判決が下り、100ドルの罰金が課されました。ただ、その後、この有罪判決はテクニカルな理由で覆され、「進化論」を教えることを禁止した州法は1967年に廃止されました。

以前、本ブログでエバンジェリカルが主流派プロテスタントから離脱し、独自の布教活動を始めるきっかけになったのは「進化論」の解釈を巡る対立であったことは指摘しました(その詳細については「選挙の前に読む記事」の項を参照してください)。保守的なクリスチャンにとって、今でも「進化論」は重要な問題なのです。

今回のカンサス州の公聴会では、さすがに「進化論」を教えることを禁止することを目的に開かれたものではありません。保守派が多数派を占めたカンサス州教育委員会は、教育基準の見直しを求め、「進化論」と同時に、彼らが「インテリジェント・デザイン(Intelligent Design)」と呼ぶ考え方を教材の中に含めることを求めるものです。もちろん、多くの保守的なクリスチャンは今でも「進化論」を信じていません。しかし、彼らはスコープス事件を繰り返すほど愚かではないのです。彼らは「進化論」を教えるのなら、「人類の起源」に関して他の考え方も教えるべきだと主張しているのです。彼らは、「進化論」は必ずしも科学的に証明されていないと主張して、種の起源の”他の理論”も教えるべきだと主張しています。その理論とは「インテリジェント・デザイン」で、その考え方は「生命は複雑であり、科学で解明しきれないことが多い。それは生命の起源の背後に創造主が存在するからである」というものです。要するに、種の起源は、創造主の意思によるものであるという考え方も、学校教育で教えるべきだと主張しているのです。

カンサス州には、以前にも同様の議論がありました。1999年に保守派が多数を占めた州教育委員会が教科書で実質的に「進化論」への言及を削除することを決めたのです。だが、その後の教育委員の選挙で、こうした保守派の委員は落選し、結局、彼らの”野望”は実現しませんでした。しかし、今回、アメリカ社会の保守化の波にのり、再び保守派のキリスト教徒が教育委員に選ばれ、教育委員会は6対4で保守派が多数を占めたことで、この問題が再び出てきたのです。

ちなみに「進化論」の教え方を巡って、このような議論が行なわれているのはカンサス州だけではありません。2002年にオハイオ州は「教師は生徒に進化論に関して議論があることを教えなければならない」という法律を制定しています。また、現在、アラバマ州、ジョージア州でも、学校で教師は「進化論」に疑問を呈することを許すという法律を提案しています。また、アリゾナ州、アラバマ州、イリノイ州、ニューメキシコ州、テキサス州、ネブラスカ州では、学校のカリキュラムから「進化論」を教える時間を減らしています。

保守派の人々の主張は直接的に「進化論」を否定しないが、同時に「創世記」的な神によって人間が作られたということも教えても良いという、一種の絡め手から「進化論」を空洞化するというのが、どうも彼らの戦略のようです。彼らのロジックは巧みになっていて、「批判のない科学は存在しない」と主張し、「進化論」もその例外ではないと主張し、「進化論」以外の生命の起源も教えるべきだという立場を取っているのです。カンサス州の論争で重要な役割を演じているCharles Thaxtonという人物は「生命の起源の神秘(The Mystery of Life’s Origin)」という本を書き、「批判に耐え、生き残った科学がより優れた理論である」と、「進化論」に疑問を呈するのは当然の行為であると主張しています。が、その理屈はどうあれ、狙いは「インテリジェント・デザイン」を学校で教えるようにするところにあるのは間違いありません。

ペンシルバニア州のデボア市という小さな町は「インテリジェント・デザイン」を教えることを義務付けた最初の街で、現在、それを巡って訴訟が起こされています。また、ジョージア州コブ郡の教育委員会は、連邦裁判所が生物学の教科書に貼られた「進化論は事実ではない」と書かれたステッカーを取るように命じた判決に対して、1月に上訴しています。

デボア市教育委員会は次のような声明を発表しています。「ダーウィンの理論は1つの理論であり、新しく発見された証拠で常に検証されなければならない。ダーウィンの理論は真実ではない。理論には欠陥が存在し、根拠はない。理論は広範な観察を統合するような良く検証された説明が行なわれるものである。インテリジェント・デザインは、ダーウィンの理論とは異なった生命の起源に関する説明である」。学校の教師は、当然、この声明を拒否し、父兄は「Amerinan Civil Liberty Union」や「American United for Separation of Church and State」などの組織の支援を受けて、訴訟を起こしています。これに対して、教育委員会側の弁護士は「これは科学と宗教の間の対立ではなく、科学対科学の戦いである。科学者は同じデータを見ていても、異なった結論を出すものだ」と応じています。

カンサス州の教育委員で元教師の女性は「進化論は偉大な理論だが、欠陥もある。進化論に代わる理論は存在し、子供たちにその代替的な理論を教えるべきだ」と語っています。さらに「私たちは、アメリカはキリスト教に基づいた国家であることを無視することはできない」と語っています。

カンサス州の公聴会では、科学の定義を変更して、「進化論」以外も教えることができるようにすべきであるという提案が行なわれています。こうした公聴会の開催に対して、カンサス州の6つの州立大学の学長が連盟で教育委員長に書簡を送り、「この提案はカンサス州を1世紀後退させることになる」と警告しています。同州のある生物学の教師は「私たちは1880年代に戻りつつある」と語っています。多くの科学者は、この公聴会への参加をボイコットするように訴えています。もしリベラル派は、学校教育で「インテリジェンス・デザイン」を教えることを認めると、やがて学校で「霊魂創造説(creationism)」をなし崩し的に教えることになることを恐れています。

「反進化論」の考えは庶民段階でも広がっています。「バイブル・ベルト」と呼ばれる保守的な地域にあるケンタッキー州では「創世記」に基づいた生命の起源を教える博物館の建設が進んでいます。そこでは歴史を遡り、「エデンの園」は実在したという展示が行なわれることになっています。

タイトルは忘れましたが、今、思い起こすとスコープス事件を取り扱ったものだと思いますが、1本の映画を観ました。そのとき、被告人の弁護士が次のような質問をしたのを覚えています。「神が世界を創造したとするなら、それは何日の何時何分であるのか。その時間は西海岸の時間なのか、東海岸の時間なのか。聖書が正しいとすれば、それは聖書のどこに書かれているのか」。当然、検事側は答えることができませんでした。今回のカンサス州でも同じような問いが公聴会で行なわれました。反対派の弁護士が、「インテリジェント・デザイン」を教えることを主張する人物に次のような問いを発します。「Can you tell us, sir, how old you believe the Earth is?」。この質問を受けた人物は次のように答えます。「I don’t know. I think it is probably really old」。

これもアメリカの1つの現実なのです。決してフィクションの世界ではないのです。ちなみに「インテリジェント・デザイン」という考え方は、「地球上の生命は知性ある存在(インテリジェント・エイジェンと)によって意図的に企画(デザイン)されたものである」という考え方です。これは、科学の限界性を逆手にとって議論で、科学で証明できないことがたくさんあるのは、その背後になんらかの創造主の意図が働いているからだと考えるのです。こうした考え方は正統派科学者から相手にされていません。しかし、インテリジェンス・デザインの考え方は、従来の宗教過剰の創造論と一線を画すことで、一部の人の支持を得ています。この言葉が一般に広がったのは、Phillip E. Johnson が1999年に書いた「Darwin on Trial」という本によってです。現在、この考え方を普及させるために全国的な組織ができあがっており、その中心には「the Center for Science and Culture」という組織です。この組織の背後には保守派のシンクタンク「the Discovery Institute」という機関が存在しています。

こうした宗教性と人間という問題は、おそらく日本人が一番理解しにくいテーマだと思います。しかし、これもアメリカのもう1つの現実なのです。

3件のコメント

  1. スコープス裁判の原告弁護人(進化論反対派)は、かの有名なウィリアム・ブライアンですね.彼は革新派として大統領候補に3回立候補したことでも判る様に、決して保守反動じゃあありませんでした.草の根民主主義者で、科学技術の進歩が庶民の自由や道徳基盤を破壊することに危機感を持っていたんです.つまり、この種の問題は日本で最近見られるような非科学的なトンデモ本や神霊ブームとは違うんですね.日本人には確かに何故進化論教育が、このような重要なイッシューになるのか理解しにくいですが、教育制度が非常に民主的で、地域住民に密着していることが原因していると思います.裁判が社会の大きな注目を浴びるのと共通しているのかもしれません.

    コメント by M.N生 — 2005年5月10日 @ 16:36

  2. 知的デザインでカンサスを変えよう
    知的なデザイン(IngelligentDesign)、というとまるで機能美溢れる家具か車のコマーシャルのようだが、万能の神が人間を含めたこの世界を創造した、と信じる人たちが掲げる現代向けのキ…

    トラックバック by 一語楽天・美は乱調の蟻 — 2005年5月10日 @ 17:08

  3. アメリカンなコイサンマンの話
    その映画は、スタンリー・クレイマー監督「聖書への反逆 (Inherit the Wind)」です。

    トラックバック by NewsでNonfixな日々 — 2005年5月11日 @ 06:33

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