中岡望の目からウロコのアメリカ

2011/7/20 水曜日

6冊の本の書評:書評は知的チャレンジである

Filed under: - nakaoka @ 2:48

最近、書評を書く機会が増えています。主に英語の書籍ばかりを読んでいたのですが、このところは翻訳本を読むことが多くなっています。書評は単に本の紹介に留まらず、評者の意見や解釈も反映してきます。じっくり読む機会が減っているので、書評は良い知的な挑戦になっています。ここで取り上げたのは『週刊東洋経済』の書評欄に書いたものです。ブッシュ全体頭領の『決断のとき』、ワイマールのインフレを詳細に描いた『ハイパーインフレの悪夢』、ポールソン前財務長官の『ポールソン回顧録』、アメリカの宗教問題を取り扱った『神と人種』、中国型の開発理論とネオリベラル型の市場理論を比較した『自由市場の終焉』、『国家は破綻する』の6冊を取り上げます。

『決断のとき』ジョージ・W・ブッシュ著(日本経済新聞社刊)

 ジョージ・W・ブッシュ前大統領は戦後の最も人気のない大統領である。八年間の任期中に起きた同時多発テロ事件、アフガニスタン戦争、イラク戦争、金融危機とアメリカの社会、政治、外交を根底から揺り動かした。任期を終えた前大統領は、石を持って追われるかごとくワシントンを後にした。今だにリベラル派からは弾劾に値すると批判され、保守派からも保守主義への信頼を打ち砕いたと冷たく突き放されている。前大統領は表舞台から完全に姿を消しているが、本自伝で自らの思いのほどを綴っている。

前大統領は自伝執筆の目的は二つあると書いている。まず「本書がこの(在任)期間のアメリカ史を研究する材料になること」であり、二つ目は「複雑な状況で決断するのが、どういうことであるか、読者にひとつの視点を提供すること」である。では、その狙いは成功したのか。

たとえば、イラク戦争を取り上げてみよう。イラク戦争の大義は、サダム・フセインが大量破壊兵器を隠し持っていることにあった。だが、現在、CIAなどの分析は誤りであったことが明らかになっている。これに対して前大統領は「その時点では(大量破壊兵器に関する)証拠も論理もすべて、別の方向に向いていた。私は自問した。もしフセインが本当に大量破壊兵器を持っていないのであれば、どうして負けると分かっている戦争に突入しようとするのか」と、情報の誤りを正当化し、戦争責任を見事にフセインに転嫁している。前大統領は「自問」以降の文章を原文ではわざわざイタリック書体で書くほど念を入れている。

本誌の読者が興味を抱いている国際金融危機に関してはどうか。ここでも表面的で、人ごとのような指摘に留まり、本当の政策決定過程を伺い知ることはできない。むしろヘンリー・ポールソン前財務長官の『ポールソン回顧録』のほうが第一級の文献となっており、ブッシュ自伝は足下にも及ばない。

前大統領にスピーチライターのマット・ラチマーの書いた内幕本『スピーチ・レス』では、金融危機が発生したとき、前大統領は経済顧問に向かって「アメリカ経済は強いと言っていたではないか」と怒鳴り散らし、経済音痴ぶりを露呈している。救済策を発表する記者会見に臨む前に徹夜で演説のリハーサルを行ったことが書かれている。

本書は、そうした臨場感を微塵も感じさせない。自己正当化に終始する姿が見えるだけである。「こんな悲惨な状況で大統領の任期を終えることになろうとは」と嘆くのも当然であろう。

本書の二つの目的は達成されたとは思えない。この八年間の本当の評価は歴史学者と評伝作家の作業を待つしかない。

 『ハイパーインフレの悪夢』アダム・ファーガソン著(新潮社)

本書の初版が発行されたのは1975年である。当時の世界経済の最大の課題はインフレであった。第一石油ショックと労働賃金上昇によるコスト・プッシュ・インフレが世界各国を直撃していた。アメリカではインフレは「国民の敵ナンバー・ワン」と呼ばれるほど、深刻な問題であった。80年代にはいるとインフレは沈静化に向かい、いつしか話題にもならなくなった。日本では90年代後半から物価下落が始まり、デフレが深刻な問題となっていく。本書はそうした経済の関心の変化とともに絶版になっていた。

時は巡り、この数年、再びインフレが世界経済の主要な問題のひとつとして浮上してきている。その背景には一次産品価格の上昇、各国の財政赤字の拡大と超低金利政策がインフレ懸念に火を付けた。とはいえ世界経済はまだ金融危機からの回復過程にあり、インフレが差し迫った問題になっているわけではない。

本書は、現在、海外ではベストセラーになっている。初版の出版から35年も経って、なぜ再び注目されるようになったのか。訳者の解説によると、アメリカの投資家ウォーレン・バフェットがオランダの友人に推薦したことで古本の価格が急騰したことで、版元が復刻させたという。ただバフェットのエピソードには根拠がないそうだ。

それでも本書が注目されるようになったのは、“古典”としての魅力が十分にあるからであろう。

本書が取り上げているのはワイマール共和国下でのハイパー・インフレーションである。本書の原題は「通貨が死ぬ時」で、現代の経済社会で通貨の信用が失われたとき、社会がいかに大きなコストを支払わなければならないかが、当時の多様な資料を基に見事に描きだされている。

ハイパー・インフレは、ドイツ人のモラルも誇りも伝統も社会の基盤も破壊し尽くし、ヒットラーの登場を準備することになる。

第一次世界大戦後の膨大な賠償金の負担や講和条約という制約があったとはいえ、本書は政府や中央銀行、経済学者はいかに無知無能であったかを明らかにしている。「首相は相変わらず、紙幣発行とマルク減価の関連を認めなかった。それどころか内閣にも、議会にも、新聞にも、その関連に気づく者はいなかった」。政府はインフレが高進すればするほど紙幣需要が増えると、紙幣の印刷を増やし続けたのである。渦中にいると人々が判断停止に陥る様がリアルに描かれている。

本書は「原因が何かより、インフレが国にどういう影響を及ぼすか」に焦点が当てられており、ハイパー・インフレを理論的に分析したものではない。あまりにも詳細な生活描写に理論的な側面が埋没してしまっているのは残念である。

膨大な財政赤字を抱える日本もいつか大インフレに直面するかもしれない。本書は通貨価値を守ることがいかに経済にとっても、社会にとってもいかに重要かを再認識させてくれる。第一級のクロニクルである。

 『ポールソン回顧録』ヘンリー・ポールソン著(日本経済新聞社刊)

アメリカでは政策決定に政府高官が回顧録を書く良き伝統がある。大統領から国務長官、財務長官、さらにFRB(連邦準備制度理事会)議長まで様々な立場の人物が回顧録を残している。最近では、クリントン元大統領が2004年に『マイ・ライフ』と題する回顧録を出版。今年の11月にはブッシュ前大統領が『ディシジョン・ポインツ』という表題の回顧録を出版している。財務長官ではロバート・ルービン元財務長官が『ルービン回顧録』を書いている。また、ヘンリー・ポールソンも、今年の2月に『ポールソン回顧録』を上梓している。アラン・グリーンパン前FRB議長も『波乱の時代』と題する回顧録を書いている。

ブッシュ前大統領は回顧録を執筆した動機を「本書がこの時期のアメリカ史を研究する人の資料となることを願っている」と書いている。政策決定者が、どのような意図と思いで政策を決定したのか書き残すことは政策担当者の責務である。ただ、すべての回顧録が歴史家の評価に耐えるわけではない。たとえば、グリーンスパンの回顧録は、一番知りたいITバブルや住宅バブルに対する言及は少なく、読者をがっかりさせるものであった。だが、本書は読者の期待に十分に応え、歴史の評価に耐える第一級の回顧録である。

ただ、本書の特徴は回顧録というよりは、リーマンブラザーズ破綻から始まる金融危機の背後で政策決定者がどう判断し、どう行動したかを詳細に記述したドキュメントである。邦題は『回顧録』となっているが、現代は『瀬戸際(On the Brink)』である。まさに未曾有の金融危機に直面し、瀬戸際に追い込まれた財務省とFRBが、大恐慌の再来を防ぐために何をしたかを、政策の当事者が日記風に詳細に記録した実録である。

 記述は2008年9月4日の朝から始まる。ポールソン長官がブッシュ大統領に会い、住宅市場の崩壊で危機に面した住宅金融会社のファニーメイとフレディマックの救済について説明する。そして、2008年11月19日で、本書は終わる。この日、ポーン長官はブッシュ大統領を訪ね、最大の金融機関シティグループが破綻の瀬戸際にあることを説明する。大統領は「これまでに実施した政策によって金融機関の動揺が収まったものと考えていた」と、動揺を隠せなかったという。

本書の最大のハイライトは、リーマンブラザーズ破産申請に至るまでのドラマである。なんとしても同社の破綻を避けようと必死の努力はバークレイ銀行が同社の買収を断念で打ち砕かれる。英財務省が同行の買収を認めなかったのである。長官は「イギリス政府に一杯食わされた」と、怒りよりも焦燥から口走る。もはや同社を誰も救済する当てがなくなったとき、長官は妻に電話をかけ、「金融システムが崩壊したらどうなるのだろうか。恐怖で胸が詰まりそうだ」と、絶望的な心情を吐露する。至る所に重大な責務を負った責任者の心情が語られている。

スタッフの協力があったとはいえ、記されている状況は極めて具体的で、関係者の言葉がリアルに再現されており、下手なビジネス小説をはるかに凌駕する臨場感に満ちている。

金融危機は去ったかのように思われる。著者は、自らの体験から、再び金融危機が起こるのを阻止するための四つの提言を行っている。それは傾聴に値する内容である。本書は金融問題や金融危機の研究家にとって必読であるだけでなく、金融とは無縁の一般読者にも十分に楽しめるお勧めの本である。

『神と人種-アメリカ政治を動かすもの』マーク・A・ノール著(岩波書店刊)

なぜアメリカでは建国以来、政府のあり方を巡って思想的対立が続いているのだろうか。なぜ多くのアメリカ人が神を信じ、宗教が政治的にも、社会的にも大きな影響力を持っているのだろうか。そんな質問を抱いた人は多いだろう。本書は、それに対する一つの答えである。

宗教的弾圧を逃れてアメリカにやってきたピルグリムたちは船上で「メイフラワー盟約」を結ぶ。その中でアメリカにやってきた目的を「神の栄光のため、キリスト教の信仰の促進のため」と書いている。建国の精神の底流には宗教的理念が存在している。やがて積極的な社会参加を主張するエバンジェリカル(福音主義)の影響を受けたカルビン派のプロテスタントが影響力を持つに至り、ユニークな“宗教的国家”が誕生する。

他方、独立戦争は欧州の専制君主体制をアンチテーゼに新しい政治組織を作る理念を持って戦われる。それは強大な中央政府を恐れ、“小さな政府”を主張するジェファーソンの連邦主義に反映され、独立戦争の基本理念となる。だが憲法会議でハミルトンは“大きな政府”を主張し、ジェファーソンに挑戦する。二人の論争は、リベラル派と保守派の対立という形を取って現在でも続いている。

著者は「アメリカの政治の多くは、何らかの形での白人の黒人に対する扱いの歴史であったし、人種差別の歴史の多くは、根底において宗教によって形成されてきた」と指摘する。さらに「南北戦争前のアメリカでの出来事が、その後のアメリカの歴史のすべてを決定した。それは宗教と政治と奴隷制と人種とが相互浸透的に結びついたからである」と指摘する。

本書は「南北戦争」と「公民権運動」の焦点を当てて、宗教と政治の相互関係を分析したものである。奴隷制の是非は聖書解釈を通して議論された。南北戦争は、奴隷制の聖書解釈を巡る“宗教戦争”であり、連邦政府と州政府の主権、すなわち大きな政府と小さな政府を巡る“政治闘争”でもあった。

南北戦争で奴隷制は廃止されたが、人種問題は取り残された。その解決は60年代の公民権運動まで待たなければならなかった。オバマ大統領は“人種的和解”を訴えた。だが、人種的和解が本当に進んでいるとは思えない。黒人教会は本当の意味で和解の姿勢を示してさえいない。

オバマ大統領とアメリカ政治を巡って様々な議論が行われているが、本書を読めば、その多くがいかに表層的なものかが分かるだろう。ある程度、アメリカの政治や宗教の知識がないと内容を咀嚼するのに苦労するかもしれないが、その苦労に見合う成果が期待できる本である。

 『自由市場の終焉』イアン・ブレマー著(日本経済新聞社刊)

 世界経済は大きな転換点にある。1980年代以降、世界経済のグローバル化が急速に進んだ。その背後には市場主義、規制緩和、自由競争、小さい政府などを主張するネオリベラリズムの思想があった。そうした政策を世界中に推し進めてきたのは、アメリカであった。具体的にはアメリカ政府とワシントンに本部を置くIMF(国際通貨基金)、世界銀行が一体となって各国に市場自由化を迫った。三者は市場主導型のネオリベラリズムの政策を採用することを条件に途上国などに援助を与えてきた。こうした経済発展モデルを“ワシントン・コンセンサス”という。著者は、これを“自由市場資本主義”と呼んでいる。冷戦で共産主義に勝利し、自由市場資本主義が世界の揺るぎない規範になると思われた。

だが、今世紀に入ってからの新興国の台頭、金融危機を背景に自由市場に対する懐疑と失望が高まる中で“ワシントン・コンセンサス”は威光を失った。現在、注目されているのは“ベイジン(北京)・コンセンサス”である。国家が政治的な目的を達成するために市場に積極的に介入し、政治的な目標の範囲内で市場原理を許容するモデルである。すなわち「政府が主に政治上の利益を追求するために市場を主導する仕組みである」である。

その典型的な例が中国の発展モデルであり、他のBRICs諸国も同じカテゴリーの属すると考えられる。著者は、こうした“ベイジン・コンセンサス”に基づく経済政策を“国家資本主義”と呼び、現在、世界経済の場で市場主義資本主義と国家資本主義の相克が始まっていると主張する。

中国の温家宝首相は「我が国の経済政策の完成形は、政府がマクロ経済の道案内と規制を担い、その枠内で市場原理に、資源配分にまつわる基本的な役割を十分に果たしてもらうことだ」と発言している。そこでは市場原理は政治的目標を達成するための補完的な手段に過ぎない。中国の政治目標は共産党一党支配を継続し、現在の政治体制を維持することである。国民を納得させるためには雇用創出がなによりも必要なのである。中国の指導層は「雇用創造を絶やさないためには、国家資本主義が何よりも可確実な方法だと考えている」。中国の無謀と思える石油確保のための資源外交やレアアースなどの資源を使った外交、人権を無視した経済活動を行っているのは、こうした政治目的があるからである。そうした政策は、中国に留まるものではない。

国家資本主義は国際経済のみならず、国際政治にも様々な歪みをもたらしている。今後、国家資本主義はさらに影響力を増していくだろう。だが、そうした事態が続けば世界経済は長期的な成長力を失ってしまう可能性がある。本書は国家資本主義の問題点を明らかにする一方で、自由市場経済の復権を主張している。

多くの読者は著者の指摘に共感を覚えるだろう。夏休みに真剣に取り組む価値のある本である。

『国家は破綻する』カーメン・ラインハート、ケネス・ロゴフ著(日経BP社刊)

 「絶対安全」だと信じてきた制度や技術が相次いで崩壊の憂き目にあっている。2007年に始まった金融危機は金融制度の根幹を揺るがすほど深刻なダメージを与えた。急速な金融イノベーションと金融当局の危機対応能力の高まりで、金融危機は「途上国の出来事」か「過去の出来事」と考えられてきた。同様に原子力発電の安全神話もあっけなく崩れ去ってしまった。過去の失敗と経験でリスク管理が十分に行われていると主張されてきたが、もはや誰もそんな話を信じなくなっている。

 金融市場に何が問題だったのだろうか。著者たちは、危機が繰り返されるのは「人間の性質に根ざす何か根源的なものが働いているのではないか」と問題を提起する。それは、人々の心にある「今回は違う」という“傲慢な意識”ではないかと説明する。「2007年にサブプライム問題を発端にアメリカから世界を襲った金融危機の大波は学者や市場関係者政策担当者の(金融危機は過去のものだという)思いこみを完璧に打ち砕いた」のである。

 本書の原題は「今回は違う」である。本書は2009年秋に出版され、欧米の学界で賛否両論を含め話題になった。多くの論調が金融機関や金融当局内部の動向に焦点を当てて金融危機を分析しているのに対して、本書は、66カ国を対象に過去800年に及ぶデータを分析することによって銀行危機や通貨危機、公的対外債務危機を“定量的”に分析したものである。そうした分析をもとに、今回の金融危機は過去の金融危機と同じであることを明らかにしている。そして、繰り返し危機を生んだ原因は「今回は違うシンドローム」にあると主張する。

 「借り手も貸し手も、政策担当者も、そしておおむね世間も、記憶力はさっぱりよくならないようにみえる。こういう状況では、次の危機勃発を防ぐ教訓を歴史から学ぶことは、どう贔屓目に見ても、期待薄と言わざるをえない」と、金融イノベーションに浮かれた関係者を批判する。本当に歴史を謙虚に学ぶなら、たとえば金融危機の前に必ず住宅バブルなどが起こっていることを認識できたはずである。さらに金融危機の後遺症は長期に及ぶことも明らかにする。

極めて意欲的かつ刺激的な本であるが、読み終わった後の充足感がない。それは、著者が「因果関係を解明し、さらに政策対応の指針を示すのは、今後の研究に待たねばならない」と語るように、“定量的”な分析に終始し、理論的な部分がブラックボックスになっているためだ。ただ、巻末の膨大なデータは、金融危機などに関心を持つ人にとって得難い資料である。

3件のコメント »

  1. 『ハイパーインフレの悪夢』の書評と『自由市場の終焉』の書評が同じものになっていますが。

    コメント by いちファン — 2011年7月22日 @ 07:00

  2. 申し訳ありませんでした。差し替えました(中岡)

    コメント by nakaoka — 2011年7月22日 @ 17:16

  3. イアン・ブレマー氏の自由市場の終焉という本について、個人的に非常に違和感が感じました。中国等の国家資本主義との対比でワシントンコンセンサスがあたかも自由でリベラルなもののように書かれていますが、それの先駆けであった80年代の南米では米国主導の元反共独裁政権による国家資本主義的なシステムとこのワシントンコンセンサスが見事に調和し米国はそれを主導していました。そこでは人々の訴えは軽視され、都合の良い指導者層、軍、富裕層のみが恩恵を受けていた訳です。他の地域の資源獲得に関しても米国自身中国と同じようなやり方をしてきた歴史がある訳で、自国にとって都合の良い「ワシントンコンセンサス」の勢いが無くなり、敵対する「ベイジンコンセンサス」なるものが登場し、その危惧を語るのならば米国自らが中東、南米、アフリカに向けて行った、現在の中国と殆ど同じだった対外政策の反省をもっと省みてから語るべきではないのかと思いました。

    コメント by mzr1493 — 2011年7月23日 @ 20:18

このコメントのRSS
この投稿へのトラックバック URI
http://www.redcruise.com/nakaoka/wp-trackback.php?p=384

コメントはお気軽にどうぞ