コンピュータは「考える」ようになるか
今日は夕食を摂りながら友人と表題のような話をして盛り上がりました。
「考える」とはそもそもなんなのか、という問題もあるので結論めいたものは出ない話題ですが想像する分には楽しいものです。「コンピュータは考えることが出来るか、という質問は、潜水艦が泳げるかという質問と同じである」という意見、あるいはジョーク、もあるようです。
昔読んだ記事にはこんなのもありました。
「考えるコンピューター」を競うコンテスト、今年も開催
この記事での今年は2001年ですが、どうやら2004年もコンテストは開かれたようです。
人間のように非常に広範な話題をコンピュータが「考える」のはまだ当分実現しないでしょう。実現させたいと考えている人がとても少ないでしょうし。しかし、「最近面白い映画ない?」「うーん、そうだなぁ。これなんかどう?」というような場面における「考える」を実現して友達並みの答えを返してくれるコンピュータは何かもうひとつ壁を越えれば実現しそうな気がします。
その壁は、友達にはあってもコンピュータにはない信頼性なのか、人間特有の意外性や曖昧性なのか、単にインターフェイスの問題なのか。eクルーザーの中にもその壁に対するレッドクルーズなりの解を盛り込みたい、と考えてはいますが形になるまではもう少し時間がかかりそうです。
映画における「考える」コンピュータはたいてい人間との戦争にいきついてしまいますが、生きている間に見てみたいものです。