中岡望の目からウロコのアメリカ

2006/2/2 木曜日

新旧2人のFRB議長論:グリーンスパンからバーナンキへ

Filed under: - nakaoka @ 23:36

12月末に記事をアップして以来、1ヶ月以上、記事をアップできませんでした。年末から風邪を引き、体調が不調だったところに、昨年は走りすぎてやや息切れしたせいか、執筆意欲が低調な状況が続いていました。英語でいえば、”out of steam”の状態でした。大学の授業が始まり、その準備(大学院で「日本経済史」、学部で「アメリカ文化研究」)もあり、書かなければと思いつつ、時間が経ってしまいました。改めて原稿を書き続けるには、いかにエネルギーが必要か痛感しました。前置きは、ここまでにして、1月31日にグリーンスパンFRB(連邦準備制度理事会)議長が退任し、2月1日にバーナンキ新議長が誕生しました。バーナンキ論は以前にも書きましたが、改めて二人のFRG議長論をまとめてみました。前半のグリーンスパン論は、雑誌「情報交差点」(1月号)への寄稿したものです。後半のバーナンキ論は時事通信の「週刊金融財政」(1月30日号)に掲載したものです。前のバーナンキ論と併読していただければ幸いです。また、昨年と同じペースで記事を書き続けるつもりです。遅ればせですが、「本年もよろしくお願いします」

(タイトル)
グリーンスパンの歴史の評価はまだ下されていない

1月31日に開催されるFOMC(連邦公開市場委員会)が、グリーンスパンFRB(連邦準備制度理事会)議長としての最後の仕事になる。おそらく、そのFOMCで2004年6月に始まった利上げ政策が継続され、再びフェデラル・ファンド金利が0・25%引き上げられるだろう。金融市場では利上げ政策が最終段階に入ったとの見方が急速に広がっており、もしその予想が正しいのであれば、その利上げはグリーンスパン議長に対する最高の“餞別”となるだろう。
そして、同日、上院総会は既に上院銀行員会で次期FRB議長として承認されているベン・バーナンキ大統領経済諮問委員会委員長を正式に議長に承認する手はずになっている。これによって1987年に始まった18年に及ぶ「グリーンスパンの時代」は、幕を閉じることになる。

グリーンスパン議長の在任期間は、1951年から1970年まで議長を勤めたウィリアム・マーチンの在任期間と並ぶものである。マーチン以降、アーサー・バーンズが1970年から1978年、ウィリアム・ミラーが1978年から1年、ポール・ボルカーが1979年から1987年まで議長を務めているが、在任期間ではグリーンスパン議長に及ばないだけでなく、前任者たちはいずれも多かれ少なかれ政府との対立という苦い思いを抱きながら議長の座を退いている。しかし、グリーンスパン議長は、多くの人々の賞賛を浴びながら華やかに表舞台から退場することになる。しかも、昨年、名誉ある「自由勲章」をブッシュ大統領から授与されている。

グリーンスパン議長は「最も偉大な中央銀行家」と、極めて高い評価を得ている。しかし、人の最終的な評価は棺に釘が打ち付けられるときに決まるといわれるように、グリーンスパン議長は、退任後、厳しい歴史の評価にさらされることになるだろう。

グリーンスパン議長が高い評価を得た背景には、彼の優れた金融政策運用の手腕があった。議長就任後、実務についてやっと2ヶ月目に入ったばかりの1987年10月に「ブラック・マンデー」と呼ばれる株価大暴落が起こる。これに対して同議長は各国の中央銀行と協調しながら極めて迅速な対応を取り、市場に大量の流動性を供給することで株価暴落が全面的な金融危機に発展する事態を回避した。就任当初、FRB議長としての資質に対して疑問も出されていたが、これによってグリーンスパン議長は初めて市場の信任を得ることとなった。

同議長の危機管理能力に対する評価は、1997年のアジア金融危機への対応やヘッジファンドの運用会社LTMCの倒産の危機を救ったことでさらに高まった。LTCM救済に際して、同議長はニューヨーク連銀と緊密な連携を取りながら、大手米銀の資金協力を得て、LTMCの破綻を救い、金融危機が発生することを阻止したのである。

経済パフォーマンスでも高い評価を与えられている。18年の在任期間中に発生したリセッションは、1990年初と2001年初の2回で、いずれも短期間に終わっている。その結果、同議長はアメリカ経済を長期的な繁栄に導いた功労者と見なされている。アメリカ経済は、1990年代にIT革命を背景に7年に及ぶ戦後最長の経済成長を遂げたのである。また、2000年のITバブル崩壊による株価暴落に際して積極的な金融緩和政策を取ることで、デフレ阻止に成功している。

さらにグリーンスパン議長の貢献として金融政策の透明性を高めたことも指摘しておくべきだろう。ボルカー時代まで金融政策の決定過程は外部から伺い知ることはできなかった。当時、経済学者も含め、金融政策は市場の“意表”を衝かないと効果がないと考えられていた。すなわち政策が市場に事前に読まれたら、市場は政策効果を相殺するように行動すると考えられていたのである。しかし、グリーンスパン議長は、金融政策の効果を高めるためには市場が金融政策に対して正確な期待を形成する必要があると考えた。そのために、FOMCの議事録を迅速に公開することによって市場に正確な情報を提供するとともに、議長を初めFRB理事は積極的に金融政策について語るようになった。

グリーンスパン議長の政策手法は、FRBの政策意図を市場に伝えることで事前に市場の調整を進め、政策は市場の動きを追認する形で行なわれてきた。それによって金融政策の透明性が高まったのは間違いない。ただ、グリーンスパンの言葉は曖昧で、様々な憶測を呼んだ。たとえば1996年12月の演説で株価上昇を「根拠なき熱狂」と呼び、その真意を巡って市場が混乱する場面もあった。市場関係者は、同議長の独特な言い回しから懸命に政策の意図を探ろうとしていたが、金融当局と市場の距離を縮めたのは、事実である。

また、金融政策の手段として伝統的な公定歩合操作中心の金融政策から銀行間の貸借金利であるフェデラル・ファンド金利を政策金利として機動的に政策発動を行なうようになったことも、貢献の1つに挙げておくべきであろう。

しかし、そうしたプラスの評価とは別に、グリーンスパン議長の金融政策はアメリカ経済に大きな不均衡をもたらしたのも事実である。その責任のすべてを金融政策に帰すことはできないが、アメリカ経済は低貯蓄率と膨大な貿易赤字という深刻な問題を抱え込んだのである。これは、直接的、間接的にGRBの過剰な金融緩和政策がもたらした結果であることは間違いない。

グリーンスパン議長は2つの“バブル”を引き起こしている。1つは90年代の「株価バブル」であり、もう1つは現在の「住宅バブル」である。アメリカ経済は、こうしたバブルに支えられて高成長を遂げてきたといっても過言ではないだろう。そしてバブルを引き起こしたのは、間違いなくグリーンスパン議長の金融政策であった。

ITバブルに際して「根拠なき熱狂」であると指摘しながら、結局、利上に踏み切ることはなく、バブルを放置して、2000年のバブル崩壊を許してしまった。グリーンスパン議長は、IT革命を背景に生産性が向上し、インフレが抑制されているとの理論から金融引締めに消極的であった。その政策は市場に深刻なモラル・ハザードを招いた。投資家は、株価が下落したらグリーンスパン議長が金融緩和で助け船を出してくれると考え、過剰投資を行なったのである。

また、住宅バブルも、デフレ対策重視による超低金利政策が直接的な原因であることは衆目の一致するところである。グリーンスパン議長は、現在の住宅市場は地域的に“小さな泡”が生じているだけで全国的なバブルは起こっていないと主張している。それは、バーナンキ次期議長の下で試されることになるだろう。

さらに同議長は、株式市場にせよ、住宅市場にせよ、特定の資産価格を対象に金融政策を発動すべきではないと主張している。かりにバブルが発生していても、それを阻止するために金融引締めを行なえば、経済全体に影響を及ぼすと主張している。そうした発想が、バブルを容認することとなっている。

グリーンスパン議長はインフレを抑制に成功したと評価されている。しかし、徹底したインフレ・ファイターであったボルカーと比べると、軸足は揺れているように見える。確かにアメリカのインフレ率は低下しているが、先進諸国と比べると必ずしも優れたパフォーマンスであるとはいえない。むしろ生産性向上と経済の構造変化によるコスト・プッシュ圧力の低下が、インフレ抑制の主因であった。金融政策によってインフレが抑制されたとはいえないのである。

バーナンキ次期FRB議長は、グリーンスパン議長が残したマイナスの遺産に取り組まなければならない。その処理如何では、グリーンスパン議長の評価も大きく変わってくる可能性がある。

【追記】
これからのグリーンスパン:今後のグリーンスパンの活動が注目されています。おそらく講演や本の執筆で巨万の富が保障されているでしょう。実は、FRB議長の給料はそれほど高くはないのです。グリーンスパンの資産内容は公表されていますが、決して”大金持ち”とはいえません。そんな中、まず最初の仕事が報道されました。それはイギリス大蔵省の名誉顧問の仕事です。イギリスの大蔵大臣ゴードン・ブラウンは、グリーンスパンのことを「我々の世代で世界で最も偉大な経済での指導者」とよび、グリーンスパンはブラウンを「世界の経済政策担当者で匹敵するものがいない存在」と呼ぶなど、お互いが称え合っています。なお、グリーンスパンは、名誉顧問のポストをタダで引き受けるそうです。

これ以降の記事は「週刊金融財政」(1月30日号)に掲載したものです。
バーナンキ時代の幕開け

18年余続いたグリーンスパの時代に幕が引かれる。1月31日に金融政策の決定機関FOMC(連邦公開市場委員会)が開催され、それがグリーンスパンFRB議長の最後の舞台となる。その同じ日に上院本会議はベン・バーナンキを次期FRB議長として承認する手はずになっている。14代目の新FRB議長が誕生し、新しい時代が始まる。

FRB歴史を紐解くと議長の多くは時の政権と対立したり、あるいは追われるように議長の座を去っているが、グリーンスパンは金融市場の関係者だけでなく与野党の議員からも“賞賛”を浴びて円満に退任する。彼は87年に議長に就任し、その優れた感覚で市場の動向を読み取りながらまさに“マエストロ”のごとくアメリカ経済の復活を成し遂げたのである。

そうした晴れがましい瞬間を『ロンドン・エコノミスト』誌(1月12日号)は「アメリカにとって危険な時」と表現している。「グリーンスパン議長の退任はアメリカ経済の頂点を記すものであるが、頂点の先には成長の低迷が待っている。成長鈍化は、グリーンスパン議長が辞任するからではなく、彼が後に残したアメリカ史上最大の経済的な不均衡によってもたらされるものである」と冷静な分析をくわえている。同誌が指摘する“史上最大の不均衡”とは、巨額の経常赤字と財政赤字、住宅や株などの資産バブルである。バーナンキは、新議長に就任直後から、グリーンスパンの負の遺産の処理に追われることになる。

バーナンキは、02年8月にFRB理事に就任するまでワシントンでは無名であった。プリンストン大学教授だったバーナンキは、当時のブッシュ政権のCEA(大統領経済諮問委員会委員長)だったハバードの推挙を得てFRB理事に就任、一躍脚光を浴びるようになる。彼は経済学界では大恐慌や金融政策の研究家として名声を勝ち得ていたが、実務とは縁遠い存在であった。さらに05年4月に当時のCEA委員長で、現ハーバード大学教授のマンキューの推挙でCEA委員長に就任し、ブッシュ閣僚に加わった。ブッシュ大統領がバーナンキを次期FRB議長に指名したのは10月24日。そして11月15日に上院銀行委員会でヒアリングが開催され、20名の委員のうちの19名の支持を得て議長人事は承認された。今月31日の上院総会で承認を得て正式に議長に就任すれば、彼はワシントンに来て3年半で「大統領に次ぐ権力」を手に入れることになる。

FRB議長は、FOMCで他の委員と同様に一票の投票権しかないが、FOMCの議論をリードし、政策を決定する上で圧倒的な力を持っている。今後のアメリカの金融政策を予想するには、彼の考え方を理解する必要がある。
歴代のFRB議長は個性的な人物が多い。アーサー・バーンズ(在任70年~78年)は気難しさで知られ、身長が2メートルを越えるポール・ボルカー(在任78年~87年)は周囲を威圧する存在感を持ち、グリーンスパンは職人的な勘と独自の理論でFRBの中で突出した存在感を示した。彼は、“バロン”と呼ばれる小数の側近スタッフを重用し、FRBの中で権威的で閉鎖的な雰囲気をかもし出していた。

これに対してバーナンキは、教育者という経歴から解り易い言葉で明瞭に語る人物で、グリーンスパンに対しても歯に衣着せず物が言える数少ない人物であった。二人は、インフレ・ターゲット政策を巡って真正面から対立している。その一方で、アメリカ経済が01年にITバブル破裂でリセッションに陥ったとき、バーナンキはデフレを阻止するためグリーンスパンが採用した超低金利政策を積極的に支持するなど、協力する場面もみられた。

バーナンキの積極的に発言する姿勢は、彼の講演の多さにも現れている。FRB理事として02年10月の「資産バブル」と題する最初の講演から05年4月の「国際的な貯蓄過剰(グローバル・セービングス・グラト)」と題する講演を行なうまでの3年半の間に45回の講演を行ない、短い在任期間にもかかわらずFRBを代表する人物となっていた。

バーナンキはケインジアンか?
 
バーナンキは政治的には共和党員であるが、その経済思想は必ずしも保守的とはいえない。ブッシュ政権を支える経済理論は、大幅減税を主張する供給サイドの経済学やインフレ抑制を主張するマネタリズムである。だが、経済学者バーナンキは、供給サイドの経済学に組みしていない。CEA委員長のとき「ブッシュ減税の恒常化を支持する」と発言しているが、後にブッシュ政権の一人として政府の方針に反する発言はできなかったと知人に語っている。

彼はマネタリストのように通貨供給量がインフレを引き起こすという主張を退け、過剰需要による産出高ギャップがインフレを引き起こすと説明している。また、彼は大恐慌の研究では第一人者で、その解釈を巡ってマネタリズムの開祖フリードマンに挑んでいる。両者は金融政策の失敗が大恐慌の原因であったとする点では共通の認識を持っているが、フリードマンが政府の介入が状況をさらに悪化させたと主張しているのに対して、彼はルーズベルト政権のニューディール政策によって経済は大恐慌を脱したと主張している。彼は、ニューディール政策を天敵とする保守派とは一線を画している。

ブッシュ大統領がバーナンキを次期FRB議長に選んだ理由は、彼がインフレを容認する“インフレ・ハト派”だからであるといわれている。彼は物価安定の重要性を指摘しながらも、どんな犠牲を払ってもインフレを抑制しなければならないという教条的な“インフレ・タカ派”ではない。彼は、金融政策当局は雇用とインフレという二つの政策目的に等しく注意を払うべきであると主張している。デフレを阻止するためにリコプターからお金を撒いて需要を創出すればいいと主張して、“ヘリコプター・ベン”というあだ名を付けられた。このエピソードは、政府は失業者に穴を掘らせることで有効需要を作り出せると主張したケインズを髣髴されるものがある。一部の保守派の論者は、バーナンキをケインズ主義者であると呼んでいる。

余談だが、アメリカで最も厳しくブッシュ政権の経済政策を批判しているポール・クルーグマン教授をマサチューセッツ工科大学からプリンストン大学に呼んだのは、バーナンキであった。こうしたエピソードからも、彼の共和党、保守派という枠組みに囚われない柔軟な発想を伺い知ることができる。

インフレ・ターゲット政策とは何か

バーナンキは、90年代半ばからFRBはインフレ・ターゲット政策を採用すべきである主張している。ニューヨーク連邦準備銀行でインフレ・ターゲット政策の共同研究を行い、その研究成果を99年に『インフレーション・ターゲッティング』と題する本で出版している。また、04年6月に行なわれたミネアポリス連銀でのインタビューで「FRBは実質的にインフレ・ターゲット政策を実施している。当然、次のステップは明確なインフレの数値目標を設定することである」と語っている。

ただ、同政策に対する批判も多く、上院銀行委員会では「急激な手段をとって長期的な物価安定の目標を数値化することはない」とトーンダウンした印象を与えている。しかし「長期的な物価安定の数値的なガイダンスを与えることは幾つかの利点がある」と、同政策の導入に対する意欲は隠さない。

マンキューはバーナンキ宛ての書簡の中で「新しい金融政策のレジームについて大げさに発表しなくても既に金融市場はインフレ・ターゲットのレンズを通して金融政策を見ている」と、既にインフレ・ターゲット政策は市場で真剣に受け取られつつあると指摘している。既にイギリスや欧州中央銀行、カナダなどで同政策は採用されている。FRBも、バーナンキの指導のもとに、その方向に進んで行くことは間違いないだろう。

では、インフレ・ターゲット政策とは具体的に何なのか。論者によって微妙なニュアンスの違いがあるが、バーナンキの説明を要約すると次のようになる。

まず、具体的な物価安定の“長期的な目標値”を公表することでFOMCは一貫性のある金融政策を遂行できるようになる。目標値は範囲ではなく一つの数値で示し、インフレ指標は変動の激しいエネルギーや食品を除いた“コア・インフレ率”を使うとバーナンキは主張している。FRBが目標値を堅持することで、目標値がインフレ期待の錨(アンカー)となり、安定したインフレ期待を形成することができる。インフレ期待が安定すれば経済活動は安定し、FRBは短期的なショックに対して柔軟な対応ができるようになる。さらに同政策は、FRBの政策の説明責任を高めることになる。メディアではインフレ目標値の公表が強調されすぎているきらいがあるが、重要なのは市場にFRBの政策意図を明確に開示して、インフレ期待の形成に影響を与えることである。

そうしたFOMCの情報開示の努力は、既に行なわれている。90年代初めまで金融政策はブラック・ボックスの中で決定され、政策決定過程や狙いが公表されることはなかった。むしろ金融政策は“サプライズ”でないと効果はないと考えられていた。しかし、90年代に入ってグリーンスパンの元で政策に関する情報開示が急速に進み、フェでアラル・ファンド金利の目標値やFOMCの議事録が発表されるようになった。

マンキューは「グリーンスパンは暗黙裡に1~2%のインフレ目標値を設定している」と指摘しているが、グリーンスパンは目標値を公表することは機動的な金融政策の発動を制約することになると考え、インフレ・ターゲット政策を否定している。しかし、バーナンケは上院銀行委員会で「私は短期間にインフレを目標に戻す努力をするつもりはない」と、インフレ・ターゲット政策は金融政策の弾力性を損なうものではないと強調している。もしそうなら、現在の金融政策レジームを一歩先に押し進めるだけで、インフレ・ターゲット政策は実現することになる。バーナンキは、教科書『プリンシプル・オブ・マクロエコノミックス』の中でグリーンスパンの金融政策をインフレ兆候の芽を早めに刈り取る“予防的攻撃(プリエンティティブ・アタック)”と呼び、「予防的攻とインフレ・ターゲット政策の背後にある哲学は同じものである」と書いている。とすれば、グリーンスパンとバーナンキの間の違いはわずかなものということになる。

ただ、FRBがすぐに同政策を採用するかどうか疑問である。バーナンキは04年1月に行なった講演で「FOMCはもっと頻繁に経済予測を発表し、対象期間を延ばすべきだ」と主張している。当面は、バーナンキの指揮でFRB内部でインフレ・ターゲット政策についてのコンセンサス作りを進める一方で、FOMCの政策や経済予測に関する情報公開を増やし、インフレ・ターゲット政策導入の条件作りが行なわれることになるだろう。

資産インフレをどう考えているか

『エコノミスト』誌の分析を借りれば、アメリカ経済は史上最大の不均衡を抱え込んでいることになる。では、バーナンキは経済の現状をどう考えているのだろうか。10月20日に開かれた両院合同経済委員会で証言を元に彼の政策論を見てみよう。

アメリカ経済の最大のリスクは「住宅バブル」であることは衆目の一致するところである。しかし、グリーンスパンは住宅バブルに警鐘を鳴らしているのに対して、バーナンキは違った評価をしている。彼は「地域的に投機的な活動も見られるが全国的なレベルでは住宅価格の上昇は雇用や所得の増加、低住宅ローン金利、家計数の増加を反映している」と、住宅バブル説を批判している。ただ、現在のような価格上昇は続かず、遠からず住宅市場は沈静化に向かうと分析している。

また、彼は、金融政策は特定の資産の価格に照準を当てて発動すべきではないと主張している。さらに特定の資産の価格が上昇するのは、市場の規制などミクロ経済の要因によるものであると主張している。そうした考え方は、住宅価格の下落が始まっても金利の引き下げで対応することはないことを意味している。これは、グリーンスパンが90年代に株価下落に際して利下げでテコ入れを図ったのとは基本的に異なる政策スタンスである。

財政赤字と経常赤字についてはどうか。バーナンキは財政赤字が経済にマイナスの影響を与えることを指摘しながら、その解消は金融政策の対象外であると主張している。上院銀行委員会で財政赤字について質問されたとき、彼は「具体的な税は支出に関して提案するつもりはない」と、財政赤字削減問題は議会と政府の問題であると突き放している。この姿勢は、グリーンスパンが頻繁に財政赤字に言及したのはと対照的である。

そうした姿勢は、経常赤字問題でも見られる。FRB理事として最後の講演で「世界的な貯蓄過剰」の問題に触れているが、その中でアメリカの巨額の経常赤字は途上国が本来なら貯蓄を国内の設備投資に向けるべきなのにドル資産に投資をするという世界の貯蓄投資の不均衡が原因であると分析している。さらに、この不均衡を是正するには各国が協力する必要があり、アメリカの金融政策の領域を超えるものであると主張している。

いかにも学者の論議である。確かにFRBの政策だけで対外不均衡やドル相場を是正するのは不可能である。しかし、現実には経常赤字は危機ラインといわれるGDPの6%の水準に近づきつつあり、金融政策の舵取りいかんではドル暴落を招きかねない。モルガン・スタンレー証券のチーフ・エコノミストのスチーブン・ローチは、「バーナンキは最初に為替市場で試されるだろう」と語っている。もしドル暴落が始まれば、長期金利が上昇し、アメリカ経済を支えてきた住宅市場が崩れるのは間違いないだろう。不均衡が危機に発展する可能性は否定できない。

多くの人は「バーナンキはグリーンスパンたりえるか」と問いかけている。バーナンキにとって、まず中央銀行総裁として市場の信任を勝ち得ることができるかどうかが極めて重要である。グリーンスパンも議長に就任したとき「ボルカーたりうるか」と問いかけられた。だが、就任2ヶ月後に起こったブラック・マンデーで卓越した危機管理能力を発揮したことで、グリーンスパンは市場の信任を勝ち得た。

バーナンキはどうか。最初のテストは、3月28日に開催されるFOMCであろう。市場は、そこで彼がどのような決定をするか注視している。雇用を重視して利上げを見送れば、“インフレ・ハト派”と見なされるだろう。それともグリーンスパンの利上げを継続して“インフレ・タカ派”をアピールすることになるのだろうか。どちらの道を取るにしても、容易ではない。ここで市場の信頼を失えば、ドル暴落という厳しい洗礼を受けることになるかもしれない。

5件のコメント

  1. いつも読ませていただいています。
    毎回毎回、とてもためになります。

    >同議長の危機管理能力に対する評価は、1987年のアジア金融危機への対応やヘッジファンドの運用会社LTMCの倒産の危機を救ったことでさらに高まった。
    とありますが、
    1997年の間違いかと思います。
    読者のほとんどの方はわかってらっしゃるとは思いますが、念のため書かせていただきました。

    これからも楽しみにいています。

    コメント by KD — 2006年2月4日 @ 15:59

  2. 4/16 FX為替取引  ドル円で16万円の利益
    今日は、ドル円で16万円の利益が出た。金曜から「買い」で仕掛け、月曜の7時過ぎのスワップ金利が確定したときに売った。この調子で、毎日、利益を積み上げたい。

    トラックバック by 起死回生の年収1億マーケティング! — 2006年4月3日 @ 21:00

  3. 金融における投資
    金融における投資とは何か。それとは反対にギャンブルにおける投資とは何か。そして、「投資」と「投機」の違いは何で決まるのか。

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